第5-4話 知らない愛

 私の部屋が映し出される。


 寝ている私を見下ろす影──琥珀髪の少年の姿があった。彼が手に持つ氷のナイフが、月光を反射して、輝く。


「ごめんね、愛」


 そのナイフを、彼は頸動脈へとあてがい、そして──、


「何してんの?」


 開けた扉の枠にもたれかかるようにして、腕を組み、彼を見つめる小さな影がある。彼は、問いかけを受けても、動こうとはしない。


「──今、あんたが死んだら、マナはきっと、あんたの後を追うことになるわよ」


 それでも、彼は動かない。


「あんたのそれは、自殺じゃなくて殺人よ。あんたはマナを殺そうとしてるの。そんなことしたら、絶対に許さないから」


 月の光が、少女の赤い眼光を、一際鋭く輝かせる。赤瞳が揺らいで、少女の頬を涙が伝う。


 彼は驚きを顔に表し、思いがけず、手から刃物を滑り落とし、結果、首の皮を薄く切った。その隙を突いて、土足のまま部屋に上がり込んだまなに、腕を強く掴まれる。魔法でできたナイフは消滅した。


「いっつ……」

「マナが起きるわ。下に行きましょう」


 気まずそうなあかねを無理やり連れて、まなはロビーへと降り、彼を椅子に座らせる。その正面に湯気の立つ湯飲みを置き、向かいに腰かけ、自分の茶を静かに啜る。


「落ち着いたら飲みなさい」


 しばらくして、あかねは両手で湯飲みを持ち、口をつける。


「……ナイスタイミングだったね、盗撮でもしてるの?」

「ナイフタイミングでしょ」


 茶化そうとするあかねに、まなは皮肉をぶつける。ロビーの時計は三時を示しており、外はどんと暗い。しばらくの静寂の後、あかねの方から口を開く。


「……聞かないの?」

「何を?」

「なんで自殺しようとしたのかって」

「聞いたら生きる気になるわけ?」

「いや、ならないけど」

「じゃあ、聞くだけ無駄じゃない」


 先の涙が見間違いだったかのように、素っ気なく返事をして、まなは湯飲みを小さな両手で持って、中身をくるくる回す。


「なんで、分かったの?」

「そういう目をしてたから、としか言いようがないわね。まあ、勘が鋭いってことにしておきなさい」

「なら、どうして止めたのさ」

「さっき言ったでしょ──」


 ──突然、あかねは机を強く叩いた。それにまなは、酷く怯えたように肩をすくめ、湯飲みを落として中身を溢す。


「聞いてるんじゃない。責めてるんだ、僕は。君のせいで死にぞこなった。どう責任を取ってくれるんだよ」

「湯飲みが落ちたじゃない。それに、なんであたしが責任取らなきゃいけないわけ?」

「この──っ!」


 感情のまま、あかねは、湯飲みを拾おうとするまなの喉元に飛びつく。上から抑えつけられて、まなの顔は赤に染まっていく。


「なんでだよ。君は僕に興味なんてないはずだろ!?」

「ないわよ……あんたがどうなろうと、知ったことじゃないわ……っ」

「じゃあ、なんで!」

「さっきも言ったでしょ……っ。マナのためだって──!」


 その言葉に、あかねが手の力を緩めると、まなは咳き込み、苦しそうに息を切らす。


「君は、どうして、愛に、そこまでしてくれるんだよ……」

「決まってるでしょ? 友だちだからよ。ついでにあんたもね」

「さっき、僕のことなんか知らないって──」

「だって、仕方ないじゃない。あんたよりもマナの方が可愛いんだから。それに、あたしだって人魔族なんだから、全員と平等に接することなんてできないわ」

「ふざけ──」

「それに。あかりは誰よりもマナを大切に思ってるでしょ。……だから、きっと、心残りがあるとすれば、あの子だけだって、そう思ったのよ。自分のことなんてどうでもいいって顔してたから」


 彼は少女の首に手をかけたまま、両目から大粒の涙を流し、少女の頬を濡らす。その感触に、まなが驚いた顔をする。


「辛いんだよ……。あの子が君と、楽しそうに話してるのを見るのが。あの子が君を見る眼差しの柔らかさが。あの子が君を必要としてることが。君が、求められた分だけ、あの子に優しくできることが。あの子の側にいて、それでも、自分を貫いて生きていける君が!」


 あかねはまなの首から手を離し、顔の横に両手をついて、涙を滴らせながら、まなの赤瞳を見つめる。


「どうして、そんなに、真っ直ぐなんだよ……。どうして、そんなに、綺麗なままで、強いままでいられるんだよ……」


 まなは、そんなあかねを、仰向けになったまま見上げて、放心する。


「僕は、君が大嫌いだ。君を見てると、自分がどれだけ汚いか、嫌でも思い知らされる。愛と一緒にいるべきなのは、君みたいな人で、僕みたいなやつは関わっちゃいけないんだって、そう言われてるみたいで、嫌になる。君さえいなければ、こんなに辛い思いをしなくていいのに、そんなこと、君なら考えもしないだろうなって思うと、また苦しくなる。一緒にいることさえ罪深いのに、その上何もできない自分が、僕は、どうしようもなく、嫌いだ──」


 あかねが静かになったのを見て、まなはやっと、瞳の色を落ち着ける。


「そんな風に思ってたの。──なんだか、嬉しいわ」

「……なんで、怒らないんだよ」

「こんなに泣いてるのに、怒れるわけないじゃない」

「そういうところも嫌いだ」

「あんたに好かれるためだけに怒ろうとは思わないわね。でも、嫌いって言われると、さすがのあたしでも、傷つくわよ」

「嫌い、嫌い、嫌い……」

「あはは、子どもみたい」


 繰り返し唱えるあかねに、まなが笑う。


 ──そうして、落ち着いた後で、床を拭き、彼は新しい湯飲みにまなの分のお茶を注ぎ、席につく。


「あたしはそんなに綺麗じゃないわよ」

「嘘だ。どうせ、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるーとか思ってるくせに」

「え、違うの!?」

「……その反応、ほんとムカつくんだけど」


 以前、私も同じようなことをした記憶がある。人体の仕組みについては熟知しているため、おそらく、そうなのだろうとは思っていたのだが、城では教えてもらっていなかったし、自分で調べようとは思ったことすらなかった。


「じゃあ、マナの赤ちゃんはどこから来たの?」

「自分で調べなよ」

「あたし、スマホ持ってないから。貸してくれない?」

「嫌だよ。履歴見られたくないし。残したくないし」

「履歴? いつも何調べてるの?」

「まなちゃんが人に興味持つなんて珍しいね。ま、答えるつもりないけど」


 明らかに機嫌の悪そうなあかねに、まなは、


「ツンツンしてるあかりって、珍しいわね」

「うるさいなあ……。また首絞めるよ?」

「分かったわよ。痕が残ったら、マナに根掘り葉掘り聞かれるから、やめておきなさい。それに、大丈夫よ。あんたたちの関係を壊してまで、割り込んだりしないから」

「そういうとこだよねえ、ほんとさ……はあ……」


 あかねは覚めた茶を飲み干すと、空間収納からワインボトルを取り出し、魔法で栓を開け、紫の液体を空の湯飲みに注ぐ。


「それ、本物のお酒?」

「そうだけど?」

「若いうちから飲んでると、頭が悪くなるわよ」

「今さらだよ。まなちゃんもいる?」


 珍しく、まなが返答に詰まった。それを見て、あかねがまなの湯飲みに、許可も取らずにワインを注ぐ。残っていたお茶とワインが混ざり合う。


「あんたね……」

「ま、飲んでみなよ。興味あるんでしょ?」


 ルスファではお酒は二十歳からと決まっており、現役の高校生である私たちは、法律上、飲んではいけないことになっている。もちろん、私は一度たりとも飲んだことがない。


「そういうわけにはいかないわ。法律で決まってるんだから」

「それ、人間の法律の話だよね。魔王が勝手に言ってる法律じゃあ確か、魔族は十六から飲めるはずだけど」

「……詳しいわね」

「ま、このお酒、魔王サマからもらったものだしね」


 あかねは湯飲みに口をつける。すると、すぐに顔が真っ赤になった。


「あんた、本当は飲めないんじゃない?」

「ん? そうだけど? 現に吐きそうだし」

「無理すんじゃないわよ……ほら、水飲んできなさい」


 すると、あかねは湯飲みの分を一気に飲み干して、顔を青ざめさせる。まなが慌てた様子で、新しい湯飲みに水を注ぐ。


「ちょっと、あんた、本当に死ぬわよ」

「大丈夫だよ。うっ……慣れてるし」

「慣れてるって……」

「これが、一本飲みきれたら、お酒が飲めるようになるんじゃないかなあって」


 ボトルはすでに、三割ほど中身が無くなっていた。だが──、


「そんなことしたって、飲めるようになるわけないでしょ!? 馬鹿じゃないの!?」

「……今度は怒るんだ」

「何言ってんの! 水、さっさと飲みなさい! ほら早く!」


 まなの剣幕に押されて、あかねは渋々、湯飲みの水を飲み干す。それでも、体調は芳しくないようで、まなに連れられて、部屋に戻る。


「このボトルは、あたしが預かっておくわ。今後、お酒は一切飲まないこと。分かった?」

「今後一切とは、ちょっと……」

「分かった!?」

「分かった分かった」

「マナに誓いなさい」

「それは、ちょっと卑怯じゃない?」

「誓わないなら、マナに全部、告げ口するわよ」

「……分かったよ。もうお酒は飲まない。……吐くから、もう戻っていい?」

「ええ。でも、飲まないなら、これ捨てちゃってもいいわよね?」

「いや、それは──」

「は?」

「……高いやつだから、ギルデにでもあげておいて」


 あかねが堪らず扉を閉めると、まなはため息をついて、ロビーに戻る。それから、揺れる湯飲みの水面に、小指の先をちょん、とつけて、ぺろっとなめる。それが美味しかったのか、湯飲みを傾けて、一杯、飲み干した。


「ふぁや……」


 どうやら、まなはそんなに強くない上に、飲むとすぐに眠くなるタイプだったらしく、そのままロビーの机で眠ってしまった。


 ──少しすると、玄関から、ル爺がやってきて、机のワインボトルと、眠るまなとを見比べる。


「……相変わらず、警戒心のない娘だ」


 ため息をつき、ル爺はどこからかブランケットを取り出してきて、まなの背中に魔法でそっとかける。それから、椅子の上に立ち、低い身長を補って、机の上のボトルを観察する。


「──榎下朱里か」


 ル爺は、まなの頭に手を乗せて、目を閉じる。あれは──思考や記憶を読み取る魔法でも使っているのだろうか。しかし、まなには魔法が効かないはずだが。


 あるいは、それを上回る魔力を保有するとでもいうのか。だとすれば、それは、彼よりもずっと上、ということになるが──、


「……変わらないな」


 そう呟いて、ル爺はまなの頭をシワだらけの手で撫でる。それから、ワインボトルのみを残して、湯飲みを片づけ、電気を消し、施錠してその場を後にした。




※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。自分の国の法律をちゃんと守ろうね!

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