第5-3話 謝罪のわけ

 ──暗転。


 宿舎のロビーで、あかねとまなが話していた。


「それで? 封印魔法なんて、あんたの魔力があっても、魔法陣なしには使えないと思うけれど。用意はしてるの?」

「してるしてる。宿舎の壁に魔法陣をちょっとずつ、埋めてるから」

「そう、ここを封印に使うのね」

「──何かあった?」

「何かあるように見えたかしら?」

「分かるよ、そのくらい。目の色で」

「そう。……きっと、目の前で、大切な人が消えちゃったことがあるのね」

「そんなことあったかなあ。それより、今は君の話をしてるんだけど?」

「そうね。でも、誰にでも秘密はあるでしょ?」

「ま、その通りだね」


 ──暗転。


 そこは、またしても、宿舎のロビーだった。あかねが床に正座させられていて、それを、まなとギルデルドが見下ろす形だ。


「あんた、自分がなんで呼び出されたか分かってる?」

「えーっと……いじめ?」

「ふざけるのも大概にしろよ、榎下朱里。次にふざけたら、お前を、二度と、マナ様に近づかせない」


 ギルデルドの言葉を聞いて、ひきつった笑みを浮かべていたあかねの顔から、すとんと表情が抜け落ちる。それから、静かな声で言った。


「──分からない」


 暦は十月に変わっていた。夏休みが終わって一ヶ月ほど、となると、大喧嘩の際、あかねが謝ってきた頃か。


「しっかり考えたのか」

「うん。……多分、僕は愛をすっごく、傷つけたんだと思う。でも、どうしてなのかが、全然、分からなくて」


 ギルデルドの問いかけに、あかねがうつむき加減に答える。少しずれたあかねの答えにため息をつき、まなが問いかける。


「何がいけなかったかは、分かってるわけ?」

「──僕が、願いを捨てきれなかったからだと思う」

「あたしの願いを利用しようとしてたっていう話?」


 あかねの顔には濃く、動揺の色が刻まれる。


「悪いとは思うけれど、宿舎の壁が薄すぎて、二つ隣のマナの部屋ですら、声が筒抜けなのよ」

「でも、防音魔法──」

「あたしに魔法は効かないわけ」

「あっ……じゃあ、もしかして全部聞いてたってこと?」

「聞きたくなくても、部屋で静かに勉強してるだけだから、聞こえてくるわよね。ロビーにいても聞こえてくるし、わざわざ、図書館まで行くのは面倒だし。そのうち言おうとは思ってたんだけど、なんだか、伝えづらくて。あ、誰にも言わないから、安心しなさい」


 あかねの顔が真っ赤になっていく。今さらになって、私も耳が熱くなってきた。──一体、どこまで聞こえていたのだろうか。


「うわあ、恥ずかしすぎ……」


 ギルデルドの冷たい緑の眼差しに、ふざけて誤魔化すという逃げ道を塞がれ、あかねは思わず顔を覆う。それを見ているこっちが恥ずかしい。共感性羞恥と羞恥心のダブルアタックだ。


 二人きりだと思っていたのは、私とあかねだけで、その場の感情に任せて言ったあれやこれが、すべて、第三者に聞かれていたのだ。相手がまなでなければ、口封じに、耳と喉と舌を掻き切っていても、おかしくはない。


「──ってことは、まなちゃん、始めから全部知ってたんだ。僕たちが利用しようとしたこととか、そのために君に近づいたこととか」

「ええ。それに、そんな理由でもなければ、あたしが誰かに懇意にしてもらえるわけないでしょ?」

「それはさすがに、自己評価が低いんじゃないかな」

「そうかしら? 妥当な評価だと思うけれど」

「──いや、今は、この話は置いておこう」


 すべて知っていたのに、どうしてあそこまで懇意にしてくれたのだろうか。



 ──なぜ、私は今、過去形で考えたのだろうか。


「詳しい事情は知らないが、原因は分かっているんだな? それで、理由が分からないというわけか」

「うん、そう」


 ギルデルドの問いかけに、あかねが肯定の返事をする。


「まなさんは、何か知っている様子だね?」

「ええ。本当は、自分で考えさせるつもりだったんだけど、あかりが馬鹿なせいで、マナがすごく寂しがってるから。──それには気づいてたでしょ?」

「……うん」

「気がついたのなら、なぜすぐに謝らないんだ」


 赤と緑の瞳に詰め寄られて、果たして、あかねは──。


「愛は、優しいからさ。僕が本気で謝ったら、なんでも許してくれるんじゃないかと思って。それが怖くて、謝れなかった」


 そう答えた。──なんでも許してやるのが優しさだと思い、そうしてきたが、それが却って、彼を追い詰めていたとは、知らなかった。


「許されたくない、なんて、贅沢な話だ」

「僕もそう思うよ」


 長い睫毛の目を伏せて、あかねは少しだけ頬笑む。決して、ふざけているのではない。きっと、こんなことにさえ、彼は幸せを感じているのだろう。そして、心が痛むから、笑みを浮かべるのだ。昔から、彼にはそういう癖があった。


「──まあ、そんなことで悩んでるなら、安心しなさい。聖人のマナも、今回ばかりは許す気がないみたいだから」

「愛って、押しに弱いんだよね」


 まさしく、その通りだが、このときばかりは許す気はなかった。まなに、許せるのかと問われる度、それは無理だと思い知らされていたから。


「安心しなさい。簡単に折れないようマナに言っておいたから。ちゃんと許さないはずよ」

「──ありがとう」

「こっちがふざけたときくらい、ふざけ返してくれてもいいのよ?」

「僕、本当はそんなにふざけるの、好きじゃないし。それに、そういうのって、ほんとありがたいからさ」

「……そ。まあいいわ。とにかく、謝っても大丈夫よ。許されないから」


 それから、あかねは力なく笑みを浮かべて、


「僕の何がいけなかったか、教えてくれないかな。こんな馬鹿な僕にも分かるようにさ。すっごく、悪いことだとは思う。本当は、自分で考えて、ちゃんと謝りたいけど。でも、どうしても分からなくて。これ以上、愛に寂しい想いはさせられないから」

「……そういうことなら、僕は席を外そう」

「うん、ありがとう。気を使わせて、ごめんね、ギルデ」

「お前のためじゃない。マナ様のためだ」


 そう言って、ギルデルドは部屋へと戻っていった。自分には聞かれたくない話だと察したのだろう。


「──あんた、自分がなんて言ったか思い出せる?」

「あかねを生き返らせたい、みたいなこと。でも、愛がダメだっていうなら、死ぬまでずっと、僕はあの子の名前を口に出さないつもりだった」


 遠回しに、どこまでも気を使って、「朱里のこと、忘れられなくて」、「どうしても、生き返らせたいんだ」、「もう一回だけ、方法を探して」などと言っていた。一言一句、正確に記憶している。


「その考えがダメなのよ。愛はなんて言って、あんたと婚約してくれたの?」

「『──ありがとう、私を選んでくれて』って」


 それも、覚えている。


「それで? あんたは本当に、あの子を一番に選べてる?」


 あかねは少し間をおいて、それから、ゆっくりと、首を横に振る。その後で、手のひらで顔を覆う。


「マナが何と比べて、自分を選んでほしいって言ったか、ちゃんと分かってる?」

「あかねと──」

「それが、あんたのことだって、分かってるでしょうね?」


 まさか、壁越しに聞いていた、まなに伝わっていたとは思わなかった。伝わらないよう、言葉を選んだから。


 私は、あえて、こう言ったのだ。


 ──あなたは、あかねと私と、どっちを選ぶの?


 と。


「え……?」

「あの子はあんたに、『自分よりも私のことを優先してほしい』って、そう言ったのよ。──あの子が本当はどれだけワガママなのか。あんたの前でどれだけ我慢してるのか。どれだけカッコつけたがりなのか。それくらい知っておきなさい」


 ──本当に、彼女はよく見ている。


 そう、私はあかねに、愛されたかった。自分を犠牲にするくらい、私を愛してほしかった。でも、正直にそう言うのは怖かった。だから、遠回しな言い方を選んだ。面倒だと、自分でもそう思う。


 彼は泣き顔を手で隠しながら、黙って頷いた。彼が私を知らないように、彼がこんなに泣き虫だということを、私は知らなかった。泣いている姿を見たことはあったけれど、こんなことで泣くなんて、思ってもいなかった。


「あんた、あたしに説教される度に泣いてるわよね」

「だって、まなちゃんばっかり、ずるい」

「は?」

「僕が一番、愛のことを分かっていたいのに、まなちゃんばっかり信頼されて」


 ──それは違う。私はあかねにも、まなにも、同じように素を見せていた。ただ、あかねの前ではカッコつけていたから、伝わらなかっただけだ。


「あんただって、知ってるはずよ。エトスたちが宿舎に来たとき、結婚結婚って、うるさかったし。泣きそうな顔も見てるはずだし。それに、マナのカッコいいところが見たいって、あんたがマナに言ったんじゃない。あの子があかりを大好きだって、知っててあげなさい。それから、あんたは信頼されてないんじゃなくて、頭が足りないのよ」


 それは、言いすぎ。


「まなちゃんの、馬鹿ああぁっ……!」


 ほら、泣いちゃった。


「馬鹿で結構。あんた、マナに一番愛されてるんだから、しっかりしなさいよ。それから、謝るにしても、今日はやめた方がいいわね。酷い顔、いいえ。顔が酷いから」

「ずずっ。僕、泣いてても、可愛いもん……っ」


 自分で言った。


「自分で言うのね……。まあ、金輪際、あんたたちの問題には首を突っ込まないから、あとは二人でなんとかしなさいよ」


 ──知らないことばかりだ。


 まなは私をよく知っていた。


 でも、私は彼女のことを、何も知らない。知らないままだった。


『これが、わたしの、最後の記憶だよ』


 知らない声が聞こえた。この記憶の持ち主の声だろうか。その声は優しい音色をしていて、まだ幼さの残る響きを持っていた。


 ──暗転。

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