第5-2話 少女の道のり

「こっちがシャンプー、こっちがリンス、そしてこっちがトリートメント! 字が読めないあかりん、分かった?」

「……なんとかします」


 あかねが敬語を使う、数少ない相手の一人、大賢者れなだ。そこに、まなも加えて三人で話していた。傍らのれなの布団では私が寝ている。


「なんで変えなきゃいけないわけ?」

「お姫ちゃんがゲロゲロしちゃうから」

「マナがゲロゲロするとか言わないでくれますか、れなさん? マナのイメージが壊れますから」

「あかりんは相変わらず、そういうのケッコー気にするよねー」


「でも、なんでマナの体調が悪くなるわけ?」

「そりゃあ、あかりんとイイコトして、キャッキャウフフで、ピーだからだよん」

「いいこと? ぴー?」

「まなちゃんは分からなくていいから。てか、れなさん、ちょっと、マジでやめてくださいよ。僕、そんなつもりは──」

「ってゆーけどさ、あかりん。お姫ちゃんに迫られても断る自信がある?」

「迫られるって、どのくらいのレベルですか?」

「完スト」

「……………………善所は、します、けど」

「うん、その感じだと無理っぽいねー」


「いや、でも、なんでマナが迫ってくる前提なんですか? 普通逆じゃ……」

「え、襲うつもりなの? うわ、サイテー」

「そんなつもりはありませんけどっ!」

「何の話か知らないけれど、マナに酷いことしたら、許さないから」

「いや、そういう襲うじゃなくてね?」

「まなちゃカッコいー! ホウ!」


「──ってわけで、まなちゃの教育はあかりんに任せた。ぐっ」

「いや、ぐっ。じゃなくて! 丸投げしないでもらえます!? 困りますって!」

「え? あたしはあかりに何を教えてもらうの?」

「いや、僕が教える気はない」

「は? 教えなさいよ」

「ほら、れなさんのせいでややこしくなった!」

「あっははっ、ざまあ」

「ざまあ!?」


「それで、何の話?」

「まー、まなちゃは、お姫ちゃんにでも聞きなさい。こーゆーのは、同性の方が話しやすいから」

「あんたじゃダメなの?」

「……可愛いまなちゃを、この手で穢すのは、ちょっと」

「散々人に押しつけておいて……っ! てか、まなちゃんいるんだから、話題に配慮してくださいよ!」

「あっはは。ごみんごみん」


「あ、そーいえばあかりん、有事の際のお役立ちアイテムいる? 余ったやつだけど」

「え、あー……。それ、使えば、一応、防げますかね?」

「お姫ちゃんがヤダってゆーと思う」

「意味ないじゃないですか……。ほんとどうするんですか、マジで」

「れなは夏になったら遠くへ行っちゃうから、しーらないっ」

「はぁ……頑張れ、僕の自制心。賢者になるんだ……」

「賢者はれなでしょ?」


「──もう、一周回って尊敬するよ」

「まー、まなちゃはそのままでもいいかもね。まだ高校生だし」

「うわあ、僕には考えられないなあ……」

「よく分からないけれど、とりあえず、二人とも、殴るわ」


 ──暗転。


「あんた、どうしてあかりが勇者じゃないって国民に言わないわけ? 嫌がらせ?」

「なんだ、知っていたのか」

「まあ、つい、この間知ったばかりだけれど。それで、なんで?」

「その事実を公言すれば、榎下朱音には居場所がなくなり、世界から非難を浴びることになるだろう。──それによって一番悲しむのは、マナだ」

「エトスって、やっぱりマナコンね」

「そのマナコンというのをやめろ」

「はいはい。でも、兄妹じゃなかったら、とっくに逮捕されてるわよ」

「そんなはずはない──と思う」

「ちょっと自信なくなってるじゃない」


 ──暗転。


「トイス。あんた、お姉ちゃんに会いたい、とか思わないわけ?」

「思う。だが、次、会うときには、成長した姿を見せたい」

「だから剣を振り続けてるのね」

「ああ。──それに、姉さんは嘘をついてまで、俺のトラウマを取り除こうとしてくれた。その期待に応えたい」


「──ええ、本当に」

「何か言ったか?」

「よくできた弟だって言ったのよ」


 ──暗転。


「まなさんは、マナと一緒にいて、疲れたりしません?」

「ええ、特には。……まあ、たまに、面倒だと思うことはありますけど」

「ふふっ。そうですか。──まなさんは、強いんですね。あの子が惹かれるのも分かります」

「モノカさんは、疲れたりするんですか?」

「ええ、もう、疲れっぱなしですよー。常にアレと比べられるんですよ? 昔なんて、何度殺そうと思ったことか」

「……」

「ふふっ。冗談です。そんなに怖がらないで?」

「いいえ、そうじゃなくて。確かに、ずっとあの子と比べられるのは、辛かっただろうなって。マナって、なんでもできるから」

「──」

「もしかして、気を悪くされましたか? なら、謝りますけど」

「……ふふっ。いえいえ。ただ、あなたに愛されているあの子に、嫉妬しただけですよー」

「えっと……どういう意味ですか?」

「そのままのあなたでいてあげてくださいね」


 ──暗転。


「娘と仲良くしてくれて、ありがとうね、まなさん」

「はい。仲良くしてあげてます」

「ふふっ、本当に、可愛い子ね」

「え? いや、えっと、これは、冗談のつもりで──」

「分かってるわ。でも、事実だから」

「それはどういう……?」

「──あの子ね、昔からあんな感じだから、気兼ねなく接してくれるお友だちがいないのよ。みんな少なからず気後れしちゃって」

「あー」

「昔から、あの子にお姫様は似合わないって、そう思ってたのよ。もっと多方面に才能を生かしていける──そうね、例えば、フリーターとか、冒険者とか、今だと、動画配信者なんかが似合ってるんじゃないかしら」

「それは、なんて言うか、お姫様とは対照的ですね?」

「そうでしょう? ──もっと自由にさせてあげたかったのだけれど、そういうわけにもいかなくて。そんなあの子を最初に連れ出してくれたのが、あかりくんだったわね。あの子にも、色々と困らされたけれど。ふふっ」

「お母さん、楽しそうですね?」

「ええ。きっと今、あの子が幸せに笑ってるんだろうなって思うと、つい。──それが見られないのが、とても残念だけれど」


 ──暗転。


 ロビーでまなとあかねが話し込んでいた。


「──あの人、あたしのお母さんかもしれないの」


 そう、まなが切り出す。


「あたし、お母さんが誰か知らなくて。顔も見たことないし、名前も知らない。ただ、あたしは、自分が魔王の娘だってことだけは、昔から知ってた」


 あかねは何も言わずに先を促す。


「魔王には何人も側室がいて、たくさん子どもがいるわ。だから、確信はできないけれど、あの人の、髪色とか、顔立ちとか、雰囲気とか。……あたしを見る目とか。ユタのこととか、色々。なんとなく、そうなんじゃないかって。だから、別にあたしはお人好しなんかじゃないの」


 そう言い終えると、あかねが口を開く。


「なんで今まで黙ってたの?」

「……勇気がなかったのよ」


 まなは右腕を握る。


「もしかして、一生、言わないの?」

「分からないわ。──その前に、二度と目が覚めなくなるかもしれないし。それに、そんなこと言ったら、みんな、困るでしょ」

「困るって、なんで?」

「あたし、本当は、生きてちゃいけないから」


 あかねは言葉を選んで言う。


「君が生きててくれないと、愛が死んじゃうよ」

「……それは、卑怯よ」

「ごめん」

「別に謝れなんて言ってないわ」

「──ありがとう、まなちゃん」

「感謝されるためにやってるわけじゃないから」

「ここまでしてもらって、何も返せてないのに、感謝すらしなかったら、逆にバチが当たるよ」

「別に、大したことはしてないわ。誰にでもできる、普通のことよ」

「まなちゃんの普通は、理想よりも高いよね」

「仕方がないでしょ。常識なんて、誰も教えてくれなかったんだから」


 少し間があって、あかねが言う。


「お母さんのこと、無理に、とは言わないけどさ。死んじゃったら、後悔するしかできないよ」

「──後悔、するでしょうね。でも、お母さんって、呼んであげることすら、あたしにはできないの。きっと、今ならまだ、なんとでもなるわ。……それでも、ユタに悪いし、一緒にいてあげられる時間もないの。こういうのって、なんて言うのかしら」

「先に立つ後悔だから、サキカイとか、マエカイとか?」

「あはは、何それ。でもまあ、悔しいけど諦めるってことだから、諦悔ていかいとかがいいんじゃないかしら」

「おお、なんかカッコいい! テーカイ、僕も使おうかな」

「何か諦悔ていかいしてるの?」

「まあねえ。これでも僕、色々と悩みごとが多くてさ」

「……そう。あんたも大変ね」

「──ほんと、そういうとこだよね」

「どういうとこが何?」

「さあねえー」


 ──暗転。


「何これ……?」

「子ども用品だ。見れば分かるだろう」

「は? そんなことは分かってんのよ。問題は、なんでこんなにたくさん揃えたのかってこと。分かる?」


 部屋を埋め尽くすほどの子ども用品の数々。エトスとまな、傍らには青髪もいた。


「む。これでも、抑えたつもりなのだが──」

「あんた、本当にシスコン──いいえ、マナコンの重症患者ね。ハイガル、これ全部運べる?」

「全部は、いらないだろ」

「正論ね。厳選しましょうか」


 荷物持ちらしきハイガルとともに、まなは大量の荷物の中から、いくつか選んでいく。取り揃えられたものの中には、室内プールや、組立式のアスレチック、魔法の使えない子どもでも楽しめる、物語の世界に入れる魔法の本まであった。


 さらには、法律のことが全部書かれた分厚い本まであり、興味を示すまなにハイガルが、「お前の本じゃ、ない」と言って、その場で読もうとするのを阻止していた。


 子どもを背負う装具や、ベビーベッド、ハチプーのコスプレ衣装など、いるかどうか分からないものまで、二人で楽しげに選びながら、取り揃えていく。


「こんなに、たくさん、どこに、置くんだ?」

「確か、無限収納が使えるから、置き場所には困らないはずよ」

「どうやって、運ぶんだ?」

「ルークに乗せればいいじゃない。今日は暇でしょ?」

「俺の、ルナンティアを、なんだと、思ってるんだ」

「鳥」

「ああ、その通りだ」


 ハイガルが満足げに頷き、まなは苦笑する。会話が途切れたのを見て、エトスが声をかける。


「分かっているとは思うが、くれぐれも──」

「はいはい。あんたのことは言わないわよ。これだけたくさん買ったと思われるのは、すごく癪に障るけれど、今はそういうことにしておくわ」

「でも、こんなに、大切にされて、マナ様は、すごく、幸せ者だな」


 ハイガルがそう呟くと、エトスが失笑する。


「幸せ者、か。マナ・クレイア、お前もそう思うか?」


 エトスの問いかけに、まなが答える。


「そりゃあ、幸せでしょうよ。自分が選んだ道を進んでるんだから」


 ──。


 ──暗転。


「クレイア」

「何?」

「泣いて、いいんだぞ」

「……なんで、あたしが、泣くのよ。母親って言っても、あの人とはそんなに関わりなかったし。マナのことでお世話にはなったけれど、近所のお姉さんって感じだったし。──それに、亡くなる前に、お母さん、って、呼んであげられなかった。きっとそうだって、気づいてたのに」

「だからこそ、だ。泣いて、たくさん、悲しんで、こんなに想ってたんだって、伝えたい、だろ?」


「──本当に、泣いていいの? ここ、新幹線の中だけど」

「ああ。思いっきり泣いていい。周りを気にするな。気になるなら、目を閉じればいい」

「……あたしが、他人を怖がってるって、気づいてたのね」

「まあな」

「あはは。見えないのに、よく分かるわね」


 不意に、ハイガルが手を差し出し、不思議そうにしつつも、その手をまなが取る。すると、その手を頼りに、ハイガルがまなを正面から抱きしめた。


「えっ、ちょっ……!」

「目を閉じろ」


 まなは戸惑いつつも、ハイガルに従い、目を閉じる。


 それから、何分、耐えていただろう。


 涙をそっと、一筋、流して。


 小さな嗚咽を漏らしては、引っ込めて。


「我慢、しなくて、いい」


 その一言で、いよいよ、決壊した。


 大きな泣き声に、誰もが振り向き、まなを注視する。


 そんなにも悲しいのかと驚くくらい、あまりにも人目を憚らずに泣くまなに、乗客たちは戸惑いを見せる。


 しかし、ハイガルは余計なことは何も言わず、黙って、その胸を貸していた。

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