第5節 みんなしあわせ

第5-1話 誰かの記憶

 ──誰かの夢が、流れ込んでくる。


「──まなちゃんが、願いの魔法を持ってるのは知ってるよね」


「あの子を監視するように命令されてるんだよね」


「だから、あの子に近づいた。あの子ともっと仲良くなったら、あかねを生き返らせてほしいって、そう頼むつもりでね」


 壁越しに聞こえる声を意にも介さず、白髪の少女は黙々と勉強を続ける。



「別に聞き耳立ててるわけじゃないんだからいいでしょ。それに、聞こえちゃったんだから、仕方ないでしょ?」


「だから、たまたま聞こえたの。壁が薄いのが悪いのよ」



 誰かと何か話しているかのように、一人で呟きながら、少女は勉強を続ける。



「可哀想にって、相変わらず他人事ね。まあいいけど」


「いいわよ、別に。こうしてあたしが知ってる以上、利用ってことにはならないでしょ?」


「適当ね……」


 いつしか、少女の手は止まった。



「別に。──ただ、やっぱり、あたしは一人なんだなあって、そう思っただけよ」


「あはは、そうね。お姉ちゃんさえいてくれれば、それでいいわ」


「ごめんなさい、つい。あははっ」



 ──気がつくと、景色はロビーへと変化していた。


 ロビーの椅子に、三人、座っていた。まなと、赤髪のギルデルドと、青髪のハイガル。飾られているカレンダーは五月のものだった。


「それで、急に下まで引っ張ってきて、どういうつもり?」

「聞かないでくれ……」


 不審がるまなの問いかけに、ギルデルドは赤い頭を抱えて、意気消沈。この世の終わりのような顔をしていた。


「なんで、俺まで、呼ばれたんだ?」

「ハイガルには、有事の際に僕を殴る役目を与えよう」

「えいっ」

「あっ、痛い。普通に痛い。わりと痛い」


 ハイガルが気の抜けた声とともに、軽く肩を小突くと、ギルデルドは必要以上に痛がる素振りを見せる。それを見たまなは、目をぱちくりさせ、


「あんた、どこかで会ったことある?」


 そう、初対面らしいハイガルに話しかけた。すると、ハイガルは首を傾げて、


「ない。絶対と、そう言い切れる。極めて、自信が、ある」


 ハイガルは、明後日の方角を見つめながら、ゆっくりと、やけに自信満々にそう言った。それから、少し間があって、まなは「そう」と返事をする。


「じゃあ、自己紹介するわ。あたしはマナ・クレイア」

「……どうも。ハイガル・ウーベルデン、だ」


 長い前髪の隙間から、ハイガルは茶色の瞳を不安げに覗かせたが、うつむいており、まなの方は見ない。それを見た彼女は、差し出しかけた手を引っ込める。


「まあいいわ。それで? なんで引っ張ってきたのよ、ギルデ?」

「まなさんが、二人の部屋に行こうとするから悪いんだ……」

「なんでよ。別にいいでしょ? 同じクラスなんだから」

「時と場合を考えてくれ!」


 立ち上がって、机越しに詰め寄るギルデルドに、正面に座るまなは顔をしかめて、背もたれに背中を押しつける。


「圧がすごい……。でも、部屋にいるときじゃないと、用が済ませないでしょ?」

「なぜ部屋にいると知っている……物音一つしないのに……!」

「は? 聞こえるじゃない。今日は随分、楽しそうに──」

「わー! 聞きたくない! その先は、聞きたくないんだ!」


 頭を繰り返し机に打ちつけるギルデルドを、ハイガルが肩を押さえて止める。


「どうした。怪しい薬でも、飲んだか?」

「僕は正気だ!」

「え。お前が、正気だったことなんて、あったのか?」

「お前は僕をなんだと……」


 ふざけているのか、素で聞いているのか分からないハイガルに、ギルデルドが疲れた様子で項垂れる。


「でも、あたしにしか聞こえないなら、まあいいわ。うるさいって注意しようと思っただけだから」

「よくない!」

「圧が……。じゃあ、注意して──」

「しなくていい! むしろ、僕はそれを止めたんだ!」

「どっちなのよ……まあいいわ」


 混乱気味のギルデルドに、要領を得ないまなが困惑する。それを見ていたハイガルが、ギルデルドの肩に手を置く。


「ギルデ、大変だな。まあ、頑張れ」

「ハイガル、お前……やっぱり、全部分かってるだろ!」

「さあ、何のことだか」

「一人だけ純情気取りやがって……!」

「俺は目が見えないからな。その辺のことは、よく分からない」

「魔力探知できるだろ」

「できる。だが、テレビや漫画、雑誌は見られない。ああ、お前が羨ましいなあ」

「デミッ!」


 息のあった二人のやり取りに、置き去りにされた様子で、まなは所在なさげにする。


「クレイア」

「ええ、何?」


 突然、まなに向けて話したかけたハイガルは、変わらず変な方角を向いていたが、まなの声を聞いて顔の向きを修正する。


「えっと、よろしく?」

「……なんで疑問系? それに、今?」


 ペースの掴めないハイガルに、まなが首を傾げると、代わりにギルデルドが答える。


「悪いね、まなさん。こいつは、昔から何を考えているのか、よく分からないやつなんだ」

「奇遇だな。俺もよく分からん」

「自分のことくらい分かるようになれ!」

「んー……あー……無理だった……」

「過去形!?」


 そんな二人のやり取りを、まなは目を細めて見つめ、


「──ええ、本当にね」


 そう、小さく呟いた。


 ──それから、世界が暗転して。


 シーンが切り替わるようにして、見慣れた王城の玉座の間へと移る。──やっと少し、慣れてきた。


 薄紫、紫、赤、オレンジ、それから、白の頭髪が並ぶ。国王エトス、弟トイス、姉モノカ、女王ミレナ、そして、まなだ。


「マナ・クレイアと言います。マナさんと、いつも親しくさせてもらっています」

「こちらこそ、いつも妹が世話になっている」

「いえいえ、そんなこと……まあ、まったくその通りですけど。いつもあたしがお世話してます」

「ふふっ」


 エトスに対する、まなの怖いもの知らずな態度に、モノカが思わず笑みを溢す。トイスは面食らった様子で、エトスは眉をひくっと動かす。女王は微笑んだまま、少しも表情を動かさない。


「……ふーん。立場は王様の方が偉いんでしょうけど、実際にすごいのは、女王様の方ってわけですね。後ろはマナの妹──いや、弟でまだ勉強中。そちらの女性の方は──」

「モノカ・ゴールスファと申します」

「モノカ様は、何か悪だくみをしている感じですね。まあ、別にいいですけど」


 ぴったり言い当てられたエトスが瞑目し、トイスが驚嘆し、モノカがまた笑い、女王が拍手して口を開く。


「本当にすごいわ、見ただけでそんなに分かるの?」

「ええ。でも、そんなにすごいとは、自分では思いませんけど」

「あの子と仲良くできるのも納得だわ。あなた、かなり危険な感じがするもの」

「危険な感じ?」


 私は夢の中だというのに、思わず手を振り回す。


 まなの危険な雰囲気に惹かれていたのは確かだが、いや、最初からそこが気に入ったのも否定はできないが、そういうことを、まな本人に言わないでほしい。


 例えるなら、授業参観に親が来るような気持ちだ。当然、そんな経験はないのだが。


「……まあいいですけど。今日は用があってきました」


 まなの声は淡々としていて、抑揚がなく、感情が掴みづらい。表情もたいして変わらず、まさに能面のような感じだ。それはそれで可愛いけど。


「何のご用事?」

「はい。マナが妊娠してるみたいです」


 ──場が一気に凍りついた。あのモノカでさえ、笑顔のまま固まっている。女王など、驚きすぎて、目が少し飛び出ているのではないだろうか。そんなに淡々と、いつも通りの調子で言うことではないと思うのだが。さすが、まなと言うべきか。


 震えながらも、女王が尋ねる。


「……みたいですって、どういうこと?」

「はい。まあ、ほとんどあたしの勘なんですけど──」

「そんな非科学的なもので判断するわけにはいかない」

「ちゃんと最後まで聞きなさいよ……じゃなくて、聞いてください」


 エトスに対してだけ、強気なのが少し笑える。まなの中では、エトスは下なのだろう。


 ちなみに、エトスは賢者れなの高校の同級生で、顔を合わせる度に喧嘩している。姉妹だからか、まなとも相性が悪そうだ。


「つわり? ってやつですかね。あれが結構酷いみたいで。無理して学校に通ってはいるんですけど、何食べさせても全部吐いちゃって」

「悪阻……」


 エトスが小さな声でそう呟く。珍しく、顔に衝撃が刻み込まれていた。いつもは朴念仁で、かかしみたいな顔をしているのだが。


 すると、考え込む素振りを見せるモノカが、「そう言えば」と切り出す。


「王家の女性は、短期間ではありますが、酷い悪阻に襲われるとか。お母様は貴族出身なので、ご経験はないかもしれませんが、ご存知ありません?」

「そうね。そう言われると、お義母様からそんなような話を聞いたことがあるわね」


 そんな話は聞いたことがないのだが。お祖母様も私が生まれる前、戦争に巻き込まれて亡くなったそうだし。


 だが、周りにいる使用人や兵士たちの様子を見ると、どうやら、当時の様子を知っている者が何人かいたようだ。モノカは噂好きでよく油を売っていたので、そういう話を聞く機会もあったのかもしれない。


「確か、どこかに悪阻を和らげる方法が書かれた本があると思ったのだけれど、どこだったかしら」

「──この場にいる者全員に告ぐ。総力を挙げて、今すぐに件の本を見つけ出せ」


 王だからと言って、そんな、国と関係のないことに使用人を総動員するなんて、迷惑極まりない。ありがたいとは思うが。


 だが、そんなエトスの意味不明な命令であっても、快諾して、その場の者たちはすぐに動き始める。


「あたしも手伝うわ。どこを探せばいいかしら?」

「モノカ、案内してやれ」


 まなが協力を申し出ると、エトスがモノカに言う。


「あら? 私も探すのですか?」

「お前にも関係のあることだろう」

「いつも思うのですが、お兄様は、マナと私で扱いに差がありません?」

「お前がすぐにサボろうとするからだ。マナなら、率先して動いているだろう。その上、どこにあるか、見当までつける」


 エトスは私を何だと思っているのだろう。探し物の場所が探す前から分かるなんて、それこそ神に等しい。


 一応、当たりをつけるとすれば、第一倉庫ではないだろうか。あそこには、行き場に困った遺品が持ち込まれることもある。第二宝物庫には遺品の多くが持ち込まれるが、倉庫の方だと思う。まあ、伝えられるわけではないが。


 渋々して、それでいて美しく、モノカはまなに微笑みかける。


「それではまなさん。第二宝物庫の方に移動しましょうか」

「宝物庫にあるんですか?」

「王族の遺品は宝物として保存されることが多いんですよ。なので、まずはそちらを探そうかと」

「へえ……。お願いします」

「はい、お任せを」


「──第一倉庫にありました!」


 ──そんな声を最後に、またもや暗転し、切り替わる。

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