第4-10話 夜闇の手本の案内人

 金髪の女性が手を振り下ろした瞬間、私とあかねは障壁を張る。──瞬間、強風が吹き荒れる。障壁ごと吹き飛ばされて、一番軽いまなが宙に浮く。そして、その手を、咄嗟にあかねが掴む。


「──なんでバッサイなんて呼ぶのさ!?」

「バッサイって呼ぶと怒るから、面白くて」

「ベルと同じレベルじゃん!」

「うまいわね」

「かけてない!!」


 まあ、バサイをバッサイと呼んでいただけなので、気づかなかった私たちにも非がある感は否めない。


 ──それにしたって、まさかこんなところで生きてるなんて、思わないけど!


 とはいえ、この距離にしてこの威力。ぜひ、手合わせ願いたいところだが──、それは、今ではない。


 ひとまず、魔王城に行く必要があるのだ。その前に死んでしまっては、元も子もない。


「ここにいるのがバサイだと知っていたら、ここは通らなかったんですが」


 バサイはクォーターではあるが、誇り高き魔族だ。戦争において、獅子奮迅の活躍をしていることからも、魔族への強い想いを感じられる。


 そんなところも、バサイの良さの一つだが、それが生きて実際に敵対するとなれば、強敵どころか、最悪の凶敵だ。


「まなちゃんのせいだからね!」

「あたしのせいじゃないって言ったじゃない、嘘つき」

「僕は悪くない!」


 緊張感の薄れる二人の会話を聞きながら考える。


 バサイが本気でたどり着こうと思えば、おそらく、ここまで二秒とかからない。距離があるから風の影響だけで済んでいるが、近接戦に持ち込まれれば、まず、勝ち目はないだろう。そうなってしまっては、逃げることすら不可能だ。それならば、


「──今のうちに逃げますよ」

「どうやって?」

「バサイは魔法を使いません。ですから、空に逃げれば追っては来られないでしょう」


 あかねに問われて答える。もはや、それしか、方法はない。敵前逃亡はれっきとした戦略だ。


「って言うけど、愛くらいの強さなら、壁走ったりして、めっちゃ高くジャンプできるんじゃない?」

「大丈夫です。ヘントセレナには高い建物がありませんから。跳躍と合わせたとしても、せいぜい、数百メートル程度しか上がって来られないかと」

「それでも十分高いけどねえ」


 どちらにせよ、浮遊は不可能だろう。


「でもさ、どうやってまなちゃんを浮かせるの?」


 それは、先ほども議論していたことだ。魔法が効かないまなに、空を飛ばせる方法などあるのかと。


 ただ、考えておくと言った手前、一つだけ、試す価値のある方法を思いついてはいた。


「まなさんは、魔法で作った目玉焼きを、ひよこに戻せますか?」

「は? 目玉焼きは目玉焼きに決まってるでしょ?」

「……え、生卵じゃなくてひよこ??」


 そう、彼女に魔法は効かないが、それは直接の場合であって、間接的にはその影響を受けているのだ。


 こちらの思惑に勘づいたのか、バサイが駆け出した。考えている猶予はない。


 その一歩目を合図に、私はバサイに向けて同じように腕を振り下ろし、同じだけの風をぶつけて上昇気流を起こす。──先ほどのように、まなが浮き、あかねに掴まれなかったために、飛ばされていく。


 そして、強風にバサイが怯んでいる隙に、私たちは魔法で空へと逃げる。


 バサイは足踏み一つで、風を相殺すると、壁を蹴り、屋根から跳躍して迫り来る。──そして、自分を殴り、体を打ち上げる。その指先が、わずかに私の長髪に触れた──だが、そこまでだ。


「うわっ、ギリギリ……」


 ──いや、まだだ。


「避けてくださいっ!」


 落下しながら、バサイは合掌する。その衝撃波が大気を揺らし、風をかき乱し、雲を散らし、私たちを吹き飛ばす。──回避が間に合わない。


「うわあぁあぁあ!?」


 あかねはくるくると回りながら、なんとか体勢を整える。しかし、さらに飛んでいったまなを助ける術が──、


「こういうことだよ、ねっ!」


 珍しく理解の早いあかねが、空中に大きな楓の葉を造形し、まなを扇ぐ。その風を受けて、まなが彼の元へと飛んでいく。そう、間接的であれば、魔法は効くのだ。


 しかし、受け止めればその時点で──落ちる。


「キャッチ。──落ちるうっ!?」


 魔法が使えなくなった、あかねもろとも、私は魔法で宙に浮かせる。


 原理は台風と同じ。魔法の風を対流させることで上昇気流の渦を起こす。上昇気流自体は魔法ではないため、まなが浮く、という仕組みだ。


 そして、鋭いバサイの視線から逃れるようにして、全速力でその場を離れた。


「ちょっと、まなちゃん、大丈夫?」

「星とひよこが……回って……」

「脳ミソぐらぐらしてるっぽい」

「あなたが加減も知らずに吹き飛ばすからです」

「いや、そこは誉めるとこでしょ」


 元々、電車で向かう予定だったが、バサイは電車くらい素手で止めそうなので、そのまま飛んで魔王城に向かうことにした。


 ──あかねと二人で王都から、電車なんかで逃げたときのことを、なんとなく思い出しながら。


***


 すっかり、辺りは暗くなり、寒さも勢いを増してきた。


 城の門前には、二人の兵士と見られる魔族──ではなく、人間が立っていた。意識の戻ったまなが、隠れるようにしてフードを深く被り直す。


 私たちを見て、警戒の色を強める新兵の肩を、老兵が掴んで下がらせる。


「養子のマナ様ですね。魔王様からお話はうかがっております。今しがた、案内の者を呼びますので、少々お待ちください」


 少しして、頬に青いダイヤ模様のついた女性が現れた。髪はやや淡い青色で短髪、瞳は宝石のようなピンク。


 シーティリアのときに、クロスタを連れて帰った女性だ。確か名前は──ウーラ。


 ウーラは無愛想な表情で、丁寧に頭を下げる。


 私がそれに返礼し、あかねもぺこっと頭を下げるが、まなは警戒した様子で私の後ろにしがみついており、なかなか動こうとしない。


「お久しぶりですね、まな様」


 その言葉が私にかけられたものではないことは、すぐに分かった。その声に反応して、まなはぴくっと体を震わせ、少しだけ姿を見せる。まるで、叱られるのを恐れる、小さな子どものようだ。


 ──また、正気を失うようなことになりはしないかと、とても心配になる。


「お変わりありませんか?」

「……ええ、特には」


 目をそらして答えるまなだが、恐怖というよりも、気まずさが勝っている印象だ。私がレイに久々の再会を果たしたときのように。


「ご無理をなさって、疲労で倒れ、その日のうちに退院したりされていませんか?」


 まなの表情が歪む。図星というより、事実そのものだ。今日までの間に聞いたのだろう。さすが、情報が早い。


「……全部、お見通しってわけね」

「ヘントセレナに入ってからは監視するように、とのことでしたので。魔王様が中でお待ちです。どうぞ」


 そうして背を向けた女性が、再びこちらを振り向き、作法に則って、お手本のような礼をする。


「申し遅れました。──魔王幹部四天王が一人、ウーラ・ウーベルデンと申します」

「あなた、四天王だったの……?」


「──さあ、参りましょう。魔王様の首が伸びてしまいます」


 同じ答えを二度答えることも、無駄話をすることもなく、ウーラは背筋を伸ばして、つかつかとヒールを鳴らしながら歩いていった。


 その背を、私たちは怖がるまなに合わせて、ゆっくり追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る