第4-9話 元に戻らないもの

 連休は五日あった。その間、この民宿で過ごすことなっていたのは二泊三日。元々は今日帰る予定だったが、行くところができたので、移動する。まなの体調は前日に比べ、だいぶ快復したようだ。


「ねえ、やっぱり、帰らない?」


 不意に、あかねがそう言い出した。言い出すであろうことは想定済みだったが。


「橋のところで身分確認がありますから、強制的に連行されるでしょうね」

「じゃあ、空飛んで──」

「まなさんはどうするんですか」

「意外となんとかなりそうだけどね。ほら、台風のときとか、吹き飛ばされそうになってたし、あんな感じでさ」


 数ヵ月前にそんな日常の一幕もあったなと、思い返す。傘を持ったまなが、まるで妖精のように宙に浮いたのだ。あれは可愛かった。


「ですが、すでに足取りを追われている可能性もあります。……まあ、有事に備えて何か考えてはおきますが、魔王城には行きますよ」

「ええー! やだやだ、絶対、怒られるし、めんどくさいもん!」


 子どもがごねるように、なかなか納得しない。だが、封印が解けた以上、魔王という、報告すべき相手がいるので、仕方がない。


「大丈夫です。まなさんよりは怖くないと思います」

「あたしのどこが怖いって言うのよ。言ってみなさいよほら」

「僕、何も言ってないよねえ!?」


 まながあかねの腹を、モンスター用のナイフでつつく。これで人間を殺すことはまず不可能だが、刺されると地味に痛い。


「それにしても、新居なくなっちゃったねえ。スマホも返せって言われるかなあ。婚姻届は、黙って隠しておくとして」


 そんなことを言い出せば、白髪の少女が申し訳なさそうな顔をするのは、簡単に想像がつく。


「……あたしが、封印を解いたせいだわ」

「いえ。まなさんのせいではありません。──そういえば、封印の話もまだでしたね」

「まなちゃんさ、もっと遠慮せずに、色々踏み込んできてくれていいんだよ?」


 昨日、あれだけ傷ついていたあかねが、まなにそんなことを言った。彼は周りをよく見ている。


「親しき仲にも礼儀ありって言うでしょ。それに、あたしにはあたしの距離の取り方があるわけ。分かる?」

「はいはい、よく分かったよ」


 だが、彼女は私に教えてと、ちゃんと言ったのだ。──その後の指輪のくだりがあったために、気を使って聞くのをやめてしまったというだけで。


 彼女がそういう人だということは知っていたのだから、私はその分、まなを大切にしてあげないといけなかったのに。一体、いつになったら、彼女に恩を返せるのだろうか。今のところ、何もしてあげられていない。


 そんな、果たして、何度目だろうかという後悔に苛まれて、人気の少ない湖沿いを歩きながら、私はまなに封印の話をする。国家機密だが、解かれた今となっては、隠すも何もない。──とはいえ、言いたくない理由がなくなっただけだ。元々、あかねのように、言えないわけではなかった。国家機密であるため、本当は言ってはいけないのだが。


 隠し事も、言いたくないことも、言ってはいけないこともたくさんあるが、あかねに言えないことなど、何一つない。このような国家機密でさえ、迫られればころっと話してしまうだろう。──やはり、分からない。


「あれは、生きたまま氷漬けになった、人間の女性の氷像です。中では人が生きていたはずですから、きっと、氷から出て、自由に動き回っていることでしょうね」

「やっぱり、生きてたのね」


 しかし、まなはどうして気がついたのだろう。そう思っていると、まるで見透かしたかのように、あかねが尋ねる。


「でも、よく気づいたよね。なんで分かったの?」

「──助けてって、声が聞こえたのよ。像の中から。壊さないでって。あと、あんたが大嘘つきだとも言ってたわね」

「バレてたっ」


 そんな様子を微塵も悟らせないのは、さすがまなといったところか。おおかた、勇者にしか聞こえない声だったりするのだろうが。


「封印については、何か聞きましたか?」

「聞いてないわね。封印を解いて、とは言っていたけれど」


 まなの勘でも、さすがにそこまでは見抜けなかったか。それでも、すぐに封印を解いたり、壊したりしなかったのは、やはり、不安だったからだろう。──だからあのとき、私に助けを求めていたではないか。


 そして、今度こそ、全部を教えることにする。


「──彼女は自ら氷像となることを選んだんです」

「え?」


 そう。決して、魔族は彼女を氷像にしてなどいない。厳密には、できなかったのだ。


「魔族に封印される直前、彼女は自らを氷の中に封印したんです」

「なんでそんなこと──」


 まなの問いかけに、隠すことなく、すべてを答えていく。


「強大な魔法には、必ず代償が伴います。それを逆手に取った彼女は、自らを氷の中に封印するという代償を払うことにより、封印が解けることを条件に発動する、大魔法を行使したんです」

「そうまでして、魔族に復讐したかったってことね。……それで、結局、どんな魔法なの? 病院も忙しそうだったし、都市もこの前より閑散としてるみたいだけど?」


 そう、まなの言う通り、彼女は魔族に復讐することを望んでいた。


 そして、病院が忙しいことも、都市に人が少ないことも、すべて、封印が解けたことによるものだ。


 彼女が行使した魔法、それは。




「──世界中の魔族を人間に変える魔法です」




 まなは思わず歩みを止め、硬直する。それから、湖に映る自分の姿を見る。角と尻尾も出して確認する。


「でも、角と尻尾、生えてるわよ? それに、瞳も赤いままだし──」

「まなさんには魔法が効かないので。……もしかしたら、世界でただ一人の魔族になってしまったかもしれませんね」


 必ずしもないとは言い切れない。いくら代償が大きくとも、魔法は魔法だ。まなに魔法は効きづらく、それは、大きな魔法であればあるほど、かかりづらくなるのだから。──それを、手放しに幸と捉えるのは、難しい。


「嘘でしょ……? そんなこと──」

「氷像の封印は、千年程度続いていました。その間、ずっと溜めていた魔力が放出されたんです。あり得ない話ではありません」


 魔族は平均して、人間の三倍の魔力を保有すると言われる。また、出し入れ可能な角と尻尾が生えており、人魔族の瞳はそろって、魔族固有の赤色だ。人間よりも老化がゆっくりと進み、寿命は長く、代わりに子どもを授かることは難しく、数は少ない。


 こうして、人間との違いを挙げていけば、キリがない。


「あたしのせいで──」

「まなちゃんのせいじゃないよ。──あの氷像は、勇者にしか壊せない。そして、その封印はきっと、まなちゃんにしか解けなかった。そういう封印だったんだ。だから、今までずっと、誰も封印を解くことができなかったし、氷像は生きているから、勇者たちは、それを壊そうとしなかった。僕は、全部知ってたし、そうなったとき何が起こるかも分かってたんだからさ」


 まなは魔法を無効化して、結果、封印を解いた。それを、なぜあかねが知っているのかという疑問は残るが、尋ねはしない。──あんな風に泣かれたら、尋ねられるわけがない。


「そうですよ。あかりさんが自分ではできもしないような約束をしたのが悪いんです。それに、まなさんだって、封印を解こうと思って解いたわけではありませんよね?」

「……声が聞こえてたから、まだ近くにあるんじゃないかと思って、それで部屋を出たの。でも、氷像を見つけた瞬間、意識がなくなって。だから、あのとき、あたしが部屋を出なければ──」


 なんと声をかければよいのかと、思考を巡らせていると、


「はいはい、じゃあもう全部、まなちゃんのせいってことでいいよ。ってわけだから、僕はなんにも悪くないってことで──」

「本当にクズ野郎ですね」

「クズっ──!?」

「元はと言えば、あなたが封印を壊そうなんて言い出したのが悪いんです。まなさんに殺人の罪を着せる気ですか?」

「だって、生きてるって知ってるの、国のお偉いさんたちだけじゃん」

「だってじゃありません。そもそも、なんであなたが知ってるんですか?」

「それは秘密。だってほら、少しくらい秘密があった方が、よくない?」

「隠しすぎです!」


 まながほんの少し、笑ったのが見えて、私は少しだけ、安心する。それから、あかねの瞳を見て、感謝を伝えるために微笑むと、彼も笑みを返してきた。


 ──ちゃんと分かっている。あかねが自分を一番、責めていることも。まなに気負わせないようにしていることも。


 とはいえ、これは、非常に良くない状況だ。下手をしなくても、近いうちに戦争が起こる。その上、争って何かを得られるわけでもなければ、終わりもない。そういう、復讐のためだけの戦争だ。


「ま、解けちゃったもんは仕方ないって。ドンマイドンマイ!」

「軽いわね……」

「でも、そうですよ、まなさん。今さら後悔しても、仕方のないことなんです。案外、瞳の色が変わったことで、喜んでいる方もいらっしゃるかもしれませんし」

「その代わりに魔力が大幅に低下してるでしょうけどね」


 それはそうだけど。


「いやいや、異種族間の恋愛問題とか、解決されて、感謝してる人もいるって」

「あたしの親みたいにね」


 そうそう。


「全員人間になったので、これからは、皆、仲良くしましょう、という流れになるかもしれませんし」

「お、いいねそれ! 魔王と勇者は平和に暮らしましたとさ、めでたしめでたしーって!」

「なるわけないでしょっ! ……まったく」


 さすがにないかな。


 ──遠く、視界の先には、大砲が見える。そして、その前には金髪の女性が立っていて、青くなった瞳でこちらを睥睨していた。


「バッサイさん、かなり怒ってるみたいですね」


 やはり、人間にされて喜ぶ魔族は、そういないか。


「え、もう見えるの? 相変わらず、目いいねえ」

「言ってる場合? バッサイはすごく強いわよ」

「まあ、僕たち二人いれば負けないと思うけどねえ」


 そうそう。だって、あかねと私だよ? 四天王にも負けないんだから、その辺の魔族に負けるわけ。


「は? 何言って──あ。……また、あたしのせいだわ」

「いや、まなちゃんのせいじゃないって、多分」

「今度は何ですか?」


 まなが自分を責めるのが好きなのは知っている。それがほとんどの場合、彼女のせいでないことも。



「あの人、バッサイじゃなくて、バサイね。あのバサイ。千年くらい生きてるってやつ」

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