第4-7話 瞳の奥に
翌朝、目が覚めてすぐ、抱き枕──まながいないことに気がつく。寝起きは悪いが、いつも根性で早起きしているあかねを揺すり起こして、伝える。
「靴もないね」
「外に行ったということですね。私、捜してきます」
「いや、愛は休んでて。僕が行ってくる」
「──お願いします」
少しの時間が、とても長く感じる。指輪の宝石をなぞり、彼女の無事を祈ることしか、待つだけの私にはできない。
そうして、やっと、扉の外に気配を感じ、私は扉を開ける。──あかねの背に、まなが背負われていた。
「まなさん、どうされたんですか!?」
「……熱があるみたい。それから、外の様子が、おかしくて」
あかねがまなをベッドに寝かせている間に、私は宿で体温計を借り、意識が朦朧としているまなの脇に差し込む。額に手を当てれば、明らかに熱いのが分かった。
「外の様子がおかしいとは?」
「──昨日、氷像が盗まれたの、覚えてる?」
「え? ……あ、はい」
正直、言われるまで忘れていた。封印を解けるのも、氷像を壊せるのも、まなしかいないため、何もないだろうと高を括っていたのだが。
「なんか、封印が解かれたっぽい」
「は──」
封印が解かれたということは、まなが像に触れたということだ。つまり、氷像は盗まれた後もこの近くにあったことになる。
──すると、まなは、それに気がついて、一人で、取り返しに行ったのかもしれない。
高い機械音を合図に、体温計を取り出す。その値はエラーを示していた。
「病院に連れて行きます」
「でも、救急車、全然、繋がらなくて──」
「私が直接運んだ方が速いので、救急車はかけなくて大丈夫です」
とはいえ、封印が解かれた今、魔族専門の病院は、魔族で溢れかえっているはずだ。それは人間の病院も同様だろう。魔族が入りきれなくなった分を受け入れていることもそうだが、もう一つ、魔族専門の医者には魔族が多いからだ。
今やヘントセレナ付近の病院は、どこも病床が埋まっていることだろう。とはいえ、やはり、人間専門の方が空きがある可能性が高い。だが、そちらは数が少ないことが、事前調査で分かっている。今、病院に行っても、自宅で療養するよう言われるかもしれない。
そんなことを考えつつ、氷水で額を冷やし、汗を拭き、体を毛布で温める。まなだけは、他の魔族たちとは症状が違う。他の魔族の体調不良は、封印が解かれたことによるもので間違いないが、それは魔法であるため、彼女には効かない。
「まなさん、まなさんっ」
強めに呼びかけるが、返事もしなくなった。脈と呼吸は確認できるが弱々しく、辛そうだ。
まなの肩掛け鞄を開け、何か役立ちそうな薬が入っていないか探す。持病の薬などは持っていないようだ。解熱作用のある薬が入っていたので、副作用や他の薬との組み合わせを考え、問題ないと判断し、服用させる。
それから少し、様子を見ていたが、熱は少し下がったものの、意識が戻らない。
やはり、知識があるとはいえ、医者でなく、器具なども取り揃えていない以上、限界がある。さらに、彼女には魔法が効かない。この世で唯一の存在なのだ。
「瞬間移動で連れていきます。魔力、借りますよ」
「わ、分かった」
「あなたも後から追ってきてください。まなさんを瞬間移動させるので、いつもの調子で魔法を使いすぎないように。探知で捜して、走ってきてください」
指示しておかないと、何もできずに立ち往生するであろうあかねに、忠告を交えて伝えると、私は病院へと移動した。
──直後、目眩が襲ってくる。急に魔力を多量に使った代償だ。
だが、そんなことは言っていられない。今はまなを助けなければ。
***
それから、しばらくして、あかねが走ってたどり着いた。これでも、毎日、鍛えているだけあって、息もつかずに走り通して来たらしい。
「まなちゃんどう?」
「まだ分かりません。氷像を持ち去った誰かに、何かされたか……。あるいは、封印解除の際に大量の魔力が流れ込んだことが原因で……。いえ、実は隠していた持病が……」
所見では特に目立った異常は見られなかった。つまり、原因が分からないということだ。検査の結果が出ないことには、どうすることもできない。
きっと、体調が悪いのを隠していたのだ。考えてみれば、昨日から体温は高めだったし、眠そうだった。──また、気づけなかった。何度目だ、本当に。
心配のしすぎ、で済めばいいが、人は思うよりずっと簡単に死んでしまうのだということを、私は知っている。現に、あれほど体調に気を使っていた父が、亡くなるときにはあっという間だった。
「──大丈夫だよ。まなちゃん、生命力だけは強いから。それに、勇者だしさ、ね?」
あかねに頭を撫でられて、少しだけ安心する。確かに、そんなイメージはある。死んでも死なないような、最後まで生き残っていそうな、そんな感じだ。根拠を問われると、日頃の様子としか言いようがないのだが。
──やっと、検査結果が出て、医師から話を聞くことができた。
「疲労とストレスですね。それから、魔力の放出が上手くいっていなかったことも、原因の一つに挙げられます」
「疲労とストレス……?」
「はい。点滴をして、明日には帰れると思います」
魔力の放出に関しては、珍しい症例ではないらしい。魔族の角は魔力を吸収する特性があるため、適度に魔法を使うか、魔力を外部から吸いとらないと、蓄積された魔力が体調不良を引き起こすとのこと。それはともかく、疲労とストレスというのが引っかかる。
ともあれ、ここまで逼迫した状況で彼女を受け入れてくれたのは、本当にありがたいことだ。病院の前にできた長蛇の列を見て、断られるのではないかと思っていたから。
そして、何度もお礼を言って、私たちは目が覚めるまで、まなの病室にいることにした。
***
その日の夜には民宿に戻ってきた。まなが、「病院に泊まると必要以上にお金がかかるでしょ」と言うので、半ば無理して抜け出してきたような形だ。
「本当に大丈夫なんですか?」
「ええ、問題ないわ。病院にいても民宿にいても、ごろごろしてるだけだし。あ、どこか観光に行くつもりなら気にしなくていいわよ。なんなら、付き合うけど──うぐっ!?」
私はベッドから降りようとするまなを、手加減した頭突きでベッドに戻す。
「ごろごろしててください」
「でも、せっかくの旅行なのに──」
「ま、旅先だからって観光しなきゃいけないわけじゃないし。たまの休みなんだからゆっくりしようよ」
まなはしばらく、渋っていたが、やはり、まだ体調が優れないのか、諦めて横になった。
「……悪いわね、気を使わせて」
「いやそれ、こっちの台詞だから」
「そんなことはいいです。それよりも、寝顔をスケッチしたいので、早く寝てください」
「そんなこと言われたら逆に寝れないわよ……」
それから、数分と経たないうちに、まなは眠りについた。私は宣言通り、まなの寝顔をスケッチしていく。書くのにそう時間はかからないが、色んな角度から描けば、それなりに時間がかかる。
「それで、まなさんが倒れた原因に心当たりは?」
「いやあ、これ言っちゃうと、多分、後で怒られるんだよねえ」
「疲労で倒れるということがどういうことか、お分かりですか」
一枚仕上げる頃になって、ようやくあかねが口を開く。
「……なら、せめて、まなちゃんに怒られるときには味方してね?」
「時と場合と状況によります」
「そんなあ」
「私だってまなさんに怒られたくないんです。巻添えにしないでください」
「ええ……。まあ、話すけどさあ──」
──鉛筆が折れた。キャンパスに穴が開いた。それだけに止まらず、キャンパスを設置するイーゼルも崩壊した。
「……ちょっと力を入れただけなんですが」
「──ふっ」
堪えきれずに笑ったあかねの背中を、バシッと叩く。
「それは、本当の話ですか?」
「いや、こんなよくできた嘘、ないと思うけど?」
「……私の理解と事実でずれている点がないか、確認してもらえますか」
「おっけえ」
ハイガルが亡くなったのは、夏休みの終わり頃。しかし、まなはそれ以前から頻繁に部屋を開けていた。長期休暇を利用して、バイトに明け暮れているのかとまた勝手に思っていたが、彼が言うには、バイトは予定の半分に過ぎなかったらしい。
そして、長期休暇の終わった今も、ハイガル殺しの犯人捜しは外泊の理由の半分で、もう半分は別の理由だという。
「まなさんは、休日の度に泊まりがけ、あるいは日帰りで王都と宿舎を行き来していたと、ここまでは間違いないですね?」
「そう。最近は二週間に一回だけどね。前は週に四回は行ってたかなあ」
「その目的が、私のためだというのは?」
「うん。間違いないよ」
頭の中で整理して、一つ一つ確認していく。
「新設された新幹線でも、片道三時間もかかるような王都まで、わざわざ頻繁に足を運んで、城と連絡を取っていたと、そういうことで間違いないんですね?」
「うん、そう。最初は僕が行こうとしてたんだけど、僕じゃ会ってすらもらえないし、愛の側にいてあげてって、まなちゃんが」
私たちが困窮したとき、王家との橋渡しができるように。また、王家とこちらの状況をやり取りし、有事の際に駆けつけることができるように。そうして、繋がりが完全に途絶えてしまわないように。ずっと、彼女は尽力してくれていたということだ。
さらに、今はもういないだろうが、王都には大賢者れながいたため、その知恵を借りることもできた。
「ゴールスファの血を継ぐ母親は、代々、酷い悪阻に襲われ、多くを受けつけなくなる。そして、王家にはその緩和法が伝わっているわけですか」
「そう。何が食べられて、何が食べられないかとかが、全部遺伝するんだって。それで、調味料とか食材を貰ったり、料理を教わりに行ってたみたい。あと、シャンプーとか石鹸も、決まった匂いのやつ以外はダメらしいよ。確か、ベルスナーキーの匂いじゃないとダメ、とか言ってたかな」
そう言い置いて、彼は続ける。
「シャンプーとかは、蜂歌祭のときに、一式、れなさんにもらったんだよね、三人分。それで、僕たちも変えるように言われて、愛のもこっそりまなちゃんに変えてもらったんだ。──それにしても、あの人は本当に、どこまで読めてるんだろうねえ」
いつかの物音の正体を知ると同時に、色々なことが腑に落ちた。
一方、蜂歌祭と言えば、その前日にゴールスファ家と縁を切ったばかりだったのを思い出す。当然、まだ赤子を授かってすらいなかった。
あのとき、入学当初から変化した、まなの匂いだけは平気だったのを思い出す。思えば、私自身の匂いで吐き気をもよおしたこともなかったが、あれは、私が使っている洗顔料なども、すべて取り替えられていたおかげだったのだろう。
「ねえ、愛。僕が言うのもなんだけど、お母さんたちと仲直りしたら?」
不意に、あかねがそう切り出した。
彼の言いたいことも、十分、分かる。いくら、縁を切ったからと言って、まなにここまでお膳立てしてもらって、自分だけ何もしないというのはどうなんだと。
──だが。
「そんなこと、今さらできません」
「でも、愛だって、まなちゃんみたいに倒れたりはしないけど、いっぱいいっぱいって感じじゃん? 自分で言うのもなんだけど、僕、頼りがいないし」
「ある程度大変なのは、仕方がないと思いますが。今までと同じように、とはいかないんですから。どちらにせよ、あの人たちを頼ることはありません」
そう言いながら、お腹を擦ると、しゃがんだあかねがその手を取って、両手で大事そうに包み込み、額に当てる。酷く壊れやすいものを扱うように。
「あかね?」
「もっと、頼ってよ」
その言葉と、声に込められた嘆きの意味が分からずに、私は困惑する。
「あかねは十分、色々してくださっていますよ」
「僕なんて、全然、何の役にも立ててない」
「あなたが側にいてくれるだけで、私は幸せなんです。それだけで、十分過ぎるくらいに。──でも」
握ってくれる大きな硬い手に、自分の手を重ね、引き寄せて、その甲を親指でなぞる。
聞くべきか、聞かないべきか。悩みに悩んだ。ずっと、悩んでいた。
それでも、彼女が倒れた今、どちらを選ぶかは決まっていた。
「私は欲張りだから。あなたのことなら、全部知りたい」
くすぐったさに顔を上げた、彼の黒瞳に手の甲を映し、瞳にキスをする。
「だから、頼ってほしいなら、全部教えて?」
瞳をそらさせない。誤魔化させない。逃がさない。
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