第4-6話 魔力の結晶
魔法で額を治したあかねが、もう痛まないはずの額を痛そうに擦る。
「だって、見せつけたいじゃん? 新婚ですーって」
「そんなことのために……っ!」
「まあまあ、少しは落ち着きなさい。あかりだって結構、真剣に悩んでたんだから」
まなに頭を指でとんとんされると、不思議と、少しだけ怒りが落ち着いてくる。
「
「……はい。気持ち程度ですが」
──わけが分からない。魔術大会とベルセルリアの依頼で、やっと少し、余裕ができたばかりだというのに。婚約指輪をペアで買うなんて、一体、どういう神経をしているのか。
あーーーーーイライラする。
「あんたたちが婚約したその日の夜、あかりに、ロビーまで連れ出されたのよ。何事かと思ったら、『ねね、指輪買ったらさ、やっぱり、怒られるかな?』って」
──そんなに前の話だとは思わなかった。
「まなさんは、なんと?」
「『馬鹿じゃないの? いいえ、元から馬鹿だったわね』って言われた」
相変わらずの辛辣さだ。取りつく島もないはずだが、なぜか指輪はここにこうしてある。
「毎日毎日、夜中に呼び出されて、迷惑どころの騒ぎじゃないから、折れたのよ」
「それで、まなちゃんに半分お金出してもらっだだだっ!」
「まなさんに何させてるんですか!!」
「ギャアッ」
思いきり、耳を引っ張る。ブチッ、と聞こえたがそんなのは知らん。
それから、なんとか心を落ち着けて、
「すみません。まなさん、ご迷惑をおかけしてしまい」
「いいのよ。あたしからのお祝いだと思いなさい。それに、今さら返されても、逆に迷惑」
「ですが……」
私は机に置かれた箱を開け、中身を確認する。七色に光る透明な宝石──魔力の結晶だ。
通常、地表面に上がってくると空気に溶けてしまう魔力が、偶然土中で真空状態となり、長い年月、圧力をかけられ続けることによってのみ生み出される。その希少性から、世界で最も価値の高い宝石と評されることもあるほどだ。さらに、大粒、傷なしで、七色の散らばりも完璧だ。
見た瞬間に分かった。これは、世界全体で見てもトップレベルの宝石だと。どう考えても、今の私たちに手が届くようなものではない。
「しかしこれは、所持金とまなさんからいただいた分をすべて足しても、買えませんよね? あなたの立場でお金を借りることなどできるはずもありませんし」
「そ。だから、僕が持ってるものかき集めてきて、全部売った。ほら、勇者時代に洞窟とかで集めたやつ」
………………。
「……はあああ!? それを今後の生活の糧にしようとは思わなかったんですか!?」
「いやあ、思ったけどお……」
「けどじゃないです! この馬鹿! 阿呆! たわけ!」
「全部意味一緒じゃないー……ですね、はい。うん」
──なぜあと数年の我慢ができないのだろうか。救えない、ああ救えない、救えない。
「ほんっとうに、あなたという人は──」
「でも、式は後にしようと思っててえ……」
「当然です!」
「こ、こめんなさひいぃ……」
情けない声を出して縮こまるこいつに、何から言ってやろうかと、思考を巡らせていると、
「そんなにいらないならあたしが──」
「いります!」
まなが手を伸ばしかけた箱を、私は咄嗟に取り上げ、そっと胸に抱く。
──こんなに、大切な物は、他にない。いるに決まっている。
本当に、私は幸せ者だ。
それから、私は左手と指輪をあかねに差し出す。
「──つけてください」
「え、めっちゃ緊張するんだけど」
「大丈夫です。私の方が緊張している自信があります」
「それはどうかなあ?」
平然を装いつつも、あかねの声はわずかに震えていた。遠い昔、初めて婚約指輪をもらったときとは、比べ物にならないくらい、緊張する。手汗をかかないように、気合いで血流を調整する。
「うわあ、僕、手汗ヤバイんだけど、落としそう……」
「早くしてください。窒息しそうです」
「指輪つけるだけで、今さら、よくそんなに緊張できるわね」
まなが言うことも分からなくはないが、緊張しているのは事実なのだから、仕方がない。
左手の薬指にゆっくりと、指輪がはめられていく。なぜこんなにゆっくりなのかと思うほどに、ゆっくり。ゆっくり、ゆっくりと。
「──ああもう、焦れったい!」
「いや、速くやりすぎると趣がないじゃん!」
「殺す気ですか!」
「僕だって気絶しそうなんだって!」
「いいから、さっさとしなさいよ……。ふあぁ……」
眠そうなまなに
「──うん。やっぱり、よく似合ってる」
あかねの顔が、本当に嬉しそうで、私は恥ずかしくなって目をそらす。いつもなら、そんな私をからかってくるが、見た目以上に緊張しているのか、追撃はなかった。
「なぜこれにしたんですか? 価格にこだわりはありませんが」
すると、あかねは、
「考えてみて」
と、はぐらかした。──ただ、嫌な感じのする、誤魔化しではない。期待したくなるような、焦らしだ。だから、後で考えることにした。
安堵したのも束の間。今度は目の前に、あかねの手が差し出される。
「じゃ、今度は僕にもつけて」
「え、無理です」
「いやいや、さっき、僕、頑張ったから、次は愛の番じゃん?」
「それなら、一度、まなさんを補給させてください……」
「あたしを補給って、何?」
まなを背後からぎゅっと抱きしめる。相変わらずの安心感。温かい。
「あんた、本当に心臓すごいことになってるわね、熱いし」
「はい。とっっっても、緊張しました」
そうして、まなの体温に意識を寄せていると、あかねが羨ましそうにこちらを見ているのに気がつく。
「いいなあ、僕も愛、補給したいー」
「お好きにどうぞ」
「いや、汗ヤバイからやめとく」
そんなこんなで、もう一度このくだりがあったのだが、まなにはやれやれと、ため息をつかれてしまった。
***
「それで、どう?」
あかねが私の顔を覗くようにして、期待の笑みを向けてくる。──だが、上手く、素直になれない。だから、私は視線をそらして、少し拗ねたように、まなに尋ねる。
「なんで教えてくれなかったんですか、まなさん」
「そりゃあ、あんたの喜ぶ顔が見たいからでしょ」
そんなことは分かっている。分かりきっているからこそ、それにまんまと引っかかってしまったことが不満──否、悔しいのだ。まんまと嬉しすぎて。
「私、サプライズは苦手なんです。上手く反応できないので」
「いや、めっちゃ良かったよ。ナイス打撃」
親指を立てるあかねに、私は思わず笑ってしまった。──今回の喧嘩は、私の負けだ。聞きたいことは色々と残っているが、私を置き去りにして、心がもう、彼を許してしまっている。
何より、こうして、一緒に笑い合える相手を、憎むことなんてできるわけがない。
そうして、私は魔法契約書をサラサラと綴り、彼に差し出す。
「どうぞ、魔力共有の魔法契約です」
「え、いいの? マジで?」
「まだ、許したわけではありませんよ。聞きたいこともありますし。──でも、いいです」
押しつけるようにして虚空の光文字を差し出すと、あかねは全身で純粋な喜びを表した。
「おおー!
「あいあいしてください」
「
「私も
「きゃっ、照れるじゃーんっ」
「あちち。火傷したから、もう寝るわ。あたしの部屋、どこ?」
まなの茶々だけでは収まりそうにないテンションだが、案の定、あかねはぽけーとした顔で答える。
「ん? 全員同じ部屋だよ?」
「……は?? なんで一部屋しか取ってないのよ? まあ、手続きのときにもしかしてって、思ってはいたけれど。──ってことは、あたし、あんたたちの空間で寝るの? ここで? ……嘘でしょ」
「まなさんは、榎下一家の子どもですから」
「だから、小さくないわよっ!」
「誰もそこには言及してない」
***
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
私はまなを抱きしめて、ベッドに横になる。最近は仰向けで寝るのが苦しいくらいだが、それでも、まなは抱きしめてみせる。少し遠いが、温かい。
「ふふっ」
「あんた、すっかり、機嫌良くなったわね」
「気のせいです。まだ許してません」
「ほとんど許してるみたいなもんじゃない」
「ふふふっ」
「──すっごく、幸せそうね」
まなにそう言われることが、また、とても嬉しくて。左手の指輪に月明かりを映して、その意味を考えてみる。
魔力の結晶。その宝石言葉は「願いの祝福」。願いの祝福を得る者は、世界で最も幸福になれると言われている。
そして、魔力の結晶は、魔力により結合しており、それを二つに分けたもの同士は、つがいの指輪と呼ばれる。
魔力による繋がりに距離は関係ない。片方が大切に磨かれれば、もう片方も自ずと磨かれ、片方が割れれば、もう片方も同様となる。
見方によっては面倒な指輪かもしれない。それでも。
「はい、幸せです。──世界で一番っ」
「いや、それ、僕に言ってよ!?」
「はっ。あたしの勝ちね」
「次! 次があるから!」
──このとき、私は何もかも忘れていた。
そしてまなは、私たちに気を使って、何も言わなかった。
幸せの絶頂にいた私に、罰が下されるかのように。
まもなく、氷像の封印は、解かれた。
***
「魔族に封印される直前、彼女は自らを氷の中に封印したんです」
「なんでそんなこと──」
まなの問いかけに、隠すことなく、すべてを答えていく。封印は解かれてしまったのだ。これ以上、隠す必要もない。
「強大な魔法には、必ず代償が伴います。それを逆手に取った彼女は、自らを氷の中に封印するという代償を払うことにより、封印が解けることを条件に発動する、大魔法を行使したんです」
「そうまでして、魔族に復讐したかったってことね。……それで、結局、どんな魔法なの?」
彼女が行使した魔法、それは。
「──世界中の魔族を人間に変える魔法です」
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