第4-5話 氷像広場
「ここが、氷像広場──」
何を思ったか、まなが呟く。バスは私たちが乗った停留所で満席になったが、ここで降りたのは私たちだけだった。
石造りの無骨な広場の真ん中に、ぽつんと氷像が置かれているだけ。もの寂しい雰囲気だ。それ以外に見るところもなければ、調べた限り、飲食店や土産屋なども近くにはない。
氷像を中心にして、赤レンガの壁が立っているが、そちらは旧魔王城跡だ。私は前々から来てみたいと思っていたが、地味なので、観光スポットとしての人気はない。
そんな広場の象徴となっている目の前の氷像は、一人の女性を象っていた。
「これ、人じゃないの?」
そう。まなの言う通り、これはまさしく、人──人間だ。
まだ人間と魔族の偏見の色が濃い時代。その女性は、自らが人間であることを隠し、ヘントセレナで魔族として過ごしていた。しかし、ある日、人間であることが露見してしまい、氷漬けにされた。
──と、世間には伝わっている。
「なのに、壊すって──」
「大丈夫大丈夫。これ、人の形してるけど、ただの像だから」
いつものようにあかねが嘘で誤魔化そうとするのを、私は目をわずかに細めて見つめる。
「そうなの?」
「うん。だから、もう、バッキバキに壊しちゃって」
確かに、壊すと決まっているのなら、知らない方がいいだろう。──氷像の人物がまだ生きていることや、これが恐れられている意味なんて。
「でも、なんで壊す必要があるわけ? お父さんがいくらポンコツだって言っても、普通、なんでも聞いてくれるなんて、おかしいじゃない」
「え、仮にも、自分のお父さんなのに、そこまで言う……? ま、ともかく、差別だーって騒いでる魔族が、実は人間にこんなことしてた、なんて、消したい記憶なんじゃない?」
「まあ、分からなくはないけれど──」
嘘ではない。それも、理由の一つにはなりうる。
──だが、負の遺産は後世に残すべきだというのが、魔族の在り方だ。魔族は、過去の恥ずべき歴史を消してしまおう、などと考える種族ではない。
「でも、それだけで、お父さんがあんなに必死になるとも思えないわ」
「もちろん、それだけじゃないよ。この氷像の中には、魔族を強く恨む
「へえ、そうなの……」
事実には近いが、真実ではない。あかねの言い方だと、とても強い敵を倒さなくてはならないかのように聞こえる。──だが、おそらく、そんなことにはならない。
「封印って魔法でしょ? それなら、あたしが封印を解くから、それをあんたが倒せばいいじゃない」
「え? なんで僕が魔族のために痛い思いしなきゃいけないの? 今凍ってるんだから、壊せばいいじゃん」
「それは、そうだけど」
魔法を無効化できる彼女ならば、封印を解くことなど容易いだろう。だから、まなが氷像に伸ばしかけた手を、あかねは後ろから掴む。
そして、その手にモンスター用ではない、普通の鎚を握らせて、像を横たえる。──生きている像に直接触れないので、魔法で。
「首の後ろを狙っていこうか、ここが一番折れやすそうだし」
確かに、そこを折れば、氷像は死ぬだろう。だからこそ、勘の鋭いまなは、それを素直に聞き入れようとはしない。
「今日のあんたは、なんだか、いつも以上に信用できないわ」
「いや、酷くない!?」
いつものように茶化してはいるが、あかねにしては、焦りのようなものが見られる。よく見ていないと見逃してしまうような、本当に些細なものだが、それを、まなは本能で感じ取っているのだろう。
「マナ。この氷像は、一体、何なの? 本当に、壊してもいいものなの?」
あかねとまなと、両者から見つめられる。私は、あかねの願いを、できる限り尊重したい。
──でも。まなに嘘をつくことだけは、どうしてもしたくない。彼女を騙すことは、もうしたくないのだ。
本当のことをまなに言ったら、あかねはどう思うだろうか。その上、すでに、この像を壊すことを条件に、私たちは様々なものをもらっている。
もし、壊せなかったとしたら、あかねは永遠に、契約を破った罰を受け続けることになるかもしれない。
だが、真実を言ってしまえば、まなはきっと、この像を壊せない。
私は、どちらを選ぶべきなのだろう。
元々、契約する段階で、こうなる予感はしていた。それならば、やはり、あの時、止めておくべきだったのだろう。
「愛?」
「マナ?」
何も言わないということは、何かを隠していると、まなに知らせることになる。
時が真実を明るみに出していく。
──自分で選べないまま。
「やっぱり何か──」
まなが何か言いかけたそのとき。あかねが咄嗟に障壁を張る。何の前触れもなく。
同時に、障壁に何かが衝突して、カランと音を立てて落ちる。彼と私はその瞬間、矢の飛んできた方を振り返るが、すでに、そこには誰もいなかった。
「弓矢?」
まなは防いだ弓を拾い上げ、私たちに遅れて、矢の飛んできた方を見る。そのときすでに、私の中での状況把握は終わっていた。
「何が──」
戸惑いを見せるまなが理解するのを待ってから、告げる。
「氷像が盗まれましたね」
目の前にあったはずの氷像が、姿を消していた。
***
さすがのあかねも、宿を借りるのだけは一人前にできたらしく、私たちは彼の予約した民宿で手続きをし、案内された部屋で一息ついていた。
「それで、あの氷像が何だって言うのよ?」
「いやあ、それは、ちょっと……ってか、愛! なんで味方してくれなかったのさ!?」
まなに責められたあかねは、その理由を話すことを渋り、代わりに私を標的にする。──いっっっつもそうだ。都合が悪くなると、絶対に私に押し付けてくる。
「なんで私が責められないといけないんですか」
「だって、味方してくれると思うじゃん」
「あなたが勝手にそう思っただけですよね。私はそんなこと、一言も言ってません」
「勝手に、って言うけどさ、魔王と契約したのだって、愛のためでもあるわけじゃん。じゃあ、ちょっとくらい協力してくれたっていいじゃん。なんで味方してくれなかったのさ?」
「なんでなんでって、本当に、しつこい人ですね」
「そっちこそ、聞いたことに全然答えてくれないじゃん。なんでか教えてくれれば僕だってしつこく聞いたりしないよ」
「あなたに味方するのが、嫌だったからです! ──これでいいですか?」
「いや、何の説明にもなってないし。わけわかんないし。嫌ってなにさ?」
「本っ当にうるさい人ですね」
「ほんとに可愛げないよね」
「はいはい。そんなに見せつけなくても、二人が仲良しってことくらい知ってるわよ」
まなに茶々を入れられて、私たちは渋々、閉口する。全然、言い足りない。絶対に、私は悪くない。後悔もしていない。謝る気もない。
「大体、あかりが勝手に結んだ契約でしょ? いつまでマナの優しさに漬け込めば気が済むのよ? まるで反省してないわね」
「う、お、ぐっ……」
──まなが味方してくれたので、ちょっとだけ、気が晴れた。
「少なくとも、今のあたしにあの像を壊す気はないわ。本当のことを言ってくれるなら考えるけど」
「考えるだけじゃん」
「言ってくれないなら、考えもしないわ。せいぜい、他の方法でも探すのね」
「……ねえ、愛? お願い?」
そんなに
「マナ、甘やかしちゃダメよ」
まなに図星を突かれて、私は思わず背筋を伸ばす。まあ、いつも伸ばしてはいるのだが。
ともかく、これで、本当のことを言うか、本当に聞こえる嘘をつくか、隠し通すかしかなくなったわけだ。ただ、まなは異様に勘が鋭いので、嘘は見抜かれる可能性が非常に高い。
となると、やはり、本当のことを言うしかないわけだが。
──あのとき、すぐに真実を告げていたら。
後悔しても仕方ないのは分かっている。ただ、あれだけ、まなに良くしてもらっているのに、それでもまだ、彼女に甘え続ける自分が、情けなくて仕方ない。
そして、今でも躊躇ってしまう自分が、嫌いだ。
「はあ……」
「愛が、ため息ついてる!?」
「あんたのせいでしょ」
「いえ、不甲斐ない自分自身に対する、
「あ、はい……」
人前では気を張っているというだけで、ため息くらい普通につくのだから。過剰に反応されると余計に疲れる。二人の前でくらい、気を使わせないでほしい。
さて、そろそろ、私も腹を括らねば──。
「ところで、あたしがなんで出かけてるか知りたいって話だったわよね? あかりとのこととかも」
「え? あ、はい──」
「じゃあ、あたしが最初に言うから、あんたたちも氷像の話とか、色々、言いなさいよ。いいわね?」
「……はい。もちろんです」
ため息をつくと、まなに誤解されそうだったので、今度は飲み込んだ。
また彼女の優しさに甘えるのだと思うと、憂鬱だっただけなのに、それを、彼女は、私が真実を話したくないのだと、自分が信頼されていないのだと、寂しく捉えそうだったから。
***
まなは、重い口を開いて、語り始めた。
「これはあかりにも言ってないんだけど、あたしが休みの日に出かけてるのは、犯人を捜すためよ」
「犯人?」
「決まってるでしょ。──ハイガルを殺した犯人よ」
まなの声のトーンが数段落ち、場の空気が変わる。ずっと、触れないようにしてきた部分だった。関わりが少なかったとはいえ、同じ宿舎の者が亡くなっているのだ。しかも、他殺で。
「死因は溺死だけど、ハイガルが乗ってたルナンティアを撃ち落とした誰かがいるはずでしょ? それを捜してるわけ」
──そうだ。まなは、あの青髪と親しかったではないか。彼へと特別に好意を向けていたのを、私は嫉妬するほどに知っていただろうに。
「ああ、まなちゃん、ハイガルくんと仲良かったもんねえ」
「別にそうでもなかったわよ?」
「あれ、わりとサバサバしてる……のわりに、犯人捜し? なんで?」
「──あたしのせいだから」
右腕を強く握り、まなは、震えを隠すように、強い声で言った。
「あたしのせいで、ハイガルは死んだの」
「え? それって、どういう──」
先を
「あたしが、約束を、破ったから。あたしが、お父さんに、教えたから……。誰にも、内緒だって、言われてたのに……っ」
はっきりとは分からなかったが、まなの様子がおかしいのを見て、私はそれ以上の追及を諦め、震える彼女をぎゅっと抱きしめる。感情的になっていて、体が熱い。
──また、彼女に拒絶されるかもしれないと思うと、怖くて仕方なかった。
それでも、私の何倍も、彼女は怖がりだったから。
「無理に聞いてしまって、すみませんでした」
それから、まなは幾度か深呼吸をして、呼吸と心を落ち着けていく。
「……いいえ。あたしの方こそ、ちゃんと言えなくて、ごめんなさい」
「まなさんを傷つけてまで、無理に聞こうとは思いませんよ」
「──うん」
でも、分からない。なぜ、そんな風になるほど辛い記憶なのに、私に打ち明けようと思ったのか。
もちろん、無理に聞き出そうとしたのは私だから、私に非があるのは認める。
だが、それ以上に、彼女が私などに話す決心をしたというのが、ある意味、恐ろしくもあった。
──それが、どれほどの覚悟だったのか。
がんばり屋な小さい体を抱きしめて、しばらく撫でていると、まなは次第に落ち着いてくる。だが、脳裏に、いつかの取り乱す彼女が浮かんでいた私は、拒絶されなかったことに、安堵した。
それから、まなはお茶を飲み、十分に落ち着いたことを、視線で知らせてくれる。
「次、僕でいいよね。まなちゃんと、夜、ロビーでよく話してたのは、これ」
あかねは小さな青い箱を取り出してきて、ニコニコしながら、私の手に乗せる。すると、まなは思いきり、しかめ面をした。
「なんですか? びっくり箱か何かですか?」
「あたしはちゃんと言ったわよ。絶対に、今はやめた方がいいって」
「……やっぱり、怒られるかな?」
「怒られるで済めばいいけれど。どうなっても知らないわよ」
それでも決意の揺るがないあかねに、まなは嘆息を交えて、なぜか、私から少し離れる。
「え、何ですか……?」
「開けてみて」
「開けて、怒ればいいですか?」
「振りじゃないから!」
二人の見守る中、私は箱をかぱっと開け──ぱたっと閉じ、その角をあかねの頬に、ドゴキチャグュバンッと叩きつける。
「ぎゅっふぇえっ!?」
「あーあ、やっぱりね……」
持っていると握り潰してしまいそうな箱を机に預け、
「……中、何が入ってた?」
そう、へなへなした笑顔で尋ねる彼の顔に、苛立ちが募り、抑えきれない怒りがやっと言葉へと変わる。
「分かってますか!?」
「だって、前は愛の分だけだったし、しかも、安いのしか、買えなかったからさ──」
「指輪なんて買う余裕が、どこにあるんですか!! この、馬鹿!! ふんっ!!」
「ああああごめんなさいいい……!!」
手加減も忘れて頭突きしたら、あかねの額が割れて出血した。
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