第4-4話 満員電車
「うわあ! めっちゃ可愛いんだけど!」
あかねは、子どものようにはしゃいで町並みをスマホで撮影する。たくさん写真を撮るときには、魔法よりもスマホの方が便利だ。
ここ、ヘントセレナは、おとぎ話の世界に出てくるような、可愛らしい外装の建物が多いことで有名で、よく『
そんな光景に目を輝かせるあかねから視線を外し、横目でまなの様子をうかがうと、どこか懐かしそうな眼差しをしていた。当然、この辺りは脱走する際に、通ったことがあるのだろう。
「どうする? ねえ、どうする?? ねえねえ、どうする!?」
「はしゃぎすぎよ。ここは夢の国じゃないの。治安も悪いし、歴史上、人間は歓迎されないわ」
「何々、どういうこと?」
「昔、ここの土地の魔族たちは、奴隷として人間たちに酷使されてたのよ。随分、昔の話だけれど」
「へえ、そうなんだ。でも、今は違うってこと?」
「はい。桃太郎という、異世界から来た勇者の活躍により、奴隷制度は廃止されました」
「ピーチ太郎!?」
なぜ桃太郎にそこまで反応するのだろうか。それはともかく。
横目で見ると、まなの耳がぴくっと動いた。
「──マナ、何か言った?」
「いえ、何も言っていませんよ」
「何々、また幽霊とか……? 怖いからほんとやめて……?」
「まあ、確かに多いことは多いわね」
「いや、そういうの、マジでいらないから!」
そんな、本気とも冗談ともつかないまなに、あかねが怯える。まなの言う通り、この辺りは昔から治安が悪いため、未練を残してこの世を去ることが多いのかもしれない。
それから、特に話題もなく、ぼーっとしながら湖沿いを歩いていると、不意に、まなが立ち止まった。
「あ、大砲──」
「大砲!? え、どこ? 全然見えないけど」
私にははっきりと見えるが、視力の弱いあかねには見えないかもしれない。それでも、近づいていけば、その大きさが分かる。いくら目が悪くても、見落とすようなものではない。
湖沿いに設置された、巨大な兵器。その、たった一つの大砲だけが、このファンシーな光景の中で、一際、ものものしい雰囲気を放っている。
「あれは、船で湖を渡ろうとする人間たちへの威嚇用に作られたものですね。ただ、大きすぎて飛ばないんです。中に入れば雨避けくらいにはなるかもしれませんが、その程度ですね」
「意外と、住み心地良さそうじゃない?」
「住めば都とも言いますしね」
「スメバミヤコ?」
そうして、喧嘩中のあかねと話していると、まなが近寄っていって──大砲をノックした。
「いや、さすがにほんとに住んでるわけ──」
「うっせエなア……」
「大砲が喋った!?」
「いえ。中に人がいるようですね」
「え、あ、そっち? ……いや、どゆこと!?」
私はまなに近寄り、大砲からはい出る影に警戒心を強める。
腰まで伸ばしたボサボサの金髪に、睫毛の長い真っ赤な瞳。整った顔立ちをしているが、姿勢や態度、佇まい、手入れのされていない見た目と、本人以外のすべてがそれを台無しにしている印象だ。
「久しぶりね、バッサイ」
「オレは、バッサイじゃね──って、なんだ、おめエか。よく生きてたな」
そう言って、その女性──バッサイ? は、まなの頭を擦り潰す勢いで撫でた。
一目見て分かった。まなはこうして、親しげに話しているが、彼女は間違いなく、手練れだ。本来、こんなところで世間話をしているような人物ではない。
「あんたも元気そうで何よりだわ」
「相変わらず偉そうだなア……。一人で来たのか?」
「そっちも相変わらず節穴ね。──相変わらず? まあいいわ。そこの二人、あたしの連れよ」
私は頭を下げ、あかねも続いて頭を下げる。すると、バッサイは私たちの方をじっと睨みつけ──ぱっと目の色を変えた。
「マナ様じゃねエか!? やべエ! 生、ぱねエ! 顔小せエ、睫毛長エ、足細エ!」
「ありがとうございます」
「笑顔、可愛いすぎンだろ! 出会ったついでに、一戦交えちゃくれねエか!?」
今の流れから、一体、なぜそうなるのだろうか。困惑。
しかし、思わぬところで、戦闘狂に目をつけられてしまった。私も戦ってみたい気持ちはあれど、今は遠慮したい。だが、果たしてどう断るべきか──、
「あんたね。見て分からない? マナは妊娠してんの。何かあったらどう責任取るつもりよ?」
「いや、でも、ちょっとくれエなら……」
「ダメ」
「ハアー……。融通が利かねエなア」
「あんたの常識がなさすぎるのよ」
金髪はガシガシと耳の後ろをかいて、深々とため息をついた。そんなに残念がらせてしまったとは、申し訳ない。
「すみません。いつか必ず、お手合わせしましょうね」
「かアーッ! ハイ! オナシャス!」
「……いや、僕のこと完全に忘れてない!?」
相手にされなかったあかねがそう叫ぶ。すると、バッサイはあかねの方を見て、思いっきり顔をしかめた。
「男に興味はねエ!!」
「酷っ!? いやあ、女子だけに優しくすると嫌われるよ?」
「ああン? 文句あンのか、やンのかてめエ!?」
「平和的解決を求めます!」
──とまあ、なんやかんやで、まなと旧知の仲らしいバッサイと分かれ、私たちはその後も湖沿いに歩いていった。
そして、東の端にたどり着いたところで、立ち止まる。そこからは、砂でできた自然の橋が一望できた。
「うわあ、ヤバい!」
「別に、砂が盛り上がってるだけでしょ?」
「感動が薄い!」
目を輝かせるあかねと対照的なまなの態度だが、私はどちらかと言えばあかね寄りだ。これを拳一つで作ったバサイがすごいという意味で。
とはいえ、当然、通れないように見張りが立っているのだが、観光客たちは集まり、その風景を写真に収めていた。
「目的地ってこの辺だっけ? 違うよね?」
「徒歩で行くには時間がかかりすぎるので、ここからバスに乗ります」
「あ、そうだったそうだった」
調べてはきたのだろうが、やはり、任せておくとろくなことにならない。
それに──いや、私が心配してやる義理はないが、一体、どうするつもりなのだろう。
まあいいかと意識を外す。代わりにまなを視界に入れると、しきりにフードを気にしていた。
人間と魔族とに関係なく、白髪というのは珍しい。それに、追っ手のこともある。こう見えて、まなは意外とメンタルが弱いのだ。
「まなさん、大丈夫ですか?」
「……ええ、問題ないわ。行きましょう」
やはり、無理をさせているのだろう。周りを警戒している姿に、心が痛む。
「勝手に付き合わせて、ほんとにごめんね、まなちゃん」
「別に? 着いてきたのはあたしなんだから、謝る必要ないでしょ」
「それはそうかもしれないけど──」
「それよりあんた、ちゃんと携帯の電源オフにしてあるでしょうね? バスの中で鳴ったら迷惑よ」
「あ、大丈夫。僕にしか聞こえないように設定してあるから」
「ダメよ、ちゃんと、切っておかないと。万が一、あたしが触って魔法が解けたりしたら、大迷惑でしょ」
「はいはい、まったく、真面目だねえ」
私も念のため、確認しておいた。
「後は、マナが座れるかどうかが問題ね。席を譲ってくれればいいけど」
「私のことはお気になさらず──」
「あんた、もう少し自分を大切にしなさいよ。子どももいるんだから、もっとわがままでもいいくらいよ」
──かっちーん。
「──どの口が言うんですか?」
「は? あたしのことは関係ないでしょ、あんたの話をしてるの、分かる?」
「自分ができていないことを人に言わないでいただけますか?」
「そう言うあんたが先に何とかしなさいよ」
「まなさんよりかは、私の方ができていると思いますが?」
「よく言うわね。だいたいあんたは──」
「はいはい、ストップストップ!」
収まる気配がないと判断したあかねが、仲裁に入る。
「ほら、仲良くしようよ、ね?」
「だいたい、あんたのせいよ、あかり。あんたがいつまでもお子様だから、マナが大人にならざるを得ないんじゃない」
「結局、僕のせいだった! ごめんね、愛!」
「はあ? 許すわけがないでしょう。それに、あなたがまなさんに無理をさせているんですよ。自覚はありますか?」
「いやあ、まったく、その通りなんだけど──」
「最悪、座れなかったら、あんたがマナを抱えていきなさいよ」
「ああ、それは名案ですね」
「無茶だ!」
結局、私は空いていた優先席に座り、二人がその付近に立った。体幹がない上に、吊革に手が届かず、さらにはバスに乗り慣れてもいないまなは、何度も転びそうになっていた。
バスの中で一人だけ踊っているようだったのを思い出すと、少し笑えてしまう。笑ってはいけないのだろうが、あれは可愛すぎた。結局、あかねにしがみついていたけれど。
──ちなみに、あかねは他人に触れると、過去のトラウマが蘇るので、本来、満員電車や混雑しているバスには乗れない。だが、一人だけ飛んでいくとは言わず、バスに乗り、終始、青ざめた顔をしていた。
そのため、事情を知らない他の人に、バス酔いをしたのかと、声をかけられていた。思いやりは大切だとはいえ、今回ばかりは逆効果だったが。当然、笑い事ではない。
ただ、何度、「降りますか?」と聞いても、「あとバス停いくつ?」と返ってくるだけで、決して降りようとはしなかった。
これすらもご機嫌とり、という可能性は、まずないと考えていい。トラウマというのは、利用しようと考えられるようなものではないのだと、見ていれば分かるからだ。
彼に怒っているとはいえ、そこまでしてくれるとは思っていなかったので、さすがに良心が痛んだ。
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