第4-3話 私は悪くない
ヘントセレナは大陸と巨大な二本の砂州を通じて繋がっている、北の島だ。砂州と言えば、波の動きに伴って砂が積もり、橋のようになった地形のことを指すが、この砂州は、厳密には砂州ではないという説が有効だ。
──何を隠そう、ここ、ヘントセレナ湖は、バサイが空拳で大陸を割ったことによりできた地形であると言い伝えられているのだ。そして、大陸と同じくらいの幅を持つ広大な湖でもある。
ただ、両端の砂州は通行を禁止されており、湖の上に建設された橋を通るしか大陸と行き来する方法はない。ちなみに、魔法で飛んでいこうとすると、もれなく、空中に設置された透明な網に捉えられる。
なぜ、通行が禁じられているかといえば、ヘントセレナ以北は魔族の国と呼ばれる、魔王の支配下に置かれた土地であるからだ。ヘントセレナ以北は、ルスファとは別の、独立した国として扱われることも多く、自由な行き来を規制する必要がある。要は、国境であるために、通行ができないのだ。
前回、魔王を打ち倒した際に、停戦を結んで以来、現在に至るまで約三十年、平和が続いている。それでも、まだ完全に和解したわけではなく、冷戦状態である以上、魔族の領土と人間の領土を自由に行き来させるわけにはいかない。
ちなみに、以前は、魔族が人間の土地へ踏み入る際にのみ、通行料を払う必要があった。橋も含めてそれより南は人間の土地であるが、魔族の流入を防ぎたかったのだろう。
そんな関税は差別を助長するだけであり、今すぐに撤廃すべきだと、私が訴えたことにより、一時は取り払われたのだが──復活している。というより、双方向になっている。
「通行料? この橋、通行料なんてかかるわけ? トンビアイス、二、三個は買えるわよ?」
「──お兄様の仕業ですね」
「何? 嫌がらせ? てか、めっちゃ寒いんだけど……」
学園都市ノアでは、雪が降るにはまだ早い季節だが、北の大地のヘントセレナではちょうど初雪の頃だ。そんな土地に、今日から数日間、お世話になる。
ちなみに、準備や下調べは、罰として、すべて、あかねにやらせた。ただ、あかねだけでは心配だったので、もちろん私も調べておいた。あかねには当日まで黙っておいたけれど。
結果、電車の乗り継ぎには失敗。時計を読み間違えるわ、反対の電車に乗りそうになるわ、行きだというのに、お土産を買いたいと言い出すわで。まなをこちらの事情に付き合わせていることもあり、結局、私が引っ張っていくことになった。
もちろん、私とまなは十分に暖かい服装をしてきたが、あかねはそこまで頭が回らなかったらしく、ノアにいるときと変わらない装いだった。寒そうだが、何も貸してやる気はない。私は怒っているのだ。──まあ、風邪は引かないだろう。馬鹿だし。
「嫌がらせ、の意味もあるでしょうね。魔王の養子となった私が行き来するときに、嫌な思いをするようにと。しかし、それよりも、長年の使用で橋が老朽化していますから、工事費を集めたいのでしょう。以前であれば、私が魔法で直していましたが、そういうわけにもいかなくなってしまったので」
そう言うと、まなとあかねはそろって感嘆の声を漏らす。
「やっぱり、あんたってすごいのね」
「ありがとうございます。──素直に頼んでくだされば、こんな橋くらい修繕するんですが」
「でも、お金貰えないと、やらないよねえ」
「そんなお金があったら、簡単に高校を卒業できてしまいますから。気に入らないのでしょうね」
世の中、そう上手くはいかない。直したとしても、感謝の意を込めていくらか貰える、などと期待してはならない。城とは縁を切ったのだから。
善意だけで修繕してやってもいいのだが、それをやると、完全に魔力が回復するのに三日程度かかるので、やるとしても帰りだ。あかねほどの魔力があればその問題はないのだが、彼には技術と知識がない。
ちなみに、まなは新調したフード付きの白い上着を着用しており、列の頭が見えると、途端にフードを深く被り、私の袖を掴んできた。
彼女は、魔王の城から脱走してきたのだと、以前、あかねから聞いた。今でこそ、父親でもある魔王との関係は良好だが、その近辺に近づくとなれば、やはり、抵抗があるのだろう。
「すみません、まなさん。無理に付き合わせてしまって」
「別に、何でもないわよ。ただちょっと、怖いだけだから。本当に、ちょっとだけだから。だから、ちょっとだけ近くにいて? あと、ちょっとだけ寒くて」
何この可愛い生き物。いつもより、もこもこしてるし。くっついちゃうくらい近くにいてあげる。
「まなちゃんって、結局、まだ追われてるの?」
「──追われてるって、話したことあったかしら?」
首を傾げるまなに、あかねは大した動揺も見せず、適当に誤魔化す。
「魔王から聞いたんだよ」
「そう、まあいいわ。まだ追われてるかどうかは知らないわね。追われてる側からしてみれば、動きがない限り分からないもの」
何度聞いてもおかしな話だ。だからと言って、私たちにできることなんて、ほとんどないに等しいけれど。
──以前、宿舎に来たとき、魔王は深く反省しているようだったし、何か別に関心事があるようだった。動きがないことも考慮すると、その『別件』を上手く利用して、まなから注意を反らしたという可能性も十分にある。
とはいえ、何の説明もないというのは、やはり、解せない。
「まなさんは、それでいいんですか?」
「何が?」
「お父様とは懇意になさっているのに、その部下の方からは追われているかもしれない。そんな矛盾した状況が、苦しくはないんですか?」
お節介だと思い、今まで黙っていたが、なぜか今日は尋ねてしまった。すると、まなは間髪入れずに答える。
「別に? この白髪と、あたしが勇者の使命を背負って生まれたことが悪いんだから、仕方ないわよ」
「──まるで、聖人のようなことを仰るんですね」
怒る気力すら沸かない。いや、激昂したかったが、抑えた。彼女ならきっとそう言うだろうと、分かっていたから。
あかねは復讐に囚われているが、まなは、頓着がなさすぎる。もっと、自分のために怒ってほしいのに、自分が悪いとそう言うのだから、わけが分からない。
彼女が何を考えているのか、理解できない。なぜ平然としていられるのかも。それこそ、気味が悪いくらいだ。実は腹の底に、どす黒い感情を隠していると言われた方がしっくり来る。
「……嫌な言い方するわね。あたしが悪いのは事実なんだから、仕方な──」
「まなさんは、どうして自分ばかり責めるんですか!?」
──結局、怒鳴ってしまった。
まなは何も悪くないのに。私がこんなにも愛している彼女を、なぜそうも悪く言うのか。以前にも、自分はいなくてもいいなんて言わないでほしいと、そう伝えたのに。
彼女が私を想ってくれているということは、溢れるくらいに伝わってくるのに、どうして私の想いは伝わらないのだろうか。こんなにも大好きなのに。
「……もういいです、知りませんっ!」
そう言って、そっぽを向くと、まなは私の袖をくいっと引っ張る。
「ごめんなさい、マナ。……許して?」
「許します!」
「四コマ漫画のオチ!」
謝罪するまなを抱きしめて、頭を撫でまくる。上目遣いでのあれは卑怯だ。可愛すぎる。うーん、ぬくい。
「てか、愛、今日どうしたの? 機嫌悪そうだけど」
「は? 誰のせいですか」
「それはもう、ほんとごめん。でも、宿題は終わらせたよ?」
呆れすぎて、言葉も出てこない。
「あのね、やるのが当たり前なわけ。威張るんじゃないわよっ!」
「べふうっ!」
彼は、私の気持ちを代弁してくれたまなに、でこぴんを食らっていた。あかねにしてはなかなかの進歩だが、まなの言うことが正しい。
「今後の約束も、忘れないでくださいね」
「もちろん、忘れてないよ。ちゃんと期限に間に合わせる。──だからさ、婚姻届、そろそろ出したいんだけど」
「勝手にしてください」
「それで、魔力の共有がしたいんだけど」
「そうですか」
「いや、そうですかじゃなくて……」
届けを出したら婚姻を結んだことにはなる。ただ、婚姻を結ぶ者同士は、魔力の共有をするのが通例だ。
噛み砕いて言うと、魔力の共有をすることで、相手の魔力を使ったり、相手に魔力を分け与えたりできるようになる。
ただし、これは魔法による契約によってのみなされ、契約には両者の合意が必要だ。
この契約は、一度結んでしまえば、そう簡単には破棄できない。両者の合意が必要となり、魔王とあかねの契約のように、対価による一方的な破棄はできない。
「ねえ、ほんとに反省してるんだって」
「そうですか」
「ねえ、愛……」
「つーん」
「あ、つーんってしてる……可愛い……」
私こそ、聖人ではないのだから、怒ったっていいのだ。まなも怒ってくれたし、ギルデルドも、それでちょうどいいくらいだと言ってくれた。だから、私は悪くない。
それから、身分証の提示に応じ、フードを被って、私たちはヘントセレナへと足を踏み入れた。
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