第4-2話 愛していたい

 こんなとき、最初に浮かぶのはレイの顔だが、彼女に甘えてしまうのは、それこそ、城を出た意味がないような気がして、気が引ける。そのため、部屋を出た私は、一階一番奥の部屋──つまり、私の真下の部屋をノックする。


「マナ様、どうされましたか?」


 開ける前に、中にいる人物から、そう声が掛かる。その後で、開けますね、と一声あってから、扉が開かれる。その人物は私の顔を見て、驚きを露にした。きっと、酷い顔だろうという自覚はあった。


「ギルデルド、散歩に行きます。ついてきてください」

「──はい。喜んでお供させていただきます」


 しかし、赤髪の青年──ギルデルドは、涙の理由を聞かないでくれた。


 昔から変わらず、犬のように従順な彼の優先順位は、私が一番、後はそれ以外のすべてとなっている。


 だから、私が気を使ってやらないと、すぐに自分を蔑ろにする。


「今は何をしていたのですか?」

「後一時間以内に提出しなければならないレポートを、大急ぎで仕上げていました。ですが、マナ様との散歩の方が──」

「終わってからにしなさい。それまで部屋で待たせていただきます」


 了解を得る前に部屋に上がる。──見慣れた部屋だ。


 壁には私のステッカーがびっしり貼られ、天井には私のポスターが飾られ、部屋にある物はすべて、自作の私のグッズで揃えられている。


 極めつきは、着ている服だ。私が背中にサインを書いた法被はっぴを、私が少し触ったというだけで、それ以来一度も洗わず、大事に着ている。さすがに汚いので、そろそろ洗濯してはと思うのだが。


「温かい飲み物でもご用意させていただきます」

「いえ、結構です。それよりも、早く終わらせなさい」


 コップを触り、口をつけたりしたら、永久保存されそうな気がするのでやめておく。まあ、すぐに洗えばいいだけの話なのだが、それはそれで保存されそうだ。


 そのとき、誰かが、扉を壊さんばかりの勢いで叩き始めた。おおかた、あかねだろう。


「愛、ごめん、言い過ぎた! 本当にごめん!」


 なんだ、言い過ぎたって。嘘つき。あれが本心なんだろ。──だって、思ってなかったら、あんなこと、嘘でも言えないもん。


「どうされますか?」


 赤髪に尋ねられて、即答する。


「無視してください」

「かしこまりました」


 どうせ、すぐに謝るのが一番だと思ってるから、そうしているだけだ。心の底では全然、少しも許してなんていないに決まっている。そんな謝罪はお断りだ。


 扉を叩く音と謝罪の声は、やがて、聞こえなくなった。


 数十分ほどの後、ギルデはなんとか課題を間に合わせて、伸びをする。これだけ期限寸前で、よく散歩に行こうと言えるものだ。


「では、行きましょうか」

「──表から出ると待ち伏せされている可能性があるので、窓から出てもいいですか?」

「はい。もちろんです」


 それから、私はギルデルドと散歩しながら、事の顛末てんまつを話していた。彼とは物心ついたときからの付き合いで、レイの次に信頼のおける相手だ。


 そのため、あかねとの間に起こったことは、彼が勇者でないということや、彼が復讐を望んでいること以外、だいたい話せる。


 そこで、復讐という言葉は隠して、願いという形で誤魔化して伝える。──もしかしたら、下の階なので、喧嘩の内容が筒抜けだった可能性もあるが、私の顔を見て驚いていたから、それはないだろう。ともかく。


「どう思いますか?」

「まずは、こうして、マナ様のお言葉を聞き、悩みを共有できることを、大変、光栄に思います」


 いつも似たようなことを言っているので、聞き流す。


「マナ様は、本当にお優しい方ですね。彼が羨ましいです」

「優しくなんてありません。本当に優しい方なら、こんなことで怒ったりしないです」

「そう考えること自体、優しいのです。それだけ、相手を想っているということですから」

「そんなことありません。いつも、自分のことばっかりだと、誰かさんにも言われました」

「マナ様の場合は、それでちょうどいいくらいです。むしろ、いつもあかりのことばかりではないですか」

「そんな人、知りません。むしろ、大嫌いです」

「ご存知ではないですか」

「知りませんっ」

「ははっ、可愛らしい怒り方ですね」

「ちゃんと怒ってます!」

「はいはい」


 しばらく経ち、怒るというのは、想像以上に疲れるものだということに気がつく。すると、次第に怒りも収まってきて、代わりに、後悔が心の大半を占めるようになる。


「……彼を選んだのは間違いだったのではないかと、そう、思ってしまって。別れたままでいた方が、お互いによかったのではないかと」


 婚姻届も、本当はあの場で、破り捨ててやろうかと思った。だが、あれがなければ、二十歳まで私たちは結婚ができない。


 そうなれば、子どもに迷惑がかかる。──その気持ちが、私を踏みとどまらせた。


 いつからか、私の中では彼よりも、お腹の子の方が大切になっていたらしい。「私の一番はあなたです。そこが揺らぐことはありませんから」なんて、嘘もいいところだ。私も彼も嘘ばかり。どうせ、表面だけの関係だったのだ。


 ──もし、本当にそうだったら。それは、とても寂しい。


「大丈夫ですよ。あれでも、マナ様がお選びになった方です。あなたを一番、幸せにしてくれます」

「あれでもって……ふふっ。相変わらず、あなたはあかりさんと仲が悪いですね」

「──やっと、笑ってくださいましたね」


 眩しそうに目を細めるギルデルドに、私はこほんと咳払いをして、顔を引き締める。だが、もう遅かったようで、ギルデルドはさらに笑みを深める。


「一目見た瞬間に思ったのです。こいつは、僕の大切な物をすべて奪っていくだろう、とね」


 彼は、緑色の目を細め、虚空を睨むようにして、不機嫌を表していた。それから、手を差し出して、


「もし、マナ様が、僕と共に歩んでくれるというのなら、彼と仲直りするよう善所しますが」


 ──差し出される手を、少しだけ見つめて、その手を取ることは、決してないのだと悟る。私が取りたいと思う手は、ただ一つに決まっているから。


「それでも私は、彼を愛していたいので」


 すると、彼はゆっくりと手を引っ込めて、目を細めた。


「今の笑顔が、一番、素敵です。僕には、永遠に、引き出せない表情だ」


 ──一体、どんな表情だろうかと、顔をぺたぺた触って確かめると、ギルデルドは寂しそうに苦笑する。少し励ましてやるかと、私は彼に笑みを向ける。


「元気を出してください、ギルデルド。きっと、いい人が見つかりますよ」

「はは、酷いな。僕は、マナ様が生まれたその瞬間から、マナ様と結ばれる日を心待ちにしてきたのですよ?」

「知ってはいましたが、赤子に欲情するなんて、変態の極みですね」

「はい。僕以上にマナ様を愛している人は、この世にいません。それ故、僕は間違いなく変態ですが、それすらも名誉です」

「気持ち悪い」

「罵ってくださるそのお言葉ですら、ご褒美です」


 私は苦笑する。もちろん、彼の気持ちには気がついていたが、それはすべて、過去の話だ。


「──すみません、ギルデルド。それでも私は、あなたのことを、信じていますよ。レイの次に」

「彼女の次でいられるなんて、実に光栄です。それに、謝らないでください。もう、終わった話です。いつまでも未練がましくしていてはマナ様に嫌われてしまいますから、僕も、前を向こうと思います」

「本音は?」

「一番、と仰っていただけたらと。それに、しばらくは立ち直れそうにありません。マナ様の顔を見るのが辛くて辛くて──後で、部屋でこっそり泣きそうです」

「相変わらず、あなたはカッコつけるのが好きですね」

「マナ様の前では、特に」


 それから、他愛ない会話を続けていると、ふと、ギルデルドが尋ねる。


「今でも不思議なのですが、どうしてマナ様は彼をお選びになられたのですか?」

「え? そうですね……うーーーん」

「そんなに悩むことなのですか?」

「はい……。なにせ、いいところが一つもないので。──顔はいいですが、私の好みではありませんし。背はどちらかといえば、まなさんくらい小さい方が好きなのですが、私と同じくらいですし。健康面だと、足が心配ですね。宿題は全然やりませんし、目上の方に対する態度もなっていませんし。──おそらくは、一目惚れというやつなのでしょうね。あ、あと、落ち込んでいるときは、笑わせてくれます。気さくで友だちも多いですね。それに、人の悪口はあまり言いません。それから、私が頑張ったときは、ちゃんと褒めてくれます。少し小うるさいですが、部屋は綺麗で、身なりもきちんとされていますし。意外と、姿勢もいいんですよ。あとあと、家事は率先してやってくれます。お小遣いの多少で文句も言いませんし、最近はずっと一緒にいてくれますね。それから、私が求めていることを、何も言わなくても大体、察してくれます。──まあ、それが原因で喧嘩したんですけどね」


 うーん、そのくらいだろうか。


 とはいえ、一番は、人一倍努力しているところだ。そうは見えないだろうが、あれでも、毎日走り込みをしたり、腕が鈍らないように剣と魔法の訓練をしたり、日々、料理の試作をしたり、メイクの研究をしたりしている。


 その、鉄板が入っているみたいな硬い手が、彼の努力そのものを表していて、その手で頭を撫でられるのが、何より大好きだ。ギルデルドにも内緒だけど。


「……はあ」

「どうされましたか?」


 ギルデルドの重いため息の理由が分からずに、私は困惑する。そして、彼は、叫んだ。


「そんなの、勝てるかあああ!!!!」

「え?」


 ──もしかして、私って、無自覚?


***


 それから宿舎に戻ってきて、最後に私はこう言った。


「あなたに愛される人は、きっと、とても幸せですね」


 すると、ギルデルドはこう返した。


「僕にも、その自信はあります」


 と。


***


 扉を開けると、あかねが宿舎の室内の壁に手を当てているのが視界に入った。うっすらと魔法の気配がするところから見て、感情が抑えきれていないのだろうか。


「あ、愛──」

「部屋に来なさい」


 そう告げる私に、ギルデルドは余計な口出しをせず、すぐに部屋へと戻った。


 あかねの部屋に押しかけると、彼は本当に反省しているのか、部屋に戻るなり、できもしない正座をする。


「ごめん、愛! 謝りに行ったのに、喧嘩になっちゃって……。なんか、酷いこと、たくさん言った気がするし」

「私の方こそ、申し訳ありません。──妹さんの件に関しては、まったく許していませんが」

「ああ、うん、そうだよね。ほんと、ごめん。もう、絶対にしない。許してもらえるなら、何でもするから」


 本当にそう思っているのだろうかと、半信半疑になるが、これ以上、続けたところで水掛け論だ。私が彼を信じられないのだから、仲直りなどできるはずがない。


 そして、何でもと言われれば、お願いしたいことは、一つだ。


「誠意を見せてください」

「どうすればいい?」

「色々と、隠していますよね。まなさんと二人で何かしたり」


 あかりの目はまた泳いだが、表情は平然としている。また、いつも通り誤魔化すのかと思いきや、頭を振って、頷いた。


「隠し事は、あるよ」

「『呪い』とやらのことも、氷像についてなぜ知っていたのかも、まなさんものことも。私はまだ、何の説明も受けていませんよ」

「いや、それはさ、誰にだって、秘密の一つや二つ──」

「自由に発言できる立場だとお思いですか?」

「思ってません!」


 まなも結局、話す話すと言っておきながら、なんやかんやとかわし続けている。この際だ、二人まとめて、やってしまおう。


「次の連休に、まなさんと三人で、ヘントセレナの氷像を壊しに行きましょう」

「え? 急に話変わった?」

「泊まりで行く予定ですが、そのときに色々と話していただきます」

「そういう流れね!」

「それから、溜まっている宿題を、その日までにすべて終わらせておいてください。そして今後、宿題は期日を守り、赤点を取らないよう努めてください」

「ええ、それは、ちょっと──」

「はあ? それが無理だというのなら、今度は私の方から婚約を破棄させていただきます」

「うわあああっ! 嫌だ嫌だ、絶対に嫌だ! やります! 勉強ちゃんとします!」

「それから、こちらは記入しておきましたので、どうぞお好きになさってください。私は部屋に戻ります」


 最後に、婚姻届を机に叩きつけ、私は部屋へと戻った。

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