第4節 氷像の少女
第4-1話 許せない
必ず、帰ってきなさい。
***
あの日から一ヶ月ほど、私はろくにあかねと口を利かなかった。何か話そうとは思うのだが、何を話せばいいのか分からないし。いざ、顔を見ると、怒りが沸き上がってきて、殴ってしまいそうだったので、逃げていた。
今のクラスは担任の意向で席替えがない。そのため、変わらずあかねとは隣同士だ。しかし、前の席のまなが怖いのか、一度も話しかけてこない。下校時にはそれとなく後ろをついてくるが、会話ができない絶妙な距離感を保っている。
昼食の時間には、私はまなと机を合わせて二人で食べ、あかねはどこか別の場所で食べているらしかった。お弁当は食費の一部を負担することを条件に、まなが作ってくれることになった。
そんな、私たちの変化に気づいた生徒たちが、色々聞いてこようとするのを、まなが目力一つで寄せつけないようにしていた。
「まなさん。そろそろ、あかりさんと──」
「ダメよ。あんなの、許されるわけないでしょ。どうせ何が悪いかも分かってないんだから。あっちから謝ってこない限り、放っておきなさい」
「ですが、あかりさんと旅行に行ったり、あかりさんと両親学級に参加したり、あかりさんと手を繋いでお散歩したり──」
「じゃあ、許してあげたら? あんたが許せるって言うなら、あたしは何も言わないわ」
そう言われると、返事に困ってしまう。あれを許せるほど、私は強くなかった。
一言、許すと言えばいいのだろうが、それがどうしても言えない。──いや、いい子ぶるのはよそう。
私は彼を、許す気はない。だから、許すなんて、嘘でも言えない。
なんて返事もせずに考え込んでいると、まなが仕方ない、というように、ため息をついた。
「まあ、出産してからでも、たまになら、あたしとギルデで面倒見てあげるわよ。だから、旅行はそんなに心配しなくていいわ。両親学級は……そうね、あたしと二人で行く?」
「それも素敵ではありますが、やはり、あかりさんと行きたいです」
「素敵ではあるのね……」
冗談のつもりだったらしい。それでも、本気と知れば付き合ってくれるのだろうが。
「放っておいても、あかりさんはちゃんと気がついてくれるでしょうか」
「そうね……まあ、大丈夫よ。多分ね」
「そうでしょうか」
「案外、明日か明後日くらいにでも、謝ってくるかもしれないし」
***
階下から聞こえる声で、私は夜中に目を覚ました。もう何度目か、まなとあかねが話しているらしい。──いや、もう一つ、声が聞こえる。
「もう、こんな夜中に何……?」
様子を見に行くか、聞き耳を立てるか考え、結局、寝ることにした。
***
翌日のことだった。その日は休日で、まなは早朝、宿舎を出て、今日明日と、どこかへ泊まりで出掛けると言っていた。
私がベッドで暇をもて余していると──突然、ノックもなしに扉が開かれて、あかねがずかずかと部屋に踏み入ってきた。何事かと思っていると、少し離れたところで土下座を始めた。
「ほんとごめん!」
無意識にシーツの端を掴んで引き寄せる。今は、まなもいない。ただひたすらに、彼のことが怖い。
ふとした拍子に、彼を傷つけてしまうかもしれないから──いや、そんなに綺麗な思いやりは、もう、ここには、ない。
ただただ、怖い。怖い。怖い。
「僕、馬鹿だから、全然何も考えてなくて、ごめん!」
急にそんなことを言われても、謝罪の言葉が、全然、頭に入ってこない。困惑、恐怖、苦悩。そんなもので脳は支配されている。
「優しさに漬け込もうとしてごめん! 全然、そんなに深く考えてなかった! ほんと、いいって言われたらラッキーくらいにしか思ってなくて、えっと、その──もう、気が済むまで殴って!」
黙って頭を下げ続けるあかねに、ようやく、少しだけ考える余裕が出てくる。
「それは、殺せということでしょうか?」
「うん! ……いや、殺さない程度に!」
謝り方も一級品だ。こんな風に謝られたら、許そうと、そう思ってしまう。──普通なら。
でも、私は知っている。彼の言葉は、そのほとんどが嘘だということを。
「もう二度と、あんなこと言わないし、しないから! 本当に、ごめんなさい!」
口先だけなら、なんとでも言えるのだから。
「それを、私はどうやって信じればいいのでしょうか?」
彼は言った。「諦める」と。それにも関わらず、もう一度だけだのと、わけの分からないことをほざいたのだ。そう簡単には、信じられない。
そして、
「信じてくれなくてもいいから! 僕を、ずっと、君の側にいさせてほしい! お願いします!」
──。
「信じてくれなくてもいい? 何それ。──ふざけんなッ!!」
一度、限界を超えた我慢は、留めることができないのだと知った。
「私があなたを信じてないと思ったの? 信じてもいいって、そう言ったくせに!」
「いや、そういう意味じゃ」
「あなたの言葉はいっつも薄っぺらで、耳心地だけよくて、そこに何の想いも込もってない! だから、信じなくていいなんて、簡単に言えるんでしょ!?」
「簡単に言ってるわけじゃな──」
「嘘。嘘、嘘!」
「嘘じゃない」
「信じない! だって、全部、演技なんでしょ!?」
焼き切れるくらいに熱く、彼の黒瞳を見つめると、瞳孔が小さく引き絞られるのが見えた。
「私の理想、私に対しての完璧な答え、私が言ってほしい模範解答を、そのままなぞってるだけ。そこにあなたの想いなんて、少しも入ってない!」
「……それは、さすがに、酷いんじゃない?」
顔には寂寥が浮かぶ。だが、視線はかすかに泳いだ──動揺が見える。
「だって、あなたと話してると、教科書と話してるみたいだもん。どうせ、他の子に使った言い回しを引用してるだけでしょ? 私が気づいてないとでも思った? 今のあなたの言うことは、全部、ツクリモノなんだって、私には分かるの!」
「……君に何が分かるのさ。大体、君は、いっつも、自分のことばっかじゃん」
「そっちだって、私のことなんて全然考えてくれてない! それに、何も教えてくれないのに、分かるわけないでしょ!? 氷像のことも、呪いのことも、まなさんとのことだって、何も教えてくれない!」
「動物園みたいな城で、見世物として大切に大切に育てられてきた君に、何を言ったって、分かるわけがないだろ」
「動物園……っ!?」
「ぬくぬく育ってきたんだから、一生、檻の中にいればよかったんだ」
「……じゃあ、なんで連れ出したりしたの」
「それは。」
あかねは瞳の揺らぎを、まばたき一つで消し去る。
「君を。美しくて、綺麗で、可愛い君を」
「──めちゃくちゃに、壊してやりたかったからだ」
壊したい? ──何それ。
「ほら。やっぱり、分からないじゃん」
「そんなの、分かるわけない……」
少しも、分からない。分かってあげたい。でも、何がどうしてそうなるのか。一つも分からない。分かる気がしない。
「ベルさんを傷つけようとしたのも、壊したかったからなの?」
「違う。全然違うね。僕が壊したいのは君だけだよ。ベルは単に、許せなかったからだ」
「あなたは、許せなかったら、目を潰そうとするの?」
「いや、さすがに普段はあんなことしないよ。あれは、ちょっと、僕もおかしかったっていうか。ま、命がかかってたからさ」
──分かんない。なんで、いつも通りでいられるの?
「今、分かんない、って思ったよね? どうして、壊したいなんて言っておいて、そんなに平然としてるのかって」
「──」
「君みたいに穢れを知らない、綺麗なお姫サマを見ると、めちゃくちゃにしてやりたいって、僕はそう思うんだよ。それが普通で、それが当たり前で、それが僕なんだ。──それとも、最初からこう言ってたら、君は僕を好きになってくれたのかな」
彼は私の鎖骨をなぞり、指の背で喉を撫で、そのまま顎を、少し持ち上げて、黒瞳に私を映す。
「本当に、綺麗だね」
その言葉は、嘘ではないと、瞳が証明していた。その瞳の真実に問いかける。
「私のことが好きだって、そう言ったのも、初めから、全部、嘘だったの?」
「それは本当だよ。僕は君を、心の底から愛してる。だから、君を壊さない」
「どうして?」
「だって、壊したら、壊れるから」
彼から、目がそらせない。瞳の奥にしまい込んだ闇に、吸い込まれる──。
「そういうところ、直した方がいいよ」
気がつくと、彼は私の隣に腰かけていた。
「そういうところ?」
「危ないって分かってて、あえて、それに突っ込むところ」
「どうして?」
「そんなの、死んでほしくないからに決まってるじゃん」
何が本当で何が嘘なのか。分からない。
壊したいと、死んでほしくないが同居する、彼の在り方が理解できない。それでも。
ただ、彼に、愛されたい。
「もし、私が、壊してほしい、って言ったら、そうしてくれる?」
「そんなことしなくても、僕は君を愛してるよ」
「でも、あの子のことが忘れられないんでしょ?」
「もう忘れる。本当にごめん。嘘をついてないか魔法で確かめてもいいし、なんなら、魔法で記憶をなくしたっていい」
「そうでもしないと、私を選べないの? そんなの私は望んでない!」
「そうでもしないと、信じられないんだろ!?」
至近距離で見るその顔は、濃い怒りの色を表していたが、その声には、うっすらと、涙の色が滲んでいた。
だが、言葉が想いを置き去りにしていく。
「信じてた! 信じてたのに……。復讐なんかのために、あなたが裏切ったんでしょ!?」
「──なんだよ、復讐なんか、って」
しまったと、そう思ったが、もう遅い。逃れるより先に、両手首が壁に押しつけられる。力ずくで抜け出そうとしても、魔法でも使っているのか、びくともしない。
──怖い。
「もう一回言ってみろよ」
だからこそ、声を張り上げる。
「あなたの復讐したい気持ちなんて、私には、これっぽっちも分かんない! そんな馬鹿なことのために、どうして、そんなに傷つかなきゃいけないの!?」
あなたが笑ってくれるなら、誰に復讐したっていい。
あなたが本当にしたいことなら、なんだってさせてあげたい。
あなたの幸せの次に、私の幸せがある。
──だから、そんなに辛そうな顔をしないで。
「そんなに知りたいなら、身体でも売って稼いでこいよ!!」
黒の双眸に映る黄色の瞳から、涙が一筋流れると、わずかに彼の力が弱まる。その一瞬の隙をついて、彼を押し倒す。
「そうしたら、信じられるの?」
私のことを。
「そんなの、君次第だろ」
私があなたを。そう聞こえたのだろう。
「あなたは、私にそうしてほしいの?」
「君が分からないって言うから、そう言っただけだ」
「私がそういうことをしても、あなたは平気なのかって聞いてるの!!」
「好きにすればいい」
怒っていても、あなたは嘘ばっかりだ。
──信じられないのは、どっちだよ。
「ふんっ!」
頭を大きく振りかぶって、思いきり頭突きを食らわせる。
「あでっ!?」
「最っ低! もう二度と話しかけないで! それから──だ、大っ嫌い!!」
もう少し、言いようがあっただろうと思いつつ、私は扉を勢いよく閉めた。
言葉の最中から、後悔は始まっていた。それでも、止まることはできなかった。
──優しい彼に、酷いことを言わせてしまった。言ってしまった彼自身が、一番傷つくような言葉を。
きっと、今でも、彼は私に愛されていないと、そう思っているのだろう。自分には、その価値がないと。
それが、どうしても、耐えられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます