第3-18話 耐えろ

「触ってもいいですよ」

「ほんとー!?」

「ちょっと、愛……」


 だが、このままでは、あかねが納得しない。となれば、妥協点を提案する必要がある。


「その代わり、まなさんで練習してからにしてください」

「は? あたし?」


 私はまなから離れ、大恩のある彼女の身柄をベルに差し出し、あかねの手を引いて走ってその場を離れる。身重とはいえ、そこまで速度は落ちていない。激しく動きたくない、というだけで。


 それだけで嬉しそうなベルが、うきうきしながらまなの手を掴むと、変身が解けて元のドラゴンの姿に戻る。まなに触れると、魔法が使えなくなるからだ。黒い鱗のドラゴンは、大きな尻尾をぶんぶん揺らすだけで、暴風が起きる大きさだ。


「く、苦しい……」


 一方、まなは全身を鷲掴みにされ、締めつけられていた。ベルは慌てた様子で、鋭い爪の生えた手の力を緩め、まなをそっと地面に下ろす。


「まなさんの許可が出たら触らせてあげます」

「分かった! 頑張る!」


 ベルはまなのお腹を爪でちょんちょんつつく。まなは、少しちくっとするようで、ぴくっと体を震わせて、弾かれるように少しずつ、ベルから離れていく。そんな様子を見ながら、あかねを労う。


「あかりさん、お疲れ様でした」

「ほんっと疲れたあ」


 あかねは平原に四肢を投げ出して仰向けになり、腕を枕にする。


「もう二度とベルとは遊ばない」

「そう言って、なんやかんや、遊んであげているではありませんか」

「恨みを忘れた頃に依頼が来るからねえ……ま、でも、魔王城からお金出るし、仕事と思えばぎりぎり耐えられるかな」

「相変わらずですね」


 嘘でも、ベルに情がある、とは言わないのが、彼だ。とはいえ、彼がここまで敵意をむき出しにするのも珍しい。


 ──基本的に、私とまな以外の誰に対しても無関心か、嫌悪感を抱いているかのどちらかだが、それを隠して上手くやっている節がある。


 分かりやすいところだと、クラスメイトがいい例だろうか。


 校庭の砂が溶けた一件で関わった、ロアーナというクラスメイトがいる。


 それ以来、何かと話す機会も増え、あかねも私たちに接するのと同じように接しているのだが、おそらく、彼はロアーナの名前すら覚えていない。君、とか、ねえ、とばかり呼んでいる。


 それでも、彼が友好的な態度を取り繕っているのは、ロアーナが、私やまなと仲がいいからだろう。それに気づいていないロアーナは、少し気の毒ではあるのだが──それは別のお話。



 きっと、彼がベルに対して敵意を見せるのは、彼女が朱里に似ているからなのだろう。


 意識をまなたちに戻すと、どうやら、練習は進んでいるらしかった。


「ねね、まな、これはどう?」

「まだ強いわね」

「じゃあ、このくらい?」

「まだ重いわね」

「じゃあ、こう?」

「まだまだね」

「でも、これ以上弱くすると、手が、震、震え、あっ──」


 小刻みに震えるベルの手が、緊張で大きく震える。そのままの勢いで、ベルの手がまなに吸い込まれていき──咄嗟に瞬間移動して、障壁を張ったあかねが、まな共々、後方に数メートルほど吹き飛ばされる。


「わー、危ない危ない……。お兄ちゃん、ありが──」

「やっぱりダメだ。君には触らせられない。危険すぎる」


 その眼光は、久々に見る鋭さだった。最後にこの目を見たのは──朱里が自殺した直後だったか。


「今のはたまたまだもん。次はちゃんと頑張るもん」

「頑張ればなんでも許されるわけじゃない。君はドラゴンで、僕たちは人なんだから」

「ドラゴンも人も、仲良くなるには関係ないよ!」

「関係ある。君の存在は僕たちにとっては、恐怖でしかない。力加減を少し間違えただけ。ただのうっかり。それじゃ済まないんだよ」


 彼がここまで怒りを露にしているのは、相手がまなだったことも一因だろう。他の人とは違い、彼女には魔法が効かない──そう、怪我を治せないから。


「そんなこと言われても……。別に、わざとじゃないもん……。ちょっと触らせてくれたら、すぐに帰るから──」

「わざとじゃなかったら、何をしても許されるのかよ。そんなわけないだろ。だいたい、いつもいつも、こうやって癇癪を起こして、地形を変えて、暇だからって理由だけで呼び出してさ──」


 大気が凍てつく。上空に歪な氷柱が顕現し、勢いよく、ベルセルリアの目に向けて、真っ直ぐに飛んでいく。


 基本的に、ドラゴンに魔法の攻撃は効かない。だが、口内や内臓、目など、どんな生物にでも共通の弱点はある。


 氷柱が近づいていく。


 ──本気で当てるつもりはないはずだ。


 きっと、寸止めしてくれる。


 あかねは、誰かを無意味に傷つけたりはしない。


 そう信じて──。


 それが当たる直前で、私は障壁を張り、氷柱を弾き落とした。


 それから、口を開きかけるあかねの腕を、思い切り握る。


「いっ──!?」


 そうして、無理やり黙らせた。あかねがどんなことを言いたかったのか、これでも、ベルには伝わっていない様子だった。


 ──迷惑だ。死ねばいいのに。消えてくれ。


 おおかた、そんな言葉を続けようとしたのだろう。陳腐で、子どもっぽいが、確実に相手を傷つける言葉だ。


 その続きを言ったところで、ベルには本気だと伝わらなかった可能性もある。だが、相手が鈍感だから、何を言ってもいいというわけではない。──その悪意は、しっかりと伝わる。子どもでも分かることだ。


「お兄ちゃん、何か怒ってる……?」


 ベルはあかねの顔色を伺い、人の姿になって、私の後ろに隠れるようにして縮こまる。一方、彼は私の手を掴んで下ろし、


「何か怒ってる、じゃないでしょ……。なんで、こんなことも分かんないかな……」

「ボクのこと、嫌いになったの……?」

「──」

「あかりさん」


 それでもまだ、何か言いだげなあかねを、私は声で制止する。その先は、ベルを傷つけることになる。何より、


「それは、この子の前で、胸を張って言えることですか」


 その一言で、あかねは、黙り込んだ。それから、しばらく、己の中で葛藤し、我慢するように唇を強く噛む。


 それから、血の滴る唇を親指で雑に拭い、短髪の頭を片手でかく。大きく息を吸って、肺から空気を出し、


「……それでも、僕が悪いとは思わない」


 謝る気はないと、そう言ったのだった。


 ──正気を疑った。ドラゴンであっても、角膜を傷つけられれば、治療など、簡単にできるはずがない。それを、躊躇いもせず、潰そうとしたのだ。


 何を言われても、何をされても、それはやってはいけないことだと、分からないはずがない。それなのに。


 私はため息を飲み込んだ。彼の浅慮と短気は今に始まったことでもないと、自分を無理矢理、納得させるしか、怒りを抑える方法を見つけられなかった。


 あかねは、すぐにでも帰りたい、という雰囲気を出していたが、私とまながいるため帰るに帰れず、結局、そのまま草地に横になった。


「あかりもまだまだ子どもね」

「うるさいなあ……」


 まながそう茶化してくれたが、それに軽口で返すこともできないほどに、あかねは不機嫌そうだった。こんなもの、子どもの喧嘩よりも、幼稚で稚拙だ。常識とか、そういうレベルですらない。


 そんなあかねの気持ちは分からないが、私でさえ、ベルを見ていると、あかねの妹のことを思い出す瞬間がある。


 ──琥珀髪のツインテールに黒い瞳。勇者でない彼女は、使用人として城に雇われ、今、ベルが着ているのと同じメイド服で働いていた。背丈は小さく、ちょうど、まなと同じくらいだったのを思い出す。もっとも、彼女の場合、成長期前だった可能性が高いが。


「お兄ちゃん、怒ってるの……? ボクのせいなの?」

「ほんと、なんで分かんないかが分かんない……はあ」

「なんでか、言ってくれないと分かんない。ねえ、まな──」

「そのくらい、自分で考えなさい。そもそも、嫌がることをして喜ぶやつなんて、この世にいないわよ。あかりと違って子どもじゃないんだから、そのくらいは言わなくても分かるでしょ」

「別に、僕も子どもじゃない」


 縋りつくような視線を向けるベルを、まなは一蹴した後で、優しさを見せる。そんなまなの言葉を、あかねは不機嫌そうにしながらも否定する。


 一方、ベルはそこまで言われても分からないのか、うなだれた様子で、今度は私に助けを求める。


 私はまなほど、優しくはない。


 ──だから、あかねが激怒していることに関して、ベルは悪くないと思っている。


 彼女が謝るべきことは、私たちに対する嫌がらせの方であって、あかねが求める謝罪とは、一致しない。


 そうして、私は彼女の手首を掴み、その手をそっとお腹に当てる。ベルが謝る必要はないのだと知らせる意味で。


「わ、わー……! すごーい……」

「愛、やめなって──」

「大丈夫です」


 そうして、また、あかねの言葉を封じる。


「ねーねー、蹴ったり動いたりするの?」

「まだそんなには。たまに、少しだけ動くのを感じますが」

「へえー……! ありがとう、勇者ちゃん!」


 その笑顔を見れば、許そうと思ってしまうのが、ベルの魅力であり、憎めないところだ。


 ──それから、感触をしばらく堪能した後で、ベルはゆっくりと手を離し、あかねに頭を下げる。


「お兄ちゃん。さっきは、えっと、よく分かんないけど、ごめんなさい」


 あかねが少し苛立ったのを感じる。それでも、私が視線で諭すと、彼は投げやりに言った。


「……いいよ、別に。何もなかったし」

「うん! まなも、つつかれてくれて、ありがとう!」

「まあ、役に立てたなら良かったわ」


 そうして一通り挨拶を終えると、満足したような笑みを浮かべる。


「みんな、今日は遊んでくれてありがとう! また遊びに来るね! ばいばーい!」


 そうして、ベルはドラゴンの姿に戻ると、別れの余韻すら残さず、風のように森の方角へと去っていった。


「……はあ。帰ろう。僕はもう、疲れたよ」


 そんな彼は、ため息一つで、いつもの笑顔に戻る。


 ──初めて、彼の笑顔を恐ろしいと感じた。


「お疲れ様。ちなみに、報酬って、どのくらいなの?」


 まなの問いかけに、あかねはいつもの調子で答える。


「この間の魔術大会とぴったり一緒。めっちゃ美味しくない?」

「さすがあたしのお父さん、分かってるじゃない」

「あの人、多分、お金の計算とかだいぶ雑だよねえ」


 ──あのとき、まながいてくれなかったら、私は思いきり、彼を殴り飛ばしていたかもしれない。


 自分が害を加えようとしておいて、その拗ねた態度は何なのかと。


 傷つけようとした相手に、謝罪の一つもまともにできないのかと。


 結果的に、ベルは怒っていなかったし、それどころか、自分が悪いのだと謝った。いや、謝らせたのだ。


 それは、人として恥ずかしくはないのかと。一体、今まで何を学んできたのかと。教えられないと、こんなことも分からないのかと。


 ──父親になる覚悟はあるのかと。

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