第3-17話 愛で押し潰してあげる

「……遅いよー。もう、待ちくたびれちゃった」


 到着すると、ベル──ベルセルリアはすっかり疲れた様子で、顎を平原の上に載せ、目を閉じていた。


「催促するにしても、もう少しやり方を考えてください。迷惑です」

「ええー? だって、飽きたんだもん」

「だってじゃありません」

「ええー……」


 つまらなそうに不満を言っていたベルだったが、ひくひくと鼻を動かし、私の背後にいるあかねに気がつくと、ころっと機嫌を直して目を輝かせる。


「あ、お兄ちゃん! いたなら声かけてよね、もう!」

「だから、僕は君のお兄ちゃんじゃないんだって、何回言えばいいの?」

「えー? だって、お兄ちゃん、お兄ちゃんって呼ばれるの嫌いでしょ?」

「いや、僕に何か恨みでもあるの?」

「ううん、ボク、お兄ちゃんのこと大好きだよ!」

「ボクっ娘も好きじゃないんだけど」

「でしょでしょ? だから、嫌がらせっ」


 そう言って、ベルは少女の姿に変身する。黒髪ツインテ緑瞳。ミニスカの黒メイド服と白いフリルのついたエプロンを着用しており、こうすると、身長はまなと同じくらいになる。


「小さくなった!?」

「ん? んー?」


 叫びを上げたまなに気がつくと、ベルは初めて見る彼女に顔を近づける。それから、全身を舐めるように見回して、鼻をひくひくさせる。


 ──ていうか、近いんだけど。私のまなさんなのに。今すぐ、可及的速やかに、早急に離れてほしいけど……まあ、ドラゴンの挨拶みたいなものだし、我慢我慢。


「あ、かっちゃんのとこの子でしょ! ボク、ベルセルリア! ベルって呼んで!」

「あたしはマナ・クレイア。依頼を受けて、あんたと仲良くするためにここに来たわ」

「じゃあ、まなだね!」


 まなと呼ばれた彼女の表情が少し、硬くなる。元々、彼女は名前で呼ばれることを苦手としている。そのため、馴れ馴れしい呼び方をされれば、不愉快に思うのも当然というもの。


 こんな感じで、見ただけで人の嫌がることを当てるのは、ベルの特技だ。


「この子のことはなんて呼んでるわけ?」


 とはいえ、たいして気にした様子もなく、まなは私の方を見る。すると、ベルは嫌味たらしい笑みを浮かべて、


「勇者ちゃん」


 と、そう呼んだ。勇者になれなかった相手を勇者と呼ぶなんて、なかなかのセンスだと、呼ばれる度に思う。


「人の嫌がることばかりしてると、誰も遊んでくれなくなるわよ?」

「いいもーん。遊んでくれないなら、この土地滅ぼしちゃうだけだもーん」

「あんた、相当嫌われてそうね」

「誰からも嫌われてないよ? お兄ちゃんも、勇者ちゃんも、まなも、ボクのこと、好きでしょ?」


 こういうところは、相変わらずだ。


 ちなみに、こう見えても、ベルセルリアは、最古のドラゴンと呼ばれるチアリターナの次に長生きのドラゴンだ。そして、チアリターナの親友──のようなものだったりする。


「まあ、あんたのことなんてどうでもいいわ。さっさと依頼を終わらせましょう。──それで、何をすればいいわけ?」


 まなが尋ねると、ベルは答える代わりに、あかねに飛びつく。それを、あかねは全力で避ける。


 あかねに受け止められなかったベルは、地面に落下し、結果、クレーターができた。


「もう、お兄ちゃん何で避けるの!」

「いや、避けるでしょ。姿変わっても重さは変わらないし。そもそも、触ったら吐くし」

「え、そんなにボクのこと好きなの? なんか、照れるなあ……」


 どういう思考回路をしているのか、よく分からないが、あかねにべたべたするので、私は彼女が苦手だ。先ほど、まなにも近づいていたので、ますます苦手になった。


「それで、依頼内容を詳しく説明してくれるかしら? 仲良くとしか書かれてなかったけれど」

「ええー、説明とかなくてもだいたい分かるでしょ?」

「分かんないから聞いてんのよ。分かる?」

「んー、今、お兄ちゃん追いかけるので忙しいから、後で!」

「ほんとにやめて」


 あかねが嫌がれば嫌がるほど、ベルは喜んであかねを追いかける。あかねの方は声のトーンが低い上に、顔に、無理、と書いてあるので、本気で嫌なのだろうが、頑張ってもらうしかない。これが依頼なのだから。


 ベルが口から炎を吐くと、あかねは砂を巻き上げて消火する。


 ベルが隕石を降らせれば、あかねは重力を操り、宇宙へと打ち上げる。


 ベルが火山を噴火させれば、あかねは火砕流を砕き、細かくした後で水と混ぜて地下深くに埋める。


 ──うん。やっぱり、ドラゴンと遊べるのはあかねくらいだね。


「ああやって、ベルさんを遊ばせて満足させるか、寝るまで疲れさせるのが依頼です。こうしてたまに発散しに来るんですよ」

「へえ。ところで、あんたたちは、なんで知り合いなの?」

「昔は度々、脱走していたので、何度か連れ戻すうちに」

「脱走……?」


 こくっと、可愛らしく首を傾げるまなに、私は答える。


「ドラゴンは原則、その土地から出てはいけないんです。ドラゴンを実際に見たことのある人はそんなにいません。それが、空を飛んでいたら、恐怖を感じる人も多いでしょうから、我慢してもらっています。……しかし、ベルさんですから」

「放っておいたら飛び回るわけね」

「そういうことです」


 たまに誰かが相手をしてやらなければならないのだが、ドラゴンと遊べる存在など、そうはいない。あかねでも手一杯なくらいなのだから。


「あたし、ドラゴンと遊んだことなんてないけど」

「大丈夫です。日頃、受けている恩は忘れていませんから。必ず守ります」

「ありがと。でも、無理はしないこと。分かった?」


 ──私もだんだん、魔法が使えなくなってきた。今は、普段の七割程度の実力しか発揮できない。子どもが大きくなると、魔法も身体能力も制限されるようになる。ある意味、嬉しい変化だが。


「まなさんの方こそ、ご無理はなさらないでください」

「無理なんてしてないわよ」

「どの口が言うんですか、この口ですか」

「ひへらいあお」


 まなの両頬を片手で挟む。何を無理しているのかと問われれば返答に困るが、それでも、三ヶ月ほど前から、休日の度に泊まりや日帰りで出かけて行くのは、間違いなく、何かしている証拠だ。


 何度聞いても、まなは教えてくれない。あかねも何か知っていそうだが、教えてくれる気はないようだし。


「休日にこそこそと出かけて、一体何をしているんですか」

「別に、やましいことはしてないわ」

「じゃあ、なんで隠すんですか。私のためですか。私のため、私のためって、本当に私のためなら、私のお願いを聞いて、教えてください」

「あんた、なかなか面倒な子ね……」

「全責任はあかりさんにあります」


 あかねに隠しごとをさせておくと、本当に、ろくなことにならない。隠すと決めたなら、せめて、バレないようにしてほしい。そうでないと、気になって仕方ない。


 それに、まだ、なんとなく、不安なのだ。何が不安かと言われると、はっきりとは答えられないのだが。


 本当に、私はいつも、自分のことしか考えていない。


「別に、マナを信頼してないわけじゃないわ。ただ、話す勇気がないってだけだから。マナが悪いわけじゃなくて、あたしの問題なの」

「なんですかそれ。まなさんの何が悪いっていうんですか。私がまなさんをこんなにも愛してるのに! まなさんのことを悪く言うなんて、いくらまなさんでも許せない!」

「ええ……。愛が重い……」

「重いって言うなら、押し潰してあげるっ」


 私はまなの後ろにくっついて、少しずつ、体重をかけていく。潰れるほどの愛を注げば、さすがのまなにも、私の愛が伝わるのではないかと。


 ──そう簡単にはいかないか。


「あはは、潰れちゃう潰れちゃう。──分かったわよ。あっちの話はしてあげる。こっちの話は機会があれば話すわ」

「全部話して──」

「こら。誰にでも、秘密の一つや二つ、あるでしょ」

「私にはありません」

「嘘ね」


 鋭い指摘だが、動揺は表に出さない。


 確かに私は、あかねとともに、まなの願いを利用しようとした。そして、それをずっと黙っている。


 他にも、近頃、まなの枝毛が毎日、三本ずつ増えていることとか、まなのうなじに星型のほくろがあることとか、まなの髪の毛を寝ている間に採取したこととか、色々と秘密にしていることはある。


 ──振り返ってみて、自分でもヤバイなと感じた。まあ、自覚があるだけまだマシだと思うことにしておこう。


「なんでもかんでも暴こうとすると、あかりに嫌われるわよ」

「それは、とても困ります。私にはあかりさんとまなさん、両方とも必要なんです。どちらが欠けても、生きていけません」

「欲張りね──。まあ、あんなこと言ったけど、あかりに関しては心配しなくていいわよ」

「まなさんは?」

「あたしがいなくたって、あんたは大丈夫よ」

「そんなの嫌です!」


 抱きついたまま耳元で叫ぶと、まなは驚いたように肩をすくめる。


「……まなさんがいなくてもいいなんて、そんなこと、もう、二度と、言わないでください」

「え、ええ──」


 どうしたら、思いの丈をすべて、余すことなく伝えられるのだろう。どうしたら、まなに思いが伝わるのだろう。


 言葉だけで伝われば、それが一番いい。でも、私の周りは、言葉だけでは物足りないと、欲張る人たちばかりだ。


 こうして抱きついていたって、愛していると言葉にしたって、何度名前を呼んだって、きっと、私の思いは伝わりきらない。


 それでもきっと、こうするしか、思いを伝える方法はないのだ。きっといつか、伝わると、そう信じるしか。


 ──とはいえ、最悪、伝わりきらなくてもいい。ただ、あかねやまなが、笑っていてくれさえすれば。


 こうして一緒にいられることも、近くで顔を見ていられることも、どちらも、私にとっては一番、幸せなことなのだから。


「こうしているだけでも、私はとても幸せですよ」

「そうしてる分には可愛いわね」

「はい、世界一、幸せです」

「あはは、本当に幸せそうな顔するのね」


 そうこうしていると、あかねがこちらに向かって走ってくるのが見えた。相変わらず、足が遅いなと思いつつ、到着するのを見届ける。


「お兄ちゃん、遅いー。つまんないー」

「愛あ、助けてえぇ……!」


 あかねが半泣きで膝にすがりついてきた。私が本気を出せばベルなど置き去りにできるのだが、なにせ、子どもがいるので、激しくは動きたくない。


「勇者ちゃん、かけっこしてー」

「申し訳ありませんが、今の私では役者が不足しています」

「ん? んー?」


 私はベルに見せるようにして腹を擦る。ベルはそれをじっと見つめて、


「わー、赤ちゃんだー!」


 今度はこっちに興味を持ち始めた。何をするか分かったものではないが、これでも、人に怪我をさせたことはないはずなので、大丈夫──だと信じたい。


「触ってもいい?」

「ダメに決まってるじゃん。何するか分かんないし」


 私が何か言うより先にあかねがそう言った。不機嫌を隠そうともせず、かなり警戒している様子だ。それは、私とこの子を大切に思うが故なのだろうが、そんなこととも知らないベルは不満げに口を尖らせる。


「ボク、何もしないよ?」

「いや、信じられるわけないじゃん」

「ええー、ほんとーに何もしないって」


 そう言って何気なく伸ばしたベルの手を、あかねが土魔法で壁を出現させて、遮る。


「やめろって言ってるじゃん」

「ええー、お兄ちゃんの意地悪ー……」


 あかねの恐怖は痛いほどに伝わってくる。彼は臆病だから、私やこの子を失うことを、恐れているのだろう。


 だが、拒絶されているベルは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。思い込みの激しい性格ではあるが、まったく傷つかないわけではないのだ。


 感情表現は稚拙で、顔にすぐ出るので、騙し討ちなどできるはずもない。人の嫌がることを本能的に選択するというだけで、腹に一物を抱えているような性格ではない。そもそも、我慢などできるタイプではないのだから、隠し事など不可能だ。


 そんな彼女が何もしないと言ったのだから、何もするつもりはないのだろう。


 もしかしたら、何もしないつもりで何かしてしまうことはあるかもしれない。


 それでも、そんなに拒絶しなくても、別に触らせてあげるくらいいいのではないかと、私はそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る