第3-15話 一つ目のモンブラン

「まあ、そういう難しい話は置いておくとして、つまり、まなちゃんは勇者なんだよ。ここまではいい?」


 あかねが話題を本筋に戻すと、まなは渋々といった様子で頷いた。


「ヘントセレナの氷像は勇者にしか壊せない。それで、今、生きてて、魔王を倒してない勇者は、まなちゃんしかいない。しかも、僕は壊すって、魔王に約束しちゃった。だから、壊すしかない。分かった?」

「あんたね……できない約束はするなって、何回も言ってるはずだけど?」

「いやいや、まなちゃんなら、手伝ってくれるだろうなあって思ってたから。僕はできる約束だと思ってるよ」


 まさに、取らぬ狸の皮算用というやつだ。だが、かなり正確な計算とも言える。まなが困っている人を目の前にして、放っておけるはずがない。


 とはいえ、まなから何回もお小言を言われているというのは、初耳だが。──そういえば、この間、ロビーで話し込んでいたのを見た。ああいうことが、何度もあったということだろうか。


「いいわよ、壊せばいいんでしょ、その氷像とやらを。……でも、そんなに重要なものなの?」

「いや、重要じゃなかったら、お願い一つに、完全無料で使い放題、維持費が浮くから、むしろお釣りが来るような家を、島ごとくれるわけないでしょ。あの場のノリなわけがないんだし」


 魔王の顔には、その場のノリで言いましたと、書いてあった。あかねも、当然、分かっていて言っているのでタチが悪い。


「しかも、スマホ付き! あ、まなちゃんも、この際、科学スマホ買ってもらったら?」

「あんたね……科学スマホなんて、空飛ぶ車と同じくらいの値段するのよ? 買えるわけないでしょ」

「いや、君のお父さん、魔王だよ? 魔王が買えなかったら、どこにも売れなくない?」

「そんな、何かの記念日でもないのに買ってもらえるわけないじゃない。記念日だとしても、プレゼントには高すぎるわよ。こっちからお断りね」


 相変わらず、強情だ。そして、真面目だ。──ただ、金額を調べているということは、多少以上は欲しい気持ちがあるのだろう。


「そのくらい、買ってやるぞ?」

「結構よ。今のところ、なくて困ることなんて、そうないし」


 魔王の誘惑にも乗らず、まなはきっぱりと断る。あかねもこれくらい、しっかりしてくれればいいのに。


「まなさんは、しっかりしてますね」

「そう? 別に普通でしょ」


 さらっと言ってしまう辺りがカッコいい。そんなことを思いつつ、半ば衝動に駆られるようにして、私はまなに後ろから抱きつき、肩に顎を乗せる。そして、逃げようとするまなを、がっちりホールドする。


「うわお、超可愛い……。マジ癒し……」

「娘たちで勝手に癒されるな」

「へへーん、いいでしょー」


 そう言いながら、あかねは写真を撮っていた。しかし、私たちを見る魔王は、顔をしかめる。


「余は女同士でベタベタするのはあまり好かん。故に、帰る」

「こ、この尊さが分からないなんて……。人生の半分は損してるね!」

「……ヘントセレナの件、終わったら報告しろ。雇用の件も早めに来い」

「はいはーい。そっちも、養子とか女王サマの説得とか、よろしくね」


 それから、魔王は怒る気力もなかったのか、抑えた感情をため息に変え、去っていった。彼の場合、瞬間移動はできないが、光の速さで動ける上、姿と気配を消すのも得意なので、安全かつ、短時間で遠出ができるのだ。──魔王向きではないが。


「ちょっと、マナ、人がいるところでは離れなさいよっ。……お父さんに変な誤解されてないかしら」

「でも、結婚してくださるんですよね?」

「は? あんた、魔王の養子になるんでしょ?」


 ──いや、養子になるけど、一瞬だよ? すぐに結婚するもん。あかねと。……なんだか、落ち着かなくなってきちゃった。結婚! 結婚! いえーい! えへへへへ……いやいや、落ち着いて、榎下愛。


「──つまり、これからは、私とまなさんは恋人ではなく、姉妹ということになるわけですね。どうぞ、お姉ちゃんと呼んでください」

「誰が恋人よ。それに、あたしのお姉ちゃんはれなだけだし、むしろ、あたしがあんたの姉かもしれないでしょ」

「ごめんにゃひゃい」


 まなに思いきり頬を引っ張られた。落ち着いたつもりで、全然、落ち着くことができていなかったらしい。まなもなかなかに変なことを言っているが。


「え、愛。まさかの浮気? いや、別に、浮気したって一番は僕だって分かってるから、まあ、いいんだけどさ──」

「馬鹿なんですか? むしろ、私はあなたが外で子どもでも作ってくるんじゃないかと心配です」

「そっちの方が酷くない!? 絶対ないって!」

「なぜそう言い切れるんですか?」

「察して!」


 顔を覆って、三角座りをするあかねを意識から外し、私はまなの耳元で、


「お姉ちゃん」


 と囁いてみる。


「は? あたしがあんたの姉なわけないでしょ? 気持ち悪いからやめなさい」

「きも……っ!?」

「大体、あんた、あたしでお腹隠すようになってから、距離感が近いのよ。背中がぞわってするわ」


 距離が近くなっているのは否めない。まなのことが好きだという気持ちを表現したいのもあるが、一番は、最近、何かと心が不安定だからだ。


 何かを抱き締めていると落ち着くのだが、まなのサイズがちょうどいい。それに、近くにいた方が、守ってあげられるし。


 ──でも、酷い!


「まなさんとは離婚します!」

「はいはい、どうぞ、あかりだかあかねだかとお幸せに。ケーキ、もらってくわね。お皿借りるわよ」


 そうして、まなはモンブランを持って、部屋に戻っていった。ちゃんと去ったことを確認して、私は独り言のように彼に問いかける。


「……利用していたこと、まなさんに言わなくて、本当にいいのでしょうか」

「ほんと、愛はまなちゃんのことばっかりだねえ。エトスじゃあるまいし、なんでも正直に言えばいいってもんじゃないと思うよ」

「それはそうですが──それにしても、お兄、国王様が、不気味なくらいに静かですね。すでに動きがあってもおかしくはないのですが」

「そうだね……」


 そのとき、ちょっとだけ、子どもが動いた感覚があった。体勢を変えたのかもしれない。狭いところに押し込められて、さぞ窮屈だろう。私にもわずかではあるが、そうした覚えがある。


「動いた?」

「はい。今まで動かなかったなんて、すごいですね。かなり空気の読める子かもしれません」

「読み過ぎて疲れちゃうかもねえ」

「あかりさんとは大違いですね」

「否定できない!」


 同じところに座りっぱなしで、疲れてしまったので、まなが買ってきてくれたケーキでも食べようかと、私はベッドから起き上がる。


「うわあっ!?」


 そのとき、まなの部屋から声が聞こえて、あかねがいち早く駆けつける。私も後から続く。


「……」


 そこには、モンブランを頭からかぶった魔王の姿があった。手には箱が下げられており、いかにもケーキが入っていそうだ。


「手土産を渡し忘れていたから、戻ってきた。余も一緒に食べようと、思ったのだが。……先ほどの箱は、そういうことか」

「ち、違うのよ? お父さん、いると思ってなかったから、お父さんの分だけ買ってきてなくて、言ったら可哀想だと思ったから黙ってたの。別に、仲間外れにしようとか、そういうわけじゃないのよ?」

「──皆で分けてくれ」


 そう残して、魔王は去っていった。


「お父さん! あー……まあ、いいわ。放っておけば機嫌くらいすぐ直るでしょ」

「えええ、一応、仮にもお父さんなんだよね? そんなぞんざいに扱っていいの?」

「すぐに帰らなかったお父さんが悪いわ。まったく、いつも間が悪いのよね。面倒だし」


 本当に、父娘仲がよろしいようで。──まあ、まながこの調子なら、私たちは何もしない方がいいだろう。彼女が気にしていないのだから。


「──まるで、未来のあかりさんを見ているようですね」

「僕、子どもにあんな扱いされるの!? 嫌だよ!?」

「まあ、未来のことは誰にも分かりませんから」


 ちなみに、魔王が持ってきたケーキは、すべてモンブランだった。ユタは栗が嫌いらしく、食べられなくて可哀想だった。


***


 ローウェルがいつものように一仕事終えて会議室に戻ると、そこに、箱が置かれていた。横にメモが付けてあり、「皆で分けてくれ 魔王カムザゲス」と書かれている。


「おお、魔王様からの差し入れっすね! 中身は……おお! モンブランっす! えーと、三、四、五個、ってことは、四天王とタルカさん──の五人で分けろってことっすよね。でも、きっと一人は来ないっすよねー」


 ちらと、辺りを見渡すと、ちょうど、部屋には誰もいなかった。


「早い者勝ちっと」


 そうして、モンブランを一つ、空間収納に入れる。最初に部屋にいると怪しまれるため、一応、指紋を拭き取り、いなかったことにしてその場を去った。


 ──それからしばらくして、会議室に戻ると、ウーラが頭を悩ませているのが見えた。


「どうしたんっすか?」

「あ、ローウェルさん。見てください、これなんですけど」


 そうして、初めて見るフリをして、箱を覗くと、自分が取った分を除いて、モンブランが四つ、入っていた。


「これがどうかしたんすか?」

「魔王様からの差し入れのようなんですが、私たち四天王の三人と、タルカさん、そこに側近を加えて五人いるのに、四つしかないんです」


 ──しまった。ルジのことを完全に忘れていた。というか、数に入れていなかった。


「ウーラ様、どうかされましたか?」

「あ、タルカさん。魔王様からの差し入れなんですが──」


 ウーラの説明を受けて、タルカが答える。


「それは、ルジ様を除いて四人、ということなのでは?」


 よくぞ言ってくれた、タルカよ。と、そんな風に考えていると、


「それはありえません。側近はさきイカの次にモンブランが好きなんです。魔王様も当然ご存じのはずです」

「なるほど。確かに、それは不自然ですね」


 ローウェルもそのことは知っていた。ただ、忘れていたというだけで。


 よし、今からでも申告しよう──。


「つまり、誰か、意地の汚い魔族がいて、ルジ様のことを忘れ、自分だけ二つ食べるために持っていった、ということですね?」


 タルカの推測に、ローウェルは口を塞がれる。


「そうなります。しかも、ご丁寧に指紋まで消して。──まあ、こんなことをする人は一人しかいませんが」

「確かに、一人しかいませんね」


 まさか、気づかれた──。


「クロスタですね」

「クロスタ様しかいませんね」


 クロスタ、という名前が出たことで、ローウェルの頭は瞬時に切り替わる。このままクロスタに罪をなすりつけてしまおうと。


 悪いとは思うが、日頃の行いが悪かったと諦めてくれ、クロスタ。


 ちょうど、何一つ事情を知らないクロスタがやってきて、頭に疑問符を浮かべているのが分かる。


「……何の話だ?」

「はっ、しらを切るのは上手いですね」

「そうですねー。むしろ、尊敬します」


 ──説明を受けて、やっと、クロスタは、ウーラとタルカの二人から責められている状況を理解し、


「ち、違う! 私ではない!」

「嘘をつかないでください」

「クロスタ様って、そういう方だったんですね、見損ないました」


 ちらと、クロスタの視線がこちらに向く。さすがに可哀想なので助け船を出してやったが、二人の態度は変わらない。


 結局、クロスタはモンブランを食べることができなかった。あまりにも責められていたので、この真実は墓場まで持っていこうと、ローウェルは心に誓う。


 それから、自宅付近にある墓へと向かい、墓前にモンブランを供える。


「ハイガル、来たっすよ。──ハハ、なんだか、死んだ後の方が構ってやれてる気がするっすね」


 その場に胡座をかいて、自分の分を取り出し、食べる。


「モンブラン、好きっすか?」


 その問いかけに対する返事はない。当然だ。


「何が一番、好きだったんすかね。子どもの頃は、小さい光るピアノで遊んでた気がするっす。──あ、でもあれは、まだ三歳の時か」


 本当に、何も知らなかった。仕事ばかりで、家庭は顧みなかった。魔王城で、たまに姿を見ることはあったが、だからと言って、わざわざ息子と話したりはしなかった。話を聞いたり、相談に乗ったり、キャッチボールをしたり。そういうことを、ただの一度でもしたことがあっただろうか。


 いつかしてやろうと、そう思っていただけで、結局、何もしてやれなかった。


 ハイガルの生存が露見すれば、魔王に洗脳されるかもしれない。だから、ルジに預けた。そして、三歳のときに会ったきり、十歳で彼が幹部になるまでの間、念には念を入れて、距離を取った。


 ──言い訳だ。それから、八年もあったのだから。


 果たして、彼は自分を、どう思っていたのだろうか。


 それを尋ねる勇気は、生前も、今も、ない。


「彼女の一人でもいたんだとしたら、きっと楽しかっただろうな。──いや、そういえばあいつ、ウーラさんに気があるっぽかったっす。まあ、ウーラさんに相談に乗るよう頼んだのは俺っすけど……複雑っすね」


 勝手に変な想像をして、勝手に気まずい思いをする。


 それから、二つの皿を片付けて、立ち上がる。


「──犯人、必ず見つけるっす」


 誰にも届かない独白を残して、ローウェルはその場を去った。

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