第3-14話 繰り返す問いかけ
雨音に満たされた静かな部屋で、沈黙を破ったのはまなだった。
「……三人とも、黙りこんでどうしたの?」
当然、一番状況が理解できていないのは、まなだ。
「その前に。──あかりさんは、なぜ、魔王が勇者の秘密について知っていると思ったのですか?」
「いや、それくらい魔王だから知ってるかなって。魔王って、何でも知ってそうじゃない?」
その黒瞳は完璧に感情を隠しており、いつもと変わった様子はない。瞳の奥を探るようにして観察するが、やはり、そう簡単には覗かせてくれない。
「そんなはずがないだろう。世の中には、知らぬことの方が多い。それは魔王たる余であっても同じことだ」
「知らぬことの方が多い……あ、確かにね! 知らないことの方が多いよね! そういう考え方はなかったなあ……。ってか、じめじめするんだけど」
彼は、襟首をぱたぱたと動かす。真夏に雨が降るほど嫌なことはないと私は思う。こう見えて、私は濡れるのが嫌いだ。雨には嫌な思い出が多い。父が亡くなったときも、彼の妹が亡くなったときも、同じような雨だった。
また、普段から、電気代を節約するために、空調は使っていないのだが、今日のように雨となると、窓も開けられないため、我慢大会になってしまう。
これが学校なら、教室内に程よい風が吹き、体感温度が快適に保たれる魔法が組み込まれているのだが。まなには効かないので、冬場は寒がるかもしれない。
「それで? なんで二人とも変な顔してるわけ?」
案の定、誤魔化すことを許してくれないまなに尋ねられて、魔王が口を開く。
「マナ。お前の名は、お前が十四のとき、時計塔に刻まれたのだ」
「時計塔? 魔王の娘だから? でもそれだと、すごい数になるんじゃ……」
「違います。まなさんの誕生のところには、こう記されています。『二〇七〇年四月二日勇者マナ 誕生』と」
そう、私と彼女は同じ生年月日だ。だからこそ、覚えていてくれたのだろうが、それはともかく。
それを聞いたまなは、右腕を掴み、顔色一つ変えずに言う。
「へー。あんたのことじゃないの?」
「ありえません。以前、女王かつ勇者である者がいたのですが、そのときは、勇者、女王と一行で書かれていたんです。──とはいえ、先例が一つしかないので、断定はできませんが」
断定はできない。確かにそうだ。
──だが、私は間違いなく、自分は勇者ではないのだと、どこかで強く自覚している。
「断定できないんでしょ? それに、仮にあんたじゃないとしても、マナとしか書かれてないじゃない。マナなんて名前、どこにでもいるわ。人違いでしょ」
勇者の役割は、私が得たくても得られなかった物の一つだ。それが、私の役割であることを、どれほど願ったか分からない。まあ、昔の話ではあるが。
「塔の記述に気がついたのは、八四年の霊解放の日でした。その日より、ルスファの総力を上げて、世界中を対象に、生年月日と名前が一致する人物を探したそうです。──すると、一致する人物は、あなたと私の二人しかいなかった」
世間では亡き者とされていた、魔王の娘であるまなにまで捜索が及んでいるのだから、もはや疑いの余地はない。
「じゃあ、やっぱり、あんたが勇者なんじゃないの? あたしなんて、魔法も使えないし、魔王の娘ってこと以外は、ただの魔族よ? どう考えてもあんたの方が勇者らしいじゃ──」
「私は、勇者にはなれないんです!!」
思わず、叫んでしまった後で、静まり返った空間と雨音に冷やされるようにして、冷静さを取り戻していく。
「……申し訳ありません。取り乱しました」
「あたしの方こそごめんなさい。言葉に配慮が足りなかったわ」
勇者、人王、魔王、賢者。生まれたときから、決まった役割を持つ、選ばれた者たち。
それを放棄することは簡単だ。──いや、私の心労を考えると、そう簡単なことでもないのか。まあ、本当に大変なのは、私に放棄された国の方だろうが、それはともかく。
一方で、選ばれなかった者がそのどれかになることは、不可能に近い。歴史の上では、誰かが役目を放棄した際の代理としてのみ、可能性が生まれる。今の魔王やエトスのように。だからこそ、塔の記述は口外禁止なのだ。
自分が勇者になれないと知れば、ギルドを通じて知名度を上げ、魔王討伐に一役買おうとする輩がいなくなる。
魔王になれないと知れば、次期魔王の命を狙う刺客が増える。
──そして、それによって傷つく者がいる。
思い出すのは、同じような雨の日のこと。
私が女王になることを定められたのは、通例通り、生まれた年のことだった。その年の霊解放の日に、記述の確認がなされ、国民への周知がされたそうだ。
女王になれないと知ったとき、姉のモノカは、酷く傷ついた。権威を目的にモノカに尽くしていた連中は、手のひらを返したようにモノカから離れ、私にすり寄るようになった。
赤子の頃の話だが、あのときのことだけは、鮮明に記憶している。あのとき、モノカは私の首に手をかけ、本気で私を殺そうとした。お互い、忘れたように振る舞ってはいるが、あのときの殺意を、そう簡単に、忘れられるはずがない。
──あの瞬間、私はモノカから、すべてを奪ってしまったのだ。
そっと喉元に触れ、私は再び、まなを見つめる。私もきっと、あの日のモノカと同じだ。まなの持つ、勇者という役割に、嫉妬している。狂おしいほどに。
「勇者や魔王には、選ばれた者しかなれないんです。努力だけでなれるほど、甘くないんですよ」
「何の努力もしてないあたしなんて、なおさら……」
「まなちゃん。そろそろ、認めよ? ま、急に、お前は勇者だ! なんて言われて混乱するのも分かるけどさ、なろうと思ってなれるものじゃないし──」
「そうじゃなくて」
あかねが憶測で測った心中を、まなは強く否定する。だが、その声には、わずかに震えが混ざっていた。──そして、まなは、ますます右腕を強く握る。あれは確か、不安のサインだ。
「……もし、あたしが、本当に勇者なんだとしたら、お父さんとかユタと、殺し合わなきゃいけないんでしょ?」
──なぜ、そんな簡単なことに、私はすぐに気づかなかったのだろうか。
決まっている。自分が勇者になれないことを、いつまでも、認められないからだ。まなに嫉妬して、悔しさに飲まれて、周りが見えなくなっていたからだ。結局、私は自分のことしか考えていないのだろう。
本当に私は、どこまでも──。
そして、私たちの視線は、自然とある人物に向かう。
「……あんた、知ってたのよね」
まなに問いかけられた魔王は、特に気負う素振りも見せず肯定する。
「ああ。余に知らぬことなど、そうはない」
「さっきと言ってること、矛盾してるわよ。……いや、そうじゃなくて」
「なぜ殺さないのか、と問いたいのか? そんなの決まっているだろう。──お前に、余やユタザバンエは殺せないからだ」
それが建前だということは、すぐに分かった。何か、別に理由があるに違いない。おおかた、正妻の子どもだからとか、そんな理由だろうか。
「……まあ、魔法も使えないあたしに、魔王なんてどうやったって倒せるはずないわよね。本当に勇者だとしても、落第だわ」
魔王の言葉を肯定するようにして、まなは自分自身を安心させているように見えた。
「そうだ。それに、少なくとも余の名前は、時計塔に刻まれたことがない。つまり、魔王として失格だということだ。余のことは、誰にでも殺せる。お前でなくてもな」
魔王もそう続けて、まなを励ましたように見えた。
仮に塔の記述について黙っていたのだとしても、王国が世界中を捜索した際に、幹部など、一部のものには、勇者の名前が「マナ」であると、知られてしまったに違いない。
──となれば、現在、こうしてまなを生かしているのは、魔王なりの最大限の優しさなのだろう。魔王城内部では、「まなが忌み子だ」という説が、より有力視されたはずだから。
だからと言って、今までのすべてが許されるとは思わないが。
「……でも、そうだったのね」
「本当に、すまなかった」
「もう謝らないって約束したでしょ。それに、自分を殺すかもしれない子どもとこうやって普通に話してるなんて、あんた、相当イカれてるわね」
「なんだ、貴様は余を殺すのか?」
「殺さないわよっ。物騒なこと言わないでくれる? 人殺しなんて、何があってもやるわけないでしょ」
まったく、その通りだ。こんなに優しいまなが誰かを傷つけることなど、絶対にない。少なくとも、私はそう言い切れる。
──だから、こんな魔王に一つだけ、いい点があるとすれば、そこだ。周りの反対を押しきって、まなを生かしてくれたこと。私にまなを、出会わせてくれたことだ。
「ってことは、勇者が二人いたってことよね? どういうこと? 普通、一人なんじゃないの?」
「『役目を果たしていない勇者』が死ぬタイミングで、次の勇者が誕生するケースが、過去に何度か存在する。その場合、役目を果たしていない勇者が二人になった時期も当然、何度かある。ただ、通例であれば異世界の者以外は、誕生の瞬間に刻まれるのだが、今回はそうならなかった。そして、異世界の勇者の召喚を刻むタイミングで、お前の生年月日とともに、勇者が二人であることが塔に刻まれた。前例のない、異例中の異例だ。──だが、勇者は一人死に、今は一人だ。時計塔にも、しっかりと刻まれている。『勇者榎下朱里 死去』とな」
そう、レックスやテルムのように、先代の勇者でも生きている者はいる。まあ、テルムは家族ごと抹殺されたようだが、それはともかく。
──一般に、魔王を倒した勇者のみが、次の勇者が誕生した後も、変わらず生きていられるのだと言われている。だからこそ、勇者は魔王を倒さなくてはならないのだ。
魔王を倒していない勇者が二人存在することは、私があかねたちを召喚するときに知った。だから、まなか、あかねのどちらかは死ぬのだろうと、そう思ってもいた。
そして、時計塔に死が刻まれる以前から、私は勇者が妹の方であると知っていた。だから、彼女が命を落とすかもしれないということは、ある意味、想定済みだったのだ。とはいえ、事実として呑み込んだのは、記述に死去の文字を見たときだったが。
「うわっ、何それ……。あ、でも、その人、さらっとあかりじゃないとか言ってたわね」
「その人って。別に、あかりでいいよ。今さら変えるとか、面倒だし」
「──いいえ。この際だし、みんなであかねに変えない? どうせ、籍入れるときはあかねって書くんでしょ?」
「まあ、その通りだけど……」
子どものことを考えても、そろそろ、あかねと呼ぶことに慣れるべきだ。それか、いっそ、これを機に呼び方を変えて、パパ、なんて呼んだ方がいいのかも──いやいやいや、それは気が早いよ、榎下愛。えへへ。
んん、それはともかく。
元々、あかり──本当の勇者である朱里が亡くなったとき、あかねに「彼女を忘れたくないから」と、そう呼ぶように頼まれたのだ。女装の趣味も「自分はあかりだから」と言って、そのときから始めた。とはいえ、まんざらでもなさそうだったが、それはともかく。
他界した父も、記述により本当のことを知りはしたが、いくら時計塔の記述とはいえ、わざわざ私と彼に確認をとったくらいには、信じられなかったらしかった。
魔王も同様であったのだろう。何かの間違いだと誤魔化したれなは、さすがとしか言いようがない。誤魔化される魔王もどうなんだとは思うが。ともかく、彼女はいつも、私たちの味方になってくれる。
──とはいえ、国民はまだ、彼が勇者であると本気で信じている。
ちなみに、時計塔の記述は毎年、つい先日行われた、霊解放と呼ばれる儀式の際に確認することになっている。そして、その儀式に参加するのは、人王、魔王、賢者、そして霊が見える者だ。今は、れなが賢者と見える者の役割を兼任している。
ここで言いたいのは、エトスが記述を見たということだ。聡い彼のことだから、あかねが勇者でないことには、すぐ気がついたに違いない。
そして、あの人のことだ。きっと、ばか正直に国民に説明するつもりなのだろう。そうなれば、彼が勇者でないということは、皆が知るところとなる。
──とはいえ、今のところは、ここにいる面々しか知らない。
「でもさ、あかねって呼ぶと、みんなに、どういうこと? って思われるじゃん? だから、エトスが大々的に公表するのを待ってるんだけど──まだかなあ」
魔王に尋ねたところ、エトスは間違いなく、知っているだろうとのことだった。加えて、自分と違ってれなに騙されるようなことはないだろうと。まったくその通りだ。
各地の戦乱を抑えるのに精一杯で、公表するところまで手が回っていないという可能性は、大いにある。思ったよりも、上手く戦火を静めているようなので、その分の苦労が押し寄せて来ているのかもしれない。
「いっそ、私たちで公表してしまいますか?」
「いやでも、『本当は勇者はいない』なんてことになったら、大混乱どころの騒ぎじゃなくない? どうやっても魔王に勝てないってことなんだからさ」
「でも、あたしは勇者なんでしょ?」
確かに、まなが勇者である以上、絶対に勝てないというわけではない。──だが、それはダメだ。
「まなさんが勇者であることを今さら掘り返しても、いいことはありません。もちろん、私たちにとっては、勇者という役目、それ自体だけでも、十分、価値があります。ですが、国民からしてみれば、勇者、なんて言われても、それ相応の実力や成果が見られない限り、意味がないんです。それどころか、なんでこんなやつが勇者なんだと、炎上しますよ」
「炎上!? 燃やされるの……!?」
「めちゃくちゃテンプレな反応!!」
「あの、そういう意味ではなくてですね……。まあ、いいです。自分でお調べになってください」
ともかく、どう考えても、まなのことは隠すべきだ。人間にとっても害しかないどころか、こんなにもか弱い女の子、しかも、魔王の娘に倒されるかもしれないとあっては、魔王の名が廃る。
つまり、そんな魔族勢力をいつまでも対処できないルスファの国力に、世界から疑念を抱かれることになるかもしれないのだ。そういう意味で、敵には強くいてもらわなければならない。
その上、まなも勇者として戦場に赴かなくてはならなくなるし、勇者であるまなを狙う事件は多発するだろう。
この通り、今正直に言ったところで、何もいいことはない。とはいえ、その気遣いをエトスに期待するのは無駄だろうが。──とはいえ、いくら忙しいと言っても、その日のうちに公表していないというのは、やはり気になるところだ。
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