第3-12話 三つの契約

「なんでもとなると、そちらが提示する条件には期待して良いのだな?」

「うん。期待していいよ。期待よりも上を行く自信はあるから」

「くくっ……差し出すものなどないと言っておきながら、やはり何か隠していたな?」

「そりゃあ、ばか正直に全部話すわけないじゃん? 僕だって、馬鹿じゃないんだからさ」

「いや、貴様は馬鹿だぞ」

「へ? え、本気で思ってたのそれ? え、イジってたわけじゃなくて? え? え?? すっっっごい傷ついたんだけど……!」


 魔王が何の悪気もなく、真剣に言った言葉に、あかりがダメージを受ける。だが私も、おそらくまなも、魔王と同意見だ。あかりが馬鹿でないのなら、馬鹿なんて言葉は無くしてしまった方がいい。あながち、言い過ぎでもないと思う。


「それで、貴様は何を差し出す?」


 完全に拗ねたあかりが、口を尖らせて、ボソッと言う。


「……ヘントセレナの氷像、壊してあげる、って言おうと思ったのに」


 私は思わず頬がひくっと動くのを感じた。


 ──なぜ、あかりがそのことを知っているのか。国家機密として秘匿されている情報であり、あかりにも話したことはないというのに。


 ちらと見れば、魔王の顔には動揺の色がありありと現れている。まなだけが事情を飲み込めず、しかし、空気の変化だけは敏感に感じ取っているのか、不安げな様子で私に少しだけ近づいてきた。


「……それは誠か?」

「本気だけど? いいもん別に。どおせ僕なんて馬鹿で馬鹿で馬鹿なんだ。つーん」


 あかりは魔王に背を向けて、私とまなの元へと寄ってくると、ベッドの端に腰かけ、ふいっと顔を背けた。


 すると、魔王がはっきりと動揺を顔に示す。その慌てっぷりが、まなそっくりだ。ちょっとだけ、可愛い。本当に、ちょっとだけ。


「事実を言っただけではないか。機嫌を直せ──」

「やだ!」


 機嫌を損ねた幼子と、それをなだめようとする、頼りない父親のように見える。あかりの本心は、まったく見えず、まなの件に対する怒りなど、忘れてしまったかのようにも見えるのが、私には恐ろしかった。


「モンブランでも食べるか?」

「いらない」

「す、スマホを買ってやろう。名義も貸してやる」

「──それから?」

「え、それから?」

「つーん。もう知らない」

「貴様……。良かろう。今なら、魔王ちゃんストラップを──」

「つううううん」

「い、いらぬか。ならばそうだな……あ、貴様たちの住む住居を用意してやろう! 余が持つ土地にしか建てられぬ故、魔王城には近くなってしまうが……」

「じーっ」


 そっぽを向いていたあかりだが、今度は魔王を見つめ始めた。魔王は視線の意図が分からず困惑する。


「維持費も出そう」

「じー」

「こ、光熱費も払ってやる」

「じとー」

「仕方ない……島ごとくれてやろう。ミーザスの管轄下にある無人島だ。普段から立ち入りを禁じているが、貴様たちを害する者が入れぬよう、結界も張っておこう。管理もしてやる」

「……それから?」

「……貴様、まだ搾り取るつもりか」


 あかりがゆっくり、またそっぽを向こうとすると、魔王が酷く慌てた様子で、


「マナ──」


 と、まなを呼んだ。当然、私ではない。彼の娘の方だ。──都合のいいときだけ頼るなんて、どこまでも最低なやつだなと、心底、軽蔑する。


「分かるでしょ? この子が親と縁を切っちゃったから、結婚ができないのよ」

「つまり……人間の元王女を養子に迎えろということか? その上、婚姻届に保護者として印を押せと、そういうことか!」

「……五十点」

「何が足りぬ!?」


 不機嫌そうなあかりの声に、魔王はわたわたとする。そんなところもまなそっくりだが、私の気はそんなことでは晴れない。


「あかりの方よ。未成年の間は、保護者がマナの母親──つまり、女王ってことになってるらしいわ」

「ぐっ、人間の女王か……」


 悩み始める魔王に、あかりがわざとらしく声を出す。


「あーあ。ヘントセレナの氷像なんて、これを逃したら壊してもらえないと思うけどなあ」


 すると、魔王は悩みに悩んで、うなるようにして、


「……いいだろう。その条件で受けてやる」

「やったあっ! ありがと、魔王サマっ。じゃ、早くサインして、サインっ」


 渋々、肯定の意を示した。そして、あかりの勢いに押されるがまま、今度はよく読みもせず、サインをする。正確には、読もうとすると、あかりの機嫌があからさまに悪くなったので、読ませてもらえなかったのだが。


 ともあれ、まなと魔王が会話をかわすのを見て、苛立ちは募るばかりだ。私だって、できればこんな男の手は借りたくないが、そうする他ないというのも分かっている。断ったところで、いいことなど、一つもないのだから。


 すると、あかりが私の手を掴み、ぴょんぴょん跳ね始めた。──残念ながら、あかりはジャンプが下手なので、跳ね損ねたカエルみたいな動きをしているが、そんなところも可愛い。そうして、彼に注目することで、溜飲を下げる。


「やったあ! 愛、新居だよ新居! 管理とかも全部してくれるって! しかも無人島だよ? 島だよ!? ヤバくない? ヤバいよね!」


 交通の便が悪いとはいえ、瞬間移動を使えば関係のない話だ。近所付き合いが少ないのが少し心許ないが、おそらく、どこに行っても二人では歓迎されないので、逃避行にはちょうどいい。──彼を匿うにも、もってこいだ。戦渦からも遠ざけられるし。


 ちなみに、魔王は今になって、色々、やりすぎたと感じているようだが、切り替えも早い。


「それで、秘密というのは──」

「あ、まだ話終わってないから」


 そう言われた魔王が、顔を青ざめさせる。あかりの貪欲さをなめてはいけない。私も、なんでもすると約束している手前、何をさせられるか分からない怖さはあるのだが。


「……次はなんだ?」

「雇って」

「城でか?」

「うん。雇って」


 魔王城での労働については、私も考えていなかったわけではない。魔族の雇用が圧倒的に多いだろうが、馬の世話などの雑用をさせてもらえないだろうかと。……馬の世話、できるかな。まあ、それはおいおい考えるとして。


 魔王という脅威については──こう言ってしまうのは本意ではないが──娘のまなと仲のいい私たちを、平時である今、害することはしないだろうという判断だ。


 とはいえ、あかりがヘントセレナの氷像のことを知っていたのは、私も計算外のことだった。疑問が残る部分ではあるが、向こうにとっては、これ以上ない条件だと言える。


 とはいえ、政治に介入することになりそうな気がして仕方ないが……まあ、あかりがうっかり壊したことにしておこう。そんな上手い話にはならないだろうけど。


「雇って、何かいいことがあるのか? 貴様ごときに何ができる?」

「ん? 雇ってくれたら、内部調査とかしてあげる。それに、雇ってくれないなら、勇者の秘密、教えてあげないよ? え? だから雇ってよお? ねえ?」


 とんでもない間抜け面を晒しているあかりだが、指摘はしない。ここまで上手くいけば、気が緩むのも仕方ないと、一応、言い訳がつくからだ。


「……いいだろう。貴様を城で雇ってやる」

「あ、でも学生だから、シフトとか考慮して? あと、要領が悪い上に覚えるのも遅いから、あんまりハードなのはちょっと……」

「雇われる分際で文句をつけるな」

「雇われる分際とかいうのはよくないよ? 働く人がいなくなったら、そっちだって困るんだからさ? むしろ、対等な関係だと思うけどね」

「……魔王に対してそんな態度を取る人間はお前だけだ」


 魔王の方があかりの相手に疲れて、ため息をつく。あまりにも、まなそっくりで、ドキッとした。


「あ、あと、三食昼寝つきだと嬉しいな」

「幼児の頃よりやり直してこい!」

「ははは。冗談冗談。雇用契約書って、今持ってる?」

「これだ。自分で書いて持って来い。一応、面接も受けてもらうぞ」

「ありがとっ」


 ちなみに、なぜ、勇者の秘密を後回しにしたかと言えば、勇者の秘密を明かしてからでは、ヘントセレナの契約が結べないからだろう。


 ともあれ、こうして、あかりは、まんまと、三つの契約を成立させたのだった。


 おおかた、魔王の良心に頼った形ではあったけれど。契約は契約だ。


 ──だが、本当にヘントセレナの氷像を壊せるのか。その契約を結んでしまって、本当に良かったのか。それだけが、不安で仕方なかった。


 先行きの暗さを表すかのように、いつの間にか振りだした雨の音が、部屋を満たしていた。

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