第3-4話 さたたんのタマゴ

 笑顔の咲き乱れる宿舎とは対照的に、最北の城──魔王城は、暗い雰囲気に包まれていた。


 幹部たちは玉座の間に呼び出されていた。こうして八人全員に招集がかかったのは、実に八年ぶり。その頃とは構成員が二人入れ替わって、今日は七人が集まった。


 魔王は玉座に腕を置き、指を忙しくトントン動かす。機嫌が悪いときの彼の癖だ。唯一、矮躯わいくより大きな禿頭とくとうを持つ老人──ルジだけは、状況を先に知らされているようで、幹部たちが謀反を起こしても対応できるよう、魔王の側に控えている。


 そうして、重苦しい沈黙だけが続き──ついに、ローウェルが問いを投げかける。


「今日は何の呼び出しっすか?」


 彼自身、この空気を破るにはそれなりの勇気が必要だった。ただ、黙っていてもどうにもならないという気持ちの方が大きかったというだけの話だ。


 すると、魔王はやっと口を開き、


「──この中に、裏切り者がいる。心当たりのある者は名乗り出ろ。今なら笑って許そう」


 と、不敵な笑みを浮かべて告げる。一同に動揺の色が広がるが、誰も答えようとはしない。


 ──しかし、裏切ったとは、具体的に何をしたのだろうか。それを尋ねる前に、ルジが口を開く。


「さたたんのタマゴが盗まれた。このタマゴは将来、人間との戦争において、重要な戦力としての役割を果たすことを期待されている。一個体で町を一つ潰すことができるほどの力を秘めており、数年後には四天王の座につくと目されるほどだ。また、ウーラの子どもでもある」


 自然と、ウーラに意識が集まる。だが、彼女はまったく動じない。


「ウーラ。心当たりは?」


 ルジの説明を聞き届けて、魔王が直々に尋ねる。


「ありません。私のすべてを魔王様に捧げることは、この世に生を受けて以来の私の宿命であり、それはたとえ、私の子であっても、同じことだと考えております」


 感情の薄い、本に書かれている台詞を丸暗記してきたかのような返答だが、これが、彼女の魔王に対する対応の常だ。


「クロスタ。お前はどうだ?」

「はい。私はもちろん、彼女が裏切る可能性も極めて低いかと」

「ローウェル」

「はい」


 名前を呼ばれて、ローウェルはなんと言ったものかと少し悩む。本当に知らないのは事実だが──予測がつくというのが本音だ。


 だが、たとえ魔王に忠誠を誓った身であったとしても、それを正直に答えることはできない。


「オレも、ウーラさんは裏切らないと思うっす」

「それは、ウーラ以外なら裏切るかもしれないということか?」

「え、そんな風に聞こえたっすか? 勘繰かんぐりすぎっすよー」


 内心、冷や汗まみれだが、それを愛想笑いで必死に誤魔化す。今この場で悟られることは、何もいい影響をもたらさない。穏健派のローウェルにとって魔王は、命より大切なものを懸けられるほどの、絶対的な存在ではないのだ。


 さりげなく揶揄されたクロスタとそろって、魔王はしばらくローウェルを睥睨へいげいしていたが、やがて、興味を失った様子で視線を他に移す。


 安堵あんどが表に出ないよう、ローウェルは部屋から出るまで気を張り続けろと、自分に言い聞かせる。


「タルカ。お前はどう思う?」

「はい。ぼくは、ルジ様と四天王の皆さんが裏切ることはないと思います。もちろん、ぼくも、魔王様を心よりお慕いしております」


 タルカと呼ばれた、男もののスーツに身を包む、中性的な女性は、小さな黒いシルクハットを胸の前で持ち、ひざまずいた姿勢から、さらに頭を少し下げる。


 となれば、自然と、残る一人に意識が集まる。魔王は名前すら呼ばず、無言でその一人からの返事を待つ。何も言わずとも、求められていることが何か分かって当然、という考えに基づくものであることは十分に察せられる。


 それから、沈黙のまま、何分経過しただろうか。ローウェルは、彼がどんな弁明を考えているのかと、内心ひやひやしていた。だが、気を張るにしても、同じひざまずいた体勢のまま動かずにいれば、疲れが緊張を上回ってくる。


「あの──」


 ゆったりとした口調で、最後の一人がやっと口を開き、小さく手を挙げる。その声で、膠着こうちゃくにより、弛緩しかけていた空気に、緊張がもたらされる。


「発言を許す」


 その先の言葉に一同が意識を集中させる。


「俺には、聞かないの、ですか?」


 彼は魔王と視線を交錯させる。とはいえ、生まれつき全盲である彼に、人の目など見えているはずもないのだが。普段は魔力探知を通じてモノクロの世界を見ている。


 ともあれ、彼──ローウェルの息子は、魔王の顔の辺りを見つめたまま首を傾げ、青髪を揺らす。


 その直後、一気に疲れが押し寄せてきたように、思わず脱力する。見ると、息子以外の全員が同じような反応をしていた。


 魔王は鈍い彼にため息をつくと、こう言った。


「──ハイガル。貴様が裏切ったのか?」

「あー……どう、思います、か?」


 どこまでもマイペースな彼──ハイガルは、自分の青髪を一房手に取り、指で挟んで擦り合わせ、全盲の茶色の瞳で見つめる。


「それは──」

「あ、すみません。体勢を、変えても、いいですか? 長くなるなら、これ以上、同じ姿勢は、キツいです」

「……構わぬ。ハイガル以外も、楽にしろ」


 魔王の言葉を遮り、あまつさえ、姿勢を変えたいと申し出るなど、彼以外にできることではない。自分の息子ながら、末恐ろしい。


 そんなことを考えつつ、ローウェルは周りが動きづらそうにしているのを見て、息子に続いて姿勢を変える。これでも一応、この中では年長者に当たるローウェルが率先して動くことで、ルジとクロスタ以外は姿勢を崩すか変えるかした。


 魔族は人に比べて老化がゆっくりと進むので、実はこれでも、かなり長生きだったりする。


「はー、疲れたっす。それで、魔王様、続きはなんだったんすか?」

「──それは、疑われたいということか?」


 ローウェルに促された魔王の、刺すような赤い視線を受け、ハイガルは、


「えっと、すみません。さっき、俺、なんて言ったんでしたっけ?」


 とぼけているのか、本気で忘れてしまったのか──恐らく、後者だが、ハイガルは胡座あぐらをかいて、尋ねる。自分のペースを崩さない彼の調子に、重い空気がどこかへと四散する。


 魔王は呆れ顔でため息をつき、


「余の『貴様が裏切ったのか』という問いかけに対して、お前は『どう思うか』と、言葉を返したのだ。余は疑ってほしいのだと捉えたため、その旨を尋ねた」


 懇切丁寧に説明をした。


「……あ、そう、でした。──いいえ。疑われたくないです」

「それは、皆、そうでしょうね……」


 やけにはっきりと否定したハイガルのペースに耐えきれず、硬い床に正座したウーラが、ため息混じりに呟いた。


***


 ハイガルは部屋に戻ると、一見、普通の床に見えるところに手を突っ込み、青いタマゴを取り出す。


「大人しくしてるんだぞ」


 その温かい表面を優しく撫で、タマゴを元の場所にしまう。そして、天井をしばらく見つめ、思い立ったように立ち上がると、窓を開けた。


「みんな、おはよう」


 そうして、ベランダで育てている多種多様な植物──道端に生えている長い雑草から、食虫植物までいるその植物たち一つ一つに声をかけていく。


「おはよう? こんにちは、か。気持ちのいい天気だな。あ、もう、こんばんは、か? んー……どっちでもいいか」


 降り注ぐ太陽の光を浴びながら、三割ほどに声をかけ終わった頃、


「俺、日の光、苦手だった……」


 彼、ハイガル・ウーベルデンはローウェルの息子──つまり、キュランと呼ばれるモンスターであり、生まれたときから夜型だ。他にも、魔族には夜型の者が多いため、会議は朝ではなく、午後から行われることが多い。


 とはいえ、まだまだ日差しは十分に降り注いでいることだろう。空を見上げれば、彼の視界でも、太陽から降り注ぐ、幾分かの魔力が探知できる。


 基本的に、魔力は大陸の中心で作られる。ただし、空気に溶けて惑星の外へ出ていく魔力もあれば、太陽の光とともに、地上に入ってくる魔力もある。そうして、惑星内の魔力は常に一定値に保たれている。


「部屋に、戻ろう」


 そうして、部屋に戻り、窓を閉め、手探りで鍵をかけ、床に座り、寝転がり、起き上がり、左右に揺れ、欠伸をし、目を閉じ、伸びをして、目を開け、しばらく壁の辺りを見つめ、立ち上がる。


「トンカラが、食べたい」


 そう呟き、手探りで部屋を出て、錠の位置を探して施錠し、宿舎の入り口へと向かう。


 その最中、何かにぶつかり、一歩後ずさる。魔力探知には引っかからなかった。つまり、魔法が使えないということ。それに加え、視界の代わりに発達している嗅覚が、目の前の存在をはっきりと知らせる。


「クレイアか」

「ええ、よく分かったわね」

「ああ、旨そうな血の匂いがするからな」

「……初めて聞いたわよ、そんな話」

「初めて言ったからな」


 下方から聞こえる声に、ハイガルは視線をわずかに下げる。


「あたしはそんなに大きくないわよ。これから伸びる予定だから」

「何センチだ?」

「……百三十八」

「このくらいか?」

「しばくわよ」

「ははは」


 極端に首を傾け、自分の足下を見るハイガルに、まなが声のトーンを落とすと、彼は顎を上げて笑い、今度はちょうど、まなの顔の辺りを見つめる。その視線を受けたまなは、そっと目線をずらす。


「どこか出かけるの?」

「ああ、トンカラでも買いに行こうかと」

「あたしもちょうど、トンビアイス買いに行く予定だったから、着いて行ってもいい?」

「──はあ。一人じゃ、トンビニにも、行けないのか、クレイアは。方向音痴だな」

「……はあぁ!? あんたが心配だから着いてくって言ってんの! トンビニくらい、一人で行けるわよっ」


 と言いつつも、彼女は一度、迷子になっているのだが、それは棚に上げるとして。


「ははは、悪い悪い、俺が悪かった。着いてきて、くれるか?」

「まあ、仕方ないわね」

「無理に、着いて来なくても、いいんだぞ?」

「……早く行くわよ」

「はいはい」

「本当に買いに行くところだったの!」

「はいはい」


 ──そんなやり取りを、私は息を殺して見守っていた。


「誰ですか! まなさんをたぶらかしているあの男は!!」

「ああ、ハイガル・ウーベルデンくんだね」

「あれが噂のハイガルさんですか……覚えましたよ……ん、ウーベルデン?」


 一緒になって盗み聞きしていた、あかりの返事を聞き、聞き覚えのある家名を、口の中で繰り返す。


「うん。ルジさんが育ての親、みたいな感じらしいよ」

「そうですか、ル爺さんの……」


 ル爺は、この宿舎の管理人であり、わけありな私やあかりのことを快く受け入れてくれた、恩のある御仁だ。とはいえ、そもそも、あかりがここを選んだのは、まなに合わせたからなのだが。


 ちなみに、普段はゲームをやるか、寝るかの二択で、今日のように宿舎に顔を出さないことも多い。


「それを、なぜあなたがご存じに?」

「なぜって……ああ、言ったことなかったっけ? ルジさんって、魔王の側近なんだよね。ハイガル・ウーベルデンくんも幹部の一人だよ」

「……初めて聞きましたよ、そんなこと」

「あ、それさっき聞いた気がする。デジャヴってやつ?」

「何が、『初めて言ったからな』、ですか、ああ腹立たしい!」

「わお、相変わらず、そっくりだねえ」


 声真似して言うと、あかりが感心したように呟いた。


 体調が良くなってきたこともあり、部屋から出ていくまなが何をしているのか気になって監視していたのだが、これは由々しき事態だ。


 なにせ、魔王に追われる(?)魔王の娘であるまなと、魔王の側近の孫であり、自らも幹部の一員である青髪が懇意にしているのだから。


「ってのは建前で、本音は?」

「私のまなさんであんな風に遊ぶなんて、万死に値します」

「重すぎない? まなちゃんに嫌われるよ?」

「……禁固刑無期に処します」

「相変わらず、難しいこと言うねえ」

「とにかく! あのまま放っておくわけにはいきません。ストーカーしますよ」

「はいはい、じゃ、まなちゃん追跡作戦ツー、スタート!」

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