第2-9話 帳の策士の吸血鳥

 まなは常に、肩掛け鞄を持ち歩いているのだが、その中には多種多様な薬が入っている。以前、薬に詳しいと言っていたが、魔法が使えない彼女なりの自衛手段らしい。


「はい。揮発性だから、自分が寝ないように気をつけなさいよ」


 そう言って、彼女はあかりに小ビンを手渡す。中には透明な液体が入っていた。


「ありがとう。これって、どのくらい強力なやつ?」

「カツオを眠らせるなら、一滴で十分ね。何のために使うか知らないけれど」

「──三滴」


 私の呟きに反応する間もなく、全身の力が抜けたまなを、私はしっかりと支える。魔法が効かないとはいえ、ビンの中の液体を体内に移動させ、取り込ませるくらいはできる。


「寝た?」

「はい、ぐっすり」


 あかりは刺身になったカツオを、無限収納にしまい、水道水で手を洗うと、私たちに近づいてくる。


 結界は球状に展開することが多く、基本的に、発動者を中心に広がる。


 つまり、これだけ近くにいる私たちを分断するのは、非常に困難だということだ。中心の正確な位置は分からないが、半径方向における距離に差がない限り、分断はできない。


 結界の境界線上に生命体がある場合、発動はできず、加えて、細かい調整はほぼ不可能だ。


 ──そう、敵を侮っていた。


 刹那、あかりとの間に透明な線が引かれ、姿が見えなくなった。


「あかりさん!」


 おそらく、用意していた結界では分断できないと、即座に判断し、それを捨てて、別の場所から簡易魔法陣を用い、より効果の薄い結界を展開したのだろう。準備されていた結界は、魔法陣がかなり大きく、効果も高かったことが予想される。


 そう考えると、準備に丸一日はかかっただろうに、その努力を躊躇わず水泡に帰すとは、恐ろしい判断力だ。あと少し判断が遅ければ、あかりが私に接触し、いよいよ、分断は不可能になっていただろう。


 そして、おそらく、結界に取り込まれたのは私の方だ。体が先ほどより幾分か重い。だが、敵の数が一に減っている。


 当初は三人ともをこちらに残すつもりだったのだろうが、急な作戦の変更だったため、残る二人は結界外、つまり、あかりの方にいるのだろう。とはいえ、今すぐにどうにかすることはできない。


 ひとまず私は、自らの置かれた状況へと意識を集中させる。いまだ、敵の位置を把握できておらず、一瞬でも隙を見せたら、まなを奪われる。どうやら、不規則に位置を変えながら監視しているらしい。


 魔力探知を使えば正確な位置が分かるが、まなを抱えて魔法を使うとなると、消費が激しい。また、一瞬でも離そうものなら、間違いなく、持っていかれる。


 となると、隙を作ってこちらも結界を張り、その中にまなを保護するしかない。


 そこまで考え、経過したのはわずか一瞬。敵からも、一瞬だけ、注意をそらせればいい。


 ──私は躊躇わず、海の中に飛び込む。敵が動揺しているであろう、その一瞬のうちに、海中でまなを手放し、魔法陣を描いて、砂浜まで囲うようにして結界を張る。そして、即座にまなを砂浜に引き上げ、呼吸を確認する。異常はなさそうだ。


 これで、やっと魔法が使える。


 私は勝手に、彼女の腰にぶら下がったナイフを借り、早く、あかりを助けに行かなければと、結界から出──、


 初撃を回避、続く攻撃を相殺、そして飛行──砂浜一体が闇に覆われており、一目で触れてはいけないと判断しての飛行だ。


 見ると、不気味なことに、辺り一帯には、夜のとばりが下りていた。


「あちゃー、全部外したっすか。さすがは人間の王女──いや、今は、人間のマナ様でしたね」


 攻撃の手を止め、気さくな笑顔で話しかけてくるのは、一目でそれと分かる茶色の瞳に、青髪の好青年だ。


 少なくとも、まなのような人魔族ではないことは、瞳が赤色でないことと──背中から、翼が生えていることから分かる。間違いなく、意思疎通のできる、最上位のモンスターだ。


 そして、見る態度には砕けたものを感じるが、姿勢にはまったく隙がない。間違いなく、魔王幹部クラスだ。クロスタよりも数倍強いのを、肌で感じる。


「魔王幹部は、初めに名乗るのが礼儀では?」

「あれは、クロスタくんだけっすよ。あの人だけは、魔王様の指示を忠実に守ってるっすからね」

「それでは名乗らないということですか?」

「いやいや、名乗らせていただけるなら名乗るっすよ。その間、何もしないって条件なら」

「クロスタとは違って、私は卑怯ではありませんから、不意討ちなどしません」

「不意討ちくらいならしてもいいっすよ? 当たるつもりはないっすけど」


 ──つまり、その間に妙な仕掛けをするなということだ。仕方ないと、戦う相手への礼儀として、私も挨拶だけはしっかりと聞く。


 青年は隙を見せないよう、最低限の角度だけ腰を折る。


「魔王幹部四天王が一人、ローウェル。ただのローウェルっす。──先に言っておくっすが、オレは人間じゃないっすよ。正真正銘、モンスターっす。何の種族か分かるっすか?」


 尋ねられ、考える間もなく答える。翼、夜、モンスターと三つ揃えば、一つしか思い当たる種族はいない。


「悪魔の一種、キュランですね。別名、吸血鳥とも呼ばれる──」

「お、正解っす! さすが人間のマナ様! まあ、そこまで分かってるなら分かると思うっすけど、オレ、日の光に弱いんっすよねえ。だから、とばりを下ろさせてもらったっす」

「手の内をよくぺらぺらと話しますね?」

「こんなの、手の内に入らないっすよー。それに、相手がどれくらいの情報を持ってるか、知らずに戦う方が怖いと思うっす」


 確かに、彼がキュランである確証を得る代わりに、私もそれを知っているという情報を与えてしまったわけだ。


 なんとなく、あかりに似ているからか、調子が狂わされているのを感じる。不調のせいにするのは容易いが、それでは私が許せない。──気を引き締めなければ。


「ご丁寧にご挨拶いただき、ありがとうございます。──マナと申します。今はまだ、正式な家名はありませんが、近いうちに榎下えのしたまなとなる予定です。どうぞ、様など付けず、気軽にマナとお呼びください」


 そう名乗ると、ローウェルはからっと笑う。


「ははは。案外、オレたち、気が合うかもしれないっすね、人間のマナさん」

「あの子の身柄さえ諦めてくださるのでしたら、今からご一緒に、カツオのお刺身でも食べませんか?」

「お、いいっすねー! オレ、刺身好きなんっすよー! ──でも、主食は生き血なんで」

「では、交渉決裂ということで──」

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