第2-7話 シーティリア

 天気快晴。視界良好。早朝の清涼な空気を肺をいっぱいに吸い込むと、潮の香りで満たされる。


 波が打つ音を背景に、長く続く海岸沿いを、三人で歩いていく。振り返ると、白い砂浜には新しい足跡がついていて、私が後ろ歩きを始めると、二人も真似して後ろ向きに歩き始めた。


 そのうちに、あかりが足をもつれさせて転んだ。


 瞬間、私は前を向いて走り始める。まなも追うようにして走り始めた。彼だけが、状況をすぐに飲み込めず、置き去りにされていく。


 少しして気がつき、追ってくるが、その頃にはずいぶんと差が生じていた。しかし、距離が離れすぎないよう、私はまなと並走することで、ゆっくりを心がけて走る。


 海側を走っていると、少し大きな波が来て、足首まで軽く浸かった。私はしばし、立ち止まり、その場にサンダルを脱ぎ捨てて、今度は海の中を走り始める。そのサンダルをまなが拾い、追いかけてくる。


 振り返れば、足跡は波にかき消されており、あかりはすぐ近くに迫っていた。


「ちょっと、なんで走るのさ!?」

「あの岩に最後にたどり着いた人が、トンビアイスを奢るということで」

「そんなルール聞いてないわよ……まあいいけど」

「いや、不公平じゃん!」

「この世界では私がルールです」

「それ、一回くらい言ってみたいやつ!」

「あかりさん、ごちそうさまです」

「あかり、ごちそうさま」

「しかも負け確!」


 学園都市ノア──その西には、広大な草原、モンスターの住まうフィールドが広がり、その東は海に面している。


 そして、今日は東──つまり、海に来ていた。平原がノア平原なら、海はルスファ海。安直なネーミングだが、覚えやすくていい。ルスファ海は、観光名所でもある白い砂浜の海岸だ。いつもは人で溢れかえっている。


 ちなみに、勝負の結果、あかりがトンビアイスを買ってくることになり、私たちは火照った体を冷やしていた。まあ、私はあかりと財産を共有しているので、奢ってもらった感はないのだが。


「海だよ海! ねえ、ここ何うみ?」

「ルスファ海です。これで五回目ですよ」

「ルスファかいかあー。広いねえ!」

「海なんだから、広いに決まってるでしょ? それに、この会話も五回目よ」


 あかりが覚えていることと言えば、ルスファとトレリアンという単語、つまり、国名と首都名だけだ。どうしても覚えが悪かったが、この二つだけは無理やり叩き込んだ。


 とはいえ、前回の虫ではないが、彼も必死に生きており、覚えようとする気はあるのだ。ただ、ルスファまで覚えていて、海、が出てこないのはどういう仕組みか知らないが。


 一つ付け加えると、彼は考えるという行為そのものを、妹に禁止されていたらしい。何か少しでも考え込む素振りを見せると、それを悟った妹から罰が与えられるため、ひたすら話し続けるか、何も考えないようにせざるを得なかったとか。まあ、おおかた、自分の元を離れないようにとか、そういう理由だったのだろうが、そのときに演技力も身についたらしい。


 つまり、彼が物事を思考し、理解しようとするには、それ自体がトラウマになっているため、人よりもずっとエネルギーがいるのだ。


 とはいえ。


「ヤバ! これ、何うみ!? 何うみでもいっか! めっちゃ広いんだけど! うおおおお!!」

「今度同じことを口にしたら、縫いますよ」

「怖っ!?」


 あかりが騒ぐせいで、興奮が完全に冷めていた私は、改めてルスファ海を背景に、まなの姿を眺めて英気を養う。


「な、何?」


 視線を感じたまなが、変質者を見るように警戒を露にする。服をそんなに持っていないというので、この間、カルカルの依頼に付き合ってくれた「お礼」に、一式、プレゼントした。経済的に余裕はないが、これは必要経費なので、問題ない。ゾンビ退治より遥かにマシだ。


 ちなみに、まなは、ワンピースの上に、肌が弱いので、紫外線対策の上着を羽織っている。白く細い素足には、底の厚いサンダル。海風に衣服がヒラヒラと揺れ、麦わら帽子が飛ばされないよう、手で押さえており──、


「眼福です」

「ねね、マナも並んできてよ。写真、撮っとくからさ」


 あかりがそう言うので、私はまなの肩に片手を置いて、もう片方で自分の帽子を押さえる。そして、私に気づいたまなが、両手で帽子を押さえたまま顔を見上げて、視線が交錯する──。


 我ながら、完璧な構図だ。


 魔法で写真が撮れたことを、手を挙げて知らせるあかりに、私は手招きをする。魔法の写真は撮ると同時に現像されるので、失敗するほど枚数が増えていくのだが、そういうこともなかった。


 三人で一緒にも撮ってもらいたかったのだが、どれだけ待っても、人が通らなかった。魔法なのだから、それくらい自撮りできるようにしてほしいところだ。


 いっそ、自分で魔法を作ろうかとも思ったが、少し時間がかかる──などと思っていると、まながチェケなるものを取り出した。なんでも、魔法なしで使えるところ以外は、魔法で写真を撮るのとなんら変わらないらしい。


 つまり、チェケを浮かせて、シャッターを魔法で押せば写真が撮れて、すぐに現像されるということ。これぞ、科学と魔法の合わせ技だ。やっと、三人で映ることができた。


 ──ちなみに、この辺りはつい先日、内乱に巻き込まれたばかりであるため、今は人がまばらにしか住んでいない。内乱を起こしたのは、私を信奉する正教会の信者たちで、その理由は私が即位しなかったからだと言われている。首謀者はまだ見つかっていないらしい。


 この場所が巻き込まれた理由はいたって簡単だ。おそらく、大都市ノアの中で一番、襲いやすいのがこの場所だったからだろう。主要部にいきなり被害を与えることは難しいため、こうして辺境から崩していこうという考えらしい。まあ、実際には、辺境すぎて、痛くも痒くもないと思われるが。


 とはいえ、遠くには倒壊した建物が数多く見受けられる。その数の分だけ、生活があったと思えば、被害は甚大だ。その上、ここに来てまだ、人の姿を見ていない。


「……へくちっ、寒っ!」


 そのとき、可愛らしいくしゃみが聞こえて、視線を落とす。すると、まなが薄い上着の前を閉め、暖を取るべくして、堂々と私を風除けにした。


「まだ早朝ですからね。温めて差し上げましょうか?」

「あ、ありがとぉぉ……」


 やっと、合法的にまなを抱きしめられる。小さな体に背後から抱きつくと、まなの体温を感じられて、安心する。頭に顎を乗せるとちょうどいいくらいの身長差だ。


 そして、とてもいい匂いがする。出会ったときとは香りが変わったようだ。しかし、どこかで嗅いだことがあるような──いや、いつも嗅いでいるからか。


「あー、あったかい……」


 まなが、温泉にでも浸かっているかのように顔を崩すのを見て、私は微笑を浮かべる。


「すみません、こんな薄着をさせてしまって」

「いいえ。むしろ、お礼だってこっちがするべきなのに、こんなにいいものまで貰っちゃって、なんだか、悪いわね」

「いえ。私がクレイアさんに着せたい服を選んできただけですから。少し大きいですが、もう少し温まった後で私の上着をお貸ししますね」

「ええ、ありがと」


 そうして二人並んでいると、シャッター音が聞こえてくる。盗撮防止のため、魔法にも音がつくようになっている。


「目が、幸せだあ……」


 眩しそうに目を細めて写真を撮るあかり、外した帽子をひっくり返して遊んでいるまな、そして、大義名分を振りかざし、まなの匂いを嗅いでいる変態、私。と、皆一様に気が緩んでいるが、実は、遊びに来たわけではない。


「さあ、釣るわよ」

「釣りますか」

「めっちゃ暇なんだけど」

「せめて、竿構えてから言ってくれる?」


 もちろん、ここを訪れたのは、依頼のためだ。ギルドから交通費が支給されるとあって、無料で海に行きたいという気持ちがあったのは否定しないが。


 海中に生態系を脅かすモンスター──通称、シーティリアが一匹、ルスファ海に紛れ込んだらしい。シーティリアは、ルスファ海では外来魚の扱いを受けている。


 繁殖力、生命力ともに高い上、モンスターであるにも関わらず、モンスターでない魚とも子を成すことができるので厄介だ。その上、子どもはすべてモンスターになる。つまり、魔法が使えるようになるのだ。


 ルスファの海にもモンスターがいないわけではないが、シーティリアが紛れ込むことにより、生態系にどんな影響が出るかは、そのときになってみないと分からない。


 過去の同じような事例の際は、モンスターしかいない海になってしまったそうで、漁業に大きな支障が出たらしい。


 そのシーティリアを釣り上げて保護、あるいは討伐して巣に還すことが今回の依頼の目的だ。


 ──だったのだが。

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