第2-6話 ゾンビ?

 金銭面で苦労しているからといって、先日のカルカルのように、報酬のいい依頼が都合よくあるわけではない。


 難易度が高くても、私たちにしか達成できないほどの依頼はそうそう転がっているものではなく、本業の冒険者たちに取られてしまうことも、しばしば起こりうる。登校前に確認していても、下校する頃には解消されている、なんて話はこの数日だけでも、頻繁にあった。


 レイから聞いた話によると、依頼は人の少ない平日に発生することが多いそうだ。それは、人が少ないとモンスターの動きが活発になるからであり、その分、アルバイト感覚の冒険者まで現れる休日には、依頼が少なくなる。


 当然、学生の立場でそうそう、いい依頼など受けられるはずもなく、難易度の高いものに挑むか、それすら全部解決してしまったときには、それこそ、雑草を抜くくらいしかやることがなかった。とはいえ、ランクはみるみるうちに上がっていき、難易度を選ばず依頼を受けられるようになるまでには、あっという間だったが。


 一つ、幸いなのは、レイのおかげで、それなりの依頼を横流ししてもらえることだ。平日に発生した依頼の一部を掲示せず、そのままこちらに回してくれると約束してくれた。なんともありがたい話だ。ここまで来てレイに甘えてしまうというのも、情けない話だが。


「何か、気になる依頼でもありましたか?」


 まなは、「ええ」と肯定の意を示して、ギルドで印刷してもらったらしき紙を差し出す。そこには、「ゾンビ退治」と書かれていた。


「この依頼、ずいぶん前からあるわよね。なんで、誰も受けないのかしら? 報酬も難易度もそんなに悪くないと思うんだけど」

「──精神的嫌悪の度合いで言ったら、これを上回るものはないかと」

「精神的嫌悪……気持ち悪いとか、そういう話?」

「はい。あれと戦うくらいなら、便器に顔を突っ込んだ方がまだましです」

「とてもお姫様とは思えない発言ね……」


 元々、こちらが素だというだけで、私は決して清楚な姫ではない。人目があるからこそ、常に見られているという意識を持って生活しているだけだ。


「ゾンビ──つまり、死体に魂が入り込み、動くようになったものの総称ですが、ここ最近、多く報告されていますね」

「へえ、説明ありがと。でも、なんで多いのかしら?」


 二十年ほど前までは、世界全体で見ても、せいぜい、月に一、二体程度しか発生しなかったそうだが、ここ十五年の間にその数は急増し、現在では、どこの国でも問題視されるようになってきた。現在のルスファでは、月に千は下らない数のゾンビが発生している。


「原因究明が急がれるところではありますが、そもそもゾンビとは、その起源からして正確な情報が何一つない存在なので、考えようがないんです」

「じゃあ、死体に魂が入ったっていうのは、どこから来たの?」

「それは、大賢者がそう公言しているので、間違いないかと」

「大賢者? ああ、れなのことね」


 思い出したように確認するまなに、首肯する。まなはおそらく、王都でれなと顔を合わせたのだろう。おおかた、彼女は自分が、まなの姉であることは伏せたのだろうが、ともかく、世界を見通す存在である彼女の発言に嘘偽りなど、あろうはずもない。


 となれば、この世には肉体とは独立した、魂、というものがごく普通に存在し、それらが悪さを起こすことも、あり得ない話ではないのだろう。


 加えてれなは、そういうものが「見える」体質らしい。私は霊的なものとはまったく無縁の生活をしてきたが、まなもおそらく「見える」のだろう。病院で酷く怖がっていた姿を、よく覚えている。


「じゃあ、れなに聞けば原因が分かるんじゃない?」

「しかし、彼女が公言していないということは、今はまだ、そのときではないとも考えられます」

「単に忘れてるだけかもしれないわよ。あれで以外と適当だから」

「……さすがに、こんなに大事なことを、忘れてはいないだろうと思いたいところですが」


 彼女への絶大な信頼はあるが、彼女でも、お酒の入ったチョコレートを取り除くのを忘れることはある。あるいは、あれは故意だったのかもしれないが、それはともかく。


「とはいえ、彼女もあれで、暇ではありませんから。直接尋ねるのは難しいかと。あるいは──」


 妹であるまなの求めになら応じる可能性は否定しきれないが、それに頼るには、まなに一から説明しなければならなくなる。それでは、れなとの約束を破ることになってしまう。


 だから、言葉の続きを待つまなに、私は、なんでもない、と首を振った。


「そう? まあ、とにかく、今週末はゾンビ退治で決まりね」

「なんでですか!?」

「汚いくらい、生きるためならどうってことないわ」

「……その言葉、今に後悔しますよ」

「お金がもらえるなら、便器でも下水でも構わないわ。手洗い場の水だって、いっそ水溜まりですら啜るわよ」

「そんなに困窮しているんですか?」


 ちょうど話の流れが回ってきたので、それとなく、奨学金に関わる話を聞いてみる。


「ええ。色々あって、頼る人がいないの。最近は貯金を切り崩してる状態ね。だから、この間の臨時収入は助かったわ。ありがとう」

「いえ、私たちはパーティーですから、気にすることはありません。でも、そうなんですね……」


 今となっては、私も同じような状態だが、彼女の平然とした態度には驚かされる。私はうじうじと、いつまでも、どうにもならないことを考えてしまい、不安で仕方がないというのに。


「クレイアさんは、強いですね」

「あんたは弱いの?」

「弱いですよ。私以上に弱い人なんて、きっといません」


 私と同じ立場にあったとして、国を捨てるような愚か者はいないだろう。もちろん、彼のことがあって、こちらを選んだというのは嘘ではない。


 ただ、期待されることへの重圧に耐えきれなかったというのが、なかったわけではないのだ。私の言葉一つで変わってしまう世界が、恐ろしかった。初めてのことでも、なんでもできてしまう自分は、気味が悪かった。


 私に懇意にしてくれるその理由が、私の才能や地位に向けられたものなのか、私の取り繕った性格のおかげなのか、生まれながらにして愛される運命にあるだけなのか。だとすれば、神に見捨てられたら、その時点で終わりではないのか。私は何でも持っているが、それをいつ失うかは分からない。


 それが怖い。


 そうして、私は、欲に流された。一時の感情に。これだけのものを与えられていながら、本当に、どうしようもない──。


 すると、頭に小さい手が添えられて、ゆっくりと、慣れない調子で頭を撫で始めた。


「まあ、大丈夫よ。たいていのことは、意外と何とかなるものだから」

「まなさん……」

「あたしはクレイアよ。誰がどうやってつけたかも分からない名前より、出自が分かる苗字で呼ばれた方がしっくり来るわ」

「それでも、私は、まなさんと呼ばせてほしいです。無理に、とは言いませんが。──それから、ゾンビだけは絶対にないです」


 便器と下水はいけたとしても、ゾンビは無理。本当に、無理。


「何がそんなに嫌なのよ? 死者に対する冒涜だから?」

「いえ、それは前提としてありますが、まず、汚物をさらに発酵させたような、目が痛くなるくらいの激臭。次に、表面の溶けかけた皮膚に付着している、便座の数億倍の、菌、ウイルスたち。それから、なんと言っても、あの、頭から生えた二本の細長い黒い触角! あれが、左右それぞれ、うっしゃうしゃ動くんですよ! まるでゴ──」

アイちゃん、トンビアイス買ってきたから、その話題は今すぐやめてくれると嬉しいんだけど」


 見ると、あかりが扉の内側に立っていた。扉が開く音にも気がつかなかった。


 彼は、無限収納から、私が頼んだトンビアイスを四本取り出し、そのうちの一本を開封して私の口に突っ込む。


「あかり、ゾンビ退治に──」

「行かない」

「でも、結構、報酬もらえるわよ? それに、この間の依頼は、あんたたちに合わせてあげたじゃない」

「それはそうだけど。それでも、ゾンビだけは無理。絶対」

「なんでよ? ゴ──」「わーわー!」「──だって、必死に生きてるのよ?」


 必死に生きる小さな黒光りはまだいいとしても、ゾンビは無理だし、無理なものは無理だ。


「もうさ、僕的にはさ、異世界に来たら、あいつとは縁を切れると思ってたんだよね。それが普通に出るってさ、もうほんと無理なんだけど」

「なんでそんなに嫌なの? 揚げて食べると結構美味しいわよ?」


 ──何か、爆弾発言が聞こえた気がするけど、気のせいだよね。うん。あーあー、都合の悪いことは聞こえませーん。


 すると、すっと、あかりが瞳の温度を落としていく。


「どうせさ? 目が覚めたら、やつの死骸が全身に乗せられてて? エビフライの尻尾と一緒だとか言って、沸騰した油ぶっかけられて? 挙げ句、生きたまま口の中にやつを突っ込まれた僕の気持ちなんて、誰にも分からないと思うんだ」


 ──さっきから何なの? 爆弾発言ブームなの? 急に怖いこと言い出したんだけどこの人。急に暴露しないでくれるかな。重すぎて、まなさんが受け止められるか心配だから。


「いじめでも受けてたの?」

「いじめ? ああ、あれ、いじめだったんだ。今気づいたよ。まあ、呼び方なんてどうでもいいけどさ。はは」

「……はいはい、分かったわよ。行かないから。安心しなさい」

「ひゃっほい」

「急に嘘っぽくなったわね……」


 ──さすがまなさん、何事にも動じない。しかも、さらっと受け流した。


 とまあ、あかりも茶化してはいるが、すべて、彼の妹に実際にされたことらしい。他にも、その日着る服の内側に、蜂が仕込んであったとか。作ったご飯は、必ずゴミ箱に捨てられて、手で食べるように指示されたとか。ほどよく断食させた犬と同じ部屋に入れられて監禁されたとか。聞いているこっちが辛くなるような話だ。一番辛いのは彼に違いないが。


 とはいえ、今回は単なる虫嫌いによるものであり、それらの嫌な記憶とは、ほとんど関係がないだろう。まあ、そもそも、彼が虫嫌いになったのは、それらの記憶のせいなのだろうが。


「それじゃあ、どうする? 古代遺跡の調査は時間がかかるから、ゴールスファさんの体調が良くなるまでやめた方がいいと思うけれど。そうすると、ドラゴンの暇潰しくらいしか──」

「それも嫌だ」

「……ダメなのばっかりね。うーん、じゃあ、少し報酬は落ちるけれど、これはどう?」


 そうして、まなは一枚の紙を取り出した。依頼を複製してもらってきたらしい。私たちはその内容にさっと目を通す。だが、あかりは途中で理解を放棄したようだ。根気が無さすぎる。


「とてもいいじゃないですか。これにしましょう。クレイアさんは、いつがご都合よろしいですか?」

「そうね。今週はちょっと急用が入って忙しいから、来週の休日にしましょう」

「へえ、まなちゃんにも用事とかあるんだ」

「は?」

「だって、友だち少なそうじゃん?」

「あたしにだって、用事くらいあるわよっ!」


 あかりがまなをからかって遊んでいたのが、実は、羨ましかったりもした。

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