第1-19話 たった一言の覚悟

 防音をほどこしたまま、四人は部屋から出た。王や女王、王子、姫を部屋から追い出し、あんな歩く度に音が鳴るような廊下で待たせておける人物など、世界にあかりくらいしかいない。ある意味、最強だ。


 そして、しっかり扉が閉まったのを見てから、彼は椅子から降りて、私の横に座り直した。


「大丈夫だよ、マナ」

「でも──」


 彼は私の頭を撫でて、微笑んでくる。そう、私はいつまでも、彼が忘れられなかった。いつだって、一番は、そこだ。きっと彼は、私が躊躇ためらう理由が分かっているのだろう。


「──結婚してくれませんか」

「おっと、マナ積極的だねえ」

「茶化さないで、馬鹿」


 私にとっては、国の未来も、戦争も、苦しむ人々も、すべて、二の次でしかなかった。


 ──ただ、どうしたら、彼とずっと一緒にいられるか。それだけだった。


 しかし、私がクランの称号とゴールスファの姓を捨てれば、次はどうなるか分からない。たかだか、一人の人間の婚約で戦争が起きる世界なのだ。今度は私を排斥はいせきしたゴールスファ家が滅ぼされて、私が新たな国の王として祀り上げられてもおかしくはない。


 ただ、それよりも、もっと恐ろしいことがあった。


「そんなに考えすぎなくてもいいんじゃない?」

「誰のせいだと思ってるのっ」

「えー僕のせい? それは、嬉しいなあ」

「馬鹿、馬鹿馬鹿!」

「三回も言われたっ!」


 私は机にうつ伏せる。なんで、こんなやつを選んでしまったのか。自分で自分が分からない。本当に悔しい。


「結婚」

「いやあ、だから、それはもう少し待って──」

「じゃあ婚約」

「どうしても、やりたいことがあるからさ、それまでは──」

「いつもいつもそうやって──っ!」


 私は彼の顔を睨みつけようとして──エトスに殴られた頬が赤くなったままだったから、毒気を抜かれてしまった。それが戦略なのだとしたら、彼は相当の策士だ。


「ごめんね、マナ」

「……なんで逃げるの。なんで何も教えてくれないの。どうして、私を選んでくれないの? 私が悪いの? どうしたら、ずっと一緒にいられる?」

「今は、まだ──」

「それなら、いつまで待てばいいの?」

「やりたいことが終わったら、ずっと一緒にいるよ。絶対に」

「答えになってない!」


 そう叫んだきり、私がうつ伏せていると、彼は私の頭をで始めた。彼は頭を撫でるのが好きだ。そして、そうされると、私は簡単にほだされる。我ながら、安い女だ。


「──他に好きな子でもできたの?」

「そんなのできるわけないじゃん。僕にはマナしかいないんだから」

「私のこと、好きじゃなくなったの?」

「そんなわけないじゃん。むしろ、嫌いなところが見つからないね」

「嘘。本当は、重いし、面倒くさいし、鬱陶うっとうしいって思ってる」

「そんなところも好きだよ」

「……口先ばっかり」

「そうだね。ごめん」

「謝るくらいなら、責任を取って」

「もう、待てない?」


 ──それは、卑怯ひきょうだ。


「それなら、そろそろ、僕を嫌いになってよ。そうじゃないと、辛いだけだよ。それに、絶対に許さないって、言ってたじゃん?」

「嫌い。ずっと前から、とっても嫌い。一番嫌い。一生許さない。もう、死んじゃえ」


 声に言葉通りの感情が乗らない。当然だ。それらも本音ではあるが、それを遥かに上回るくらい、彼を愛しているのだから。


「マナは、すっごく馬鹿だねえ」

「馬鹿でいいの。……ねえ、私のこと、どう思ってる?」

「ん? めちゃくちゃ可愛いなあって」

「死んじゃえ」

「あはは」


 期待した答えをくれる気はないらしい。いつもは想像通りのことしか言わないくせに。


 私は机から起き上がって、彼の顔を見つめる。赤い頬は、反省してますと、見せつける意味では効果的だ。私も思いきり殴ってやりたい気分だが、以前、出会い頭にそれをやって気絶させているので、どうにも躊躇ためらわれる。


「ねえ、マナ。僕、マナのカッコいいとこ、見たいなあ」


 不意に、彼がそんなことを言った。いつまで、私は、どれだけ、頑張ればいいのだろうと思う。この男一人に、どこまで人生を狂わされるのだろうとも思う。それでも、それが彼の頼みならば。それが、彼と一緒にいるために必要だというのなら、私は。


「──いいでしょう。見せつけて、惚れ直させてあげます」

「それは困るなあ。これ以上好きになったら死ぬかもしれない」

「……はい、そーですか。ふんっ」

「あ、照れてるー」


 嫌いになるところしか見つからないのに、いつから私は、こんなに馬鹿になったのか。思い返してみても、よく分からない。改めて考えると、出会ったときから、彼のことばかりだったような気もする。


「自分のしたいようにしていいんだよ、マナ」

「……じゃあ、聞きたいから聞くけど。私のこと、好き?」


 それだけ、本心からの答えを聞くことができたなら、私は、何を選ぶか決められる。


「いやあ、それは……」

「ねえ、ちゃんと答えて」

「だって、恥ずかしいじゃん」

「私は今でも、あなたが好き。大好き。──はい、先に言ってあげたから、今度はそっちの番」

「何そのルール!?」

「真剣に聞いてるの」


 私が睨むようにして、綺麗な黒色の瞳を見つめていると、彼は観念したようにため息をついて、真面目な顔で言った。


「好きだよ」

「本当に?」

「うん。ずっと好きだよ」

「もう一回、言って?」

「大好きだよ」

「──信じていいの?」

「信じて」


 ──ならば、答えは、もう決まった。


***


 再び、一同はこの狭い部屋へと集まった。


「覚悟は決まったか」


 エトスに問われて、私はゆっくり、口を開く。これから大きな決断をするというのに、不思議なほどに、心臓は落ち着いていた。


「──お母様。今まで、ありがとうございました」


 理解が追いついていない様子の一同を置き去りに、私は続ける。


「他国の姫でありながら、当時ルスファの王位継承権第一位を持っていたお父様に見初みそめられ、現在に至るまで、様々な困難に見舞われたことと思います。お父様が先立たれてからも、周囲の目におくすることなく女王として君臨し、私たちを守ってくださいました。本当に感謝しています」


 それから、エトスに視線を向ける。


「お兄様。あなたは厳しい人でしたが、その裏にはいつでも、優しさが隠れていることに、私は気がついていました。何かあったとき、とても頼れる存在でした。ずっと、信頼しています」


 次にモノカ。


「お姉様が色々なことを楽しそうに話してくださる姿が、私は好きでした。お姉様にとっては、私は可愛いげのない妹だったかもしれませんが、私にとっては、最高の、理想の、自慢の姉でした」


 最後に、トイス。


「トイス。あなたには、一つだけ、謝りたいことがあります」

「姉さん──」

「幼い頃、私の髪を切ってしまい、それから対人戦が苦手になってしまいましたね。……実は、あれは、あなたが手を滑らせたせいではないんです。私が、髪を切りたくて、体勢をずらしたんです」

「そう、だったのか」

「誰よりも一生懸命で、誰よりも人のことを思いやれるトイスには、今まで、辛い思いをさせてきましたね」

「……なんで、今まで言ってくれなかったんだ」

「トイスが怒るかと思って。申し訳ありません」


 本当は、そんなことはしていない。ただ、当時、トイスは四歳、私は六歳だった。トイスには、おそらく、私と同等の剣の才がある。それを、私は幼いながらに理解していた。だからこそ、むきになって本気で戦い、髪が切り落とされるほどの激戦になったのだ。


「本当に、私は幸せ者です。感謝の思いでいっぱいです。それから、本当に、申し訳なく思います」


 私は一度、呼吸を置いて、それから、こう言った。


「──現時刻をもって、マナ・クラン・ゴールスファの名のもとに、私は王の称号、クランを返還するとともに、ゴールスファの家名を捨てます」

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