第1-17話 彼がしたこと
翌朝、平原で軽いトレーニングを済ませて、部屋に戻る。基礎を徹底的に究めることは部屋でも十分にできるが、実戦を顧みるとなると、部屋を壊しかねない。そのため、外に出ていた。
とはいえ、今日は、この間のように市街戦に持ち込まれたときの対策を講じていた。大立ち回りをせずとも済むように──最終的には、室内にも被害を出さないくらいの余裕を持ちたいところだが、いきなり部屋で特訓して、この間のようにまなに見られるのは恥ずかしすぎる。
というわけで、フィールドに出ていたのだが、自室の扉を開けて──直後、硬直した。
そこには、一同が勢揃いしていた。
──エトス、モノカ、トイスという、私の兄、姉、弟。それから、私の母でもある現女王ミレナだ。
普通の人には、この宿舎は見えないように魔法がかけられているのだが、彼らには見えるらしい。また、部屋にはあらかじめ、防音の魔法がかけられているのが分かった。
それにしても、なんとも、場にそぐわない面子だ。一般の物よりいくらか小さめな部屋に、古ぼけた外装、手入れだけは行き届いているが、築年数は誤魔化せない。そこに国王、女王、王子、姫と揃っているのだから、いっそ、笑ってしまう。今ここで何か問題が起きたら、ルスファは終了だ。せめて、護衛くらいはつけてきてほしいところだが、私がいれば大丈夫という考えも分からなくはない。
「マナ。座りなさい」
幼子を叱るように女王に諭されて、私はどうしたものかと動きを止める。ふざけたことを考えて現実逃避してはいるが、ここまでされて状況が分からないほど、私も愚かではない。
「女王が座るよう仰ったのが聞こえなかったのか」
なかなか座ろうとしない私に、兄であるエトスが鋭い剣幕でそう言い放った。先代の王である父が病死した際、私が王都から逃げたため、継承権に従い、王となった人物だ。
事実、エトスがこの国の王なのだが、即位したときは民衆からの不平不満があまりにも多かった。私を王女にして実権を握らせるべきだという意見が大多数を占め、激しい反対運動が繰り広げられた結果、彼は自らを王と名乗ることができなくなってしまったのだ。
そのため、慣例に従い、私は十六になるまで即位できないとし、エトスはその間だけの代理だと、公には説明している。そうでもしないと、あの混乱は抑えられなかった。
しかし、なぜ、そんなにも私を支持する声が多かったのか。一言で言ってしまえば、私には国民の支持を集める圧倒的な才能があった。それだけのことだ。
──お茶でも用意しようかと思ったが、とても、そんな雰囲気ではない。私はそれ以上、何かを言われる前に自分から座った。王座を空けてまで来るほどだ。さすがに、
「本題から入る。──女王になるかならないか、どっちだ」
「……本当に本題ですね」
正直、甘えはあった。まだ、大丈夫。私が女王にならなくても、きっとエトスが代わりにやってくれる。なんとかなる、と。
そうして、私の十六の誕生日から、一ヶ月が経った。国民の不満は日に日に積もっていくばかりだ。学校でも、いつ即位するのかと聞かれることが増えてきた。
それでも、ずっと目を反らしてきた。そんな問題を、今、目の前に突きつけられた。先の爆発事件のこともある。これ以上、誤魔化し続けるのは不可能だ。
「女王になるというのなら、今日から二日かけて儀式を行い、
「──はい」
なんとか、大きな動きを抑えられているのは、
それは、三百年に一度の大きな祭で、女王の歌声を蜜に変えることにより、先三百年の魔法植物の実りを決める、大事な行事。
そこに、私が女王として参加すると思われているからこそ、なんとか抑えられている。そのときに、なるしかないと、言われているようなものであり、誕生日祝いのパーティーをすっぽかしても咎められなかったのはこのためだ。
しかし。
「……今はまだ、そのときではないかと」
「マナ。あなたには、一年という、十分な時間を与えたはずよ。それを、勝手に魔族が運営する高校へと進学して、宿まで借りて、一体どういうつもりなの?」
まったく女王の言う通りだ。私は城を抜け出した。しかし、そのときに、即位するまでの一年、自由な時間をもらったのだ。そして、宰相としてエトスを補佐するという約束を
その上、入学手続きの際は、保護者が書く
「なぜ女王になることから逃げている」
「それは──」
「マナ、冷蔵庫になんか入っ……てええぇっ!? もしかして、僕、めっちゃタイミング悪い!?」
いつもの要領で、あかりがノックもせずに、鍵を開けて入ってきた。本当に、間が悪い。それを見もせず、エトスが言う。
「そこに座れ、榎下朱里」
「いやあ、僕、この空気はちょっ、とお、無理な感じ──」
「座れ。次はない」
「……はーい」
あかりが私の隣に座った。もちろん、椅子など人数分揃えていないので、正座だ。しかし、彼は座った瞬間から、すでに苦しいという顔をしている。それを見たエトスがため息混じりに言う。
「できないのに無理に正座しようとするな。椅子に座ればいい」
「あ、はい、すみません……」
そうして、みんなが正座する中、あかりは一人、椅子に座った。居心地悪そうに、小さく背中を丸めている。それはエトスの優しさというよりも、そうしないと話にならないからという、呆れの方が大きい。
「榎下朱里。昨今、巷でまことしやかに
「
「マナと婚約破棄したそうだな? それも、
「あー……はいはいはいはい、それですね。それですよね。それしかないですよねえ」
「お前が話していいのは、肯定と謝罪──はいとすみませんだけだ」
「はい、すみません!」
肯定と謝罪では、あかりには通じないと判断したらしく、エトスはわざわざ簡単な言い方に置き換える。それが
「弁明もなしか」
「……すみません」
エトスはあかりが敬語を使う数少ない相手の一人だが、どうにも、あかりはエトスが苦手らしい。傍から見ても、二人の相性が悪いのはよく分かる。
エトスが立ち上がり、あかりの方へと向かう。
「奥歯を食いしばれ。気絶するなよ」
顔面に拳が食い込んだ。次いで、反対の頬にも入った。それから、みぞおち──と、エトスはまるで止まる様子を見せなかった。
あかりに抵抗する気がないのを見て、私は鼻面に向けられた拳を、片手で受け止める。
「その辺にしていただけますか」
「……こいつが何をしたのか、お前は分かっているのか」
「私との婚約を破棄した。それだけです」
エトスが歯ぎしりをするのが聞こえ、私はその内心を推し量る。
あかりは、次期女王となる私と婚約を結んだ。当然、身寄りのないあかりとの婚約は、誰にも歓迎されなかった。いくら勇者として召喚されたとは言っても、まだ魔王を倒してもいないのだから。
その上、ここルスファは、大陸すべてが一つの大きな国であり、世界で最も大きな影響力を持つ。資源にも、叡知にも恵まれており、何より、魔力が最も豊富な大国だ。
また、世界を作ったとされる主神マナが最初に生み出したと言われる大陸でもあり、それゆえに技術の発達が早く、有史以前から他の国が団結しても叶わぬほどの軍事力を持っていた。
そうして、世界中の人々が、ルスファに生まれるということ自体が幸運だと、口にした。
──私はそんな国の次期女王と評される。つまり、世界の頂点に君臨する予定の、この世で最も尊きお方なのだ。
そのため、隣国だけでなく、世界の裏側の国からも求婚や見合いの申し出が嫌というほど来る。当然だ。私と婚姻するということは、世界を牛耳る第一歩となるのだから。
それを、どこの馬の骨とも知れぬあかりと婚姻したとなれば、世界中大パニック──かと思いきや、そんなこともなかった。いや、当然、騒がれはしたのだが、思ったほどの混乱にはならなかった。
もともと、私との婚姻など夢のようなものであるとされており、本気で望んでいる国は、一握りにも満たなかったのだ。
しかし、その一握りにも満たない国が問題だった。よくある手段ではあるが、嫌がらせにと、ルスファにのみ高い関税をかけたり、多国籍企業を片っ端から潰したり、領海に無許可で侵入したりした。
とはいえ、こちらからしてみれば、たいした問題はなかった。ルスファは国内で完全に自給自足ができており、余った品を貿易に回して利益を得ているだけであったからだ。倒産した企業すべてを丸ごと買い取るくらいの経済力は、私が用意していた。むしろ、それによって
そう、悲惨だったのは、喧嘩を売った相手国の方だったのだ。その上、世界中の国がここぞとばかりに、我が国に恩を売ろうとし、結果、ルスファの軍事介入なしで、わずか一ヶ月で計三つの国が滅んだ。
滅びた三国を元々頭のいい国だとは思っていなかったが、まさか、私の婚約だけでこんなことになるとは。当時の私は少しも思っていなかった。
さらに、私があかりと婚約を結んだことにより、自殺者が出た。私を神か何かのように慕う者は多く、その悲しみに暮れて挙げ句の果てにということらしい。私が思い詰めていても仕方がないとは分かっていたし、自分を責めないよう意識もしていたが、亡くなった方や、その関係者には、何度も何度も、心の底から謝罪した。
もっと驚きなのは、その中に一国の王子が含まれていたということだ。彼が本気だったことくらいは私も分かっていたが、だからこそ、私は以前にはっきりと断っていた。
それで終わりだと思っていたのだが、私が婚約したことにより、いよいよ、本当に望みが潰えたと知り、命を絶ったそうだ。彼に同情していても仕方ないが、王子を失った国は、あまりにも哀れだった。こちらからの支援の手は一切受け取ろうとせず、疲弊しきって、一年と経たないうちに、隣国に吸収された。
こうした、多大なる犠牲の元に成り立った婚約を、あかりは破棄した──と説明すれば、エトスが殴りたくなる気持ちに一応の理由はつくだろう。
そうした混乱を恐れて、私やあかりは別れたことを誰にも口外しなかったが、私たちの様子を見ていてそう思った誰かが
──それでも、あかり自身がやったことは、婚約して、それを破棄した。それだけだ。
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