第1-14話 賢者の好意

 私は金属製の腕輪を素手で引きちぎると、瞬間移動で地下へと移動し、通路を真っ直ぐ駆け抜ける。


 この地下通路はとある事情により、大賢者れなが城に潜入するために築いたものだ。埋め立てるという話ももちろん出たが、賢者本人が、何かあったときの脱出経路として残しておくようにと言ったので、わざわざ監視をつけてまで残している。


 ちなみに、その監視というのは、私の弟──第二王子のトイスだ。私と顔立ちがよく似ており、歳も近いことから兄弟たちの中でも特に懇意にしていた。紫髪に大きなオレンジの瞳、齢十四。私は桃髪に黄色の瞳だが、まあ色違いみたいなものだ。もちろん、まだ可愛らしい顔をしていればの話だが。


 通路を駆け抜け、私は回転扉を回し、通路を出る。そこは、こじんまりとした部屋だった。一言で言うなら、クラシックなバーを思わせる雰囲気だが、家具はアンティークの寄せ集めで、統一感がない代わりに、却って生活感が漂っている。


「姉さん!?」


 ソファに座りながらも、見張りとして通路を警戒していたであろうトイスは、入ってきたのが私だと気づくなり、叫びを上げて立ち上がった。


「お久しぶりですね、トイス。──それで、あなたは私の敵ですか、味方ですか」


 敵ならば、連絡されるのを防ぐためにここで落とす必要がある。いや、落とさなくても脱走経路など限られているので、バレるのは時間の問題だが、不安要素は取り除いておくべきだ。


 仮に味方ならば、ひとまず、この部屋でかくまってもらうつもりだが──、おそらく、敵だろう。


 トイスとは仲がいいが、昔から私を神格化しているようなところがある。女王になるのは私しかいないと、本気でそう思っていても、おかしくはない。


 そしてそれは、臨戦態勢を崩さないところを見ても、間違いない。


「答えるまでもなく敵のようですね。ちなみに、以前、れなさんがこちらを訪れたのは何日前ですか?」

「え? つい昨日だが……」


 れなはこうした小屋を幾つも所持しており、それらに交代で住み着いている。毎日小屋を変えるため、居場所を特定するのは難しいが、私と彼女の間にはいくつかの合図があった。


 その一つが、私がこの通路を使う一日前に、この小屋に立ち入るということ。


 れなは大賢者であり、あらゆる事柄を見通す能力を持っている。その力で、彼女は私がこの通路を通るか通らないか予測しているのだ。


 とはいえ、それがどの程度確実なものであるかは、私には知りようがない。その確認のためにこうしたルールを設けているというわけだ。


 つまり、私がこの通路を通って逃げることは、れなにとっては計算済みだということ。となると、どこかで私をかくまう準備をしてくれていると期待してもいいだろう。


「私とここで出会ったこと、内密にお願いできますか?」

「──すまない。直ちに連絡、を……」


 鳩尾みぞおちを殴り、トイスを気絶させ、ソファーに座らせる。彼のプライドを傷つけてしまったことを心の中で謝罪しつつも、今はそれに構っている余裕はない。


 ──外に出てすぐに、れなの姿を見つけた。彼女は常に認識阻害付きのフードを被っており、顔がある部分は闇が広がっているかのようで、見えない。だからこそ、むしろ彼女は見つけやすかった。


 私が出てくるのが分かっていたのだろう。れなは先に私の姿を発見していたらしく、駆け寄ってきていた。


「お姫ちゃーん! 会いたかったよ! アイラービュー!」

「そうですか」

「ふぅ! 相変わらず、クールだねーっ!」


 そう言いながら、れなは私の頭から何かを被せた。──どうやら、れなと同じフードのようだ。


「これでお姫ちゃんだってバレることは、よっっっぽどないから」


 魔法による連絡は、事が起こるとほぼ同時に行われる。この世界の情報伝達は、これより上はないと感じるほどに速い。つまり、私の脱走は、すでに城の関係者全体に伝わっているということ。それから数分と経っていないのに、兵士たちは私を捜している様子だ。とはいえ、それにいちいち怯えたりはしない。


 城からの脱走など、もう何度もやっていることだ。慣れている。


「とりあーず、うちにおいでー」


 そうしてれなは、私の頭をフードの上から撫でると、早足で歩いていく。あまり時間はかけたくないのだろう。


 そのとき、何気なく振り返り、地面に大きな穴が開いているのを見つける。道を塞ぐほどの大穴で、深そうだ。以前来たときには、焦っていて、気がつかなかった。


「あの穴は、なんですか?」

「後で説明したげるよん。今は、急ごう」


 れなの指示に従い、兵士たちの目をかいくぐり、くるくると、時に遠回りをしながら歩いていく。気づかれる心配がほとんどないとはいえ、警戒するに越したことはない。


 そうして、私はれなが所有する小屋のうち、先ほどのものとは別の一つへと入った。


 ──そこは、洋風のリビングを切り取ったような一室だった。先程の小屋よりも生活感という面で数段上だ。おそらく、今、こうして、生活感を漂わせている小物たちは、小屋を移動する際に持ち運ぶのだろう。


 れなが特徴的なリズムでノックをすると、鍵が開いた。魔法ではなく、手動だろう。となれば、中に人がいるのだろうが、


「うえるかむ、お姫ちゃん!」

「お邪魔します。──そちらの方は?」


 案の定、鍵を開けた人物がそこにはいた。灰色の髪に瑠璃るり色の瞳。柔和な笑みを浮かべた痩せぎすの男で、肌は病的に青白い。


「こっちは気にしなくていーの」

「旦那さんですか?」

「きゃーっ、照れちゃうーっ! 妊娠四週目なのー、かにかにー」


 れなは両手の指を、ハサミのようにチョキチョキさせていた。肯定されたことへの驚きも冷めないうちに、聞いてもいないことまで教えてくれたが──そうか。彼女も今年で二十四。


 私が物心ついたときからお世話になっていたため、あまり実感はないが、もう、そういうことがあってもおかしくない歳なのだ。


 そんなことを考えつつも、招かれた部屋にお邪魔して、自己紹介をする。


「マナ・クラン・ゴールスファと申します。いつもれなさんがご迷惑をおかけしております」

「シニャック・ロゼッシュです。れながいつもお世話になっています」

「なんでぇ!?」


 シニャックは、何か言いたげなれなを微笑み一つで一蹴して、私にソファを進める。それに礼を言って座る。


「それで、いつまで匿ってくださるのでしょう?」

「んー? お姫ちゃんが望むなら、一生ここにいてくれてもいーよ!」

「そういうことではなくてですね……」

「もー、ノリ悪ぅーよん。そだねー、んーと、明日の午後くらいまではここにいるつもりだよん」

「それに着いて行くことは可能でしょうか」

「可能だけど、その頃になったら、助けに来るんじゃなぁーかなぁ?」

「あかりさんですか」

「んーふふっ、半分正解、半分ブブーっ」


 れなの、してやったり顔に、私は思考を巡らせつつ、シニャックに出されたチョコレートをありがたくいただき、同じく、紅茶を啜る。


「かなりの名品とお見受けしますが」

「お姫ちゃんが来るからねん、張り切っちゃったっ」


 ミーザス産最高級のカカオの味がする。このチョコレート一粒でトンビアイスが三百個は買えるだろう。張り切ったからと言って、買えるとも思えないが、一体、何を企んでいるのだろうか。


「それで、半分不正解というのは、どういう意味でしょうか?」

「それはねー、なんと! まなちゃが来るんだよー! どう、うれしー?」

「……本当ですか? なぜ、そこまでしてくださるのでしょう。てっきり、私は嫌われているのだと思っていましたが」


 嬉しいか嬉しくないかで言ったら、とても嬉しい。踊り出したい気分だ。


 だが、なぜ、という疑問は付きまとう。


「ははーん、なるほどねー……。まー、良かったじゃんじゃん! 二人も恋人がいるなんて、れな、羨ましーなー」

「……いませんよ、恋人なんて。どうせ、一生独身なんです。はっ」

「やさぐれてるねーっ。ほら、チョコチョコ。もっと食べよ?」


 カリッと噛むと、瞬間、香りが鼻まで突き抜ける。さすがは、我らがルスファ王国を代表するカカオの産地、ミーザスだ。この甘さが、すべてを忘れさせてくれる。


「それで、どうしてこんなに高いチョコレートを?」

「それがさー、夏くらいになったら、れなたちしばらく、遠いとこに行く予定なんだよね。お姫ちゃんとまなちゃの顔見れなくなっちゃう、かなピー」

「あ、そうなんですね」

「何その反応! もっと寂しがってくれてもいーじゃん!」

「寂しいのはあなただけだと思いますが」

「酷い! 何かあっても知らないからね!」


 その言い方は、確実に何か起こることを示唆しさしている。ふざけた女ではあるが、これでも一応、賢者なのだ。


「何があるというんですか? 先に教えておいてください」

「賢者の予言なので、言えません!」


 賢者の予言は、外れることがない。つまり、未来そのものなのだ。だからこそ、むやみに口外してはならないし、れなは各所から狙われており、こうして逃げる必要がある。


 ともあれ、答えてくれないのなら仕方ないと、しばしの別れのために用意された、高級チョコレートを私は遠慮なく消費していく。


「あ。これ、お酒が入っていましたね」


 食べてから気がついた。半ば無意識に、吸い込むように食べていたので、匂いの違いに気づかなかった。


 ルスファではお酒は二十歳からと決められている。私はまだ十六なので、当然、飲むのは禁止されている。


「まー、ちょっとくらい、いーでしょ」

「れーな。お酒の入ってるチョコレートは分けておいてって、僕、言ったよね?」

「あ、えっと、いや、そのー……」


 れなの目が左右に泳いでいる。れなが動揺するなんて、非常に珍しい。


「何か言いたいことがあるのかな?」

「いやぁー、ちょぉーっと忘れてただけで、別にお姫ちゃんに食べさせるつもりはなかったと言いますか、わざとじゃないといいますか……」

「うん。それから?」

「そ、それからー、れなも最近、忙しくて、ちょっとこっちに割く脳がなかったと言いますか。その……」

「いいよ。言い訳なら、いくらでも聞くから。なんでも言ってごらん?」

「ご、ごめんなさい……」


 シニャックが終始笑顔なのが、また怖い。見ている分には面白くて仕方がないけど。


 とはいえ、れなにも弱点があったとは。いつも無敵なので、本当に敵などいないのかと思っていたのだが、こんな姿はなかなか、新鮮だ。


 そうこうしているうちに、チョコレートもすっかりなくなってしまった。他にやることも限られている。


 そうして二人を見つめていると、振り返ったシニャックの青い瞳と目が合う。私が何か言いたげだと感じたのか、彼は柔和な笑みを浮かべて、首を傾げる。


「久しぶりの王都なので、少し観光してきてもいいでしょうか?」

「ああ、そうですよね。ええ、もちろん、構いませんよ」


 と、シニャックは二つ返事で快諾してくれた。だが、れなは面食らったような表情を浮かべる。


「ちょ、お姫ちゃん、置いてかないでー……! まだ追っ手がー……!」


 追っ手が、と言ってはいるが、置いていかないで、と先に言っている時点で、どちらが本心なのかは言うまでもない。


「れなは僕とお話ししようか?」

「いーやー……!!」


 そんな仲のいいやり取りを横目に、ふと、彼のことを思い出し、急に心配になるのだった。

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