第1-13話 懐かしい天井

 それから、あかりを病院に連れて行った。私が治したので間違いはないだろうが、一応、検査が必要だと判断したのだ。


 異世界から来た彼には身寄りがないが、便宜べんぎ上、私の両親が保護者ということになっている。また、元の世界ではろくな暮らしをしていなかったらしく、病院の行き方も知らない。


 それは、方向音痴であることも一因だが、それ以上に、受付や診察の受け方、持っていくべきものなど、何一つ、想像すらできないのだ。もちろん、そのことは知っていたので、私が付き添った。


 問題なし、の結果を受け、診察室を出るや否や、あかりが、不安を隠そうともせずに、尋ねてきた。


「あの人、僕の背中見て、どんな顔してた?」

「少し驚いていただけです」

「本当に?」

「はい。本当ですよ」


 ──嘘だった。彼の背中の刺青に対する反応は、人それぞれだが、今日の医者は酷かった。全身火傷ということで、火傷していた箇所はすべてさらす必要があったが、あの医者は背中を見たとき、露骨に不快そうな顔をしていた。わざわざあかり本人には言わないけど。 もう二度と、この病院には来ない。


「あ、言い忘れてたけど、治してくれてありがとうね」

「……はい」


 あのまま、治さずにいれば、刺青もきれいに消えて、傷もきれいに治ったかもしれない。可能性はゼロではなかった。──命を落とす確率も跳ね上がっていただろうが。


 と、隣から、小さなため息が聞こえて、答えの出ない思考の海から、意識を引き上げる。


「そんなに暗い顔しないでよ。マナは気にしてないんでしょ?」

「当然です。むしろ、カッコいいと思っています」

「じゃあ、それでいいじゃん。ね?」

「──そうですね」


 嘘でも彼が、それでいいと言うのなら、私が気にしていても仕方がない。むしろ、明るく振る舞うべきだ。


 ちなみに、まなもこの病院に運ばれたというのは、彼女の安否とともに、問い合わせて確認した。大きな病院なので、人間と魔族のどちらにも対応している。


 そうして気配を探せば、椅子の上で三角座りをしているまなは、すぐに見つかった。他の搬送された人々は、魔法による治療を受けた後、警察に簡単な取り調べを受けるなどして、すでに帰ったようだ。


 ただし、まなはうっかり、私やあかりと一緒にいたと言ってしまったがために、足止めを食らったようだ。彼女の出自のこともあっただろうが、ともかく、そういった話はすべて、あかりを引き取ったときに済ませてある。今は、まなも自由の身だ。


 しかしまなは、私たちも病院にいると警察から聞いて、待つことにしたらしい。そんな彼女だが、現在、椅子の上で縮こまって、ガタガタと震えていた。


「クレイアさん、どうしましたか?」

「あ、ご、ゴールスファささささ──」


 まなは私の苗字でフリーズしながら、虚空を指差して、何かを訴えていた。しかし、近づいて、手を伸ばしてみても、特におかしな点は見つからない。


「うわあっ!!」

「わあっ! ビックリしたあっ……いや、何!?」


 彼女は急に叫んで、あかりを驚きに巻き込んだ後、今度は別の方向を見て、震え始める。


「このままここにいたら、殺されるわ……」


 まなは病院が苦手らしい。可愛い──というよりも、その怯え方が尋常でないので、可哀想だ。幸いにも、まなも特に異常はなかったので、その日のうちに帰ることにした。


「クレイアさん、大丈夫ですか?」

「えええええ。こ、こんなの、余裕よ……。──お姉ちゃんだって、幽霊みたいなものじゃない!」

「どうかされましたか?」

「い、いいえ、なんでもないわ……」


 その発言のことはともかく、どう見ても強がりだろう。顔が真っ青になっており、自分の耳より上に結ばれた、高い位置の白髪サイドテールにしがみついている。そうして震えているのを見ていると、だんだんいじめたくなってくるが、こらえる。


「ねえねえ、何が見えたの? 教えて」

「近づかないで! あんた、すっごくかれてるから!」

「え!? 何々、怖いんだけど! 取ってよ!!」

「無理! 来ないで! 宿舎にも入らないで!」


 私を挟んで、二人はギャーギャー言い合う。くるくる回られながら、思ったよりも元気そうだと苦笑していると、ふと、目の前に見覚えのある赤髪が目に入った。


 私は二人の前に出て、往来のど真ん中で、構える。


「……は?」

「まなちゃん、ちょっと離れてよっか」


 あかりの判断に素直に感謝し、今は、目の前の男の一挙手一投足に集中する。


「そんなに警戒すんなって。用件だけでも聞いてくれや」

「聞かずとも分かります。エトスに連れ帰るよう言われたのでしょう?」

「なんだ、分かってるじゃねえか。そいで、返事は?」

「肯定だと、そう思いますか?」

「いんや、思わねえよ」


 ──瞬間、光の速さで男の剣が軌道を描く。私は標識を引き抜いて、武器の代わりとし、軌道を反らす。


 先の一件で魔力を使い果たしているので、魔法はほとんど使えない。そして、魔力の残量は体力にも直結する。


「マナ、使って!」


 標識を捨て、魔力も高ければ、回復も速いあかりから受け取った氷の剣を握り、心地を確かめる。相手が相手なので心許こころもとないが、使えなくはなさそうだ。


 試しに、一太刀振るってみると──壊れなかった。先日、壊れてしまった木刀よりは優秀だ。


「どうやら、お疲れみたいだな? 剣筋がぶれてるぞ」

「今日はとても疲れているので、見逃していただけると幸いです」

「なるほど。チャンスってわけだ」

「……せめて、場所を変えませんか?」

「大丈夫だ。周りに被害を出すような下手はしねえよ──っ」


 剣と氷が、太鼓を打つような速さでぶつかり合う。──が、一撃一撃が、重い。


 周りへの被害を考えると、大立ち回りはできない。私の最も得意とするところは力のごり押しだが、それをやると、都市が一つ吹き飛んでしまう。とはいえ、純粋な剣の腕も相当に究めているつもりだが──相手が悪い。


「──っ!」


 斜め上に飛び迫る大柄の男に、上から体重をかけられる。まったく隙がない。


 そして、氷は圧力に弱い。このまま、受け続けていたら、間違いなく、折れる。


「だああっ!」

「──っ!」


 剣が体重を載せられたところから、溶けていく。折れる、その瞬間、私は剣を捨て、全神経を回避に集中させる──が、黙って避けさせてくれるほど、相手は甘くない。


 胴に容赦のない蹴りが放たれる。咄嗟とっさに腕でガードするも、勢いを殺しきれず、そのまま吹き飛ばされる。なんとか、地に足をつけようと──その瞬間、耳元でささやき声が聞こえた。


「じゃ、しばらく、寝ててくれや」


 ──首の後ろには、意識を司る神経がある。そのため、強く叩くと意識を失う可能性がある。もちろん、慣れていなければ相手を誤って殺してしまう可能性もあり危険だが、残念ながら、彼は荒事あらごとに慣れている。


 まさに、意識を刈り取る一撃を食らい、途端に全身の力が抜ける。


「首トン!?」

「お姫様は連れていく。ま、返して欲しけりゃ、取り返しに来い」


 そうして、肩に担がれて、私は意識を失った。


 レックス・マッドスタ──先代勇者でもある剣神相手に不調のまま、それも、愛剣レクサーを振るわれては、かなうはずもなく。


***


 目が覚めると、懐かしい天井が視界に入った。ベッドの感触もふかふかで、温かい。ちなみに、この枕は私のために特注で作られており、どんな体勢でも痛くならない。


「お目覚めになりましたか、マナ様」


 期待していたのとは違う声が聞こえて、私は嘆息する。結局、恥ずかしい方法で帰ってきてしまったらしい。間違いなく、ここは私の部屋だ。それも、宿舎ではなく、城の。


「寝ています」

「嘘をおつきにならないでください」

「寝ているんです。寝言です」

「目がしっかり開いているではありませんか」

「寝ながら目だけは開いているんです」

「子どものようなことを仰って……。ほら、起きてください。準備がありますから」


 あきれた様子の彼女──見知った使用人だが、私が最も懇意こんいにしていた人物ではない──に、あえて聞いてみる。


「なんの準備ですか?」

「女王即位の儀のための準備です。可愛くして差し上げますから、お席にお座りになってください」

「このままでも私は十分可愛いです」

「マナ様。いい加減になさってください」


 私を叱る彼女の立ち位置には、かつて、私が最も信頼しており、幼い頃から私の面倒を見てくれていたレイがいた。


 レイは使用人か世話係だとは思うのだが、その正確な役職までは把握していない。その上、使用人にしては、いろいろ知りすぎている面もあり、私の中では謎の多い人物だ。


 ともあれ、そんな彼女だったが、私の脱走に加担したという濡れ衣を着せられて、王都への立ち入りを禁止されてしまった。


 それを知っているからか、他の世話係の言うことは、余計、聞く気になれない。


「マナ様、今日明日で即位の儀を行い、明後日の蜂歌祭ほうかさいで国民に即位したことを知らせるのですよ。のんびりしている暇はありません」

「私は、女王にはなりません」

「は――。んん。……お考え直しください。この国には今、マナ様のお力が必要なのです」

「嫌です」

「マナ様! 一年も時間があったというのに、何がご不満なのですか? エトス様とミレナ様がいかに苦心なさっているか──」

「エトスお兄様を呼んでください。あなたでは話になりません」

「勝手なことを……!」


 私は子どものように頭から毛布を被って、だんまりを決め込んだ。彼女はしばらくなんやかんやと言っていたが、やがて、諦めたのか、部屋を去っていった。


「──いなくなりましたね」


 部屋を出ずとも、念話で連絡を取ることも可能だったはずだ。だが、仮にもエトスは、現在、この国の王だ。連絡一つで王を呼び出すというのは、さすがにはばられたのだろう。


 その忠誠心を利用させてもらう。


 腕を見ると、魔封じの腕輪がつけられていた。なんとか素手で破壊できないだろうかと、私は腕輪を掴み、引っ張る──が、ヒビが入った段階で、止めておく。


「これだけ容易く壊れるということは、壊れたことを知らせるセンサーがついているのかもしれませんね。……いえ、壊れるのは私が怪力なだけですか。とはいえ、さすがにセンサーくらいはついているでしょう。となると、腕輪を壊す、瞬間移動で王都の外に出る、そして逃げる、の三行程でなんとか──いえ。これでは門を通過するのが困難ですね」


 呟きながら、自分と相談する。


 王都の外に出るためには、三つも検門があり、間違いなく、普通に通ることはできない。また、王都と外の平原は、魔法障壁で隔てられており、この障壁を挟んで魔法を使うことは不可能だ。


 つまり、瞬間移動で王都の外に出ることはできない。いや、厳密には私ならできるのだが、そこまでする魔力が残っていない。


 となると、門を強硬突破するしか外に出る方法はないのだが、それよりは潜伏した方がいくらか賢いだろう。そうして、魔力が十分回復するまで、あるいは、三日後の蜂歌祭が終わるまで、静かにしているのが正解だ。


 となると、脱出は魔力がある程度回復した明日の方がいいだろうか。それか、地下の隠し通路から逃げて、潜伏し、外に出たと思わせて身を隠すか──。


 そのとき、扉がノックされた。エトスが来たのだ。


 もう時間がない。ひとまずは、地下からの逃走を採用しよう。

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