第1-12話 命の天秤
※残酷な描写があります。苦手な方は、ご注意ください。尚、ネタバレ防止のため、この注意書きは今回限りとなります。
***
それから、終始、つまらなそうな顔をしているまなを連れて、私たちはアルタカを一周した。結局、見て回るだけで何も買わず、もう帰ろうという話になった。まなが、時間がもったいないとでも言いたげな顔をしていたからだ。
「クレイアさん、眉間にシワが寄っていますよ」
「……伸ばすわ」
「まあまあ、そんなに急がなくても、時間はたくさんあるじゃん? ね?」
「は? 明日も同じように平和とは限らないのよ? 今日できることは今日やった方がいいに決まってるでしょ」
「いやいや、そんなこと、滅多に起こんないって──」
ふと、まながテナントの間で立ち止まった。視線の先を見るが、消火器くらいしか置いていない。
「どうかしましたか?」
「──この箱、何かしら?」
「いや、何の話?」
あかりの返答に、まなは振り返り、私の顔を見る。私は首を横に振って、見えないということを伝える。すると、まなは屈んで、床に手を伸ばした。その瞬間、黒い箱のようなものが現れる。
まなは魔法が使えない。そして、かけられた魔法を無効化することもできるのだ。
「うわ、見るからに怪しい箱……」
私は周囲の気配をたどり、こちらを見つめる怪しい影を見つけ──。
瞬間、視界が光に包まれ、鼓膜が爆音に支配された。
なぜなら、あかりが身を呈して私とまなを庇ったからだ。魔法を発動する暇もなかった──いや、そうではない。
まなには魔法が使えない。そして、魔法が効かないのだ。普通なら、防御魔法を使ってやればいいが、まなだけはそういうわけにもいかない。結界を張るという手はあるが、肝心のまなが爆弾に触れていては、使えない。
だから、まなを守るためには、こうするしかなかったのだろう。
周囲は火の海と化していた。そして、破片が刺さり、皮膚が焼け、血溜まりが広がりつつあった。まだ爆発直後のようだ。幸い、私は意識を失わずに済んだらしい。
ただし、動けそうなのは、私一人だけだった。爆発の衝撃で体が千切れたりして、ほとんどが即死だ。目の前のあかりからは、魔力の気配を感じるため、生きてはいるらしい。まなも見たところ、目立った外傷はなさそうだ。
先ほど、まなには魔法が効かないと説明したが、実際には、「魔法が限りなく効きにくい」というだけで、まったく通用しないわけではない。一番近いところにいた二人がこれだけの怪我で済んでいるのは、あかりの魔法によるところが大きいだろう。
二人が生きているのを確認して、ようやく、周りを見る余裕ができた。私もまだまだだ。もっと、しっかりしなければ。
「……煙が出てきましたね」
全員を避難させるのは、無理だ。人数が多すぎる。消火するのは容易いが、爆弾がこれ一つとも限らない。魔法陣を書いて転移させるにしても、時間がかかりすぎる。
耳を澄ますと、狂乱する声が聞こえてきた。どうやら、爆発したのはこちら側半分だけで、もう半分は何も起こっていないらしい。
今は、助けられる命を助けるしかない。
私は目の前の二人から意識をそらすと、一瞬、通路を水で満たして、消火する。そして、煙を風で上に寄せる。一番近い入り口の自動扉は開かないようだ。もしかしたら、向こう半分も開かないようになっているかもしれない。
魔力探知を使い、生死を確認していく。死んだ生物の魔力はすべて非活性になる。とはいえ、今はまだ、生死の狭間をさ迷っている者が多く、それだけでは選別しきれない。
今、命があったとしても、体の半分を失っているような、助からないものは助からないと、切り捨てる。そして、より多くを救うための選択をする。
「……騒がしいですね」
ひとまず、二つある扉のうち、近い方の扉を見に行くと、やはり、自動扉が開かず、苦戦している様子だった。群衆をかき分けて扉にたどり着き、扉に指をかけて力を込めると、わずかに開いた。この扉は魔法が効かないガラスでできており、常人には少しの隙間も作れないだろう。
「扉から離れてください」
私の声に、抗うことのできる者などそうはいない。混乱の最中でも、私が王女マナであることは皆、認識している。変装などは元々していないが、どちらにせよ、私の存在感の前では無意味だ。
人々が扉から離れたのを確認して、私は直径二メートルほどの柱を一本、魔法で折り、それを抱えて、扉に何度も何度も打ちつける。
──なんとか、割れた。
そこから、人々は競うようにして外に出ていく。本当は先に消防隊に駆けつけてほしいところだが、今は、出られる人が出るのが先だ。まだ、どこかに爆弾が残っているとも知れない。
「──っ!」
そのとき、二度目の爆発が起こった。どうやら、ここの真上で発生したらしい。出入り口は三階から上がれる屋上にもあるのだ。そちらに集まっていた人々は、爆発の規模からして、おそらく、全員、即死だ。
直後、血の雨が降り注いだ。頭や腕や内臓が、雨霰と降ってくる。血は流れている。それでも、もう救えない。
「しっかりしなさい、私」
そう言い聞かせて、停止しそうな思考を無理やり働かせる。次は、遠い方の扉に集まっている人々が危ない。こちら側は直に消防隊が駆けつけるので大丈夫だろう。
そう判断し、私はまなとあかりを避難させたい気持ちを押し殺して、遠い方の扉に向かう。
そうして、比較的、爆発の被害の少ない方にたどり着く。やはり、入り口付近に人が押し寄せていた。声を聞く限り、屋上の方にも人が集まっていると見て間違いない。
ひとまず、同じ要領でこの扉を壊して──。
──気がつくと、遠くに、崩壊するアルタカの建物が見えた。距離の分だけ爆音が遅れて聞こえてきた。それから、吹き飛ばされた外壁が、地面に落下する音と振動が、さらに遅れてやってきた。
──考えないと。動かないと。何とかしないと。
そうして、どれほどの間、立ち尽くしていただろうか。前髪を伝い頬をなぞる、気色の悪い感覚に、やっと手を持ち上げて、甲で頬を擦る。半ば無意識に確認すると、それは誰かの血液のようだった。
そこでやっと、私は血まみれでこの場に立っているのだと気がついた。アスファルトの地面を見れば、ぽつぽつと赤いシミができており、今もなお、指先から滴り、その数を増やしているのが分かった。
自分が口を開けていることに気がつき、閉じた瞬間、思考が普段の速度を取り戻し、全身から冷や汗が溢れ出す。
──なぜ、私は今、ここにいるのか。
慌てて周囲を見渡すと、
生きているのが不思議なくらいだ。
「大丈夫!?」
「ぅ……」
大丈夫なわけがないのに私は一体何を
現実逃避をしようとする混乱した思考を、頭を振って振り払う。
小さな声ではあったが、返事があるということは、意識があるということだ。となると、あかりは私を連れてここまで瞬間移動したのだろう。彼がいなければ、また爆発に巻き込まれて、今度は無事では済まなかったかもしれない。
いいや、それすらも無駄な思考だ。今は、目の前のあかりに集中しなければ。全身の皮膚が焼けただれているが、自分で治療する魔力は、もう残っていないらしい。当然だ。まなを守るほどの魔力を消費した上、私をここまで避難させたのだから。
──まだ、救える命があるのではないか。そんな思考が頭をよぎる。一人でも生きている可能性があるのなら、戻って助けるべきではないかと。
「……ごめんなさい」
──無理だ。
目の前のあかりを、見捨てることはできない。彼だけは、死なせたくない。たとえ、すべての命と引き換えにしても。
***
そうして、治療していると、だんだん、あかりが何を言っているのか分かるようになってきた。
「せ、なか……」
あかりの背中には、皮膚が残っていなかった。桃色の肉がむき出しになり、ところどころ骨が露出し、酷く焼けただれている。
何が言いたいのかは、すぐに分かった。
「──治しますよ」
「や……め……」
制止の声を無視して、治療していく。魔法による治療は、治りを速くするわけではない。少し前の状態に戻しているのだ。破れた衣服までは元に戻らないが、ホクロの位置は元通りになるといった具合だ。そのため、新しい傷しか治せない。
ともあれ、私の腕にかかれば、全身火傷も、数時間で完治できる。
──その数時間で救えた命がいくつあっただろうか。
「はい、治りましたよ」
私はきれいに治った彼の背中を指でなぞる。
「うぅ……ぁっ、あぁぁ……っ」
指でなぞる感覚が、しっかりと伝わったからだろう。治ったことを知った彼は、途端、子どものように泣き出した。私は上着を、その背中にかけてやる。
背中にはっきりと刻まれた、一生消すことのできない、大きな傷──龍の刺青が隠れるように。
「大丈夫、大丈夫」
子どもをあやすように優しい声で、そう繰り返し、動く力も残っていない彼の頭を撫でる。
あんなに綺麗で長かった髪の毛も、すっかり燃えて、短くなってしまった。だが、そちらは怪我ではないため、元に戻す術がない。
私は決して、万能な存在ではない。こんなにも、多くのものを、救えなかったのだから。
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