第1-4話 追われる彼女

 私は宿題をすぐに終わらせて、あかりに教えてやっていた。彼は理解するのに、人の何倍もの時間がかかる。そして、忘れるのは人の何十倍も速い。


 答えを見せてほしいと、上目遣いで言われたが、拒否した。──見せたら一瞬で終わってしまうではないか。


 まあ、そんな内心も、手に取るように見透みすかされて、その苛立ちをスパルタという形で表すことになるのだが。ともかく、二人とも宿題は終わらせた。


 とうに日は落ちて。私はスマホでクエスト──もとい、公務を確認していた。公務と言うと気が滅入めいるので、ゲームっぽくクエストと言っている。


 なぜ学生である私が公務を任されているかと言われると、そこには少々、込み入った事情がある。誰に語るというわけでもないし、できれば語りたくはないのだが。


 ──一年前、私と彼は半ば、駆け落ちするような形で城を飛び出して来たのだ。


 本来なら、先代の王──父が亡くなった際、私が女王として即位する予定だったのだが、それすらも投げ出して逃げた。


 今は、逃避行を見逃す代わりに、宰相としての役割を一任されている。まあ、実質、国の実権を握っているようなものだ。


 ここ、ルスファの国土面積は、世界の大陸の八割。人口、約五十億人。それを一人で統治している私。本来なら、国王が統治すればいいのだが、あの朴念仁に務まるかどうかは、微妙なところだ。


 さすがに、床に寝そべったり、机にひじをついてやることではないので、正座している。とはいえ、こんな椅子も一つしかないような部屋で、スマホを介して政治が行われている時点で、国民には申し訳が立たないが。


 そうしてクエストをこなしている間に、あかりが晩ごはんを作り終えたようだ。その頃になって、ようやく、まなに動きがあった。


「今から地図を買いに行かれるようですね」

「え、今? 遅くない?」

「外は暗いですし、心配ですね」


 私がそう言うと、あかりは同意して、作ったばかりの晩御飯にラップをかける。


 ──そのとき、わずかに、後ろめたいような顔をしたのを、私は見逃さなかった。


「また何か悪巧わるだくみですか」

「マナってほんと僕のこと、大好きだよね」

「大好きで済めば、こんなに苦労はしていませんけどね」


 今日のクエストが一通り終わったことを確認して、私は立ち上がる。今のところ、大きな動きはなさそうだし、今日もルスファは平和だ。


「ほら、行きますよ」

「……いや、心臓に悪いって」

「何の話ですか?」

「ううん、なんでもない。じゃ、張り切って、まなちゃん追跡作戦始めよっか!」

「ストーカー作戦開始ですね」

「犯罪臭がすごい!」

「一歩間違えば、犯罪ですからね」


 まなの部屋の扉が開かれる音を聞き、私たちは気配を消してつけていく。十分過ぎるくらいに距離をとっているため、気づかれることはまずないだろう。


「ってか、あれ? そういえば、今日、シーラ戻ってきてなくない?」

「それらしい気配は見ていませんね」

「あれえ? そろそろ帰ってきてもいい頃なんだけどなあ……」


 シーラとはあかりが飼っているペットのことだ。ネコに類似したモンスターで、ノラニャーと呼ばれる。


 ちなみに、モンスターを個人が無断で飼育することは、一般的に法律で禁止されている。だと言うのに、彼は届け出すら出していない。まあ、出したところで許可されるとも思えないが。


「……それで、あなたは何をしようとしているんですか?」

「今考え中。目標は、まなちゃんと仲良くなること」


 ──つまり、わざと事を起こして、心の距離を縮めようというのか。


「嫌そうだねえ、アイちゃん」

「どうしたら快く思えるのですか?」

「それね。……でも、普通に接してても、仲良くなれる気がしないんだよねえ。そんなに時間もないし」


 彼女が他人と分厚い心の壁を築いているのは、見ていれば分かる。おそらく、彼女は誰のことも信じていない。賢者れなには、その辺りの詳しい事情は教えてもらえなかったが、まず間違いない。


「時間がないとは、どういうことでしょうか?」

「そのまんまの意味。あ、そろそろ移動しよっか」


 ──はぐらかされてしまった。よくあることだが、こういうときは、だいたい、ろくなことを考えていない。


「はあ……」

「ため息ばっかついてないで。ほら、笑顔笑顔!」

「誰のせいだと……!」

「はは、ごめんごめん」


 やはり、一発、食らわせて気絶させておくべきか──そう思っていた矢先、何者かの気配を感じて私たちは咄嗟に振り向き、その先に向けて魔法を放つ。


「あらら、逃げられちゃったか……」


 すぐに魔力探知を発動する。ほぼすべての生き物は、魔法を使える使えないに関わらず、体内に魔力を保持している。その気配を探ることで、生き物の気配が分かるのだ。


 だが、魔力の多い少ない程度しか判別できないため、それが誰であるかや、その生き物が何であるかは、経験を積まないと分かるようにならない。


 とはいえ、今しがた逃げた刺客の魔力がどれかということくらいなら、私には分かる。まだ近くにいるようだが、今、追ったところで逃げられるだけなので、ひとまず放置しておく。


「──何か事情をご存知のようですね?」

「何の話?」

「そのわりには、たいした驚きを見せていないようですが?」

「驚きすぎて顔が反応できなかったんじゃない?」

「説明してください。先の人物は間違いなく、クレイアさんを狙っていましたよね?」

「……はいはい、参りました」


 まなを追いながら、両手を上げるあかりに説明を受ける。


 ──何をしたかは知らないが、まなは、魔王およびその幹部たちに追われているそうだ。となると、先ほどの人物は、その中の誰かという線が非常に濃い。そのわりに本人は堂々としているように見えるが。


「でも、クレイアさんは──」

「まなちゃんがどうかした?」

「……いえ、なんでもありません」


 ひとまず今は、先の刺客とまなの行動に気を配ることが先決だ。刺客の方は動きを見せないので、今は警戒するだけでいいが、まなの緊張感のなさは、なんなのだろうか。ちゃんと、追われている自覚があるのだろうか。見ていると、イライラしてくる。


 そのとき、まなの行動に違和感を覚える。


「あれは──」

「ん、何々? 何か見えるの?」


 こう聞いてくるのは、彼の目がすこぶる悪いからだ。ただ、眼鏡はつけたがらないし、コンタクトは目が痛くなるしと、普段は裸眼で生活している。


 ちなみに、昔は眼鏡をかけていたらしいが、その重さで耳が千切れかけたらしく、それ以来、眼鏡とは無縁の生活を送るようになったらしい。まあ、それはいいとして。


 魔法により遠くを見通すことは可能だが、発動するまでに手間がかかるので、普通は使わない。そして、視力が良くなる魔法はない。そもそも、魔法に永続的な効果があるものは少ない。そんなことが叶ったら、それこそ魔法だ。


 とはいえ、彼に関しては手元すら見えていないだろうに、よくそれで生活できるものだといつも感心する。


 一方、私の視力は、かなりいい。普段の生活では目が疲れて仕方ないが、こういうときには役立つ。


「クレイアさんが変な方向に歩き始めましたね」

「変な方向って?」

「トンビニではない方です。あちらに向かったところで、何もないはずですが──」

「もしかして、僕の仲間?」

「方向音痴と言いたいわけですか」


 まなは、明後日の方向を向きながら歩いていく。具体的には、左右や上を見ながら、足はまったく違う方に歩いている。


 その様子は、方向音痴というよりは、


「──変な子」


 と表現した方がしっくりくる。


 とはいえ、つけてきたことに気づかれると何を言われるか分からないので、道を教えることはせず、静かについていく。

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