第1-5話 押しつけられた役割
しばらくすると、まなは立ち止まって辺りを見渡し始めた。
「どうやら、道を間違えたことに気づいたようですね」
「こっちに戻って来るかな? 移動した方がいい?」
「……少し待ってください。何か、様子が変です」
まなは、少し戻ったところで、立ち止まり、街路樹のうちの一本を見上げた。そこには──シーラの姿がある。
「シーラさん、いましたよ」
「え、嘘、どこ?」
「クレイアさんが見ている木の上にいますね。……どうやら、降りられなくなっているみたいです」
「あー、シーラ、高いところ苦手なくせに、木登りは好きだからねえ。じゃ、まなちゃんを追いかけつつ、助けに──」
「いえ、待ってください」
「今度はどうしたの?」
「……何か言っているみたいです」
そう言うと、あかりは魔法で、まながいる位置の音を集め、耳を傾ける。視覚とは違い、聴覚は魔法で強化しやすい。私がやるまでもないと判断し、彼に任せておく。
「なんと言っているんですか?」
「んーとね。──言っておくけど、あたしは善意だけで動いたりしないわ。恩返し前提で助けてあげる。後は、ちょっと、木登りがしたい気分だっただけだから──だってさ」
「……それ、クレイアさんの真似ですか?」
「うん! どう? 結構似てない?」
「──は? ふざけてんの? はっ倒すわよ」
「うわあお、そっくりー……」
軽く声帯
「だ、大丈夫でしょうか……。落ちたりしませんかね……」
「ん? なんでそんなに心配してるの?」
「クレイアさん、魔法が使えないみたいなんです」
「──あーそうなんだ。それは、ちょっと危ないねえ」
先程の魔力探知の際、私はまなの気配が探知できないのを確認した。生きている限り自然と魔力が取り込まれるものであるが、それがないということは、おそらく、彼女の周りでは魔力が非活性になっているのだろう。
魔力には、活性状態と非活性状態がある。生物の体内に取り込まれた魔力の一部が活性状態となり、その活性化されている魔力を、私たちは魔法の力へと変えている。逆に、大気中の魔力は基本的に非活性だ。
そして、体内の魔力がすべて非活性だということは、魔法が使えないことを指している。活性状態だから魔法が使えるというわけではないが、非活性の場合は確実に魔法が使えないということになる。
とはいえ、ほぼすべての人類は──この場合、人間と魔族とを含めて人類と呼んでいるのだが──魔法が使えるようにできている。つまり、まなのそれは、かなり特殊なケースだ。
「シーラがかなり怯えていますね。……嫌な予感がします。行きましょう」
「あ、待ってマナ! 足が速い!」
私は走るのが速いのだが、あかりは遅い。いや、かなり遅い。
とはいえ、仕方のない話で、彼は持病のために、足に筋肉がつきにくい体質なのだ。幼い頃は歩くことさえままならなかったとか。
それを努力と根性で、なんとか走れるまでにした、のはいいのだが──やはり、遅い。
「魔法を使えばいいじゃないですか」
「いや、そこは、なんかこう、プライド? 的なあれがさ──」
「置いていきます」
「分かった! 分かったから!」
魔法は願いを叶える力だと言われている。残念ながら、魔法を使うためには魔力が必要であり、その魔力の量には個人差があるのだが、彼はそこだけは恵まれているため、たいていのことは魔法でできる。
それでも、自力で速く走りたかった理由は単純かつ愚かなもので、──その方がカッコいいから、だそうだ。
要は私へのアピールのつもりだったそうだが、私から言わせれば、走っている時点でもう遅い。他人にこう言うと必ず問い返されるのだが、それはさておき。
「……やっぱり」
「どうしたの?」
「シーラさんは自力で降りましたが、代わりにクレイアさんが木から落ちかけていますね」
「え! ヤバくない!?」
「ヤバいです。急ぎますよ……ん、何か言いましたか?」
「いや。何か聞こえた?」
耳を澄ますと、「助けてー!」と叫び声が聞こえてくる。
「あの状況で、迷わず助けを呼ぶとは……さすがクレイアさんですね」
「いや、どんな状況?」
簡単に言えば、木にぶら下がっている状態だ。ただ、木の枝が想像以上に柔らかく、ほぼ垂直にしなっている。まるで、木に逆さまにしてくくりつけられた四足動物だ。普通なら恐怖で声も出せないか、出せたとしてもせいぜい、叫ぶしかできないだろう。
「そこの人! 助けて!」
しかし、私たちに気づいたまなは、冷静さを保ちつつ、声をかけてきた。元より助けるつもりではあるのだが、──一体、どのようにして助けるべきか。
彼女に触れると魔力が非活性になるということは、彼女に魔法が効かないことも示している。となれば、魔法での救出は困難だ。
落ちてきたまなを腕で受け止めることも考えるが、いくらまなが軽くても、高さがある分、落ち方によっては怪我をさせてしまう可能性がある。
となれば、木に登って助けるのが速い。
「あっ──」
などと考えている間に、まなが木から手を離した。非常にマズイ。抱えて、いや、
そこで、私は思考を放棄し、時を止める。
「……なんとか、止まりましたね」
魔法が効かないから、時を止めても無駄かもしれないと考えていたが、なんとか止まってくれた。内心、冷や汗まみれだ。
「あれ、マナ、時止めた?」
「見ての通りですよ。まったく、なんで動けるんですか?」
「そりゃあ、マナに夜逃げされないよう、色々と対策を……」
あかりに向かって、石や砂を投げつけ、まなを抱える──すると、時間停止が強制的に解除された。
「──あっっっぶなっ!?」
止まった時の中で物を動かし、その状態で時を進めると、凄まじい威力を発揮する。一握りの砂で人が殺せるくらいに。まあ、彼には一つも当たらなかったようだが。腹立たしい。
──直後、目眩がした。時を止める魔法は魔力の消費が激しく、短時間の急な魔力の消費に耐えられるように人はできていない。ただ、この症状は一時的なものであり、放っておけばそのうち治る。
「えっと、助けてくれたのよね。ありがとう」
腕の中からまなの声が聞こえる。すごくいい匂いがするし、温かいし、可愛いし、すりすりしたい。が、それをやると、変態認定されてしまうので、今は我慢する。
「いえ。見返りありきで助けたまでですから」
「……あんた、さっきの聞いてた?」
「はて、何のことでしょう」
とぼけるついでにあかりを見ると、何かを思いついたような顔をしていて、嫌な予感を覚えた。
そのとき、シーラがネコのフリをして私の足元にすり寄ってきた。視線で訴えると、彼はシーラを抱き上げる。
「ガブ」
「痛いっ!」
腕を噛まれながらも、あかりは少し離れたところでシーラを降ろす。
「そろそろ、降ろしてくれる?」
「あ。すみません、どうぞ、降りて……あ」
私はまなが痛そうに左腕を押さえているのを見て、シーラに引っかかれたのだと気がつく。
「あかりさん、クレイアさんが引っかかれたようです」
「え!? うわ、ほんとだ! まなちゃん、大丈夫!?」
「え? ええ、別にたいした怪我じゃないわ」
「いや、ネコに引っかかれるって、結構痛いよ」
ここでうっかり、ごめんとか、シーラとか、ノラニャーとか言わない辺り、あかりも人を
「腕貸して」
まなに差し出させた腕に向けて、あかりは回復魔法を発動させる。しかし、彼女には魔法が効かない。とはいえ、それを私の口から言ってしまうと、なぜ知っているのかという話になるため、黙っておく。
れなから聞いたということにできれば一番いいのだが、彼女には、自分のことはまなに黙っておくよう言われている。面倒な話だ。
──そして、まだ、近くに、刺客の気配がある。このまま一人で出歩かせるのは危険だ。とは言っても、まなが人の言うことを聞かないであろうことは容易に想像がつく。
となれば、ついていくのが彼女の安全のためだ。きっと、今まではれながこうして守っていたのだろう。
「……とんだ役割を押しつけられましたね」
「何か言った?」
「いえ。なんでもありません」
まなを守ること自体は別に構わないのだが、せめて、説明の一つくらいはしておいてほしかった。
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