第1-2話 朱里と朱音
「──朱里と朱音という名前には、漢字というものが使われていますよね。どういった意味があるのでしょうか?」
「僕たちより、マナちゃんの方が意味不明じゃない?」
「こら、あかり。意味不明とか言わない。すみません、マナ様」
「お気になさらず。いつものことです」
いつものことという言い方が気に入らなかったのか、あかりは顔をしかめる。この頃はまだ、私のことを、マナちゃん、と呼んでいた。
「……朱里は、朱色の里、だよね」
「朱音は、朱色の音、ですね」
「えっと……どういった意味でしょうか?」
「それ、意味不明だって言ってるようなもんじゃん!」
仕方ない。本当に意味が分からないのだから。朱色の里は、建物がそういう色とか、そういった想像ができる。だが、朱色の音は意味不明だ。
「多分、両親が、双子に似た名前をつけたかったんだと思います。おそらく、生まれるまで、性別を確かめなかったのではないかと。それで、どっちになってもいいように、こういった名前に──」
「それにしては、女よりだけどねえ。あかりもあかねも基本、女の子じゃない?」
「あかりが女になればいいんだよ。何も難しくないじゃない」
「そっかそれは簡単だねえ!」
あかねのからかいに、あかりがやけくそ気味に肯定する。それをさらっと流して、私は話を進める。
「あかりやあかねに、他の漢字は無いのですか?」
「あ、あか、は……そうだね。そんなにないかも。ま、知らないけど」
「り、ね、は、他にもあると思います。それこそ、りなんて、どれだけでも。朱い梨にもできたと思います」
「それはそれで、意味不明ですが──漢字が変わるだけで、意味が大きく変わるんですね」
意味不明と言われてももはや反応しなくなっているあかりが、何かに気がついたように声を上げる。
「あ! それと、読み方もいくつかあるんだよ。朱里の場合はえーっと、しゅさと?」
「朱音は、しゅおとだね」
「いやいや、そこは、しゅおんでしょ。おとはダサいって」
「なぜ、あかりさんが怒っていらっしゃるんですか?」
「ん? あー、確かにね。やっぱり、あかねのことだからかな? よく分かんないけど」
「しゅさとよりも、しゅりの方がいいんじゃないかな」
「あ、確かに! うわ、カッコいい。僕、しゅりに改名しようかな──」
「それは、勇者の使命を捨て、国を見捨てる、ということでしょうか?」
「僕の改名、重っ!」
勇者榎下朱里──魔王を倒す使命を持った、異世界からの召喚者。そして、榎下朱音──召喚に巻き込まれた少女。
彼らは日本という国から来たらしい。聞いたこともないと言いたいところだが、歴史上では、以前にも日本から異世界人を召喚したことがあるそうだ。
ここ、ルスファ王国とは違う国の文化の話を聞くのは、少しだけ、楽しい。
「──マナ様のお名前は、どういう意味なんですか?」
「私は、有史以前、世界を生み出したとされる、主神マナから名前をとっていただきました」
「え…………強すぎない!?」
「神様と同じ名前なんて、さすがマナ様ですね」
「そう名づけられたというだけの話ですから。偉いのは私ではなく神様です。それに──名前に関係なく、私は実力で立派な存在になってみせます」
「いやあ、さすがマナちゃん! カッコいい!」
「応援してます、マナ様」
「ありがとうございます。……ところで、私の名前も違う読み方ができたりするのでしょうか?」
「お、マナちゃんも実は、あだ名とか、興味ある感じ?」
「……ええ、まあ」
小馬鹿にしたような言い方が少し、いらっとしたが、言及はしない。彼の言動が鼻につくのは、今に始まった話ではない。
「マナという名前は日本にもあったので、できると思います。そうですね──確か、クラスに愛と書いてマナと読む子がいました」
「ってことは……アイちゃんだ!」
「却下」
「断固拒否!?」
「私の名前ですから、もっと素敵な読み方になるかと思っていたのですが」
「ま、と読む漢字も、な、と読む漢字も色々ありますから、他の読み方もできると思います」
「あ、馬の菜で、バサイとか? いや、でもこれはさすがに──」
「──アリですね」
「これで!?」
──とまあ、それだけの話だ。せっかくなら、バサイと呼んでくれればいいものを。
ちなみに、バサイとは、千年ほど前の人間と魔族の内戦で実際に活躍した魔族の名前であり、八十年、
魔族なのに魔法ではなく、力押しというその圧倒的なパワーと、女、子どもには手を出さなかったとされる言い伝え、伝承が少ないためにいまだ謎が多く、ミステリアスであることなどから、私たち人間の間でもファンが多い。かくいう私も、バサイファンの一人だ。
そんな回想から意識を現実へと引き戻し、視線を窓の方へと向ける。
「あれは……何をしているのでしょうか」
窓から校門を見下ろすと、先ほどの少女──マナ・クレイアが、帰宅中の生徒に片っ端から声をかけているのが見えた。
同時に、話しかけられた生徒のほとんどが怯え、逃げ出しているのも分かった。
「舎弟でも探してるんじゃない? それか、カツアゲとか」
「クレイアさんがそんなことをするはずないでしょう」
「その信頼はどこから!?」
「……何か、困っているのでしょうか」
あかりを黙殺して、私は鞄を持ち、席を立つ。そして、扉の前で振り返り、
「それでは、皆さん、また明日」
そうして、笑顔とともに手を振る。──振り返してくれた子の顔は覚えておくとして。
廊下や階段ですれ違う度、視線が向けられるので、これもまた、笑顔で対応する。しばらくはこんな日々が続くだろうが、そのうち収まるだろう。
「ねえねえ、アイちゃん。僕の方も見て?」
「あなたの顔を見て、私に何か得がありますか?」
「僕が嬉しい」
「あなた一人を喜ばせるくらいなら、他の方々を少しでも幸せな気持ちにする方が、よっぽど有意義です」
「ええ……。僕にもニコっ、てしてよ。ほら、ニコっ」
「あなたに向ける笑みなど、
「いいもん!
小声でそんな会話をしていると、周りから、
「マナ様がお話されているわ! きっと、何か高貴なことをお話されているに違いない!」
「どんなお話をされているのだろう……!」
「きっと、私たち庶民には想像もつかないような、高貴なお話なんだろうなあ」
と、
──なんだか、申し訳ない。
とはいえ、相手があかりでは、話し相手にもならない。彼の頭は難しいことを考えないようにできている。これで地頭はいいのだが、本人に考える気がないので宝の持ち腐れというやつだ。
「ふっふっふ……せいぜい、羨ましがるがいい、
「この学園の方々は、賢く、素敵な方ばかりですよ。ここに入るには、それ相応の努力が必要ですから」
「それは……うん、そうだね。
「謝るなら皆さんに。とはいえ、今回は聞こえていないでしょうから、余計な波風は立てない方がいいと思います」
ノア学園高等学校。ここ学園都市ノアの象徴であり、魔族が理事を務める、国内随一の進学校だ。大学の研究室には、世界中から優秀な研究者が集まり、特に魔法学においては、世界一と評される功績を残している。
極めつきは、魔法学の頂点に君臨するティカ・ラームウェルが、高校で講師として教鞭を取っているところだ。あの人の授業目当ての生徒は少なくないだろう。
入学倍率はおよそ十倍。磨き抜かれた頭脳の中でも、さらに、十人に一人だけが入学することを許される、狭き門だ。並大抵の才能や努力では、まず入れない。そこに運も加わって、ようやく、門を潜る資格を得るといったところ。
それも、大学ではなく、高等学校だ。高等学校から大学への推薦枠が用意されているため、それを狙う人が多いのだろう。
そんな高校に入学できている時点で、あかりはそれなりの頭脳を持っているし、他も、賢く、努力家で、根が真面目な生徒が集まっている印象だ。
「それに、羨ましがると言っても、別にあなたが特別なわけではありません。私が特別なんです」
「はっ、確かに、僕、アイちゃんにくっついてるだけだ……!」
あかりの軽口をスルーしながら玄関を出ると、まなが、まだ他の生徒たちに声をかけているのが目に入った。
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