第1節 マナ・クラン・ゴールスファ

第1-1話 マナ・クレイア

 時々、予知夢というものを見る。そして、大体の場合、私はそれを夢だと自覚している。


「──マナ・クレイア」


 予知夢の中での語り手は、だいたい自分だ。だから、自分の声が聞こえてくる。


 自分の声がその言葉を発しているから、その言葉の意味を尋ねようにも、尋ねられない。


「マナ・クレイア──彼女を守ることが、あなたの役目です」


 脳に刻まれる。マナ・クレイアという名前が。記憶ではない。もっと、心の奥深いところに、刻まれていく。


「これだけは、忘れないでくださいね」


 予知夢なのか、はたまた、ただの夢なのか、それとも。


 そんなことを考えているうちに、水から上がるように意識が覚醒かくせいしていき──。


***


「あたしは、マナ・クレイア。あたしには、とにかく、時間がないの。くだらない馴れ合いやお遊びに付き合ってる暇があったら、勉強してた方がましなわけ。分かったら、不必要に話しかけないでくれる?」


 前の席の白髪の少女は、クラスの自己紹介でそう言った。正直、面白いと思った。


 普通でない日々。平穏でない日常。刺激的な毎日。そういったものにえている私にとって、彼女はとびきり魅力的だった。それに──名前は、まな。


 彼女に続き、私も立ち上がり、自己紹介をする。


「マナ・クラン・ゴールスファと申します。皆さん、気軽に接してください。──とは言っても、いきなりは話しかけづらいですよね。私も皆さんと仲良くなれるよう、積極的に話しかけていきますので、よろしくお願いいたします」


 そうして、笑みを向ける。偶然にも、私は前の席の彼女と同じ名前だ。


 私が着席してもなお、教室中が私に注目する中、彼女だけは興味なさげに窓の外を見つめていた。


 このルスファ王国で、王位継承権第一位を持つ王女である私が同じクラスにいるからといって、話しかけてくるような人が果たして一体、何人いるだろうか。私が逆の立場なら、声をかけるのを躊躇ためらうだろう。だから、先ほど、あのように言ったのだ。


 そうは言っても、クラスに一人くらいはちょっかいを出してくる人がいそうなものだ。だが、そういう人は、隣の席にすでに一人、いることが分かっている。


「どうかした? マナ──じゃなくて、アイちゃん。あ、もしかして、僕の顔に何かついてるとか?」

「そうですね、よだれの跡がくっきりと」

「うわ、最悪……」


 隣の席に座る黒瞳に琥珀こはく髪の少年──榎下朱里は、手の甲で必死に汚れを拭いていた。そのせいで化粧が取れて、さらに被害が広がっていた。彼は女子の制服を着用しており、それがまた、とびきり似合っているのだ。


 高い位置でまとめられた長髪は腰に達しており、瞳は切れ長で、うるしを思わせる黒色。化粧などする必要もないほどに肌は綺麗で、頭の天辺から足の爪先まで、くまなく手入れされているのが分かる。


 ふと見ると、彼の顔は、何事もなかったのように、元の美しく磨き上げられたものへと戻っていた。──魔法だ。


 この世界では些細なことにさえも魔法が使われている。動力はそのほとんどが魔法。連絡手段であるスマホも、その通信のすべてを魔法で行っている。


 学校の授業一つ取っても、対面と遠隔があるのだが、遠隔は魔法を利用したネットワークを用いる。魔法がなければ生きていくのは不便だが、ほぼすべての人が魔法を使える世界なので、なんら問題はない。


 そんなことを考えながら、隣の整った顔を観察していると、少し、頬が強張こわばっていることに気がつく。彼とは二、三年程度の付き合いであり、そのくらいは見れば分かる。


「緊張されていますか?」

「うん、ちょっとね」

「ふふっ、珍しいこともあるものですね」

「ほんとそれ。僕もわりと本気でビックリしてる。雨でも降るのかなあ」

「はっ、戯れ言を。あなたごときのために、天気が変わるとお思いですか?」

「いやあ、まったく、その通りだねえ……」


 残念ながら、彼には、神に愛されるような特別な力などない。あるのは、魔法だけだ。その魔法が、とびきりに強いため、雨くらいなら降らせるのだが。


 付け加えると、彼は、つい先日、ルスファ王国の第一位王位継承権を持つ、第二王女との婚約を破棄した。──つまり、その王女というのが私なのだが。


 今でも、彼の顔を見ているだけで、虫酸むしずが走る。思わず、顔をしかめてしまいそうだ。


「……アイちゃん、王女サマが人前でする顔じゃないと思うよ?」

「全責任は、あなたにありますけどね」

「わかりみが深い」

「死ねばいいのに」

「うわ、酷」


 なんだ、わかりみって。しかも、深いって。ふざけている。すべてあなたのことで、あなたの責任だと言っているのに、


 ──あー、なるほどね。うん、ワカルワカルー。


 とは。まるで反省する気がない。万死に値する。


「死ねばいいのに」

「二回言ったっ!?」

「榎下ー。初日から呼び出しかー?」

「びくっ。あ、あはは……すみません」


 担任の先生に注意を受けて、あかりは初日からクラスで注目の的となった。私はすぐに、無関係を装い、その動きでなんとなく、目の前の白髪の少女に目を向ける。


 彼女は変わらず、背筋を伸ばしたまま、わずかに窓の方を見つめていた。


***


「起立、礼」

「ありがとうございました」


 担任の先生へあいさつをして、一同は席に着く。あとは、帰りのホームルームが終われば晴れて下校となる。


 ──ただ、前の席の少女だけは、何を勘違いしたのか、そそくさと帰ろうとしているようだった。


「お姉ちゃん、帰りましょう」

「クレイアさん」

「何?」


 赤い瞳でにらまれた。──いや、目付きが鋭いのか。


 それにしても、こうして正面から見ると、座っている私から見ても身長が低いのが分かる。髪の毛は白くてふわふわで、まるでウサギみたいだ。


 あー、でてみたい。


「まだ授業は終わっていませんよ」

「──そ」


 そんな諸々の欲求を隠して用件だけ伝えると、彼女は短く返事をして、席に座った。少し変わった人だ。人とはいっても、彼女は魔族であり、大賢者れなの妹なのだが。


 ──大賢者というのは、この世を見通す力を持つ存在のことだ。ここルスファ王国の魔族ではあるが、その叡知えいちは各国から求められるところとなっており、膨大な知識と先百年を見据えると言われる先見性を以て、いくつもの問題を解決している。まあ、本人は性格になんがあるのだが。それはともかく。


 なぜ私がそんなことを知っているのかと言えば、まだ王都にいたときに、賢者から直接、自分の妹であるまなを頼むと散々言われたからだ。


 まなちゃがまなちゃが──と、毎日のように聞かされ、うんざりしていたが、彼女に関しては、私も恩がある相手なので、無下むげにするわけにもいかない──なんて考えていたところ、その良心につけ込まれた。


 基本的には、れながどれだけ彼女を想っているかを聞かされただけで、それ以外のことは何も教えてもらえなかった。魔族であるというのは、れなが魔族なので自然と少女もそうなるというだけの話だ。


 ともあれ、まずは、この少女と話してみよう。


 そう決めて、下校時を狙っていたのだが、ぶつぶつと何かを呟いており、本当に忙しそうだ。今日は話しかけるのを諦めた方がいいだろうかと考えていた矢先、


「ねえねえ、ちょっといいかな?」


 空気など読むものではなく吸うものだと言わんばかりに、あかりが忙しそうな少女に話しかけた。すると、少女は明らかに機嫌を損ねた様子で、あかりをにらみつける。


「何? あたし、忙しいんだけど」

「あのさ、この後、時間ある? よかったら、僕、君と話してみたいなあって思って」


 忙しいと言った相手に対して時間があるか聞くなんて、あかりはなかなかの勇者だ。


「……で?」

「で!? えっと、僕、なんか嫌われてる?」

「は? そんなわけないでしょ。嫌いになるほどあんたに興味ないから」

「無関心だった!」


 そうして茶化してはいるが、彼が内心でかなり焦っているのが分かる。すると、まながため息をついた。


「はあ……。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。あたしは忙しいの。早くして」

「あ、心折れそう。アイちゃん、パス!」


 ──パスとか言われても。


 私の魅力を以てしても、この子の心を今すぐに開けるとは思えない。見ているのは面白いけれど、なんとなく、彼女とは馬が合わないような気がする。


「すみません。お忙しいところ、お引き留めしてしまって」

「別に。用がないなら行くわよ。お姉ちゃん、行きましょう」


 そうして、彼女は変なことを呟きながら、教室を足早に去っていった。引き留める隙もなかった。


「いやあ、あの子すごいねえ。マ……アイちゃんに対してあの態度はすごいよ、うん」

「あなたも最初から、あんな感じでしたよ。むしろ、あの方よりも失礼だったかと存じますが」

「うーん、否定できないなあ。おかしいなあ」


 まなはクラスの注目を一身に集めていたが、本人に目立っている自覚はなさそうだ。ある意味すごい。そして、そんな彼女に食い下がったあかりに違和感を覚える。


「なぜあの子に声をかけたんですか?」

「え? だって、僕、主人公席じゃん? 前の席は休んでるのかいないし。隣はアイちゃんだったから、とりま、斜め前しかないかなって」

「嘘ですね」

「いやいや、ほんとだって」

「──それなら、なぜ急に、アイちゃんなどと呼び始めたんですか?」

「え? だって、ほら、あの子も、まなって名前みたいだし、呼び分けないと」

「最初から話しかける気しかないですね」

「……あ」


 私を誤魔化そうというのが、そもそも間違いなのだ。とはいえ、彼が腹に一物えているのは、今に始まったことではなく、その度に私は何かと巻き込まれているので、半ば諦めてもいるのだが。


 ちなみに、私の「マナ」という名前に対する、彼の「アイちゃん」という呼び方だが、たいした意味はない。


 それでも、あえて説明するなら、それは、二年前のこと。


 彼と、彼の妹と私の、三人で遊んでいた頃の話だ。そんなに懇意にしていたわけでもないが、お互い、仲良さげに振る舞ってはいた。

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