プロローグ

~まえがき~


 変なところにプロローグを挟みますが、ぜひ読んでください。次回からは番外編です。


***


「一緒に逃げよう、マナ」


 目の前に手が差し伸べられる。手には、努力の跡がついていて、一見すると不格好なそれが、私には、とてもカッコよく映った。


「マナ、戻ってくるんだ!」


 それを引き留めようとする、厳格な兄の声が聞こえる。その必死さの中に、寂寥せきりょうと悲哀の色が滲んでいて、すぐにでも戻って、安心させてやりたいと、心にかせがつけられる。


 この場所と外を繋ぐ、唯一の交通手段、電車のホームで、車内から伸ばされる彼の手と、慣れない改札に戸惑う兄のどちらを選ぶべきか、私はここまで来て、まだわずかに、迷っていた。ほとんど、決まっているようなものではあったが。


 皆が注目している。私が一体、どちらにつくのかと。


「私は──」


 彼に振り回されるうちに、もっと、外の世界を見てみたいと、そう思うようになった。


 壁の内側しか知らない私に、外の広さを教えてくれた。


 何より、ずっと、彼の隣にいたいと、そう思った。


 だから。


「申し訳ありません、お兄様。私に考える時間をください」

「マナ──」

「一年。一年経ったら、必ず、答えを出します。だからそれまで、壁の外で、彼と一緒に考える時間をください」


 彼の手を取ると、そのまま引き寄せられる。直後、扉が閉まり、電車は時間通りに動き始め、車内は拍手喝采に包まれる。


「ありがとう。僕を選んでくれて。正直、ひやひやしたよ」

「あなたを一人では行かせませんよ。心配ですから」

「電車じゃあ、カッコつかないけどね」

「本当に」


 シチュエーションなんて、どうでもいい。外に出られれば、それでいい。


 彼を抱きしめて、安心させようとする視界の先、窓越しに、改札を抜けた兄と視線が交錯すると、直後、兄は膝から崩れ落ちた。


 プライドの高い兄のことだ。電車なんかに自分が阻まれたことを、一生、忘れはしないだろう。ただ、彼が戸惑うことまで計算に入れての、この作戦だったのだから。


 罪の意識は、あったけれど。


 ──電車の揺れで、私ははっと目を覚ます。


 どうやら、彼の肩で眠っていたらしい。


「ごめん、寝ちゃって」

「ううん、大丈夫。……ふふ」

「どうしたの? 気味が悪いね?」

「気味が悪い!? いや、随分ずいぶん幸せそうな寝顔だったからさ、写真撮っちゃった。ほら」


 魔法で写した写真を見せられて、私は先の夢を思い出す。まあ、こんな顔になってもおかしくないくらい、幸せな夢だった。とはいえ、少し、恥ずかしい。


「ねえねえ、どんな夢見てたの?」

「秘密」

「なんで?」

「なんでも」

「あ、もしかして、僕の夢だった?」


 図星を突かれて返答に困っていると、彼は笑いながら私の頭を撫でる。その温もりを求めて頭を差し出すと、彼は苦笑しながらも、さらに頭を撫でてくれた。そうして、私は再び、目を閉じる。


「もう少し、寝ててもいいよ」

「ううん。起きてる」

「そっか」


 昨日は彼の十五の誕生日だった。色々と計画していたのだが、残念ながら、その日に限って、彼は体調を崩し、一日寝たきりだった。


 そして今朝になって、急に大事な話があると言い出し、今、私たちはこうして電車に揺られている。


 その電車には、誰も乗っていなかった。恐らく、時間帯的な問題だ。平日の昼間からフラフラしている人など、そうはいない。


 ──婚約は城にいるときに、正式にかわした。ただ、経済的な余裕はなかったので、ピンクトルマリンの指輪が私の手にだけつけられている。今も大事にしているそれを、もらったときのことを思い出しながら、そっと撫でる。


 そして、この国では、両者が十五歳になれば結婚ができる。保護者の同意は必要になるが、あれから、ちょうど一年経つのだから、城に戻って報告すればなんとかなるだろう。


「えへへ──」

「マナ、すごい嬉しそうだね?」

「んーそうかなあ? ……えへへー」

「はははっ。何その顔?」

「幸せーって顔」

「そっか。……連れ出してよかった」

「うん、ありがと」

「どういたしまして」


 終点が近づいて来るにつれて、お互いに緊張してきて、会話が減ってくる。話題を探して振っても、ずっと一緒にいるため、今さら、ろくな話題を提供できないし、上手い返しもできない。何を話したか忘れて、同じ話題がぐるぐる回る。


「ねえ、マナ」

「何?」

「お城に戻りたいって、思うことはない?」

「正直、あるよ。これでよかったのかなって思うことも、たくさん」

「そうだよね」

「でも、私はここにいたいの。何があっても、あなたの隣にいたい」

「……やっぱり、マナには敵わないなあ」

「ふふん。私、強いから」

「ふふんって、ははっ。──ほんとに、マナは可愛いねえ」

「……やめて。恥ずかしいから」

「いや、今さら?」

「なんか、今のは、恥ずかしかったの」

「あ、ほんとだ。耳、赤くなってるー」

「うるさい」


 耳たぶを指で揺らされて、私は耳を両手で塞いで、顔を背ける。それから、すぐにまた振り返る。すると、彼の黒瞳と視線が交錯し、私はさっと目をそらす。


「あ、また照れてるー」

「照れてない!」


 ちらと、視線を上げると、また目が合って、またそらす。何をやってるんだ自分、と思いながらも、つい見てしまう。


「あのー……終点です」


 遠慮がちにかけられた声に振り返ると、そこには車掌しゃしょうがいた。


 私たちは慌てて電車を降り、外に出る。それから、自然に手を繋いで、彼に引かれるままに歩いていく。


 人気のない公園で、彼は立ち止まり、そっと手を離して、いきなり、こう告げた。


「別れてほしい」


















 ──頭が、真っ白になった。


 それから、色々な考えがぐるぐると巡る。


 混乱して。


 私は、反射的に返していた。


「あなたがそれを望むなら」


 すると、彼は見たこともないほど、驚いた顔をして、それから、尋ねた。


「理由、聞かないの?」

「言いたいなら、聞かせて」


 彼はとても言いづらそうに、口をぱくぱくさせて、それから、


「好きじゃ、なくなったから」


 と、震える声で言って、うつむき、一滴、涙を流した。


 ──嘘つき。


「それから、他に……っ。他に、好きな子が、でき……た、んだ」


 ──最低。


「ごめん……。本当に、ごめん……っ」


 ──ふざけるな。


 まるで言葉になっていなかったが、それでも、それが、謝罪だということは分かった。


 こうまで言われて、私が彼に構う必要はない。事実、内心は怒りで荒れ狂い、自分でも自分が何を考えているのか分からないほどだった。


 それなのに、気がつくと、私は泣きじゃくる彼を放っておけずに、抱きしめて、その頭を撫でていた。


「大丈夫。ずっと、一緒にいてあげるから」

「嫌だ。もう、顔も見たくない」

「待ってる。いつまでも」

「待たれても困るだけだ」

「このままじゃ、私、都合のいい女になっちゃう。だから、どうにかして?」

「なんでだよ……っ」


 なぜと問われる。なぜの中身はないが、この無意識のおろかな行為の理由なら、よく分かっている。


「──愛してる」

「僕は、君をもう、愛せない」

「私はあなたを、信じてる」

「信じられたって、迷惑なんだよっ!!」


 私はそっと彼を離して、その双眸そうぼうを至近距離から見つめる。


 彼の本心を聞けるように。涙をこらえることだけ考えて。


 声が震えてしまわないように、咳払いで確かめて。


「本当に私を嫌いなら、ここに残って。本当は私を好きなら、どこかへ行って。これが最後だから」


 もし、残ったら、思いきり殴ってやるつもりで。


 もし、立ち去ったら、




「なんで。なんでえっ……うわああああん!!」


 彼のいないところで、思いきり泣いてやるつもりで。

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