第0節 運命の出会い

第0-1話

~まえがき~


 番外編です。本編前話となっております。


***


 ──私は、世界で一番、幸せです。


 私は欲しいものを全て持っている。

 友も、富も、美も、健康も、運動能力も、聡明さも、歌声も、国王の娘という地位ですら持っている。


 私には、愛する国民たちがいる。彼らもまた、私を愛していた。彼らのために学ぶことが、やりがいのある、私の仕事だ。


 私には、絶大な魔法の力がある。この国では、魔法は最も重視される。私が王位継承権第一位であるのも、そのためだ。


 私には、大好きな家族がいる。


 ──尊敬する両親。


 ──真面目で厳格だが、誰よりも私のことを想ってくれる兄。


 ──笑顔が素敵で、いつも親しくしてくれる憧れの姉。


 ──誰よりも優しく、私を尊敬してくれる弟。


 そして、時に厳しく、時に優しく、真っすぐに私を育ててくれた。一番、信頼している彼女──レイ。


 みんな大切な家族だ。


 私には、およそ後悔というものがない。やりたいことはなんでもやり、欲しいものはなんでも手に入れた。

 ──つまるところ、私は世界一、恵まれているのだ。欲しいものはすべて持っているし、退屈さを凌ぐことなど、いくらでもできる。


 そう、私は、幸せなのだ。何一つ、不自由なことなんてない。


 だから、これ以上の贅沢を、望んでは、ならない。




「難しい顔をされていますね」


 聞き馴染みのある声に、私は視界の焦点を合わせる。目の前にある磨き抜かれた大きな鏡は、素手で触ることをためらう美しさだ。そこに映る自分の顔を、私はまじまじと見つめる。


「いつもと変わらない愛らしさだと思いますが?」

「自分で仰りますか」

「鏡も、世界で一番美しい私を映すことができて、喜びを感じていると思います」

「はいはい、そんなことでは誤魔化されませんよ」


 世話係であるレイが、私の髪をきながら、厳しい声色で問い詰める。表情に出ていなくても、彼女に隠し事はできない。彼女とは、私が生まれてからずっと、かれこれ、十三年の付き合いである。私が気を抜いていたのもあるが。


「悩み事ですか?」

「悩み、ですか。強いて言うなら、悩みがないのが悩みですね」

「それは、深刻な悩みですね」


 てっきり、笑って流されるものだと思っていたため、彼女の真剣な様子を見て、私は心底、驚く。だが、その驚きさえも外に出さないように飲みこみ、小さなため息に変える。


「そんなに驚かれなくても。それも、立派な一つの悩みですから、笑ったりしませんよ」

「──全部見透かされるというのは、いささか、気分が悪いですね」

「でしたら、今後は、それを悩みとして生きることをお勧めします」


 それもいいかもしれないと、一瞬思ったが、悩みがないことを悩むより、よっぽど無意味だと気がつく。


「お断りします。あなたの首をはねる以外の解決策など、思いつきようもありませんから」

「よく仰いますね。誰かの首なんて、一度もはねたことがないのに」

「たまたま、他の解決策の方が合理的だと判断したまでです。その気になれば、誰の首でもはねますよ」


 今度は笑って流された。確かに、私は誰かの首をはねたことはないし、この先もそんな予定はない。どんな罪でも笑って許すわけではないが、殺すくらいなら、国に奉仕させた方がましだとは考えている。


「姫様は、本当にお優しい方ですね」

「そう、でしょうか」

「はい。私が保証いたします。──さあ、髪はかし終わりましたよ」


 私は、一瞬、迷う。しかし、その直後には行動している。私は白い手袋を外し、額を手のひらでこする。


「ちょっと、姫っ──」


 それを鏡に合わせ、上から下に、べったりと動かす。思ったほど、汚れなかった。


「私は、優しい姫でしょうか?」

「姫様……はあ……」


 困惑するレイの顔をじっくり見るために、私は振り返る。こうして彼女を困らせるのは、数ある楽しみの中でも、とびきりお気に入りの一つだった。


「レイのそんな顔が見たい気分だったので」


 レイは、そんな私の悪い笑顔を見て、さらに眉尻を下げる。


「まったく、困ったお姫様ですね。自分で拭いてくださいよ?」

「姫なのに、自分でやるんですか?」

「姫でも、王女でも、次期女王でも、自分でやってください」


 整え終わった髪をくしゃくしゃにするという困らせ方も頭をよぎったが、また何分もかけて髪をく手間を考えると、実際にやろうという気は起こらなかった。


***


 鏡を磨きながら、私は城全体が騒がしいのを、肌で感じ取っていた。扉の前で兵士や使用人たちが噂する情報は、どれも断片的だが、状況を推測するには十分だ。


「予言の塔に、新たな記述が加わったようですね」

「……姫様には隠すようにと仰っておられた国王様が、少し気の毒ですね」

「あれだけ噂していれば、嫌でも耳に入ります。──新たな勇者の名が刻まれたそうですね」


 魔王を倒す存在──勇者。勇者には大きく、二種類ある。


 この世界で生まれた者。


 他の世界から召喚される者。


 ──いずれにせよ、予言の塔の記述は絶対であり、それに従う必要がある。仮に、今が平和だとしても。


 時計塔──通称、予言の塔と呼ばれるその塔には、世界を創造したとされ、この世界で唯一崇拝される『主神マナ』の言葉が刻まれると言い伝えられている。


 そう、つまり、この記述は、『神様』の言葉なのだ。神様の言葉は運命そのものであり、絶対的な強制力を持つ。それに逆らえば、世界がどうなるか分からない。


 だからこそ、その記述に背くわけにはいかないのだ。


「それも、いるとか」

「まったく、姫様に隠し事はできませんね」

「それはこちらのセリフです。……ともかく、勇者が二人いるなんて、前代未聞です。今代の魔王はそれほどに強いということでしょうか。しかし──」

「魔王一人につき、勇者は一人と、昔から決まっています。魔王が負け続けた時代も、その逆もありましたから、力の均衡を保つために、というのは考えにくいですね」

「そうですね。それは、今考えても仕方のないことです」


 歴史の上では初の出来事だ。城が騒がしくなるのも仕方がない。だが、混乱を招いている本当の問題は、勇者が二人いること以上に深刻だ。


「片方は、異世界人の名前が刻まれたとお聞きしました。噂では、『えのしたあかり』という名前だとか」

「はい。そのため、以前、異世界からお呼びした勇者様方を、急ぎ、招集しているとのことです」

「どの世界にいるかさえ特定できれば、言語や文化の問題に対応しやすいですからね」


 えのしたあかり、という名前の語感は、この世界ではかなり珍しいものだ。別言語の国にも、そんな名前は存在しない。そのため、以前に異世界から召喚された者の意見を聞き、どの世界か特定しようというのだ。もっとも、それで特定できると決まったわけではないが。


「それで、勇者を召喚できる方は見つかったのでしょうか?」

「当然、見つかっていません。現在、この世界で一番強い魔法使いは、姫様ですから」

「そうでしょうね。私より強い魔法使いは、それこそ、異世界にしかいません」


 誇張でも何でもなく、事実だ。幸せな私が、なかでも特に恵まれているのが魔法であり、その実力は、人類一と言っても過言ではない。


「お父様が私を頼ってくるのも時間の問題ですね」

「それまで、知らないふりをなさるおつもりですか?」

「もちろんです。私は何も知りません。だから、協力もしません。……何か、私に悪いところがありますか?」

「強いて申し上げますと、趣味が悪いです」


 不敬なレイの態度には言及せず、私は鼻で笑う。


 私には、勇者がどの世界にいるか、見当はついていたし、もう片方の勇者に関する問題も、一応の答えは出ていた。だが、私は何も知らないので、何もしない。


「国が混乱するなんて、なんだか、とても楽しくありませんか?」

「姫様がひねくれて育ってしまって、とても心が痛みます」

「ひねくれているのは昔からです。レイはよく叱ってくださいましたよ」


 鏡を拭き終えると、息つく間もなく、レイと使用人たちの手で、ドレスを着せられた。慣れてはいるが、やはり、疲れる。

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