第0-2話
「本日は、町を散策されるとお聞きしております」
「はい。なので、今日は護衛はなしでお願いしますね」
大きな門の前で、私はレイたちを振り返りながら言う。すると、使用人たちはそろって首を振った。
「そういうわけにはいきません。隠れて見守っておりますので、あまり羽目を外さないように。国民が許しても、私たちが許しませんよ」
「……はい」
「では、行ってらっしゃいませ、マナ様」
「行ってまいります」
私より強い人などいないのだから、放っておいてくれればいいのにと思う。絶えず誰かに見られている生活というのは、息が詰まる。なんとも、贅沢な悩みだが。
そんなことを考えつつ、目的地に向かう最中、すれ違うほぼ全員から挨拶をされ、私はそれらすべてに笑顔で対応していた。国民は王女である私が大好きすぎるのだ。嬉しいことではあるけれど。
そして、人通りの少ない裏道に入り、なんとか監視を撒いて、通りにある寂れた店へと入る。いわゆる、いきつけの店、というやつだ。とはいえ、店の位置は毎日変わるらしいが。
「いらっしゃーい。そこ、座って」
「失礼します」
店と言っても、ここには店主と私の二人しかいない。とはいえ、ここは飲食で稼いでいる店ではないので、一向に問題はないだろう。それよりも、誰か別の客がいたときの方が問題だ。
そんなことを考えつつ、私は座り心地の良いソファを堪能し、テーブルに出されたミルクに口をつける。狭い店内には、私が今いるソファとテーブルを挟んで、向かいに一つ椅子があるだけ。
その椅子に座った店主は、フードを被ってはいるが、声で若い女性だということは予想がつく。とはいえ、齢十三の私よりは明らかに歳上だろうから、二十歳くらいだろうか。
「どう、庶民のミルクの味は?」
「お城のミルクは甘すぎますから。こちらの方が美味しいと、個人的にはそう思いますよ」
「そうかいそうかい。お姫ちゃんも大変だねえ。そいで? 今日はどうして来られたの?」
彼女は、私が姫だということを知っていてなお、砕けた対応をする。私が堅苦しいのが苦手だということを見抜いているかのように、初めからこんな対応だった。敬われないというのは、少し、変な心地がするけど。
「予言の塔に、新たな予言が刻まれたそうです」
「へーん、あの塔にねえ。そいで、その内容は?」
「それが──」
私は見聞きしたことを、彼女にそのまま伝える。本来、塔の記述は城の外に出してはならない。しかし、門外不出の情報を、なぜか、いつも、彼女は私より先に知っているのだ。
そのため、今回も私が語るまでもないだろうと思っていたのだが、知っているのかいないのか、判断がつかなかったため、結局、すべて語ることになった。そして、彼女に何を話したところで、たいていの場合、興味のなさそうな反応が返ってくるだけだ。だから、語り終えても、私は返事を期待していなかった。
しかし、様子がおかしい。向かいの椅子に座っている彼女は、珍しくぼんやりとしており、それらしい反応はなかった。
「どうかされました?」
「──え? あ、うーうん。なんでも。まあ、知ってるとは思うけど、あたし、魔王の娘だからさ、ちょっと、思うところがあって」
魔王の子だからと言って、必ずしも悪というわけではない。どうせ、魔王なんて一代に一人しかなれないのだから、魔王の数多くの子どもたちのほとんどは普通の人間と大差ないのだ。偏見の目はなかなか消えないけれど。
「魔王ユタザバンエのことですか?」
「実は、それ、あたしの弟なんだ。たまたま、母親が一緒だから、ちょっと、思うところがあってねー」
魔王は強い子孫を残すために、妻が何人もいることが多い。今代の魔王も、例に違わないらしい。
「まあ、魔王の娘ですから、そういうこともありますよね」
「もうね、そんなことばっっっか。ホント、ヤになるって」
彼女は温かいミルクを飲み、間の抜けた欠伸をし、だらしなくソファにもたれかかると、懐から扇子を取り出してパタパタと扇ぎ始めた。
「さっさと、このくだらない冷戦を終わらせてちょーだいよ、お姫ちゃん」
現在、魔の国と、人の国は、冷戦状態にある。勇者が見つからず、人間の側が手を出せないことと、もう一つ、魔族側が不気味なくらい静かなのが原因だ。
ちなみに、魔王の娘である彼女については、中立姿勢を保っている。こうして私に味方してくれているが、魔王の敵というわけでもない。
「しかし、魔王も国に直接干渉しているわけではないですし、いっそ、共存すれば良いのでは?」
「それができたら一番いいんだけどね。ただ、手出さないって言っても、魔族たちが酷い目に合ったら、人間なんて容赦なく殺すじゃん? まあ、犯罪やる方も悪いけどさ、たかが、軽い窃盗で、裁判もなしに死刑って、どうよ? 馬鹿でしょ」
「でも、私のように、誰も殺せないのもどうかと──ふぎゅっ」
両頬を手に挟まれて、そこで言葉を止められる。これほど近くても、不思議と彼女のフードの向こうは覗くことができない。
「いいんだよ、それで。お姫ちゃんはお姫ちゃんのやり方でやればいいんだから。ね?」
「──はい」
肯定してもらうことで、心が少し、軽くなるのを感じた。何が正しくて、何が間違いか。分からないことは多いけれど、それを姫である私に教えてくれる人は、少ない。
立場上、私にあれこれ言いづらいというのもあるだろうが、それを抜きにしても、私はもう十三だ。ある程度のことは、自分で判断する必要がある。
「それから、勇者のことについて、少し、悩んでいまして」
「召喚についてかな?」
私は彼女の目を見たつもりで、小さく頷く。
「召喚した勇者は、二度と、元の世界に戻ることができないそうです。──なんとか、できないのでしょうか?」
「結論から言えば、不可能だね。これまで、千年と歴史を紡いできた中で、召喚された者が元の世界に戻った試しは、一度も、ない」
これ以上ないくらい、明瞭な答えだった。だからこそ、私の中の迷いは、大きく膨らんでいく。
国を救うためには、勇者が必要だ。しかし、異世界から呼び出してまで、魔王を退ける必要が、本当にあるのだろうかと。
「難しい顔してるね、お姫ちゃん」
「難しいことを考えているので」
「あはは、そりゃそうだ」
魔王による虐殺を止めるためだけに、一人の運命をねじ曲げるのは、正しいのだろうか。虐殺と言っても、結局は、罪人を、その罪の重さに関わらず、全員殺しているというだけ。
それは、どんな罪であっても殺さない私と、本質的なところがよく似ている。つまり、罪に重さをつけないということだ。
「私のように、魔王には、彼のしたいようにする権利はないのでしょうか。私も、きっと、彼と同じくらい、人を傷つけています」
「お姫ちゃんは、まだ若いのに難しいことを考えるねえ。それは、すごくよく分かるけれど、ただ一つ、確かなのは、数の力だね。多くの人は、人に人を殺す権利があるなんて思ってないし、ある程度までの罪人なら、生きて罪を償ってほしいと思うものだよ。だってさ、人を殺すのって、嫌じゃん?」
生かすことは尊ばれ、殺すことは疎まれる。分かってはいる。人間は殺人を忌み嫌う。当然だ。それが、清く、正しく、美しいに決まっている。
しかし、ならば、なぜ、勇者を召喚するのか。
「どうして、魔王を倒す必要があるのでしょうか。こんなにも平和な時代に、勇者など、本当に必要なのですか? その上、罪を背負う人間を異世界に頼るなんて、それこそ、罪深いことではないのでしょうか」
「うん。それは本当に罪深いことだよ。ただ、一つ。魔王の悪は、多くの人が、生きて償え、とは思えないほどに膨れ上がってしまった。そして、もう一つ。世界を救うために、一人の尊い犠牲で済むなら、結果には釣り合うんだよ。そうでしょ?」
それは、十分、理解していた。綺麗事ばかりでないのが世の中だ。世界と人一人を天秤にかければ、当然、秤は世界に傾く。しかし、だからと言って、一人を軽んじることは、決して許されない。続ける言葉を迷っていると、彼女が口を開く。
「だから、その日まで、しっかり悩んでおいてよ。そうして、お姫ちゃんが出した答えを、あたしに聞かせて。どんな答えでも、あたしが肯定するから」
それは、大きな責任で、頼れる言葉で、真剣な覚悟だった。だから、私はそれ以上の言葉をのみ込んで、胸の内に溜めることにした。
「それから、もう片方の勇者のことなのですが──」
「うん? どしたん?」
「その勇者の、『マナ』という名前に、何か心当たりが?」
「お姫ちゃんの名前でしょ? マナ様、だよね?」
彼女は平気で嘘をつく。それを、読み取ることは難しいが、彼女の先の動揺は、魔王に関するものだけだとは、とても思えなかった。それ以上、言及はしないけれど。
「私はおそらく、いえ、確実に勇者ではありません。でも、だからこそ、真実が、知りたいのです」
私はフードの奥を覗くようにして見つめる。マナという名前の勇者のことは、今でなくとも、そのうち分かることだろう。
──ただ、その名前に、何か、自分の心が沸き立つのを感じた。
何かしらの秘密が隠されている予感。そこに関われさえすれば、危機に出会える。刺激を得られる。生きる実感を、与えられる。そう、まるで、立ち入り禁止を越えていくような──、
「マナ」
咎めるような彼女の声に、私の思考は止められる。
「好奇心だけで、危険に近づいちゃダメだよ。お姫ちゃんは、王女様なんだから。息ができなくても、苦しくても、辛くても、それに向き合って、それを受け入れて、その先にいかないと」
「……返す言葉もありません」
そう、こんなでも、私はれっきとした、王女なのだ。私の兄弟たちが私より王に向いていたとしても、一番魔法が強いのは私で、この国はいずれ、私が統治する。私の心だけでは、私の行動は決められない。
「でも、お姫ちゃんには、やっぱり、女王様なんて向いてないかもね」
「どちらですか?」
「どっちも本音。正解はお姫ちゃんにしか分からないんだよ。おっけい?」
冗談めかした態度に不満を覚えながら、私は首肯した。
「でも、もし、好奇心以外の理由が見つかったなら、そのときは、ちゃんと話すよ」
ただ、続くこの言葉にだけは、彼女の人生の重さがあるような気がした。
「──じゃあ、今日はここまでね。はい、これ、次のお店の場所。それじゃあ、代金を貰おうか?」
「今日は私とあなたの情報が半々だったと思うのですが。たいしたことも聞けていませんし」
「そりゃあ、採れたての国家機密なんて、あたしも知らない──と言いたいところだけど、実は直前に情報をもらってたんだよねー。それにそれにー、心のケア? してあげたじゃん? ってことで、はい! マネー、プリーズ?」
「家をお金で埋め尽くしますよ」
「わあ、すっごく嬉しいけど、やめてー」
茶封筒一杯に入れたお金を手渡し、金額を確認させる。満足のいく額だったらしい。つまり、彼女は知恵者であり、提供するのは飲食物ではなく、その知識なのだ。より簡単に言うと、彼女は「聞き屋」のような存在だ。
「まいどありー! また来てちょっ」
庶民の感覚を知っていると、彼女の情報は高すぎると思うのだが、他の人は一体、いくら払っているのだろう。多めに取られている気がしてならない。どれだけお金を持っていても、お金の価値は変わらない。
詐欺と分かれば、こちらも黙ってはいない。とはいえ、お世話になっているし、情状酌量の余地はあるが。
「ミルク、ご馳走さまでした」
サービスのミルクにお礼を告げて、私は通りへと戻り、何事もなかったかのように人混みに紛れる。追っ手──つまるところ、監視の目は、すぐに私を見つけたようだ。
人に迷惑をかけてばかりいるが、私ももう、十三だ。あと三年もしたら、王位を継がなくてはならない。
「いつまでも、こうしているわけにはいきませんね」
愛する国民たちの声に笑顔で応えながら、私は少しだけ街を歩いて、城へと戻った。
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