第0-3話
父からの勇者召喚の依頼を快諾し、私は儀式の準備に臨んでいた。強い魔法使いというのは、独自の魔法陣を持つ。私にも、私だけの魔法陣があり、それを使って、勇者を呼び出すのだ。
とはいえ、勇者の召喚は大きな魔法だ。そのぶん、魔法陣も大きくなる。私が描く、円形の魔法陣の大きさは、直径十メートルにも及ぶ。衣装を着て、虚空に魔法陣を描くのは、踊りと大差ない。当然、入念な準備が必要となる。
「一、二、三、四──一応、ミスは無かったと思いますが。レイ、どうですか?」
「まだ少し、動きに迷いがありますね。魔法陣の覚えに自信がない部分が……とも思えませんし」
「やはり、そう見えますか。それが分かっただけで、十分です」
タオルで汗を拭き、水分を補給する。原因は分かっている。魔法陣を描く最中に、ふと、思考が頭をよぎるのだ。本当に、勇者を召喚しても良いのかと。
この世界において、マナという名前は珍しいものではない。苗字が分からない以上、個人を特定するのは不可能だ。現に今も、「勇者マナ」は見つかっていない。もしかしたら、苗字のない、ただのマナのことを指すのかもしれない。そんな人も、この国には少なからずいる。先例が少なく、特定はしづらいが。
「なぜ、苗字が記されなかったのでしょうか」
「勇者の件ですね。マナ様が勇者である可能性も、少なからずありますが──確かめようがありませんからね」
魔王を倒す者が勇者と呼ばれるだけで、それは倒すまで確かめようがない。あるいは、魔王ならば、何か知っているのかもしれないが、会うことは不可能に近い。
「仮に、マナ様が勇者であるとしても、勇者が二人示されたということは、何かしら、理由があるはずです」
「そう、ですね」
理由がある以上、必ず、呼び出さなくてはならないのだ。私が勇者であるかどうかに関わらず。
「──そういえば、お客様にご挨拶は済ませましたか?」
「招集された勇者様方のことなら、一通り」
数日間滞在すると言っていたし、それ以外の来訪者もここ数日は、いなかったはずだ。
「その方たちの中に一人、召喚された勇者様がいらっしゃったかと」
「はい、テルム・ホーラン様ですよね。先々代の魔王を倒したという」
「さすが姫様、よく覚えておいでです」
先々代勇者、テルム・ホーラン。
──曰く、槌の一振りで、湖を生み出し。
──曰く、その美は、魔王すらも虜とし。
──曰く、相手を拘束する魔法を扱い、それによって、世界最強の種であるドラゴンの動きを封じたことがある。
そんな風に言い伝えられている勇者だ。
とはいえ、いまだ存命の勇者は、テルム含め、三人。それ以前の勇者は、すでに亡くなっており、召喚されたわけではない。私でなくても、その気になれば覚えられるだろう。
「それで、彼がどうしましたか?」
「その方と、一度、お茶をしてみるといいかもしれません。召喚された方に直接、お話をうかがってみてはいかがでしょう?」
とても気乗りしない提案だ。だが、他でもないレイからの提案でもある。そこを考慮した上で、何か得られるものが少しでもあるなら、挑戦してみてもいいかもしれない。
「せっかくのレイの助言です。あまり気は進みませんが、ありがたく聞き入れておきましょう」
「それはそれは、とても光栄です」
恩着せがましく言ったのだが、さらっと流されてしまった。
***
休憩後、すぐ練習に戻るために、私は練習のときの格好で城内を歩く。私は着る服を選ばない。つまり、何を着ていても、美しい。
それはともかく、彼がどこにいるのか、見当も付かず、城の広さに内心で悪態をつきながら探し、ついに、城内でテルムを見つけることができなかった。
「マナ様、どうかされましたか?」
城の門に立つ警備員が私に声をかける。あとは、外だけだ。
「テルム様がこちらをお通りになりませんでしたか?」
「はい、通りました。綺麗な金髪だったので、よく覚えています」
最初から、ここで聞いておけば良かったと、私は後悔する。とはいえ、過ぎたことを悔いても仕方がない。
「行き先や目的は、分かりますか?」
「さあ……。ただ、妙に、丁寧なご挨拶をされていましたね。あちらに歩いていきましたよ」
「ありがとうございます」
城の外となれば、中にいるものに何も告げずに行くわけにもいかない。一度、レイに許可を取ってから──、いや、やめておこう。
私は門番にバレないよう、昔から使っている城壁の抜け道を通って、脱出し、教えてもらった方へと歩みを進める。こちらの方面は、物を売る店が多かったと把握している。一方、反対側は居酒屋を含む、飲食店が多い。
「テルム様といえば、旅好きなことで有名ですが、どちらにいらっしゃるのでしょう」
国民たちの挨拶に誠心誠意応えながら、金髪のストレートを探す。金髪自体は、特段珍しいものではないが、あそこまで綺麗となれば、さすがに限られてくる。いっそ、国民に聞いて回りたいところだが、それをすると、色んな方面に迷惑をかけることになる。
「正直、魔法を使えばすぐに見つかるのですが」
急いでいるかと言われると、そういうわけでもない。儀式本番まで、まだ一ヶ月近くあるのだ。町を楽しみながら行こうと、焦る気持ちを抑え込む。
「さっきのテルム様、ヤバかったよね!」
そんな会話が、ちらほらと聞こえてくる。
「やはり、こちらの方で間違いなさそうです。意外と、すぐに見つかりそうですね」
盗み聞きとは、はしたないが、聞こえてしまうものは仕方ない。仕方ないので、私は聞くことに全意識を集中させる。
「さっきのって、勇者テルム様じゃないか?」
「そうだったか? ……まあ、言われてみりゃあ、そんな気もするが」
店から出てきたばかりの、若い男たちの噂を聞き、やっと、テルムがいそうな店を見つける。どうやら、武器屋に用事があったらしい。
「うーむ……」
「そんなことより、見ろよ、マナ様だ!」
「あん!? どこだ!? ……あ! いたぞ! こっち、手振りなさってらぁ」
「やっぱり、いつ見ても可愛いなあ」
私はアイドルではないのだが。まあ、私の可愛さに人々が錯乱するのも、分からなくはないので、許そう。
そうして、私は武器屋に入り、すぐに、目的の人物を見つけた。サラサラの真っ直ぐな金髪はどこにいても目立つ容姿だ。
「こんにちは」
近づいて、声をかける。振り返った切れ長の青い瞳を見て、ようやく本人である確信が持てた。
しかし、軽く六十歳は超えているだろうに、二十代と言っても通用しそうな美貌だ。却って恐ろしい。
「おや、誰かと思えばお姫様じゃないか。今日も麗しいねぇ」
「ありがとうございます。テルム様も、相変わらずですね」
「ハハハ、よく言われるよ。もしかして、捜させてしまったかな? それは申し訳ない」
「いえ、こうして時間を割くことも、私の楽しみの一つですから」
無駄な時間にこそ、楽しみは隠されていると、私はそう考えている。だから、もう少し、探していたかったというのは、本音だ。
「これは、ハンマーですか?」
「ああ。見てくれ、このヘッド。可憐だと、そうは思わないかい?」
なんの変哲もない、ただの大きなハンマーだ。ヘッドは顔ほどの大きさがあり、どうやら、プラチナでできているらしい。ずいぶん、重そうだ。そして、その感性で美しいと言われたのかと思うと、複雑な気持ちになる。
「命を容易く砕きそうですね。私はこちらの方が好みです」
「工具用? ──いや、違うな。君は、いい目を持っているねぇ」
私が手に取ったのは、どこにでもある、ただの鉄製ハンマーだ。工具としか思えないフォルムで、重さも大したことはない。
「それは、魔力が込められる特別製みたいだ」
「魔力に応じて威力が変わるのですか?」
「イエス!」
完璧な私に、これ以上、見る目まで与えて、神は私をどうしたいのだろう。いよいよ、なんでもできるような気がしてくる。
「君さえ良ければ、プレゼントするよ」
「では、機会があれば、お願いします」
今、このハンマーを買ったところで、置物になる未来しか見えない。数々の贈り物がすでにそうなっていることが証明だ。
結局、テルムは私が見つけたハンマーを自分用に購入し、私と共に店を後にした。
「それで、私にどんな用事だったかな?」
「少々、お尋ねしたいこと、と申しますか。お茶を一緒にと」
「それは実に興味深い提案だねぇ。ぜひとも、行こうじゃないか」
飲食店に向かうには、来た道を戻る必要がある。しかし、私はそれとは反対へと足を向ける。
「飲食店はこちらにはないと思ったが……」
「こちらへ進みたい気分なので。お付き合いいただけますか?」
「──ああ、喜んでお供しよう」
通りを真っ直ぐ進むと、人気のない道に広い草原が広がっていた。遊具などは設置されていない公園だ。
「この辺りでどうですか?」
「生憎、お茶もお菓子も、私は持ち合わせていないが」
「私が魔法で用意します」
指を鳴らし、椅子とテーブル、日除けのパラソルを用意する。城から持ち出したものだ。私にかかれば、これくらいのことは魔法で簡単にできる。
それから、同じく、城から持ち出した紅茶とクッキーをテーブルに並べれば、完成だ。何もしないのは悪いからと、カップには、テルムが紅茶を注いでくれた。
椅子を引いてもらい、私は先に座る。
「それにしても、素晴らしいねぇ! どうやったんだい?」
「魔力で時空の歪みを作って、そこに収納しておいただけですよ」
詳しく説明したところで、テルムに理解できるとも思えない。おそらく、使いこなせるのは、世界で私と一部の魔族だけだ。
「それより、テルム様は、異世界から召喚されたそうですね?」
「あぁ、その話か。事実だよ。こちらに来て、ざっと五十年といったところか」
「五十年……」
テルムは紅茶に口をつけ、その青い瞳で私の瞳をのぞくと、ふっと、表情を緩めた。
「勇者を召喚すべきか否か。それで悩んでいるのかな?」
「はい。でも、答えは決まっています」
「だが、決心がつかないと、そういうことかい?」
「……はい」
テルムは、テーブルに肘をつき、その上に顎をのせる。
「テルム様は、やはり、今でも元の世界に帰りたいのでしょうか」
「もちろん、帰れるなら帰りたいと、そう思うねぇ」
私は琥珀色の紅茶の水面に目を落とす。それはそうだろう。私も、今あるものすべてを失うなど、考えられない。
「でも。それ以上に、私はこの世界を愛している。故郷に残してきたものは多いが、その分、新しく得たものもたくさんあるんだよ」
私はテルムの青い瞳を正面から見つめる。きっと、彼は私のためを思って、そう言ってくれたのだ。ならば、その気遣いを無下にするわけにもいかない。だから、私はその嘘に気がつかなかったふりをして、話を進めた。
それからしばらく、テルムは、自身が愛するものについて語った。先ほどのハンマーや、その直前に買った宝石、家の鍵から、ついには、気候まで愛している、なんて言い出した。なんでも、もとの世界では、なかなか雨が降らず、乾燥した暑い場所に住んでいたらしい。
「──それに、私には愛する家族がいる。これ以上の幸せはないさ」
「だから、望んではならないということでしょうか」
ぽつりと、口から本音が漏れ出した。自分から出た、無意識の言葉に、私は嫌な記憶を思い出させられる。
流石だ、天才だ、普通の人とは違う──昔から、何度も言われてきた。すべて、事実だ。そして、皆、最後には口をそろえて、羨ましいと、そう言うのだ。
確かに、私の人生にはなんの不都合もない。だから、何も望まない。望めない。私より不幸な人々を差し置いて、どうして私が、これ以上の幸せを望むことができるのか。
「君は、まだ若いのに、難しいことを考えるんだねぇ」
「もう十三です。いつまでも、子どものままではいられませんから」
「まだ、十三だ。──それから、私はできる限り多くを愛したいと、そう思っているよ」
それは、やっと聞くことのできた、彼の本心だった。
だからこそ、きっとそうなのだと、分かってしまった。
彼は、人生の半分以上をここで過ごしていても、やはり、元の世界に帰りたいのだ。きっと、今でも、元の世界に戻る方法を探しているのだろう。
日が傾き、風が出てきた。私の手付かずの紅茶が、どんよりとした空を映し出す。
「──冷えてきましたね」
「そうだねぇ」
「帰りましょうか」
その提案に、しかし、テルムは動こうとしなかった。
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