第0-5話

 時間は全員に等しく過ぎていく。彼女は先に会場へ入り、私は控え室で最後の確認をしていた。


「レイ、私の顔、どうですか?」

「また、突拍子もない質問ですね。大丈夫です。よりいっそう可愛らしいですよ」

「そうですか」


 魔法で氷を出して、ひたすら冷やした。なんとか、腫れは引いてくれたようだ。


「あとは、肩の力が抜ければ完璧ですね」


 私は自分の肩を意識してみるが、偉い人がたくさん来るからといって今さら緊張しないし、力など入っていない。首をかしげる私に、レイは苦笑する。


「姫様。確かに、元の世界に戻りたいと言う人はいます。けれど、ほとんどの方は、この世界が気に入っているのですよ」

「そう……なのですか?」

「はい。初めの頃は、なんやかんやと言う方も多いですが、結局は、その場所に馴染むのです。失ったものを追い続けるより、新しいものを受け入れる方が、ずっといいですから」


 レイの顔をうかがうと、彼女はふんわりと優しく笑った。彼女は私のせいで困った顔をしていることの方が多いが、こうして見せる笑顔は、昔から、安心できるものだった。その分だけ、決意は重みを増したが──心地よい重さだ。 


「行ってまいります」

「はい。姫様なら、大丈夫ですよ」


 その声に背中を押され、指輪の青い宝石を指でなぞり、私は重厚な扉をくぐった。


***


 ──舞うようにして、空に魔法陣を描く。人々の目を奪い、期待を一心に受け、無責任な罪を背負って、軽やかに舞う。


「おいでください。勇者様」


 そうして、魔法陣から現れた影は──二つあった。


 見物していた者たちは、その光景に戸惑い、ざわめく。驚いたのは、私も同じだった。魔法陣は失敗などしていない。つまり、どちらかは、巻き込まれたのだ。それは、大きな誤算だった。タイミングさえ異なれば、あるいは──、いや、後悔はあとでいくらでもできる。


 この場で一番、不安なのは誰か、考えるまでもない。ならば、彼らを安心させることが、この場での最優先事項だ。


「気分はどうですか?」


 そう、薄く微笑んで、私は尋ねる。


 二人の人間は、見た目から、私と同い年くらいの男女の双子と推測できる。座り込んでいた彼らは、互いに顔を見合せると、辺りを見渡し始めた。なんとか状況を把握しようと必死な様子がうかがえる。だが、周りも混乱しているのだ。不安は募るばかりだろう。私は大きく息を吸い込む。


「皆さん、静粛に。ご安心ください。彼らが勇者様で間違いありません」


 お腹から声を出し、会場全体に声を響かせる。私が毅然きぜんとしていなければ、無駄な不安を煽るだけだ。そうして、会場の一人一人と目を合わせる。そこに彼女の姿を見つけ、やっと、心臓が落ち着いてくるのを感じた。


 すると、呼び出された双子のうち、少女の方が立ち上がり、スカートの汚れを軽く払って、少年の腕を掴み、引き上げる。


「えっと、まだ状況が理解しきれていないのですが、ここは、どこでしょうか?」


 少女は礼儀正しく、そう尋ねる。なんとか、状況を掴もうと努めているのが伝わってくる。言語の問題は魔法で解消済みだ。


「ここは、あなたたちの言うところの、異世界です。勝手ながら、私がここにお呼びいたしました。私は、マナ・クラン・ゴールスファと申し──」

「本当に勝手だねえ。ま、なんでもいいけどさ。それで、どっちが勇者なの?」


 私の言葉を遮って、少年が気だるそうに尋ねる。こちらは、理解が早い。早すぎるくらいだ。


「勇者は、名を、えのしたあかり、と、そう仰るそうです」

「それなら、兄の方ですが……。彼が榎下朱里です。私は、あかりの双子の妹で、榎下朱音と申します」

「あかねさんと、あかりさんで、間違いないでしょうか?」


 私は二人の顔を見て、再度、確認する。あかねと名乗った少女が、あかりと紹介した少年に笑顔を向け、その背中を押す。


「──そう、僕があかり。ってことは、僕が勇者ってこと?」

「はい。その通りです」

「ふーん……。勇者ってことは、世界を救う、的な?」


 少年の場をわきまえない態度に、何人かが苛立っているのが見てとれた。これだけの人数に注目されて、全く気負う様子がないというのは、むしろ才能だと思う。幼い頃は、私でも、よく緊張していた。


「はい、そうです。詳しいお話がしたいので、談話室の方へ──」

「ここで一番偉い人って誰?」

「あちらの、玉座におられる、この国の国王ですが……」

「へー。そうなんだ」


 あかりが玉座に向かって歩き始めた瞬間から、なんとなく、嫌な予感がしていた。何があっても対応するつもりではあるが、仮にも勇者だ。手を出されては、太刀打ちできないかもしれない。


「ねーねー、国王サマ。もし、世界を救ってほしいんなら、土下座して頼んでよ。誠意が感じられないと、僕、勇者、やらないよ?」


 ──私の脳内は、一秒間に惑星を七周半できる速さで回る。なんとか、この愚か者を救う手立てはないかと、必死に考えて、考えて、考えて……、


「ふっ……あは、あはは!」


 おかしくて笑っているのか、頭がおかしくなってしまったのか、自分でも、よく分からなかった。ただ、もう、笑うしかない。それ以外に何ができようか。


 しょせん、私の葛藤など、ただの杞憂きゆうか、行き過ぎたお節介か、その両方でしかなかった。こんな阿呆のために、私は悩み、苦しみ、涙を流したのかと思うと、全てが、心底、どうでもよくなった。


 そして、体の芯から、怒りが込み上げてきた。沸々と煮えたぎるそれは、魔力となって、辺りに風を吹かせる。


 なんとも、身勝手で一方的で理不尽な憤怒ふんどではあるが、ここまで、私が感情を揺さぶられたのは、人生で初めてかもしれない。いいや、初めてだ。


 私は愚かな彼に向かって、歩みを進める。あかりを捕らえようとしていた兵士たちですら、逃げるようにして道を開ける。


 そうして、私はあかりの肩を掴み、無理やりこちらを向かせる。


「え、何──」

「奥歯を、食いしばりなさい」


 直後、広間全体に、頬をはたく痛快な音が響き渡った。


***


「本当に、姫様は私を困らせる天才ですね」

「拳を使わなかったのは、我ながら英断だと思います。それに、あの一発のおかげでお咎めなし、ということになったのですから、彼には感謝していただきたいですね」


 平手で打たれたあかりは、軽く五メートルは吹っ飛び、そのままの勢いで床を転げ回り、気絶した。今ごろは、医務室で決まりの悪い思いをしていることだろう。そんな想像をしていると、少しは溜飲りゅういんが下がった。


「あはは。姫様がそこまで怒るなんて、よほど、あの勇者が気に入らなかったようですね」

「別に、怒ってなどいません」


 レイは、私の髪を丁寧にほぐしながら、大笑いしていた。とはいえ、先の一件で、彼女の肝が海の底ほど冷えていたのは間違いない。どんな理由があったにせよ、王女が勇者に手を上げたのだ。


 だが、私はまったくと言っていいほど、心配していなかった。私のこれまで積み上げてきた信頼と実績は大きく、この程度なら不問に付してもらえるという目算があったのだ。事実、形式上、厳重注意ということで、お咎めはなしだった。──まあ、レイからはこっぴどく叱られたのだが。


 私は疲労を前面に押し出して、自分でも驚くほどの大きなため息をついた。


「そんな様子では、せっかくの美貌びぼうが台無しですよ」

「今はレイ以外いませんし、取りつくろう必要もないかと。それ以前に、私の美しさは、たとえ、どんな顔をしていたとしても、曇ることなどありえません」

「自分でおっしゃいますか」

「事実です」


 レイは複雑に編み込まれた髪を丁寧にほぐし終えると、次はくしかし始めた。何度かすのか数えたことはないが、かなり大変な仕事だと思う。


「レイ、もし、他に何かやりたいことがあるのなら、暇を出しましょうか?」

「突然ですね。でも、大丈夫ですよ。私は私のやりたいことをできるこの生活が、とても気に入っていますから」

「とはいえ、この先、レイの意見など聞かずに暇を出すこともありえますが」

「またそんなことを……。姫様は今まで一度も、そんな勝手をなさったことはないではありませんか」

「あら、今までがそうだったからと言って、これからもそうとは限りませんよ?」

「それなら、そうならないよう、祈るしかありませんね」


 もっとも、レイを辞めさせるなど、それこそ、頼まれでもしない限りする気はない。そうでなくては、適当な理由も見つからないので、不当解雇になってしまう。


 ただ、彼女が本当はどう思っているのか試しただけだ。


「はあ……、めんどくさ」


 そのとき、後方の扉付近から聞こえた声に、自分のことを言われたような気がして、瞳孔が細くなるのを感じながら、私は来訪者を鏡で確認し、ため息をついた。


 ──噂をすれば、とも言うので、名前を言わないようにしていたのに、彼──榎下朱里は扉の前に立っていた。今日は、これ以上、私に疲労を押しつけないでほしいのだが。


「ノックもせずに王女の部屋に入るのは、不敬が過ぎますよ」

「はいはい、次から気をつけまーす。それで、用件なんだけど、なんか、あんたにお礼とお詫びをしてこいってさ」

「どなたが──」

「国王サマ。断ろうとしたら、兵士たちに囲まれちゃってさ。だから、そういうことにしといてよ」


 言葉を遮られ、さらに、わけの分からないことを言われ、私は大きなため息をついた。


「一言で済む話だと思いますがね」

「へ? なんで僕が謝らないといけないの? てか、向こうに帰れないとか、こっちが謝ってほしいんだけど? それに、お礼とか、もはや意味分かんないんだけど?」


 レイが髪をほぐしているのを邪魔しないよう、振り返ることはしない。


 代わりに、鏡で確認しながら、私は思いきり、少年を魔法の風で壁に叩きつける。


 肺から空気が押し出される音がして、彼は重力に引かれて、床に倒れた。手加減したので、怪我はしていないはずだ。


「……そうやって、すぐ暴力で解決しようとするのは、どうなのさ?」


 それで改心してくれれば、私も困りはしないのだが。


「申し訳ありません、壁に虫がいたので」

「えっ、嘘っ──うわああっ!?」


 服の背を見たあかりは、周りへの迷惑も考えずに、叫び散らす。結構、大きな虫だった。


「姫様、悪い顔になっていますよ」

「私には悪役ですら似合いますから。何も問題ありません」


 あかりは服の背中についた虫をどうにかしようとして、しかし、触ることもできないらしく、おかしな動きをしていた。いい気味だ。


「ちょっと、どうしてくれるのさ! なんとかして──ぐえっ」


 そのとき、もう一人の来訪者によって、あかりの言葉は中断される。彼の妹──あかねが、えりを掴み、頭を下げさせていた。


「マナ様、兄が失礼なことをしてしまい、大変申し訳ありません! 私からよく言って聞かせますので、どうか、お慈悲を!」


 ちょうど、髪を整え終わったため、私は立ち上がって二人の元まで歩いていく。不安げに私を見つめる妹と異なり、兄は気に入らない様子を隠そうともせず、私を睨みつけていた。


「私は優しい王女ですから、何もしませんよ」

「どこが!?」

「後で洗濯して差し上げますよ」


 私はなるべく優しく微笑み、二人に片手ずつ差し出す。あかねの方はすぐに握ってくれたが、あかりの方は、まったくその気を見せず、ふて腐れた顔で、そっぽを向く。それに構わず、私は言葉をつむぐ。


「お二人の気持ちを完璧に理解することは、いくら私が聡明そうめいであるとはいえ、不可能です」

「うわ、自分で言ってるよ……」

「事実を述べたまでです。──できる限りの支援はさせていただきますが、それ以外に何か要望があれば、私に伝えるようにしてください。他の人には、決して、迷惑をかけないようにしてくださいね」

「ありがとうございます、マナ様」

「はいはい……」


 あかねはともかく、あかりの返事にはあまり期待していない。私も今まで迷惑をかけ続けてきたので、人のことは言えないけれど。


「それと、私は本日から、不本意にも、お二人の教育係を任されることになりました」

「不本意って」

「あなたの先の行動を思えば、嫌々でも引き受けた私が、いかに、優しく、慈悲じひ深く、寛大であるか説明する必要はないと思ったのですが……」

「その説明、ちょーいらない。ていうか、さっさと話進めてよ」

「こら、あかり! マナ様、申し訳ありません!」


 あかりも、妹には頭が上がらないらしく、しかられた後は静かにしていた。


 まあ、なんとかなるだろう。


「では、続けますね──」


***


 今日から、日記を書くことにする。あかねさんとあかりさんの異世界に来てからの思い出を、できる限り残しておきたいと、そう思ったからだ。


 二人のために何かしたいと思う限り、この日記は続けようと思う。それが、私にできる、数少ないつぐないの一つだから。


 初めに、今日のことを、ここに記した。


 そうして、私は白い装丁の最初のページに目を落とし、その最初の一行を読み上げる


「──私は、世界で一番、幸せです」


***


~作者によるあとがき~


 次回から本編に戻ります。

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