第7話 いよいよ、月曜日

 2018年7月9日(月)。


 まだまだ、日の出は早い時期。

 彼は、朝6時過ぎに目覚めた。

 目覚まし時計に目をやった後、しばらく横になっていたが、いてもたってもいられなくなったようで、彼はついに、布団を出て、ベッドを降りた。

 時にして、6時40分。

 夏の日差しは、すでに、東側に面した彼の部屋の中へと入ってきている。


 今日はごみの日。

 彼の住むアパートのある地域は、毎週月曜日と木曜日が、生ごみや可燃ごみを出す日である。

 中年男は、身の回りのゴミと思しきものを拾い出しては、岡山市指定のごみ袋に詰めていった。そんなにないはずだが、拾い出せば、存外あるものだ。ほどなくして、ごみ袋は一杯になった。

 彼は、ごみ袋を出しにゴミステーションに向かった。

 すでに、多くの世帯から排出されたゴミが出されている。

 戻って室内を見回せば、まだまだ、ごみと思しき紙くずがあれこれ。確認して必要なくなったレシートとか何とか。

 彼はそれらを拾い、コンビニで買い物をしたときに受け取った袋に入れ、もう一度、ゴミステーションに向かう。そして、自分が出したごみ袋に、そのゴミを入れて戻って来る。

 彼はそれを、2回か3回にわたり、繰り返した。

 それでも少し残ったものがあるようだが、それは、今度だ。


 ゴミ出しを終えて、中年男は、ベッドの上の毛布や布団、マットを、ベランダに干した。

 この部屋で布団を干すならば、午前中に限る。というのも、午後には太陽が反対側に向かい、陽が当たらなくなるからだ。

 それでも、午前中の数時間も干せば、その日は心地よく、ベッドにもぐりこめる。

そのときの気持ちよさがあるからこそ、1週もしくは2週間に1度かそこら、彼は布団干しを欠かさないのだ。


 今日は、頭が冴えてそうだ。


 そう判断した彼は、布団を干した後、ひたすら、パソコンに向かっている。

 中年男の「本業」である「執筆業(それで収益を上げているのかどうかは知らないが、彼がその行為を「執筆業」と言っているのなら、そうなのだろう)」に、彼は今朝、取り組んでいる。

 昨日、彼は髪を切り、ひげをそってもらっている。

 すがすがしい気持ちで、彼は今、パソコンに向かい、文字を並べ、文をしたためている。彼の顔はまだ、すべすべだ。

 小汚くなっていた(本人談)髪もすべて切り捨てられ、さっぱりした頭のように、彼の心もスッキリしているようだ。彼は、次から次へと言葉を思い浮かべ、それに従って、キーボードをたたき続ける。


 このところの雨のおかげで、水シャワーを浴びてはいるものの、この中年男は、暖かい風呂に入れていない。しかし彼は、入浴嫌いなんかではではない。むしろ、無類の「風呂好き」といってもいいほどの人物だ。彼のアパートにはもちろん、ガスを入れることだって、その気になれば今日にもできる。

 だが意外にも、彼は、ガスの契約をしていない。

 というのも、彼の趣味の一つに、銭湯やサウナ、さらには温泉などに行くことがあるからだ。だから彼は、自宅にガスを入れず、時々、銭湯や温泉やサウナなどに行って、ゆっくりと風呂につかる。いや、それこそ、温泉やサウナに行くため「だけ」に、旅行に出ることだってあるぐらいだ。もちろんそういう場合、ビールをはじめとする酒を浴びるほど飲むのが相場である。

 普段は、水シャワーで体の汗をぬぐい、時に体を洗い、さらに、ひげも剃る。朝顔を洗うときは、夏であれ冬であれ、水だ。

 どうしてものときに限り、彼は電気ポットに温めたお湯を洗面台に入れ、それで顔を洗い、ひげをそり、そして体を丁寧に洗うこともある。


 彼が銭湯やサウナ、あるいは温泉などに行ったときは、その後、たいていの場合、街中かどこかで酒を飲む。サウナや温泉であれば、そこにあるレストランで酒を飲むことが多い。

 そんな中年男のことだ。今日こそ、銭湯に行き、久々の湯を楽しんだ後、いつものように、どこぞで、大いにビールのジョッキを傾けることだろう。


 時計の針は、11時30分。

 もうすぐ昼時。

 彼は干していた布団を、室内に取り込むために、仕事の手を休めた。

 布団を取り込むや否や、昼食を顧みず、さらにパソコンへと向かう。日によって彼はこの時間から食事に出向くこともあるが、今日は、まだ仕事を続ける気である。


 キーボードをたたき続けること、小一時間。

 一区切りついた彼は、カレーを食べるために出かけた。

 行きつけの、岡山大学の近くにあるカレー屋目指して自転車のペダルをこぐ。

残念ながら、その店は休み。もっともそれは、予想できていたことではある。

大学の長期休業中を中心に、この店は、長期休業することがままある。彼は仕方なく、岡山大学の生協が運営している食堂に足を向け、そこで、カレーにありついた。

 一番量の多いLで、324円(税込)。

 せわしなくカレーを「かきこんだ」彼は、食後、直ちに自転車を走らせ、寄り道することなく自宅へと急ぐ。今日のうちに原稿を仕上げるつもりだ。昨日までの彼なら、これから酒でも飲んでだらだらと過ごしていたことだろう。昨日、散髪を終えたこともあってか、彼にはがぜん、やる気がみなぎっているようだ。


 津山線法界院駅前の踏切。普段なら、クルマもバスも自転車も歩行者も、1時間に何度か、ここで足止めを食らう。しかし今日は、足止めを食らわない。

 彼は、線路を見た。普段なら銀色の磨きのかかった「鉄」の「道」だが、この金曜日から足掛け4日、列車はこの鉄の道を走っていない。いつもの銀色は消え、いかにも廃線跡のような鉄の道が、南北に2本、連なっているだけだ。けたたましく警告音を発する踏切も、今日は鳴りをひそめたまま。

 それでも、クルマやバスは、踏切前一時停止を行い、「廃線跡」になりかけた鉄路をまたぎ、東西南北へと走り去っていく。

 自転車に乗って進むこと、さらに数分。山陽本線の鉄橋が、目前にそびえる。

 ちょうど彼が、その鉄橋に差し掛かる少し前。

 黄色い4両の電車が、姫路方面から岡山方面に向けて、徐行運転をしている。

 彼は久しぶりに、走っているJRの電車を見かけた。

 路面電車を除き、走っている電車を最後に見たのは先週の木曜日の夜。

 わずか4日、時間にして100時間に満たないほどの時間であるが、彼にしてみれば、ずいぶん久しく会っていなかった人に会ったような気になったことだろう。

 鉄橋をくぐり抜け、何かジュースでも飲もうと立ち寄った、近所の酒屋。彼はここで、瓶入りのジンジャーエールを買って、飲んで帰ることがしばしばある。

 しかしその店は、店主が外出中だ。


 彼はやむなく、自宅に戻った。

 そして、またも水シャワーを浴びて、体を改めてさっぱりさせてすぐ、彼はまた、パソコンに向かい始めた。

 彼は今も、黙々と、キーボードをたたき、出てきた文字たちを確認し、さらに文字を生み、時に消していくことで、一つの「文章」をしたため続けている。


 中年男は今、「仕事中」である。

 ひたすら、文字を書き連ねる「仕事」に、精を出している。

 それが金銭的に、あるいは社会的に、報われることになるのかどうかは、誰も知らない。本人にも、わからない。

 だが、「書いて」行かない限り、彼は少なくとも、文筆業に携わる者として社会から認知されることもなければ、それで報酬を得られることもない。それだけは、確かである。

 「仕事」をしつつも、彼は、頭の片隅で思索を巡らせる。

 もうすぐ、「平成」が終わる。翌2019年、天皇退位とともに、改元がなされる。このことはすでに、既定路線である。


 「昭和」が終わり、「平成」になったとき、彼は、19歳の大学生であった。

 その日彼は、雨の中を、新幹線に乗って、2階建ての食堂車で食事をしつつ、大先輩のいる関西圏へと向かっていた。食堂車の従業員は、喪章をつけていた。

 その日も雨が降っていたことを、彼は今も、覚えている。

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