第8話 かくして、この世は続く
先週の金曜日、2018年7月6日(金)より2日間、数十年に一度の大雨が、彼の住む岡山県を襲った。災害が少ない場所と言われ、先の東日本大震災を機に、移住してくる人が多いというこの地を、今回の大雨は、容赦なく、襲った。
その日はちょうど、この平成と銘打たれた期間に、世間を騒がせ、多数の生命を奪った「宗教」の幹部たちの死刑が執行された日でもあった。確かにそれは、「時代の変わり目」というよりも、「一つの時代の「終わり」」を人々に強く意識させるに十分な「事件」であった。
そこまで大げさな話にするつもりはないが、国鉄時代も含め、岡山地区のJR全線が2日間まるまる、前後も含めれば4日以上にわたって「運休(国鉄時代からの電略記号では「ウヤ」という」になったのは、少なくともこの50~60年来では、初めてのことではないか。
もちろん、この日をもって「平成」が終わったわけでもないし、まして人類や地球が滅びたわけでもない。
ところで、あの日から大いに降り積もった雨は、いったい、何だったのだろうか?
彼は、こう考えた。中年男なりの、自分自身が生きてきた時代に対する「総括」なのだろう。
この雨は、この30年来続いてきた「平成」という時代に生まれ、生き、そして死んでいった、無数の人たちの「涙」である。
その涙は、悲しみの涙であるとともに、怒りの涙でもある。
もっとも、その矛先が誰かは人それぞれであろうから、ここで指摘することではないけれども。
オウム真理教の死刑囚7名の死刑がついに執行されたその日から丸4日間、数十年に一度の大雨。そして洪水、土砂崩れ・・・。
この雨は、オウム真理教の起こした事件に限った話ではないが、この時代に、理不尽にも死を課された人たちの、怒りと悲しみの涙なのではなかろうか。
幸い私たちのほとんどは、そのような「理不尽」に巻き込まれず、日々の暮らしを営めている。
月並みな言葉にしかならないが、それがどれほど、ありがたいことか。
もしここで、「いた」と末尾を変えろと言われる人がおられたら、私は、素直にその方にお詫び申し上げる。
今回処刑された7名と、近く処刑されるであろう6名の死刑囚らは、決して、「馬鹿」と呼ばれるようなレベルの人たちではなかった。そもそも、あれだけの化学物質を生成し、かくも大きな事件を起こすような真似が、「馬鹿」や「阿呆」にできるわけもない。だが、「大馬鹿」でなければできない事件ではある。
中年男が高校生の頃、当時30歳代のある男性が、死刑判決を受けた連合赤軍の「あさま山荘事件」の被告人各位を表して、
「あれは馬鹿にはできない。ああいう活動には、しっかりした理論も必要だ。だが、大馬鹿でないとできないことだ」
と、当時高校生の彼に言ったという。
オウム真理教の死刑囚らもまた、その公式に典型的に当てはまる人物達だったと言えよう。
蛇足ながら、こぼれ話を一つ。
今私がこの文章を編集していて、「人物」と打ち込もうとしたら、「人仏」と変換されてしまった。なぜかは、判らない。
近年パソコンの普及に伴い、以前では考えられない「誤植」が時としてみられるようになってきた。誤植は確かに誤植に過ぎない。しかしその誤植が、本来用いるべき文字以上に、筆者が今書こうとしている内容をピタリと言い当てているようなことが、わりに頻繁に起こっているような気がする。
閑話休題。
麻原彰晃こと松本智津夫はじめ、オウムの「連中」は、「理不尽」な事件を自らの手で起こしつつも、この時代に、「理」を持って裁かれ、そしてこの時代の終わり際、ついにこの期に及び、
「法」という名で包括された「理」
をもって、日本国という「国家」の「権力」の下で、「死」を課された。
他の元信者はともあれ、麻原彰晃こと松本智津夫の遺体がこの後どうなるか、神格化されたりしないか、などなどを心配する向きもある。
中年男も、それはあり得るだろうと考えている。
そんなことは、この時代の終わりについて考える上では、どうでもいい。ただ、そのような懸念が的中し、「オウム真理教」の後継団体や模倣団体が、悪い方向に社会を導くようなことがあってはならない。それだけは、申し添えておこう。
彼らの「処刑」は、次世代に「負の遺産」を残さないための「処置」である。
中年男は、そういう見解を持っている。
それが正しいかどうか。
その価値判断は、ここではしない。
私がこれまで取り上げてきた、かの中年男。
彼は今なお、ノートパソコンに向かい、ひたすら「書く」という行為に没頭している。
中年男の行方はどこなのか。
そんなことは、中年男本人もわからないし、彼を知る他人もまた、わからない。
だが、中年男は、何かを求めて、今日という日を生きている。
中年男は、今、この数日間に会ったことを回想しつつ、何かを念じながら、文章を書き続けている。
雨は上がった。
晴れ間ものぞいている。
蒸し暑さも戻ってきた。
しかし彼の心の向きは、今も、あの雨に向けられている。
彼にとっても、あの雨は、まだ、止んでいない。
だからこそ、「雨を思い、雨に祈る」気持ちで、彼は文章を書き続ける。一つ書いたら、また一つ。彼はとにかく、文章を書き続けるはずだ。どんなことがあろうとも。今日も明日も、そしてこれからも。
中年男は、「ことば」を武器に、この世を渡っていく。
それだけは、確かである。
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