第2話 或る中年男の典型的な一日
この日の彼を追うのは少しお預けにして、ここで、最近の彼の典型的な生活リズムを追ってみようと思う。
彼は最近、岡山の市街地での仕事を始めた。
とはいえ、午前中は、彼自身の「書く」仕事をしている。
最近始めたというその仕事は、午後から。
特に残業はなく、18時には、ほぼ確実に終わる。
それから彼は、酒を飲むべく、駅前の行きつけの居酒屋に行く。時には、その前に街中の銭湯に入って体を洗い、汗を流してさっぱりすることもある。行く場所は時々変わるが、いずれにせよ、そうそうバリエーションがあるわけでもない。
朝は紅茶か珈琲だけ、食べてもパンかモーニングのセットぐらい。彼の自宅にはもちろん、紅茶も珈琲もあるが、どちらも、特定の銘柄、特定の店で買う豆といった調子で、ここにもまた、彼の彼たるゆえんがいかんなく発揮されている。
昼はカレーかパン1個で済ませることが多い。それなりのものを食べる日もあれば、1日休みの日に至っては、昼から酒を飲むときもある。
そして、夕方。
仕事があれば、終わってからの話になるが、彼は通例、岡山駅前の居酒屋に行く。その居酒屋で、野菜や肉などの料理を食べる。昔なら、この後カレーやラーメン、場合によっては寿司さえも食べていたほどの大食漢であったが、最近は酒こそそれなりに飲むものの、食べる量はかなり落ち着いてきた。
そんな彼のことである。
昨日も、駅前で酒を飲んでいた。
その居酒屋の名は、あえて明かさない。
だが、彼の注文は、明かしてもよかろう。
「90分の「飲み放題」、(1杯目は)生大」
これがその店での、中年男お決まりの「注文」である。
お決まりの注文を皮切りに、彼は、時にその場で、時には大ジョッキのビールを飲み干す頃になって、ようやく、食べ物を注文する。
彼の次なる注文は、「大ジョッキ」を除き、日によって異なる。
「明太マヨオムレツ」
「ナス煮」
「刺身納豆」
「ゴーヤチャンプル」
「八宝菜」
「ちくわ磯辺焼き」
「うなぎ骨せんべい」
「焼き鳥セット、6本全部塩」
「ホルモン焼き」
「おでんの大根と豆腐と牛「すじ」と・・・(冬の定番)」
・・・・・・
以前は刺身も食べていたが、なぜか最近は、あまり注文しなくなった。炭水化物ものを頼まずに何品か食べて終わる日も多いが、時には、炭水化物ものを頼むこともある。以前なら、帰りにラーメンやカレーを食べていたこともたびたびあったようだが、今は10回に1回あるかないかだ。その代わりと言っては何だが、その居酒屋で「飯」をつまみ代わりに食べて帰ることもある。
「チャンジャチャーハン」
「ホルモン焼きうどん」
「にゅうめん」
「ジャジャ麺」
・・・・・・
また、ちょっと奮発するならば、その日のメニューからめぼしいものを見つけて、頼んだりもする。
「フグの白子ポン酢」
「馬刺し」
「スッポン鍋」(あとで雑炊にしてもらう)
・・・・・・
とことん飲んで、幾分食べても、この店だけで会計が3000円を超えることは、まずない。もちろん誰かと一緒に来た場合は話が別だが、それでも、1人につき3000円を超えることは、1年に一度あるかないかだ(先日、2人で7000円台になった日があるという)。それどころか、あまり食べたくないときは、1品かそこらで2000円を割っていた日もあった。ただ、最近のビールの値上がりで、飲み放題が1200円から1500円になったこともあるので、2000円未満で済むことは、残念ながらほとんどない。
それでも、比較的安く、しっかりビールが飲めるこの店を、彼は重宝している。
たいてい彼は、その店で一人、じっくりと、黙って酒を飲み、つまみを食べる。 時々、タブレットをインターネットに接続して、音楽を聴きながら、あるいは動画を見ながら飲むこともある。その店では、生ビールを大ジョッキで最低3杯、夏場などは4杯飲む。調子が良ければ、そのあとハイボールをもう1杯飲むこともあるし、たまのたまには、途中から日本酒を飲むこともある。
とにかく一杯飲んで機嫌の良くなった彼は、時には徒歩で、時にはバスで、自宅に戻る。彼の自宅は、その店から歩いて15分程度のところ。帰り道のコンビニで何かを買って帰ることもあれば、そうでないときもある。ともかく、飲んだら、自宅に帰る。以前なら駅前のサウナに泊まり込むようなことも多かったが、最近はそんな面倒なことはせず、大人しく、自宅に戻っていく。
18時過ぎに飲み始め、90分の飲み放題の時間といくらかを足せば、自宅に帰るのはおおむね20時30分を幾分回ったころ。21時を超えてうろつくことも、最近ではまれになった。
彼は自宅に戻ると、まずは、水シャワーを浴びてひと汗をぬぐう。飲みに出る前に銭湯に行ったような場合は、そこまでしないが。
冬場なら、そのまま寝間着に着替えてしまうこともある。
その後は、メールとSNSをチェックして、たいていの場合、22時までにはベッドに横たわり、そのまま寝てしまう。時に彼は、自らを慰めるべく何やらいかがわしいサイトに入り込むこともあるとかないとか。だがそれは、置いておこう。
先ほど、この中年男の朝は早いと言った。
彼の「寝る」=「睡眠に入る」時間はもちろん、日によってまちまち。だが、不思議なことに、彼の眼は、前日に酒を飲もうが飲むまいが、夏でも暗いうちに、ほぼ間違いなく、眼が覚める。彼はそんなときでも、いちいち起きださず、ひたすら、ベッドに横たわり、夜明けを待つ。トイレに行くときはいく。でも、戻ればまた、横になる。電気もつけない。時々彼は、時計を見る。電気をつけるのもおっくうなので、携帯電話を開けてデジタル表示を見る。時刻は、午前2時台のことが割に多いようだ。おおむね丑三つ時。彼はその時間帯を「お化けの時間」と呼びならわす。
しかし、彼のもとに来るような奇特な「お化け」は、今のところ現れていない。
文豪の「お化け」にでも来てもらい、パソコンの前で指導してもらえばとも思っている節もあるが、相手が飛んできて指導する意欲がわくほどの文才が彼にあるのやら。先方サンもそうそう、ヒマじゃなかろう。
時々彼は、その時間に電気をつけ、パソコンを立ち上げてごそごそと作業することもある。だがその作業も、1時間かそこら、まだ暗いうちに終わり。彼は再び、ベッドに横になる。
かくして彼は、電気を消し、娑婆の世界が漆黒の闇から抜け出す時間帯を、横になり、眼を閉じて、しかし、意識だけは持ちつつ、朝を迎える。
夏の朝は早い。
朝5時を迎える前に、周囲はもう、明るくなりかけている。
しかも、彼の部屋は東向きだ。
日の出こそ他の家や堤防のおかげで見ることかなわないが、日の出からしばらくすると、今日の朝日がカーテンを通して入ってくる。
あえて彼は、寝るスペース以外にはカーテンをつけていない。
普通なら寝ていたいと思う時間帯。彼はそこまで「寝る」ことに執着はしていないはずなのに、横になったまま、夜が明けていくに任せて、ベッドの上で、眼を閉じ、時に目を開け、目の前の目覚まし時計に目をやる。
時計の針は、5時過ぎ。
少し安心して、彼はまた、眼を閉じて、思索にふけるともなく、また、寝なおすというわけでもなく、横になり続ける。彼が起きだすのは、早くても6時30分、遅ければ8時前。
思い立った時、彼は、起き出す。
もちろん、仕事があるときはそれに間に合うように起きることは言うまでもないが、意外と彼の仕事は、朝早くからというケースは少ないため、それで問題となることはないし、まして他人にどうこう言われる筋合いさえもない。
こうして、彼の「24時間」は終わる。そしてまた、次の「24時間」を紡ぎつつ、中年男は、この地方都市で生きているのだ。
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