雨を思い、雨に祈ろう ~ 中年男の週末
与方藤士朗
第1話 静かな、ある夏の金曜日の夜
2018年・平成30年7月6日、金曜日。
時は、夕方。
中年男は、ワンルームの部屋のベッドの上に、ただただ、横たわっている。電気もつけず、テレビもつけず、外が暗くなるのに任せ、ひたすら、横たわっている。
何を考えているのか?
何をしようとしているのか?
そんなことを彼に問うのは、野暮というものだろう。
実際彼は、何をしようとしているわけでもなく、何を考えているわけでもない。
彼のワンルームの部屋は、3階建ての1階の、それも、玄関の隣である。防犯上問題があるのではと思う向きもあるだろうが、宅配便や出前の受取には、これほど便利な場所もない。なんせ、ベランダから荷物を受け取れるのだ。
一度などは、たびたび頼んでいる広島風お好み焼きの出前を頼んだのはいいが、ベランダから声をかけてくれと言っていたにもかかわらず、配達員に玄関に回られて、ひどく機嫌を損ねたこともあった。なんせ、ベランダから受け取れば、すぐに彼の寝起きし、仕事をする居住空間があるのだ。何も通路を通って玄関まで行く必要もない。とはいえ、狭いワンルームのことだ。歩いても10歩とかからないのだからそのくらい、どうでもいいように思うのだが、彼にとってはそう簡単に、「はい、そうですか」、というわけにもいかないことらしい。
このエピソードは、彼のある意味、こだわりのようなものが強いことの一例として、述べたまでである。
実は、この数日間のうちに、彼の「こだわり」が最も強く出ている、ちょっとした「事件」が、起きていた。
彼が住むのは、岡山市街地の比較的街中に近い住宅地。
そこは、1945年6月29日の岡山空襲時にも焼け残ったと言われる地域。
そのせいか、戦前からの細い路地が今も残っている。
一人暮らしで静かに過ごすには、なかなかいい場所ではある。
先ほど述べた通り、彼はその地のあるアパートの一室で、一人暮らしをしている。
当年とって48歳、結婚歴なし、子どももなし。彼女いない歴は、御賢察のほどを。これが、彼の現在の「家族」に関する情報のすべてである。
今日は、あいにくの雨。
それも、かなりの強い雨である。
いったいどれだけ降るのだろうか。
そんな気持ちさえ湧き上がるほどだ。
彼の居住スペースの東側には、ベランダがある。そこが彼の「居住スペース」と「外界」の境界線である。
その接点となるガラス張りのドアの向こうは、雨。
中年男の住む地は、「晴れの国」とさえ言われる岡山県。そんな温暖で、災害も少ないと言われる県でも、時には雨だって降る。
現に今日も、降っている。
雷だって落ちることはある。彼は十数年前、落雷でパソコンを1台壊してしまった。というよりも、その落雷で、パソコンの寿命を著しく縮めてしまったと言った方がいいだろう。というのも、そのパソコンはなかなか頑丈で、その後数か月も使えたのだが、落雷が原因となって、ついに壊れてしまった、というわけだ。
いくら温暖なこの地でも、雨や雷だけでなく、時には、雪も降る。この50年間を通して1度だけだが、「かまくら」が作れるほどの大雪さえ降ったこともある。その年の冬は何度か大雪に見舞われたが、ちょうど高校受験の日に当たった、彼より1学年上のある中学校の生徒で、入試会場で「雪合戦」をして不合格になったという者が何人かいたそうである。
つい数年前、その生徒たちの情報を彼はある筋から知ることになったのだが、それは当人らの名誉のためにも、ここでは述べないでおく。
今日の雨は、意外と静かだ。小雨の日とそう変わらない時間帯もある。
だが、今日の雨は、いつもの雨ではない。
全国的に、数十年に一度の大雨が、昨夜から降り注いでいる。
中年男は、今日から4日間、仕事を休みにしている。正確には、休める状況にしている、というべきかもしれない。
彼はその1日目の今日、散髪に行くことにしていた。
ただ、そうはいっても、彼の場合は予約もなしに、そこらの散髪屋に行けばいいというわけにはいかない。彼は、特定の散髪屋に、この30年近く通い続けている。その店に行って、毎回判で押したように、短髪の同じ形に仕上げてもらう。
その散髪屋は、倉敷市の児島駅の近くで、四国方面高松行の快速「マリンライナー」で20分ほどのところ。普通なら、30分に1本のペースで快速列車が出ているから、行くのに困るようなことはない。何なら、1時間に1本の普通列車でのんびりと移動するのもありだ。それでも、40分あれば、児島に着くし、岡山に戻って来ることが可能である。
いつもなら、先方に数日前に電話をかけておき、当日は合意した時間に間に合うように列車に乗って児島まで行き、1時間ほどで整髪し、ひげをそって、頭を洗って、児島駅から戻ってくる。長くても1か月、短ければ2週間程度、最近ではおおむね3週間前後の間隔で、彼は散髪屋に通う。
彼は、今日、散髪屋どころか、児島駅にさえ「到達」できなかった。
そんなときの彼のストレスは、他人が想像するよりも大きいことは、想像に難くないだろう。なんせこの男、酒を飲むことと散髪をすることには、金に糸目をつけないときている。
中年男はこの日、全く「仕事」にならなかったと思っている。
彼は文筆稼業を軌道に乗せるべく、今年の初めから、「小説」という手法をもって表現活動を開始した。書けば書くほど、確かに、書く「力」はついてきていることを感じないわけではないが、これがいつ、人に届くのか。そして、それをもって自らの生活を成り立たせることができるようになるのか。そういう不安が、彼にはある。
もっともそれは、同じ状況下にある「表現者」なら、誰もが多かれ少なかれ共通して持っている思いであるから、彼が特別というわけではない。
彼にとって、自分の心情は、どうでもいい。問題は、彼自身が今日、どれだけの「表現活動」における「進歩」があったかどうかである。
彼は今朝、7時過ぎに「起きた」。 もっともそれは、「目覚めた」という意味とまったくの「同値」ではない。中年男の朝は、皆さんが思っているより早い。
年寄りは朝が早いというが、彼は、高校生のときに30代かと思われたほど「老けて」見られることが多かった人間だ。中年にして年寄りのように朝が早くなったのは、そこから考えてみれば、必然なのかもしれない。
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