第2話 一子さんの憂鬱

 一子さんの朝は早起きです。お父さんと二人で小さなパン屋さんを経営しています。何十種類もの総菜パンやら菓子パンをお休みの日以外は毎日作っています。

 お父さんはこの道四十年以上の大ベテランです。美味しいと評判の街のパン屋さんとして長年頑張ってきたのですが、ここ数年は廃棄するパンの量が増えています。

 一子さんは去年まで外国でパン職人として修業を積んできました。その前には都会のお洒落な店で働いていたこともあります。なので、昔気質のお父さんの商売のやり方にどうも納得できないことがありました。でも、頑固なお父さんは一子さんの話をちゃんと聞いてはくれませんでした。


「パンの種類を減らさない?その方が無駄も少なくなるはずよ」

「それはできない」

「どうしてよ」

「一つでも望んでいる人がいる限り、俺は作り続ける」

「でもそれだと赤字経営が続いてしまうじゃないの」

「それでいいのだ」

「いいわけないじゃない」

 そんな会話の毎日でした。


 一子さんは売れ残ったパンたちを持って、今日も三智子さんとルルンおばさんの家を訪れました。

「ルルンおばさん、こんにちは」

「三智子さんと一子さん、いらっしゃい」

 三智子さんは自分で育てた玉葱を沢山持ってきました。

「二人とも、いつもありがとうございます。助かります」

「いえいえ、この時期の玉葱は美味しいわよ」

 三智子さんはいつもの通り元気に言いました。

「私なんて売れ残りでごめんなさいね」

 一子さんは沈んだ声で言いました。

「あら、一子さんどうしたの?」

「ええ、このパンたちなのだけれどね、お店にはもっと売れ残りがあって廃棄しないといけないのよ」

「あら、それはもったいないわね」

 三智子さんも顔をしかめました。

「作るパンの種類を減らして経営を立て直したいのだけれど・・・」

「一子さんのお父さんがそれを許さないのね」

 ルルンおばさんも困った顔をしています。

「ずっと続けてきたやり方を変えるのが嫌なのね。私もそうだからよくわかるわ」

 三智子さんは言いました。

「どうしたらいいの?」

「そうね・・・」

 三人は考え込んでしまいました。

「一子さんはどうしてパン屋さんになったのですか?」

 ルルンおばさんが聞きました。

「私も聞きたいわ」

「父の作るパンが大好きだったからです。働いている父も母もカッコよかったし」

「一子さんのお母さんってどんな人だったのですか?」

「綺麗な人だったわよ。働き者で笑顔が素敵で、街の人気者だったわね」

 ルルンおばさんの質問に三智子さんは懐かしそうに答えます。

「私が外国に修行に行っている間に病気になってしまいました。日本に帰ってすぐに母が亡くなり、私が母の代わりをしようとしているのですが、それが上手くいかなくて・・・」

「一子さんのお父さんは奥さんが生きていた頃のままでいたいのね」

「そうなのかも」

「新しい生活を受け入れるのは大変だからね」

「新しい生活か・・・私自身が受け入れることを拒否しているのかもしれません」

「新しい生活なんて大袈裟に考えないで初心に戻るって言うのはどうかしら」

 ルルンおばさんは言いました。

「初心に?」

「そう、お父さんがどうしてパン屋さんになったのか、パン屋さんとしての夢だとかをまずは聞いてみることからじゃないかしら」

「そうですね。父からそういった話を聞いたことはなかったわ」

 一子さんは笑顔を少しだけ取り戻して家に帰っていきました。


 数日後のことです。一子さんが今度は新しく考案したパンを持ってルルンおばさんの家にやってきました。勿論、三智子さんもすぐに飛んできました。

「あれから家に帰って父と沢山話し合いができました。父は子どもの頃に食べたパンがあまりにも美味しくってその味が忘れられずに自分で作る道を選んだそうです。パン屋としてはお客様の笑顔が見たい、喜んで貰いたい、幸せになってもらいたい、ってことだと」

 一子さんは興奮して話し始めましたが、自分でそれに気が付くと一呼吸置きました。

「そんな話をしていたら、父の方から作ったパンを廃棄するのは可哀そうだな、って言ってきたの」

「パンが可哀そう?」

「はい、せっかく丹精込めて作ったのに、それは自分自身だけではなく、原材料を作ってくれているみなさんにも申し訳のないことだなって」

「そうね、小麦粉や野菜、果物たちがないと美味しいパンはできないものね」

「私がパン屋さんを目指した理由も話しました」

「あら、それまで話したことがなかったのね」

「はい、何だか照れくさくて」

「家族だからこそ、話せていないことってあるものね」

 ルルンおばさんの言葉に二人は頷きます。

「そこで、私がパン修行に行った外国でのパン屋さんのことを話しました」

「どんなパン屋さんなの?」

「一種類のパンしか作っていないのです。とてもシンプルなのに材料には拘っているからとっても美味しくて」

「そうなのね。今日持ってきてくれたのがそのパンなのかしら」

「はい、そうです。作って父に食べてもらったら、とっても感動してくれて、この商品で勝負をしていこうと決まりました」

「だったら私たちも早く食べたいわね」

「あっ、すみません。喋るのに夢中で・・・」

 それから三人はいつもの通りルルンおばさんの淹れてくれた美味しいハーブティーを飲みながら一子さんのパンを食べました。

「本当だわ、素朴な味なのに何だかワクワクするわね」

 三智子さんは言った。

「お父さんが感動したっていうのがとってもよくわかるわ。作った人の愛情が感じられるパンだわ、ルルルン」

 ルルンおばさんの言葉に一子さんは涙ぐんでいました。

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