KAC20215 スマホ

第五話 相棒が手首の上で澄んで居る

※とある医師のエッセイ。


 私の左手首には、光り輝く「相棒」が佇んでいる。

 その神々しさは、ちょいとお澄まししている美少女のように感じられる。


 先端の技術を内包したそのメカニズム。

 デザインや、ステンレスに施されたPVDコーティングといった外観。

 人に使われる「道具」として誕生したそれは、「工業製品」や「工芸品」という枠を越えた、ある種「芸術品」として定義するのも、使用者の特権ではあるまいか。

 

 私にとっての「芸術品」は官能に訴えかけるものだ。

 絵画や彫刻といった鑑賞を目的とする存在もあるだろう。

 でも、私は、実際にそれを「使用する」ということに大きな価値を感じる。

 車でも、バッグでも、文房具でも。

 手垢にまみれ、汚れ、傷や凹みが付くこともあるだろう。だが、その変化こそが同じ時間を過ごしている証になるのだ。

 人は生きている限り変化する。その変化と共に、使用されるモノたちも、内外ともに変化を生じていく。

 決して、温度や湿度が管理されたガラスケースの中で、人よりもはるかに長い年月を、まるで時が止まったかのように「生かされている」存在ではないのだ。


 人生を歩む際に、我々の助けとなり、時に導き時に安寧をもたらす。ゆえに私はその存在をこう呼称する。

 「相棒」と。


 今日は、そんな愛すべき相棒たちとの出会いや、共に過ごす日々をお話ししようと思う。


 私は元々、新しいものが大好きだった。

 初めて買ったゲーム機は、今でも日本のゲーム業界をけん引するメーカーから発売された「カラーテレビゲーム15」

 ファミリーコンピューターが発売される数年前の物だ。


 初めて買ったパソコンは「PC―8001」

 カセットテープによるローディングは10分以上かかり、時にローディングエラーなどが発生し、一つのゲームを始めるまでに宿題を片付けるような生活だった。


 車も新しいものに食いついた。

 「S―13シルビア」という車には、三種類のグレードが設定されていて、K’sというグレードを県内で一番最初に購入したこともあった。


 携帯電話もひどかった。

 デジタル化になる前の黎明期から飛びついたが、他に誰も持っていない事と通話料金が高額なことで、通話もせずに充電だけしているというおかしな用途だった。

 スマホに切り替える前、最後のガラケーとして使用した「F―04B」という二つに分離するケータイは一部で「変態携帯」と呼ばれていた。


 新しいものに目が無く、さらに言えば、後々ヒット商品と呼ばれる存在を見出す行為に喜びを感じた。

 鑑定眼というか目利きといった、ヒット商品を事前に見極める力は、単純に先行所有を果たす優越感というよりは、良い物とできるだけ長く一緒にいられる満足感が勝った。

 携帯型ゲーム機の数々も、PCゲームのあれこれも、ネットの発達と共に、レビュー待ちの堅実な人がじっくりと戦況を見極める中、「初期ロット不良」や「未完成品」といった自爆を繰り返しつつも、そうやって自分の直感によって手に入れた数多くの存在は、いつでも大切な「相棒」だった。


 近年、リンゴマークのシリーズは特にはまった。

 まさにビッグウェーブに乗り遅れるなとばかりに、定期的な新製品に突撃したが、あまりにも完成度が高く、結果多くのユーザーの支持により、ヤベぇものを掴まされるリスクは激減した。

 本来、喜ばしいことなのに、自爆覚悟で突貫する少年の心を持つ私には、あまりにも刺激のない現実だった。


 それでも、スマートフォンが世に顕現した際は


「ああこれがシンギュラリティか……」と愉悦に震えた。


 私の求めていた未来が、そこにはあった。

 特に日本が誇るケータイ文化は、前述した通り、変態的な進化と分裂の果てに、これ以上のガジェットは発生しないか、また更なる分化が進むと思っていたが、事もあろうか、その枝分かれは「スマホ」という文化に集約されていった。

 その流れは劇的で、否応なく、世界が、日本がその急激な生活環境の変化に付いていけなかった。

 結果、多くの識者や大多数は「スマホ」を懐疑的に見ていた。

 コンデジと呼ばれるカメラも。

 音楽プレーヤーも。

 携帯ゲーム機も。

 パソコンさえも。

 まさかその存在が脅かされるとは夢にも思わなかった。


 そうして、スマホ前、スマホ後と言っても差し支えないほどに、文化や行動様式は一変し、今に至るのだ。


 そんな中、ウェアラブルガジェットとして「腕時計」が出るぞ、と聞いた時の驚きは筆舌に尽くし難い。

 なにせ巷に溢れていた意見の多くは、何故? だったからだ。

 スマホが駆逐した電化製品は枚挙にいとまがないが、その中には確かに腕時計というカテゴリーも含まれていた。

 今、この瞬間の時刻を腕の上で知る。

 端的に言ってしまえば、腕時計の機能はそれがメインで、カレンダーやストップウォッチといった付随機能はプラスアルファに過ぎない。

 だからこそ、スマホで代用できる以上、多くの若者はその存在意義を見出せず、ブランドの価値や社会人の嗜みといった、ステイタスの一つとして「腕時計を着用する」という様式に変わっていたのだと思う。


 実際にデザインが公表された時、それまでの未来感あふれるワクワクした候補たちの中で、一番ヤベぇだろ? という外装が発表されて戦慄した。

 更には、通常の腕時計がボタン電池などで稼働する時間が1~2年に対し、こいつは1~2日。実に1/365という桁違いのスタミナの無さ。

 充電が切れれば、時刻を知るという最低限の機能すら果たせないのだ。「そうそう、時間もわかる」じゃね~んだわ。

 それでも、24時間(充電時間は除くが)体に身に着けることのできる唯一の電子機器という魅力は、他のどんなマイナス点を凌駕した。

 そうして私は、スマートウォッチに手を出したのだ。


 さて、実際にどんなことができるか、使用している人はもちろん、様々なメディアやCMなどで知る機会も多いと思いますが、一日の私の行動と共に振り返ってみよう。


 朝はもちろん、左手首の振動から一日が始まる。

 私を覚醒させた後、目覚ましを繰り返すか否か確認し、睡眠時間の報告や就寝中のニューストピックなどを表示してくる。

 立ち上がり動き出せば、活動記録を勝手に開始。

 その後は適時メッセージやニュース、気象情報の変化などが通知され、それ以外は仕事のスケジュール、リマインドなどを知らせる秘書になるのだ。

 仕事柄、多くの予定があり、変更することも頻繁であるため、歩きながら音声によって予定を入力するといった無駄のない行動ができる。

 コンビニでの買い物、空き時間で無線イヤホンと連動して音楽鑑賞。

 たまに、心電図や血中酸素濃度などを測定して「なるほど」と何がなるほどなのかわからない呟きを行うのも楽しいの時間の一つ。

 昼食時など動きの少ない時を見計らい素早く充電。充電器はもちろん家にも職場にも愛車の中にも用意してあり抜かりはない。

 ウォーキングやジムでの運動時にはそのセンサーをフル活動し見守ってくれる。

 設定することで異常心拍と連動し然るべき場所へ通報してくれる機能もある。

 他にも母艦であるスマホと連携した様々な機能があるが、そろそろ就寝時間ですよ、と通知が来たので今回はここまでにしよう。


 だが、最後にこれだけは言っておきたい。

 常に肌に触れている存在だ。もっともっと劇的な機能を求めたいと思うのはわがままな思いだろうか?

 スマホとアプリと、スマートウォッチ。

 この三要素が、いや無線イヤホンやスマートグラスといった入出力デバイスを総動員してもいい。


 もし、もっと素晴らしい独立した疑似人格なんかが存在しちゃったり、つまりは、今現在実装されているイントネーションのおかしな無味乾燥なアシスタントの代わりを求めるのは強欲だろうか?


 欲しいのは秘書じゃなく、友達やそれ以上に感情移入ができる相手ってのはいささか変態じみた思考なのだろうか?

 もし、性別や年齢や職業といったキャラメイクができるようなアプリがあり、それと濃厚なコミュニケーションがとれたとすれば、定額払いのサブスクリプションであっても支払う覚悟があるのです。


 いろんなアプリを作ってるどこぞの会社が、そんなアプリを作ってくれないかな?

 今度お願いしてみようそうしよう。


 せっかくだからアプリの名称も考えてみよう。

 肌身離さず隙間無しみたいな?ちょっと特別感があってさ、そうだな「シームレス」だと癒着しちゃってるっぽいので、「ギャップレス」とか。

 もしくは、そうですな、体の限定された部位に密着するんだ。

 体の一部分に最も近い…「PARTnear」なんてどうだろう。

 「ぱーとにゃあ」とか呼ばれそうだけど(笑)

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