2 悪い人間じゃありません

「今日は暖かいし、外で食べたくなりますな」


 男はひとりでしゃべっていた。よく見るとひどく垢じみた格好だ。白いものが混じった髪は整えられておらず、あごには無精髭が濃かった。肌は浅黒く、この季節とは不釣り合いな厚手のコートは袖が擦り切れていた。


 関わり合わない方がいい。これを食べ終えたら、ここを立ち去った方がよさそうだ。私は男を無視することにして箸を動かし、頭では午後から顧客に提案するプランを考えはじめていた。


「お仕事がうまくいけばいいですね」


 びっくりして男を振り返った。どうして私の考えたことが分かった。


「びっくりするこたねぇや」


 そこには二人目の男がいた。スケッチブックに絵を描いている男の隣に立ち、黄色い歯を見せてニヤニヤ笑っている。この男も一人目と同様に垢じみた格好をしていた。


「コノエは顔色ひとつで人の考えてることが分かるんだ。もっとも、あんたの顔を見てりゃ、おれだって仕事でいやな思いをしてるんだなって見当がつくぜ」

「ミダリ、この人はおどろいているのか」

「あたりまえだ。心のうちを言い当てられて、気味悪がってんだよ。お前、いい加減に自分の能力ちからに気づけよ」


 そういって後から現れた男――ミダリというらしい――は、げらげらと笑った。癪に触る笑い声に、私は食べかけの弁当をベンチに置いたまま立ち上がった。まだこれから仕事があるのだ。浮浪者に絡まれるなんて厄介ごとは御免だった。


「おいおい、食べかけだよ。それとももらっちゃっていいのかい」

「好きにすればいい!」


 私はそれだけいうと踵を返して石垣の上のベンチを後にした。たかがコンビニ弁当だ。不愉快な思いともに飲み込んだところで、胸を悪くするくらいなら浮浪者にくれてやる。


 しかし、決然と土手を下りて公園内の遊歩道に出たとたん、私はベンチの脇に仕事道具一式の入った鞄を忘れてきたことに気がついて冷や汗をかいた。あれがなくては今日から仕事にならない。急いで石垣の上に戻ると、あろうことか、ミダリと呼ばれた男が私の鞄を手に持ち、なかを覗き込んでいた。私はかっとなって叫んだ。


「なにをしてる。わたしの鞄だぞ!」

「あんた『Skyhigh』のエージェントか。どうりで暗い顔をしてると思った」


 鞄から取り出したシステムの仕様書をひらひらと振って見せて笑った。私が何日もかけて作り上げた挙句、午前中顧客からこき下ろされ、午後からのプレゼン次第では紙くずとなってしまう仕様書だ。


「おまえには関係ない」

「なにいってんだ、してて。おれたちは同類だよ! そんなこともわからないのか。いつまでもこんなこと続けていたら、あんたもここの住人さ」


 そういって手に持った仕様書を、ぱっと空中にばら撒いた。あわてて風にさらわれる前に書類をかき集めたが、その間にミダリは私の鞄をもったまま駆け出していた。


「そこにいるコノエによく聞いてみな。こんなことしてていいのかってな」


 そう言い残し外見からは想像できないくらい敏捷な身のこなしで、石垣を濠端まで駆け下ると、その姿はあっという間に満開の桜並木の向こうへ消えてしまった。私ではとても追いかけられない。あの鞄には仕様書だけでなく、プレゼンに必要な資料が詰まっている。このままでは三時からの案件が仕事にならない。呆然として石垣を見下ろしていると、もうひとりの男が声をかけてきた。


「だいじょうぶですよ。ああ見えてミダリは悪い人間じゃありません」


 悪くない人間がひとの鞄を持ち去ってたまるものか。


「ここにいれば、必ず戻ってきます。どうです、しばらくそこのベンチに腰を下ろして私の話を聞いてみては」

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