花筏(はないかだ)

藤光

1 おいしそうですね

 仕事でA市を訪れたときのことだ。

 私はA駅にほど近い、城跡を整備した公園にいた。午前中に用件を済ませるはずが顧客クライアントが納得せず、午後改めて顧客の会社へ出向き、対応に当たらなければならなくなったのだ。


「ぜんぜんだめだよ。ウチが求めているものはこれじゃない。あんたたち真剣に考えてくれたのか」


 顧客は、これでは満足できないとあしざまにシステムの不満を並べ立ててみせた。契約期間の範囲内で作りこめるレベルはこれが精一杯だといくら説明しても、顧客は「考えていたのとちがう」と納得してくれなかった。


 ――システムの技術的な面に関する顧客とのトラブルは、契約事業者において対応していただく規定になっています。もちろん契約期間の延長は認められません。


 わかっていたことだか、『Skyhighスカイハイ』の担当者の対応はにべもなかった。私の技術がもっと高く、効率的に作業をすすめていれば避けられたトラブルだというわけだ。私に援護の手はなかった。


 季節は春、くさくさした気分を変えるためにも、桜を見物しながら弁当を食べるのは、いい考えに思えた。


 公園のあちこちに植えられている桜は、いまがちょうど見頃で、平日の昼間ではあったが、遊歩道に沿ってあちこちにシートを広げ、花見に興じている人たちが大勢いた。弁当を広げたり、お酒を飲んだり、なかには焼肉をはじめている強者つわものもいたりしてにぎやかだ。


 花見客が楽しそうなのは微笑ましいが、そうした空気に触れたくないと感じていた私は、にぎやかな遊歩道を離れ、濠を見下ろす石垣へと土手を上っていった。


 石垣の上は静かだった。見晴らしよく木が切り払われていて、桜の咲いた遊歩道、濠から駅へと続く街路が見渡せる。ここへは花見客もやってこない。間隔を空けて均等に設置されたベンチが、下に広がる濠に向かっていくつか並んでいるだけだ。足の下では立ち並ぶ満開の桜たちが、その枝を濠に投げかけていて、水面に白色や薄桃色の入り混じった花筏が浮かんでいる様はとても美しい。


 濠を見下ろすベンチのひとつに腰を下ろすと、弁当を広げた。コンビニで買ってきたいつもの安物だが、戸外で食べると何割か上等に感じる。私は石垣の上から見渡せる春の景色を楽しみながら、冷たいコンビニ飯を頬張った。


 小さなソーセージを摘んだところで、携帯端末に着信音があったので確認すると、次の顧客を紹介するメッセージだった。内容はB市にある某鉄鋼メーカーの給与管理システムの改修依頼で、期間は今日の午後三時から一週間以内、報酬は二十四万円。破格の案件だ。紹介された案件を受諾するかしないかの回答は、五分以内に行うというのが『Skyhigh』との契約になっている。


 システムの概要に目を通すと、まさに私向きの案件ミッションだと分かった。一週間という期限は窮屈だが、今日の案件とはちがい必要な能力スキルは身についている。やってやれない案件ではなかった。それよりなにより報酬が高額だ。当初の予定どおり依頼をこなせていない今月は収入が少なく、依頼報酬の二十四万円は、のどから手が出るほどほしかった。


 しかし、午後三時からの案件は受けられそうになかった。今回の顧客との対応は、今日のまさに午後三時からなのだ。案件のダブルブッキングは認められないし、一度引き受けた案件を放棄すると百万円の違約金が『Skyhigh』から課せられる。まったく。


 舌打ちをして、画面の「保留」ボタンをタップした。あくまで保留であり紹介を断ったわけではないが、この案件は確実に別の契約事業者エージェントに依頼が回り、受諾されるはずだ。今後、何度もこうしたことが続くようなら、『Skyhigh』は私より応答レスポンスのよい契約事業者に案件を回しはじめるだろう。不愉快な未来図だが仕方がない。私のすべきことは、目の前の顧客をまず、納得させることなのだから。


「お弁当ですか。おいしそうですね」


 不意に声をかけられた。振り返ると男がひとり、手に絵筆をもち、スケッチブックを広げて立っていた。いつからここにいたのだろう。私がこのベンチに腰を下ろしたときには、だれもいなかったはずだが。

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