3話

「いらっしゃい」

 少年は、帽子の下から私達を見上げて言った。

「靴を見たいの」

「どうぞ」

 マリアは食い入るように並べられた靴を吟味し始めた。私も横から眺めてみる。

 靴は美しいと言えるモノではなかった。しかし、一つ一つ丁寧に縫い合わされた革がとても柔らかそうに見える。きっと履いたら心地良いのだろうと思うと、私も吟味したくなった。

「これ、あなたが作ったの?」

 マリアが靴を一つ抱えながら少年に尋ねた。

「ここにある靴は全部、僕が作ったよ」

 ぶっきらぼうな少年の答えに、マリアは目を丸くする。

「すごい、これ全部!?」

「あなたすごいわ! 名前はなんていうの?」

 マリアは鼻息を荒くしながら捲し立てた。彼女と先程出会ったときもこんな風に興奮していたことを思い出し、一人で笑ってしまいそうになる。

 「リブラ」と名乗った少年は、仕切りに帽子を押さえ照れ臭そうにしていた。マリアは興奮気味なまま、靴の値段を聞いている。

 何だか微笑ましいやりとりを見ていると、背後で大きな声が聞こえた。

「泥棒だ!」

 私が振り向こうとしたそのとき、一つの影が頭上を飛び越えた。


 それが着地した先には、私達が並んで吟味していた靴がある。それらを華麗に跳ね除けて、彼女はオレンジの髪を揺らした。

「悪いね」

 振り向き様にそう残して、さらに先へと駆けようとする。

 そんな横暴な女性の前に、騒ぎを聞きつけた街の人々が立ちはだかった。大柄な男性が三人、じりじりとオレンジ髪の女性を捕らえようと迫っている。

 しかし彼女は、焦る様子もなく立ち止まる。ちっちっちっ、と指を振ると、道沿いの建物の壁に向かって走り出した。壁の手前で大きく跳び上がり、そのまま壁を蹴ってずんずんと上へと逃げていく。


 まるで彼女の世界だけが、傾いたように。


 唖然とする人々をよそに、オレンジ女は建物の屋上を伝って姿を消した。

 彼女が消えた方角を言葉もなく眺めていると、リブラがぽつりと呟いた。

「靴……」

 足下に散らばったそれらは、てんでばらばらな方向を向いていた。まるで失った相方を探しあっているかのように。

 敷物の外まで飛ばされたもの、形が変わるほど踏みつけられたもの、いくつかの靴は、もう商品として並べるのは難しいかもしれない。

 彼はがっくりと肩を落とし、口をきつく結んだ。毅然と振る舞おうとしているが、目頭は少しづつ赤くなっていく。


「私これにするわ」

 不意にマリアが立ち上がって言った。一組の靴を持ち上げ、リブラに差し出す。

「私が今の奴、取っ捕まえてくるから」

「それでこの靴で踏んづけてやる」

 任せて、とマリアは得意げだ。ぽかんとしたリブラに、私も靴を一組、拾って差し出した。

「私にも、ください」


 会計を済ませて、私達は新しい靴に足を差し込んだ。柔らかい革に包み込まれ、足が軽くなるような気がする。思った通りだ。

 マリアも履き心地を確かめると、うんうんと頷いた。それから、私にこっそりと耳打ちをした。

「さっきの女も、私達と同じだよ」


***


 靴を新調したアネモネとマリアは、オレンジ髪の女が逃げた方向へと足を向けました。行く先々で目撃情報を聞きながら、少しずつ歩みを進めると、二人は暗く細い路地裏に辿り着きました。


***


「いかにもって感じの路地裏ね」

 マリアは私の前を慎重に進んでいく。何か物音がするたびに立ち止まり、その犯人がなんてことのないただの風だとわかると、再び先へと歩みを進める。


 かなり深いところまで進んだだろうか。マリアが通り過ぎた建物の壁に、何か熱のようなものを感じた。

「マリア、ここ……」

 その壁に触れようとした手は、するりと奥に沈んだ。振り返ったマリアが、その様を見て驚嘆する。

「幻を作ってた、ってことね。結構厄介な相手よ、アネモネ」

「幻、とは違う気がする。もっとこう、複雑な……」

 気を付けろ、ってことね、とマリアがウインクする。再びマリアを先頭に、路地裏の横道を進んでいった。


 すぐに開けた場所に出た。地面にはカーペットと思われる布が敷いてある。加えて椅子、机、棚、誰かが住んでいる形跡が、そこら中に散らばっていた。

 私とマリアは無言で目を見合わせ、さらに慎重に、物音一つ立てぬように辺りを見渡した。人らしき気配は感じない。しかし間違いなく、ここは彼女の根城だろう。


 私がカーペットに足を乗せようとしたとき、背後から迫る足音を感じた。

 振り向くとそこには、先程のオレンジ髪の女がいた。

 黒く変容した手を構え、こちらに向かってきている。私は彼女に手をかざし、周囲の風を彼女へと集めた。右手と左目に熱を感じるのと同時に、彼女は正面から風に殴られる。オレンジの髪がはためき、その体は少し後退する。

「わっ! 出たっ!」

 事態に気付いたマリアは、その手に腕の長さほどの棒を握っていた。その棒を大きく振りかぶり、オレンジ髪の女に迫る。

「待ってマリア!」

 私はマリアの肩を思い切り引いた。と、同時に、マリアのいた場所を何かが貫いた。

「え……?」

 私はオレンジ髪の女の左上を指差した。

 天井にいつの間にか空いた穴。その向こうに、黒髪を後ろで結えた“狙撃手”が弓をつがえている。

 彼女もまた、私達と“同じ”だ。

「相手は一人じゃない、二人いたん——」

「三人」

 背後から聞こえた声と同時に、下の床が——抜けた。


輪をくぐるように落ちたその先には、やけに広い空間が広がっていた。宙に浮いたまま辺りを見回しても、一切見えない壁と天井。と、いうよりもこれは……。

「外!?」

 落ち行く先には、立派な建物の屋根が見える。つまり私達は、“三人目”の手によって街の上空へと放り出されてしまったのだ。

「わわわどうしよ!」

 慌てふためくマリアと対照的に、私は妙に落ち着いていた。

 大丈夫。私は風を操れる。この風で、私とマリアを支えれば良い。

 周囲の風をかき集め、上昇気流を形成する。

 大丈夫。落下の速度は下がっている。

 後は優しく包み込むように——。


 纏わせた風は、私達を優しく屋根の上に降ろした。

「助かった……」

 マリアはほっ、と息を漏らした。私も胸を撫で下ろす。

 そのとき、舞い降りた屋根の下、この建物の中から先程の三人が駆け出して行くのが見えた。私達から逃げようとしている。

 彼女達とは少し距離が離れている。逃しては駄目だ。それなら……。

「ねぇマリア、縄みたいなものって、作れたりしない?」

「縄っ!? 作ったことないけど……やってみる!」


 マリアは両手を合わせ、その間から少しずつ、細長い繊維を形成する。それらを空中で一つ一つ編み上げ、一本の縄を作ろうとしている。が、酷く疲れているらしい。額に汗がにじみ、呼吸も荒い。

「だ、大丈夫?」

 私はマリアの背に、そっと手をおいた。少しでもマリアの疲労を和らげることができるように。左目に籠る熱が右手を伝い、マリアに流れていくような感覚があった。

「あれ、なんか、楽になったかも」

 そう言うとマリアは、人を十周はしようかと言うほどの長い縄を、するすると編み上げた。

「ありがとう、マリア!」

 私は完成した縄を受け取った。

 作った縄を一体どうするのか、マリアは興味津々でこちらを見つめる。

 大丈夫、私ならできる。そう自分に言い聞かせて、私は縄を空中に放り投げた。

 それと同時に、周囲の風をかき集める。縄は風に乗り、蛇のように宙を舞う。そのまま三人組の背後に迫り、そして——。

 ここからは繊細な操作が必要だ。彼女達に悟られないよう、素早く縄にかける。もちろん、風を使って。

 やったことなんてなかったけれど、できない気はしなかった。私にとって、風は手足と同じように思えた。

「すごい! アネモネすごい!」

 三人をまとめて縛り上げ、私達はゆっくりと屋根から降りた。

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