4話

 アネモネとマリアは、ならず者三人の捕縛に成功しました。彼女達を連れ、靴屋のリブラの元へと向かいます。

 オレンジ髪の女はレオと名乗りました。自身のみが盗みを働き、他二人は何もしていないと主張します。


***


「弓矢で射ったり、空に落としたりしたじゃない」

 私はマリア。お久しぶりのところ悪いんだけど、今は少し虫の居処が悪いの。アネモネがいてくれなかったら、私どっちでも大変なことになっていたもの。本当、アネモネに感謝しなきゃ。

「それにあなた、前見えているの?」

 三人目——私達の後ろに立って落っことした彼女は、薄い桃色の髪で両目が隠れていて、出会ったときのアネモネみたい。私が髪留め作ってあげようかしら。

 すると彼女ではなく、オレンジ髪のレオが答える。

「アリエスはいいんだよ。俺の前髪は邪魔だけどな」

 確かにレオの前髪も随分長い。オレンジに煌めく髪の向こうから、刺さるように鋭い眼光。

 私の髪留め、大流行の予感がするわ。

 ってちょっと待って。“アリエスはいい”ってどういうこと? 完全に目が隠れて、隙間も窺えないのよ? 前も後ろも、見えるはずないわ。

 薄桃色の髪の、アリエスと呼ばれた少女は遠慮がちに口を開く。

「私は……元から……目、見えてないから……」

「えぇっ!?」

 思わず大きな声が出ちゃった。つまり彼女、視力がないってこと? でも、さっきも今も、自力でしっかり歩いているじゃない。まるで前がはっきり見えているみたいに。一体どうやって……?

 私の疑問に答えてくれたのは、黒髪を後ろで結えた、背が高くすらっとした“狙撃手”の子。

「アリエスは空間を知覚している。私達のような“目”は、そもそも必要としていないんだ」

 空間を知覚……なんだか難しそうな話。多分私には理解できないわね。

 そんなことよりこの“狙撃手”の前髪は綺麗に整えられていて、前がとっても見やすそう。私の髪留めは必要なさそうね。

「あなたは名前何て言うの?」

「サジタリアス」

「長いから、ジータでいい」

 彼女は無表情で答えてくれた。


 彼女達、なんだか思ったより悪い人じゃなさそうね。


 そんなことを話していたら、いつの間にかリブラの工房に着いてしまった。別れ際に教えて貰った、小さな小さな建物の一角。ここでリブラが待っているはず。

 扉を叩くと、リブラが出迎えてくれた。予想を超える大所帯に、彼は目を丸くして驚いていたわ。


 工房の中は、六人を詰め込むには流石に狭すぎたみたい。彼は隣の部屋に私達を通してくれた。それでもちょっと狭いけどね。

 私は早速、レオをリブラの前に突き出した。

「さぁ、リブラに謝って!」

 レオは仏頂面のまま頭を掻いた。

「あぁ、まぁ……そうだな」

「商品蹴散らしたのは悪かったよ。わざとじゃねぇんだ……だから、まぁ、なんだ、その……」

 あぁもう、じれったい!

「ごめんなさい、でしょ!」

「ご、ごめんなさい」

 レオは頭を下げた。と言うより、俯いた、の方が近いかもしれない。

 するとリブラが口を開く。

「いいよ、別に」

「過ぎたことだし」

 リブラは帽子を押さえながらそっぽを向いてしまう。でもその声は暖かい気がした。

「靴は作り直せばいいしね、それより」

 リブラはそのまま言葉を続ける。

「何かを盗んで逃げ回ってたんだろ? そっちに謝った方がいいんじゃないか?」

 確かに。私もすっかり忘れていたんだけれど、そもそもレオは盗みを働いて逃げ回っていたんだったわ。

「あぁ……そっちは多分、行っても無駄、かな」

 レオは伏し目がちに呟く。

「何言ってるの! そんなのやってみないと——」

 そのとき、工房の扉がドンドンと叩かれる音がした。


***


 その音には、聞き覚えがあった。

 かつての私の、安寧を奪った音。

 老人を巻き込んで、家に火を放った奴らと、同じ音。

「俺が行く」

 レオは一人、工房へと向かおうとする。他の面々は、何が起きているのかもわからず、困惑の視線を交わす。

 私にはわかる。

 私はレオの手を掴んだ。

「私も行く」

 レオは一瞬、前髪の奥で目を見開いた。しかしすぐに扉に向き直る。

「勝手にしな」

 私とレオは、二人で工房の扉に向かった。


 向こう側から叩かれ続ける扉を、レオは蹴破るように押し開けた。それに反応して、一瞬の静寂が場を包む。

 それはすぐに決壊した。

「やっと出てきたかこの悪魔が」

「いつまでこの街にいるつもりだ」

「早く出ていけ気味が悪い」

 二、三十人はいようかという人々が、一斉に罵倒を投げつけ始めた。


 盗みを責めている者は、誰一人としていなかった。


「こいつらが欲しいのは謝罪じゃねぇ」

 レオは人の群れを見据えて言った。

「俺らのいない街だ」

 投げつけられた石が、レオの肩に直撃した。


***


「レオは生まれたときからこの街にいた」

 二人が去った扉の方を眺めながら、ジータがぽつりと呟いた。

「私達は、もう百年以上生きている。あなたもそうなんでしょう? えぇっと……」

 私はマリア、と付け加えて頷く。やっぱり私達は同類みたい。

 リブラは糸でも切れたみたいに、ぼふんと側の椅子に腰を降ろした。細かな塵がふわりと浮かんだ。

「信じられないな……大人はみんな、言ってたけどさ」

 リブラが信じられないのも無理はないわ。だって彼自身は、まだ十年と少ししか生きていないもの。私達の“異常さ”に気付くのは難しいでしょう?

「最初は普通だった。レオも盗みなんてしなかった。する必要がなかった」

 浮かんでいた塵が、徐々に床板に着陸する。私の足元で、小さく軋む音がした。

「でも、私達の異常さに気付いた大人達は、私達にモノを売らなくなった」

 そうなればもう、盗むしかないでしょ、とジータは吐き捨てる。消え入りそうな声で。

 ふと、疑問が浮かぶ。それなら街を出ていけばよかったんじゃないの?

 何か、あなた達を引き留める理由が、この街にはあるの?

「レオは昔からずっと、鐘を鳴らす仕事をしていた」

 ジータは私達の方に向き直る。

「私達も、レオも、その鐘の音が大好きだったの」

 ジータの隣に佇むアリエスは、小さく頷いた。

 リブラが椅子の上から身を乗り出す。

「それって、波紋の鐘?」

 波紋の鐘? 何かしら。私聞いたことないわ

 ジータとアリエスは揃って頷く。知らないのは私だけみたい。

「穏やかな水面で、波紋は大きく広がる。鐘の音も、平和な世ほど遠くまで響く」

「平和な世への願いを込めて、波紋の鐘」

 見かねたリブラが説明してくれたわ。


 ジータは唇を結んで下を向いた。何かを迷うような、躊躇うような、そんな仕草。でも、ほんの一瞬で顔をあげた。

「私達は多分、もうここにはいられない」

「だから最後に……」

「あの音を、レオに聞かせてあげたいの」


***


 空に舞う無数の石は、まだ青い空を侵していく。

 行き着く先は、レオと私。

 振りかぶる人々の口は、唾を吐き散らし何かを発している。


 ただ、私の耳には届かなかった。


 私は軽く息を吸い、一歩前に出た。

 人々はたじろぎ手を止める。


「レオはあなた達に危害を加えたの?」

 私の口から出た予想外の言葉に、彼らは互いの顔を見合わせる。

「知らねぇのか?」

「そいつは百年以上もこの街にのさばる悪魔だ」

「気味が悪いんだよ」

 レオは涼しい顔でこちらに目をやる。「だから言ったろ?」とでも言いたげだ。


「それは、囲んで石を投げるほどの罪?」

 ほとんど間を開けず、当然だ、と誰かが言った。そうだそうだと、周りが続く。


 あぁもう、うんざりだ。


 左目の奥が疼く。

 私の目に映るモノこそが悪魔に見える。己と違うモノを否定し、平気で傷付ける悪魔に。


(……私もそんなに、変わらないかもね)

 誰かが囁いた気がした。


 周囲の風が私に集まる。

 集めた風は、私の手足。

 喚く悪魔は、吹けば飛ぶ。

 私が振り上げた右手は、隣の誰かに掴まれた。

「えっ」


 風になびくオレンジの髪の奥から、レオは私を見つめている。

「いいんだ」

「望み通り、俺達が出ていけばいい」

 異常な風を操っていたのが誰か、人々は察し始める。本物の悪魔を前に、彼らはじりじりと後退りをした。

「あんた達、迷惑かけたな」

 レオは軽い声で彼らに言った。


 空に舞うのは、薄く乾いた枯れ葉のみだった。

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