第一章:魔女のいる街

2話

 それから随分と時が経ちました。老人はついに亡くなり、少女は独りぼっちになりました。少女は大きな木の根元で、寂しく夜を超えました。赤子だった頃と、同じように。少女は他人とは違う自分を呪いながら、自分と同じ存在がどこかにいることを願いました。はみ出しもの同士集まって、仲良くひっそりと暮らしたい、と考えていました。


 数百年ほど過ぎたでしょうか。少女もようやく、成人したと言える見た目になりました。伸びた前髪は、異質の象徴とも言える左目を覆っていました。

 それでも彼女は相変わらず、あの木の根元にいました。まるで誰かを、待っているかのように。


***


 乾いた空気が枯れ葉を舞い上げ、かさかさと音を鳴らしている。

 私が背にする木は、かつて私を匿っていた木だ。


 ここに座り込んでどれくらい経ったのだろうか。芽が出て、伸びて、葉を生やし花を添え、やがて枯れ落ち舞い上がり、そして再び芽が出る様を、私は何度も、何度も眺めていた。


「きみ、こんなところで何してるの?」

 不意にかけられた言葉に、私は体をすくめた。振り返ると、そこには、がさがさと枯れ葉を掻き分けてこちらに向かってくる一人の少女の姿があった。少女と言っても、私より背は高いだろうか。真っ白な前髪に対して、後頭部で結え腰まで垂らした後ろ髪は黒々と艶を放っている。黄色い瞳を丸くしている彼女は、さらに言葉を続けた。

「私はマリア! あなたは?」

 奇妙な髪を持つ少女はマリアと名乗った。ずんずんと近付いてくる彼女に、私はとっさに左目を隠した。

「アっ……アネモネ……です」

 長いこと使われていなかった私の声は、驚くほど小さく、か細かったが、それでもマリアの耳に届いたようだった。

「アネモネっていうのね。ねぇアネモネ、それ、前見えてるの?」

 そう言うや否や、マリアは私の前髪を分けた。

 隠していた左目は、あっけなくあらわになった。

 それを見たマリアは、手を口に当て息を飲んだ。彼女もきっと、気味悪がって去っていくのだろう。昔を思い出し、胸がちくちくと痛んだ。

 ところが、返ってきたのは予想外の反応だった。

「アネモネ……すごい、これ……」

 マリアは私の肩を揺さぶる。

「ねぇアネモネ、もしかしてあなた、“何か”できたりしない!?」

 “何か”とは何のことだろうか。鼻息を荒くするマリアを余所に、私はぽかんと口を開けた。

「何かって……?」

 マリアは、はっ、と両手で口を抑え、そしてぱたぱたと顔を扇いだ。

「ごめんごめん、私つい興奮しちゃって」

 そう言うと彼女は、右手を前に差し出した。

「まぁ見てて」

 マリアが人差し指と中指を親指と擦り合わせていると、ふわっと、暖かい何かを感じた。次の瞬間、パチパチと周囲の空間にその何かが走る。それは指先に収束し、そこには先程まではなかった、小指程の長さの棒切れのようなものが二つ握られていた。

「これは……?」

「これは髪の毛を留めるのに使うの」

 そう言ってマリアはその棒切れを私の前髪に差した。

 それは正確には棒ではなく、何か薄い物を挟むための構造をしており、私の髪は綺麗に挟まれていった。

「この目は確かに、隠さないと目立っちゃうわね」

 でも両目とも隠したら前が見えないでしょ、と笑いながら、マリアは私の髪を留めた。左目を隠したまま、はっきりとマリアの顔が見えた。私が呆気にとられていると、マリアは目をきらきらと輝かせながら言った。

「これが私のできること! 何もないところから物を作れるの!」

「あなたも何かできるんでしょう? 私の勘が、そう言ってるわ!」

 私はふと、あの夜のことを思い出した。先程感じた暖かい何かと、同じものを感じた記憶。左目の奥から、自然と熱が沸き上がる。足元に散らばる枯れ葉に、私は左手を向けた。

 やり方はわかった。誰に教えられるでもなく、最初から知っていたのだ。

 ただ、使う理由がなかっただけで。

 周囲の枯れ葉が舞い上がり、渦を巻いて一つに集まった。風の音と、枯れ葉の擦れ合う音が辺りを埋める。

 焦げ茶色の竜巻が、木々の背を越えようとするところで、私はふっと力を緩めた。糸の切れた操り人形のように、竜巻はほどけ、はらはらと葉が舞った。

 一瞬程の沈黙の後、マリアが飛び跳ねながら声をあげる。

「すごい! すごい! あなた風を操れるのね!」

 私が控えめに頷くと、マリアは私の肩を掴んでまた揺さぶった。

「これはきっと運命よ! アネモネ、私と一緒に街に下りない?」


***


 導かれるように出会った二人は、共に街に向かうことになりました。初めて出会えた“同類”に、アネモネは、ほんの少し心が踊るのを感じました。


***


 初めまして、私はマリア。今日はとってもいい一日になりそう。

 私はアネモネと一緒に街に降り立った。街では市場が開かれているみたい。色々な人が様々な場所で声を交わし、物を売り買いしている。その音はさわさわと耳に心地良くて、うっかり目をふさぎそう。荷車をひく馬の蹄や、忙しなく歩く人の靴は、メトロノームのように音を刻む。

 耳ばかりいい思いをしているのでは、と慌てて辺りを見渡す。簡易的なテントの下に並べられた、色とりどりの商品は、日の光に照らされて神々しさすら感じてしまう。市場の売り物のほとんどは食料品で、何だかお腹も空いてくる。

 市場は街の中心、建物に囲まれた広場を目一杯に使って行われていて、端から端までまわったら日が暮れてしましそう。

「じっとしていたらもったいない!」

 私はアネモネの手を引いて、人の流れに飛び込んだ。


 端から端までまわってみたけれど、どうやら日は暮れていないみたい。歩き疲れた私達は、建物の側の日陰で休むことにした。先程手に入れたリンゴを、一つアネモネに渡して、もう一つを丸齧りする。アネモネは目を丸くして、私と、受け取ったリンゴを交互に眺めておろおろしている。私はそれに構わずどんどん齧る。

 しばらくして、アネモネも、リンゴに小さな歯形をつけた。


***


 不思議な果実を食べた。外皮は鮮やかな赤で、つるつると光を反射する。中の果肉はざらざらとした黄色とも白ともつかない眩しい色だった。

 マリアがそれを直接齧るので、私も真似をした。どうにもうまく噛み付けず、口の周りに果汁がこぼれた。口の中では、しゃりしゃりと細やかな歯触りが駆ける。甘さの真ん中にあるほのかな酸味が、鼻の奥を抜けていった。


 私がそれを食べ終えたのは、マリアの随分後だった。


 私達が座る日陰とは道向かいの日陰に、少年が何やら敷物を敷いているのが見えた。

 四隅を重石で固定したら、鞄から靴をいくつも取り出して並べ始めている。最後に看板を取り出して、前面左端に立てた。看板には「靴磨き、靴屋」と書いてあるようだ。

「何だか面白そうね」

 マリアがそう言って立ち上がった。無邪気な笑顔で私を手招きする。

 曖昧な笑顔で返事をしながら、私も腰を上げた。

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