そのバラバラ死体、気に入ったわ!

 鑑定師の本名はT細胞受容体です。

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 どうも、再登場の鑑定師です。私の身体にマッチする、コロナ組のスパイクのバラバラ死体に巡り合ったあの感動の瞬間から2日半ほど経ってます。社内の調整に1日半かかり、それから1日の間に3回分裂して8個になった子会社の1つに転生しました。ん?言ってませんでしたっけ?子会社作りって、1つの会社が2つに分裂することなんですよ。もちろん切り貼り済みの聖書ゲノムもそのまま複製されますから、子会社たちはみな私と同じ姿の鑑定師を持ってます。


 リンパ村を出て行った子会社もいますが、私の子会社は、いえやっぱりヘルパーT支社って呼びますけど、リンパ村に留まってB支社の面接を始めることに決めました。この面接は、事故コータイの大量生産を防ぎ、正しく敵を認識するコータイの生産を促進するための重要なステップです。


 B支社は支社ごとに微妙に姿が違うコータイを作ります。私たち鑑定師とT支社の関係とよく似ていますね。ただ、違いもあります。私たち鑑定師は常にT支社上にいて、相手の会社の展示師の掲げるバラバラ死体にくっつきますが、いったん目的が達せられれば離れます。それに対して、B支社の表面にも足付きのコータイがある程度いますが、いったん子会社作りが始まると、その一部がプラズマ社って呼ばれる会社になって、ものすごい数の足なしコータイを社外に放ち始めるんです。コータイたちはその辺を漂ってるホムンクルスだろうが会社の表面にいるホムンクルスだろうが、敵認定するとガッチリくっついて、くっついたらなかなか離れません。漂ってるホムンクルスを捕まえれば駆除会社を引き寄せて自分ごと食わせたりしますし、会社の外壁にくっついてるムンクルスにくっつけば、壁壊し屋を引き寄せて壁を破壊させたりするんです。もし間違えてこのニンゲン国のホムンクルスにガッチリくっつくコータイが大量生産されてしまったら大変なことになります。そういう事故コータイを作るB支社は設立直後にお取り潰しになってるはずですが、見落しはありますからね。


 だから、B支社の表面にいる足付きコータイがナニカを敵認定して捕まえたってだけではそのB支社に子会社作りの許可は出ません。足付きコータイが捕まえてB支社に引きずり込んだナニカのバラバラ死体を、ヘルパーT支社の鑑定師が敵認定して初めて、ナニカはコータイに攻撃されるべき敵だと公式に決定されるのです。


* * *


 さあ、面接です。シーディーフォーに手伝ってもらいながら、B支社の表面で、特殊展示師の皆さんが掲げているバラバラ死体を鑑定していきます。ダメ、ダメ、これもダメ。無数のB支社を面接してそろそろ疲れてきたところでポン!とくっつくのを感じました。あの、初めての時の感動がよみがえって来て、私は高らかに叫びました。


 「そのバラバラ死体、気に入ったわ!」


 私の宣言を受けて足元に控えた助手たちが支社の内部に向けてシグナルを発します。壁沿いに集まってきた別の助手たちがB支社側の助手とくっきあって、そこからもシグナルが発せられます。伝令ホムンクルスが作られて、B支社の受け取り手に向けて放たれます。もろもろのシグナルを受け取ったB支社の司令室は子会社を作る最終許可を下したようですね。B子会社たちのあるものは、プラズマ支社になってコータイの放出を始め、もはやヘルパーT支社の助けは必要としません。わりとすぐに長命のメモリーB支社になるものもいます。でも、分裂を繰り返し、聖書の書き換えによってコータイの頭から胸の部分をスパイクにもっとガッチリくっつけるようにしたり、コータイの腹の部分を取り替えて、それぞれにマッチした警備関係のホムンクルスたちとお付き合いできるようにしたり、といった作業をするB支社たちにはヘルパーT支社の助けが必要です。どんどん増えるB支社たちはひっきりなしにスパイクを取り込んではバラバラ死体を展示しますから、私にマッチするバラバラ死体はすぐに見つかります。


 ところが、そういうウハウハ状態は数日しか続かず、B支社の上にもデンドリ駆除会社の上にも、私がくっつけるバラバラ死体が見つからなくなりました。バラバラ死体とくっつくたびに司令室に向けていた『まだ敵がいるからヘルプ活動を続けましょうシグナル』が送れなくなり、営業の縮小が決まりました。子会社作りやヘルプ活動が中止され、9割以上の支社が倒産しましたが、私のいる支社は幸いメモリーヘルパーT支社になることが決まり、生まれたリンパ村を出て全国巡礼の旅に出発しました。メモリーヘルパーT支社の中には何十年も生き延びる強者もいるんですよ。


* * *


 前世と同じメモリーヘルパーT支社の中に生まれ変わりました。スパイクのバラバラ死体が見つからなくなってから2週間くらいでしょうか。支社は前と同じリンパ村に立ち寄ることにしたようです。おや、前回よりずっと派手なお祭り騒ぎが起こってますね。さっそくぶつかったデンドリ駆除会社の表面で私の身体にマッチするバラバラ死体を見つけました。特殊展示師の方に聞いてみたら、またもや左上腕地方に多数のスパイクが現れたそうです。


 初めての時は社内の調整に時間がかかって半日近くデンドリ駆除会社にくっついていたものですが、今回は1時間程度で離れました。数時間後にはもう子会社作りとヘルプ活動が始まりました。私の支社はすぐにリンパ村のB支社がたくさんいる場所に出向いてバラバラ死体を掲げた特殊展示師の面接を始めました。初めての時はマッチするB支社になかなか会えませんでしたが、今回はすぐでした。スパイクを捕まえられるB支社がメモリーB支社としてたくさん生き残っていたからでしょう。すべてのことが前回よりずっとサクサク進んで気持ちが良いですね。


 そのうちに再びスパイクのバラバラ死体が見つからなくなり、またたくさんの支社が倒産しましたが、前回よりずーっと多くのメモリーT支社がリンパ村を旅立つことが出来ました。



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(解説:読み飛ばして下さってかまいません。)


 主人公の“鑑定師”の本名はT細胞受容体で前々話の『切り貼りされたカタログから生まれました』にも登場しました。前々話で主人公のいるヘルパーT細胞は樹状細胞(”デンドリ駆除会社”)との相互作用により、ナイーブ(まだ抗原に出会ったことがないという意味)な状態から増殖分化モードに活性化されました。ヘルパーT細胞の分裂が始まるのはT細胞受容体が樹状細胞上の抗原を認識してから36から48時間後で、初回ワクチン接種の2、3日後です。活性化ヘルパーT細胞は10時間に1度の割で分裂します。一部はリンパ節を出て血中を循環し、炎症箇所を訪れますが、一部はリンパ節でB細胞に対するヘルパー機能を果たすようになります。


 この話が始まった時点で、もとのヘルパーT細胞クローンは3回分裂して8個に増えています。もちろん、スパイク由来の異なるペプチドに反応する複数のヘルパーT細胞クローンが増殖しますから8個よりは多いですがそれでも少数です。しかも、この時点ではスパイクに結合するB細胞受容体を持つナイーブB細胞クローン(これも1種類ではありません)の総数はとても少なく、せいぜい1万個から100万個に1個くらいなので、出会うのはなかなか大変です。このように初回の免疫反応というのは干し草の山から針を探すようなものなのです。


 主人公のT細胞受容体は、とあるナイーブB細胞上でMHCクラスII分子(”特殊展示師”)が掲げたペプチドにくっつくことができました。T細胞受容体とMHCクラスII分子から発するシグナルがそれぞれの細胞内に送られます。また、T細胞側のCD40L、B細胞側のCD40などのアクセサリー分子(”助手”)が結合し、シグナルが送られます。さらに、何種類かのサイトカイン(”伝令”)が放たれ、それぞれのサイトカイン受容体からもシグナルが送られます。さまざまなシグナルを受け取ったB細胞の活性化が達成されました。分裂増殖したB細胞の一部がプラズマ細胞に分化して抗体の産生を始めるのは、初回のワクチン接種から4日後くらいです。


 増殖したB細胞はスパイクを取り入れては細胞表面にペプチドを提示するので、ヘルパーT細胞にとっても抗原が見つけやすい環境となり、B細胞や自分自身を刺激するサイトカインを出し続けます。しかし、RNAワクチンからスパイクタンパクが作られるのは長くてもせいぜい10日程度だと思われます。間も無くスパイクの供給が途絶えて抗原刺激を受けとれなくなったヘルパーT細胞のほとんどが死滅しますが、少数(と言っても元のナイーブ細胞よりずっと多数)はメモリーヘルパーT細胞という長命の細胞として生き残ります。これが1回目のワクチン接種を終えてしばらく経った状態です。


 さて、初回のワクチン接種から3週間後に2回目の接種が行われました。初回と同様に最寄りのリンパ節に移動した樹状細胞上のMHCクラスII分子がスパイク由来のペプチドを提示しました。初回の時は、マッチするナイーブヘルパーT細胞が数少ない上、分裂を始めるのに36から48時間かかりました。しかし今回はずっと多数のメモリーヘルパーT細胞がいる上、活性化に要する時間もずっと短く、数時間で細胞分裂やB細胞に対するヘルプ活動が始まります。相手のB細胞も初回のナイーブB細胞よりずっと数多くがメモリーB細胞として存在しているのですぐに出会えます(メモリーB細胞とプラズマ細胞に関しては次回で詳しく描かれます)。


 このように2回目のワクチン接種ではスパイクに特異的なT細胞、B細胞がメモリー細胞としてすでに存在すること、メモリー細胞は抗原刺激に対する反応がナイーブ細胞より早いことから、初回よりずっと効率良く免疫反応が起きます。結果としてスパイクが使い果たされた時点で初回よりずっと多数のメモリーT細胞、メモリーB細胞、プラズマ細胞が生き残ることになるのです。


 ワクチンを受けていない人が新型コロナウイルスに初めて感染した場合は、ナイーブ細胞しか無い状態、つまり干し草の山から針を探すところから始めなければなりません。たいていの場合それでも十分間に合うのですが、悪い条件が重なれば、もたもたしている間にウイルスが増えすぎて問題が起こります。


 次回の主人公は再登場の免疫グロブリン(”コータイ”)です。


(参考文献)

1. 免疫のしくみを学ぼう!(http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/public/public_001.html)

2. T cell responses: naïve to memory and everything in between (https://journals.physiology.org/doi/full/10.1152/advan.00066.2013)

3. Effector and memory T-cell differentiation: implications for vaccine development (https://www.nature.com/articles/nri778)

4. B-cell activation by armed helper T cells (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK27142/)

5. Regulation of T Cell Immunity by Dendritic Cells (https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(01)00455-X?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS009286740100455X%3Fshowall%3Dtrue)

6. Memory CD4 T cells: generation, reactivation and re-assignment (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2855788/

7. Memory T Cells: A Hurdle to Immunologic Tolerance (https://jasn.asnjournals.org/content/jnephrol/14/9/2402.full.pdf)

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