切り貼りされたカタログから生まれました

 鑑定師の本名はT細胞受容体です。

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 私はT警備システムのエース、鑑定師です。とあるヘルパーT支社とその子会社の中で転生を繰り返しています。誰をヘルプするかですって?敵にくっつくコータイを生み出すB支社と、会社に侵入した敵を会社ごと殺すキラーT支社です。ヘルパーT支社自身は敵を攻撃しませんが、攻撃者を助けたり、間違いとかやりすぎとかを防ぐためにとても重要な役割を果たしているんです。そのためには敵を見分けることのできる私たち鑑定師が必須です。


 私たち鑑定師はアルファとベータという2匹のホムンクルスが合わさって出来ている高級ホムンクルスで、T支社の外壁にハマっています。支社って呼んでる理由はそれぞれが微妙に姿の異なる鑑定師を持っているからです。鑑定というのは鑑定師の身体が、ホムンクルスのバラバラ死体にしっかりくっつくかどうか調べるってことです。バラバラ死体は、隣り合わせた会社の外壁で、展示師という高級ホムンクルスが掲げてくれる必要があります。かるーくくっつけば味方か相性の良くない敵、しっかりくっつけば相性の良い敵です。今まで出会ったことのない敵って何種類いるか知りませんけど、そのバラバラ死体のどれかにしっかりくっつける鑑定師がニンゲン国にすでにいるんですよ。どうやってそんな多種類の鑑定師たちを作るかですって?カタログの切り貼りです。


 T支社がキョウセン地方で発足する時、アルファとベータのカタログが載ってる聖書ゲノムの部分が切り貼りされます。バラバラ死体にくっつくのは頭から胸の部分なんですけれど、大元の聖書ゲノムに載ってるアルファのカタログには46種類の頭と8種類の胸のデザインがずらっと並んでます。で、そこから1つずつランダムに選んでいらない部分は切り捨てるのです。ベータの場合は48種類の頭と2種類の首と12種類の胸から選べます。組み合わせのパターンだけでもかなりの数になりますが、貼り合わせる時に繋ぎ目が微妙に変わるので、すごいバラエティになります。でも、使い物にならない鑑定師を作った支社はすぐにお取り潰しになりますので最終的には1億種類くらいになるそうです。もっとも、古くなったニンゲン国ではキョウセン地方が衰退して新しいT支社が生まれなくなるので、バラエティがどんどん減るそうですけど。


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 さて、私の最初の生についてお話ししましょう。切り貼り間もない聖書ゲノムから、仕様書スクリプトが印刷されて、そこから錬金術師によってアルファとベータが作られて、それらが合わさって私と同僚たちが生まれ、T支社の表面に出てきました。ここはキョウセン地方。発足したてのT支社がひしめきあってますが、これから2段階の試験を突破して生き残れるのはほんのひと握り、いえ、ひとつまみです。


 第1次試験はキョウセンヒシツジョウヒ社の表面に出ている一般展示師と特殊展示師のどちらかが掲げたバラバラ死体にかるーくくっつくことです。この場合、バラバラ死体はこのニンゲン国で生まれたホムンクルスたちから来ています。かるーくくっつくたびに社内に『まだ生きてていいよシグナル』を送れますが、全然ダメなら何も送れず会社は数日以内に潰れます。だって全くくっつけなかったら鑑定のしようがないですからね。第1次試験は将来支社が進む方向の選別も兼ねています。私たちは特殊展示師の持ったバラバラ死体にかるーくくっつきましたが、一般展示師のには全然くっつきませんでした。その結果、支社は第1次試験を通過すると同時にヘルパーT支社になることが決まりました。もし、一般展示師と相性が良ければキラーT支社になるところでした。


 第2次試験はキョウセンズイシツジョウヒ社の表面に出ている展示師が相手です。ウチの支社の場合は特殊展示師の方々で、やはりニンゲン国由来のいろんなバラバラ死体を展示してます。ここでしっかりくっついてしまったら、社内に『すぐ自爆しなさいシグナル』を送らなければいけません。だって自国民を敵認定してしまう鑑定師なんて危険すぎますからね。


 両方の試験を無事パスした私たちのヘルパー支社はキョウセン地方を出て、ニンゲン国をめぐる水路に入りました。リンパ村に立ち寄るたびにデンドリ駆除会社の特殊展示師が掲げているバラバラ死体を鑑定しましたが、何事も起こらず、まだ見ぬ敵に出会う日を夢見ながら、何年も旅を続けました。


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 何度目の生だったでしょうか、私たちのヘルパーT支社が立ち寄ったリンパ村はさまざまな警備会社でたいそう混雑していました。特に珍しいことではありません。ニンゲン国への侵入者が見つかったり、会社がたくさん壊れたりした時などにそれらを食べまくって興奮した駆除会社がリンパ村に引っ越してきて、いろんな伝令ホムンクルスを撒き散らし、それに様々な会社が反応してお祭り騒ぎが起こることはままあるのです。混雑の中、私たちの支社はデンドリ駆除会社にぶつかりました。


 デンドリ駆除会社の表面では特殊展示師の皆さんがいろんなバラバラ死体を展示しています。助手のシーディーフォーに足場を支えてもらいつつ、次々と鑑定していきます。幾つ目だったでしょうか、いきなりポン!と気持ちの良いショックを感じました。これです!これが待ちわびていたヒットです!特殊展示師の方が小声で『このバラバラ死体気に入ってくれた?』て聞いてきましたが感極まって言葉になりませんでした。私の感動を足下に控えている助手が感じ取り、彼が発したシグナルが支社の内部に伝達されます。何種類かの助手たちがやってきてデンドリ駆除会社との間の橋渡しに加わり、別のシグナルを送ります。さらに双方から放たれた伝令を受け取ったホムンクルスからもシグナルが送られます。


 ヘルパーT支社の司令室が、送られてきたさまざまなシグナルをもとに子会社作りの決断を下すまでの半日ほどの間、私は特殊展示師とおしゃべりをして過ごしました。私たちの間に挟まっているこのバラバラ死体は、いきなり左上腕地方に現れたコロナ組のスパイクというホムンクルスから来ているそうです。デンドリ駆除会社に食われなかったスパイクはきっとリンパ水路に入ってこの村に流れ着いていることでしょう。スパイクを捕まえることの出来たB支社を面接するのが楽しみです。



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(解説:読み飛ばして下さってかまいません。)


 主人公の”鑑定師”の本名はT細胞受容体で、その役割は抗原の認識です。抗原というのは獲得免疫のターゲットとなるものの総称で、たいていはタンパク質かその一部です。ただし、T細胞受容体が認識できる抗原は、タンパク質が一定の大きさに分解されたペプチド(”バラバラ死体”)がMHC分子(”展示師”)によって、隣り合わせた細胞の表面に提示されたものに限られます。


 T細胞受容体はアルファ鎖とベータ鎖という2つのタンパク質分子が合わさって出来ており、T細胞の細胞膜上にあります。T細胞は血中やリンパ組織中に多く見られる免疫細胞です。胸腺で作られる時に、T細胞受容体の抗原結合部位をコードする部分(“頭から胸”)のゲノムが編集し直されて(VDJ遺伝子再編成、“カタログの切り貼り”)、それぞれのT細胞クローン(”T支社”)が、独自のT細胞受容体を持つようになります。VDJ遺伝子再編成は両親から貰った2本の染色体のうち1本でしか起こらないので1つのT細胞クローンは1種類のT細胞受容体のみ持ちます。ちなみに各々のT細胞受容体分子は本来なら1日もしないうちに細胞内に回収されて壊されますが、ここでは話の都合に合わせて長生きしたり転生したりしてもらってます。 


 胸腺で作られた、様々なT細胞受容体を持つT細胞クローンは、2段階のふるい分けをされて、その95%から99%が血中に出ることなく死にます。まず、胸腺皮質上皮細胞上で自己抗原を提示している2種類のMHC分子のうち、どちらと相互作用(”かるーくくっつく”)が出来るかが試されます。主人公のいるT細胞はクラスII分子(”特殊展示師”)と相互作用したのでヘルパーT細胞になることが決まりました。ここでクラスI分子と相互作用すれば、キラーT細胞になります。どちらのMHC分子ともうまく相互作用できなかった細胞は数日以内に死にます。次に、胸腺髄質上皮細胞で提示された自己抗原にT細胞受容体が強く結合したT細胞はアポトーシス(細胞が自殺する仕組み)によって排除されます。ただしこの排除は完璧ではなく、自己抗原に反応してしまう少数のT細胞クローンが身体の中に存在します。


 2段階の試験をパスしたT細胞はナイーブT細胞と呼ばれ、抗原を認識する時が来るまで全身を循環します。ナイーブT細胞の寿命は9年程度です。ヒトがまだ若いうちは胸腺で新しいナイーブT細胞が作られて補充されますが、胸腺は次第に退化し75歳までにはほぼ消滅します。既存のナイーブT細胞がゆっくり分裂してT細胞の総数は保たれますが、T細胞受容体の多様性が失われてゆくので、高齢になるほど新しい病原体に対応しにくくなります。T細胞受容体の多様性を正確に知るのは難しく、以前は100万種類と言われていたようですが、最近の研究では約1億という数字が出ています。


 主人公のいるナイーブヘルパーT細胞が初めてマッチする抗原に出会うシーンは前話でも描かれました。ワクチン接種箇所でスパイクを摂取した樹状細胞(”デンドリ駆除会社”)がリンパ節に移動してきて、その表面でMHCクラスII分子(”特殊展示師”)がスパイク由来のペプチド(”バラバラ死体”)を掲げています。2つの細胞が触れ合い、ヘルパーT細胞上のCD4分子がMHCクラスII分子の一部と結合して鑑定を助けます。主人公のT細胞受容体はMHCクラスII分子が掲げたスパイク由来のペプチドと強く結合し、双方の細胞内にシグナルが送られました。しかしこれだけではヘルパーT細胞の活性化には十分でなく、ヘルパーT細胞側のCD28分子と樹状細胞側のB7分子が結合し、それにより発するシグナルが必須です。他にも複数種の分子が、樹状細胞とヘルパーT細胞の接着を助けます。また、各種のサイトカイン(”伝令”)が双方の細胞から放出されて、細胞膜上のサイトカイン受容体に結合し、そこからもシグナルが細胞の内部に伝わります。


 細胞外に放出されるさまざまなサイトカインとそれぞれにマッチするサイトカイン受容体は、自分自身、あるいは周囲の細胞を活性化したり抑制することによって、免疫機能を制御する重要なタンパク質分子ですが、細かい説明は省略しました。また、たびたび出てくる”シグナル”とは、細胞膜上のタンパク質分子が受けた刺激が細胞核(”司令室”)の転写因子(メッセンジャーRNAの合成を助けるタンパク質分子)まで伝わる細胞内シグナル伝達と呼ばれる現象を指し、さまざまな経路があります。伝達の経路となる多数のタンパク質分子が次々と小さな修飾(リン酸などの小さな分子がくっついたり離れたりする)を受けることによって起こります。


 ナイーブヘルパーT細胞が全てのシグナルを受け取って樹状細胞から離れるのには少なくとも6時間必要で、実際にヘルパーT細胞の分裂が始まるのはT細胞受容体が抗原を認識してから36から48時間後、ワクチン接種から2、3日後です。その後、何度か分裂したヘルパーT細胞はB細胞による抗体産生を助けますが、それは次の次の話で描かれます。ヘルパーT細胞は樹状細胞を通じてナイーブキラーT細胞の活性化も助けますが、このシリーズではキラーT細胞に関わる部分は省略しました。


 次回の主人公は免疫グロブリン(”コータイ”)です。


(参考文献)

1. 免疫のしくみを学ぼう!(http://kawamoto.frontier.kyoto-u.ac.jp/public/public_001.html)

2. T-cell receptor (https://en.wikipedia.org/wiki/T-cell_receptor#Signaling_pathway)

3. T cell (https://en.wikipedia.org/wiki/T_cell)

4. T helper cell (https://en.wikipedia.org/wiki/T_helper_cell)

5. Mini-review: An overview of T cell receptors (https://www.bio-rad-antibodies.com/t-cell-receptor-minireview.html?JSESSIONID_STERLING=A609E744D0181C46761321BC69959977.ecommerce1&evCntryLang=US-en&cntry=US&thirdPartyCookieEnabled=true)

6. Positive and negative selection of the T cell repertoire: what thymocytes see and don't see (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4757912/)

7. Diversity and clonal selection in the human T-cell repertoire (https://www.pnas.org/content/111/36/13139)

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