このバラバラ死体、気に入ってくれた?

 特殊展示師の本名はMHCクラスII分子です。

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 僕はこのニンゲン国の8種類の特殊展示師のひとりだ。2匹のホムンクルスが合わさって出来てる高級ホムンクルスさ。デンドリ駆除会社やB警備会社みたいな警備関係の会社の外壁にいろんな展示品を掲げることが特殊展示師の仕事だ。


 展示品は何かって?ホムンクルスのバラバラ死体さ!僕らが殺すんじゃないよ。殺るのは解体師たちだ。ホムンクルスってのは20種類のビーズ玉がいろんな順番でつながった長いヒモが、巻いたりからまったりしてできてるんだけど、解体師はビーズとビーズの間を切って短いヒモをたくさん作るんだ。僕らが展示するのはだいたい13から25個のビーズが連なった長さのヒモだ。


 僕ら特殊展示師の展示品を調べに来るのはヘルパーT警備システムの鑑定師で、ちょっとコータイに似てる連中だ。ちなみに僕らの親戚の一般展示師はあらゆる会社の外壁に展示してて、キラーT警備システムの鑑定師を相手にするんだけど、まあ彼らのことは今日は置いておくね。


* * *


 さてと、今世の僕はデンドリ駆除会社で生まれたらしいな。デンドリ駆除会社は会社外に落ちてるいろんなゴミを取り込んで処理するんだけど、単なる掃除屋じゃなくて、ゴミの中に入ってるホムンクルスを鑑定師に見せるって大事な仕事があるんだ。もしかすると侵入者が紛れ込んでるかも知れないからね。ホムンクルスのままだと大きすぎて鑑定師がうまく調べられないから、解体師がバラバラ死体にしたのを僕ら特殊展示師が展示するってわけだ。


 たいていのデンドリ駆除会社は空気ダクトみたいに外界に近いところにいるんだけど、僕の生まれた会社はさっきまで左上腕地方にいたらしい。『さっきまで』って言ったのはデンドリ駆除会社はゴミ集めを終えると、近くのリンパ村に向かって移動を始めるんだ。同時に社内の大幅な人事異動が起こって、僕ら特殊展示師とか、会社の外に放たれるいろんな種類の伝令ホムンクルスとかが大勢生まれる。


 今、僕らは会社内の小部屋でバラバラ死体が届くのを待っているところだ。ウワサによると、昨日コロナ組のスパイクっていうホムンクルスが左上腕地方にいきなり大勢現れたらしい。よし、解体部屋からヒモ状のバラバラ死体が送られて来たぞ。スパイクは1200個かそこらのビーズから出来てたらしいから、いろんなバラバラ死体があるだろうけど、1種類の展示師がどれも持てるわけじゃなくて多少の得手不得手はあるんだ。僕は助手に手伝ってもらって持ちやすいバラバラ死体を1つ取った。仲間達も好みのバラバラ死体を1つずつ取り、みんなで会社の外壁に移動した。どうやって移動したかって?実は会社の壁ってすっごく流動的なんだ。僕らはさっきまで、会社内の小部屋の壁にハマってたんだけど、その壁が僕らごと会社の外壁に融合したのさ。


 会社はすでにリンパ村に到着してた。いろんな警備会社がお祭り騒ぎをしてる。僕らのデンドリ駆除会社は元の丸っこい形から無数の触手を伸ばした形に変化してる。お、ヘルパーT支社がやって来たな。ヘルパーTって呼んだのは、その表面にいる鑑定師たちの、バラバラ死体にくっつく部分が支社ごとに微妙に違うからなんだ。支社が設立されるときに聖書ゲノムがほんのちょっとずつ改訂されるんだってさ。鑑定っていうのは、鑑定師の身体が僕らが捧げ持ったバラバラ死体に強くくっつくかどうか調べることなんだ。


 鑑定師連中は自国民のバラバラ死体にはごくごく軽くしかくっつかないように出来てる。どうしてかは知らない。後で鑑定師に聞いてよ。とにかく、鑑定師の身体がバラバラ死体にしっかりくっついたら、そのバラバラ死体は侵入者のものだってこと。そして、その鑑定師はその侵入者を見つけられる、使えるヤツだって評価が下って、彼女を生み出したT支社は子会社を作る許可をもらえるのさ。今、僕が持ってるスパイクのバラバラ死体が、このニンゲン国に未だかつて存在しなかったものなら、これにくっつける鑑定師を持ってるT支社は10万個から500万個に1個ってとこらしいよ。それに加えて同僚たちが展示してる別のバラバラ死体にくっつく鑑定師を持つT支社が数個あるってとこかな。


 よし、シーディーフォーが僕にくっついて来たな。こいつはヘルパーT支社の外壁にいるホムンクルスで、僕の身体の一部にくっついて、鑑定師がバラバラ死体を調べている間、しっかり支えていてくれるんだ。さて、僕の展示品は鑑定師のお気に召すかな?彼女の身体は僕が捧げ持ったバラバラ死体にごく軽くくっついたけど、完全なフィットじゃなくて、すぐにシーディーフォー共々離れて行って、他の展示品を見に行った。残念。まあそんな感じで1つのデンドリ駆除会社は1時間に5000くらいのヘルパーT支社を相手にするんだよ。


 ハズレ続きで飽きてきて、いったん社内に戻って別のバラバラ死体を持ってこようかなーと思ってたら、ポンと気持ち良いショックを感じた。鑑定師の身体が僕の展示物にしっかりくっついてる。『このバラバラ死体、気に入ってくれた?』って小声で聞いたら彼女は涙を流さんばかりに喜んでたよ。彼女のヘルパーT支社は設立直後の厳しい試験を生き延びて以来、何年もの間ニンゲン国中のリンパ村を巡る旅を続けて、今初めてしっかりくっつけるバラバラ死体に出会ったんだってさ。


 外壁伝いに何匹かの助手が僕の周りに寄ってきて、同じく彼女の周りに寄ってきた助手たちととくっつきあう。いろんな伝令ホムンクルスが2つの会社の間を行き交う。これから僕のデンドリ駆除会社と彼女のヘルパーT支社はしっかりくっついて長い夜を過ごすんだ。そして、準備が整ったヘルパーT支社はたくさんの子会社を作ったり、コータイで敵を捕まえたB支社の面接をしたりするんだ。もちろん面接官は鑑定師で、面接されるのはB支社の上にいる、バラバラ死体を掲げた特殊展示師だよ。その時の話はあとで鑑定師に語ってもらうね。



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(解説:読み飛ばして下さってかまいません。)


 主人公の”特殊展示師”の本名はMHCクラスII分子(別名HLAクラスII分子、主要組織適合遺伝子複合体クラスII分子)です。多くの人間は8種類かそれ以上のMHCクラスII分子を持っています。MHCクラスII分子は樹状細胞(dendritic cell、 ”デンドリ駆除会社”)、B細胞、マクロファージなどの抗原提示細胞と呼ばれる細胞の表面にいます。抗原というのは獲得免疫のターゲットとなるものの総称で、たいていはタンパク質か、その一部であるペプチドです。抗原提示細胞は壊れた細胞やウイルスや細菌などを食作用により取り込み、その中に含まれるタンパク質を分解してペプチド(”バラバラ死体”)の形にしたものをMHCクラスII分子に持たせて細胞表面に提示します。提示する相手はヘルパーT細胞上にあるT細胞受容体(”鑑定師”)です。


 前回の話で、骨格筋細胞から放出され、樹状細胞に取り込まれたスパイクはリソソーム(”解体部屋”)でカテプシン(”解体師”)によってズタズタにされました。多種類のペプチド(”バラバラ死体”)ができましたが、そのうち13から25個のアミノ酸残基(”ビーズ”)からなるペプチドがMHCクラスII分子の先端に結合することができます。ペプチドとMHCクラスII分子には相性があって、提示しやすいペプチドとしにくいペプチドがあります。MHCクラスII分子をコードする遺伝子は個人差が大きいことで知られています。スパイクに由来し、MHCクラスII分子に結合してヘルパーT細胞を刺激できるペプチドは少なくとも92種類知られていますが、ひとりの人間が主に使うのはそのうち5種類程度で、どのようなMHCクラスII分子のセットを持っているかによって決まります。


 大量のスパイクを摂取することによって活性化され、MHCクラスII分子や各種のサイトカイン(”伝令ホムンクルス”)を作り始めた樹状細胞は、ワクチン接種箇所からリンパ管伝いに近くのリンパ節に移動し、元の丸っこい姿から無数の触手を伸ばした形に変化しました。主人公のMHCクラスII分子はスパイク由来のペプチドの1つをうまく提示することが出来ました。同僚たちもそれぞれ相性の良いペプチドを持って細胞表面に出てきました。多数の免疫細胞がリンパ節中に集まり、それぞれが色々なサイトカインを出したり受け取ったりして、獲得免疫の活性化の舞台が整いました(”リンパ村がお祭り騒ぎ”)。初回のワクチン接種から1日経った状態です。


 樹状細胞がペプチドを提示する目的の1つは、初めての侵入者に対して、それを識別できるヘルパーT細胞クローン(”ヘルパーT支社”)を探し出して、増殖の許可を与えることです。次回で詳しく語られますが、T細胞は発生の際、遺伝子の組み替えが起こるために、クローンごとに抗原結合部位が少しずつ異なったT細胞受容体を持ちます。それぞれのT細胞受容体は外来のペプチドのうち特定のもの(必ずしも1種類ではありませんが)に強く結合しますが、自己由来のペプチドにはごく軽くしか結合しません。


 コロナウイルスRNAワクチンの接種は3週間おきに2回行われますが、ここでは初回のみが描かれています。従って、スパイク由来のペプチドに結合するT細胞受容体を持つヘルパーT細胞クローンはまだほんの少数しか存在していません。樹状細胞は、その表面に提示した複数種のペプチドのうち少なくとも1つが、相手のヘルパーT細胞上のT細胞受容体に結合するまで、1時間あたり約5000個のヘルパーT細胞を調べ続けます。


 とあるヘルパーT細胞上のT細胞受容体が、主人公のMHCクラスII分子が持つペプチドに強く結合しました。双方の細胞内にシグナルが送られ、それを合図に細胞膜上の複数のアクセサリー分子(”助手”)が相手のアクセサリー分子と結合し、そこからもシグナルが送られます。また、色々なサイトカイン(”伝令”)が双方の細胞から放出されて、細胞膜上のサイトカイン受容体に結合し、そこからもシグナルが細胞の内部に伝わります。必要なシグナルをすべて受け取ったヘルパーT細胞の増殖の用意が整い、樹状細胞から離れるまで6時間から30時間かかります(以前に活性化されたことのあるヘルパーT細胞やその子孫なら、30分から2時間しかかかりません)。増殖したヘルパーT細胞クローンが何をするかというのは次回以降に語られます。


 このシリーズでは省略しましたが、MHCクラスII分子と良く似た分子にMHCクラスI分子(”一般展示師”)があり、ほとんどの細胞の表面に発現しています。MHCクラスII分子が主に細胞の外にある異物に対処する免疫システム(ウイルス粒子に対する中和抗体など)に関与するのに対し、MHCクラスI分子は、キラーT細胞上のT細胞受容体と相互作用し、細胞の中で異物が作られた時に細胞ごと殺す免疫システム(ウイルス感染細胞、癌細胞、移植臓器などに対する免疫反応)に関与します。


 次回の主人公はT細胞受容体(”鑑定師”)です。


(参考文献)

1. ウイルスに対する免疫応答の仕組み (https://www.covid19-taskforce.jp/opened/immune-response1/)

2. The major histocompatibility complex and its functions (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK27156/)

3. T cell repertoire scanning is promoted by dynamic dendritic cell behavior and random T cell motility in the lymph node (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC327133/)

4. Real-Time Manipulation of T Cell-Dendritic Cell Interactions In Vivo Reveals the Importance of Prolonged Contacts for CD4+ T Cell Activation(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1074761307004517)

5. Dendritic cell (https://en.wikipedia.org/wiki/Dendritic_cell)

6. Regulation of T Cell Immunity by Dendritic Cells (https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(01)00455-X?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS009286740100455X%3Fshowall%3Dtrue)

7. Frequency of epitope specific naïve CD4+ T cells correlates with immunodominance in the human memory repertoire (https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3997369/)

8. Comprehensive analysis of Tcell immunodominance and immunoprevalence of SARS-CoV-2 epitopes in COVID-19 cases (https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S266637912100015X#mmc2)

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